思い出と重なる今
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彼方が出ていったドアを暫し眺める。
言い知れぬ恐怖がじわじわと込み上げ、叶うならばあの優しい両親の元に逃げだしたくて仕方がない。
けれど、私が今いるこの寝室には小さな窓しかなく、先程彼方が出ていったドアしか出口は見当たらない。
ノロノロと立ち上がり、彼方が指し示していった服を手にとる。
それは、意外な事にこのお城で女官達に無理矢理着せられた裾の長いドレスではなく、街でよく着ていたワンピースに良く似ていた。
ただ、さらりとした服の布地や細かく施された刺繍が比べものにならない位高価な物である事を教えてくれる。
未練がましく他に服はないかと見回すが、有るはずもない。
可愛らしいその服に、普段であれば喜んだだろう。
けれど、今は自分で縫った服が恋しくて仕方がない。
進まぬ気持ちで、重く感じる服を身につけていく。
服は、私にピッタリでその事が余計気を重くする。
「彼方、どうして?」
込み上げてくる熱い塊で、喉が熱い。
あと一押し何かあれば、たやすく涙腺は壊れるだろう。
彼方は、私の可愛い可愛い大切な弟だった。
なのに、何故こんなにも彼方と再び対峙することが怖いのだろうか?
もう二度と会えないと思っていた彼に会えたのに、私の中に喜びはなくただ恐怖ばかりが募る。
それが悲しくて、ついにぽろりと涙がこぼれる。
ぐいっといささか乱暴に涙を拭き取り、自分にかつを入れるように頬を叩く。
深呼吸を繰り返し、無理矢理に心を奮い立たせる。
きっと、私が何か勘違いをしてるだけなのだと自分に繰り返し言い聞かせ、幾分の躊躇いの後に震える手で、カチャリとドアを開ける。
ドアの向こうには、何が待っているのだろうか?
少なくとも自由でないことだけは、いかに馬鹿な私にもわかっていた。
「遅かったね、姉さん。うん、よく似合ってるよ、その服。気に入ってくれた?」
「………彼方」
ドアの向こうでは、恐怖に怯える私とは裏腹に光に満ち足た部屋で何かを用意していた彼方が笑顔を向けてくる。
彼方の笑顔は、私が覚えているあの幼い笑顔を彷彿とさせた。
彼方に答える為に、ぎこちな笑みを浮かべる。
けれど、言葉なんて出て来なくてただ名前を呼ぶことしか出来なかった。
「どうしたの、姉さん。お腹が空いてるんじゃない?こっちに来て、座りなよ」
そういって、彼方の準備が終わってもなお動かずにいた私をエスコートするように差し出された彼方の手。
私が覚えていたのは、まだ幼さが残る私の手にすっぽりと収まった柔らかで小さな手。
けれど、今の彼方の手はよく手入れされ綺麗であるが、細かな傷がいくつか残っていて、私の手よりも大きく筋張っていた。
それが、私と彼方との間に流れた年月を思い知らせた。
言葉もなく、ただ手を見つめる私に焦れたのか、彼方は私に近寄りびくりと震える私に構うことなく、きゅっと私の手をとった。
そのまま、バルコニー近くに用意されたテーブルに私を導き、ふわりとした華奢な椅子に座らせる。
テーブルの上には、豪華な料理の数々が並べられていた。
まだ、作り立てなのか料理からは湯気が立ち上っている。
それらを見つめながら、私の頭を過ぎるのはけして豪華ではないけれどたくさんの愛情が込められた両親の料理。
私が、二人の料理を再び口に出来る日は来るのだろうか?
そんな風に物思いに耽っていと目の前が滲んできた。
泣くまいと目を擦ろうとするが、彼方に両手を握って止められた。
「駄目だよ、姉さん。目が赤くなるよ」
そういって顔を寄せてきた。
先程舐められた事が頭を過ぎり、思わず目をぎゅっと閉じるが幸い彼方は手にしていた柔らかな布で目元を拭うだけだった。
かつてと変わらない彼方の態度に警戒してしまった自分が恥ずかしくて、思わず俯いてしまうが何もされなかったことに安堵する。
やっぱりあの寝室での出来事は、私の勘違いにすぎないのだと。
私は、ありもしない恐怖に捕われてしまっただけなのだと。
「あ、ありがとう、彼方」
だから、さっきよりも落ち着いた気持ちで笑顔を作り、礼を言う事が出来た。
すると、彼方は目を細め眩しそうに私を見て暫し動きを止めた。
疑問に思うも問い掛ける前に彼方は動き出し、目の前の椅子に座った。
「気にすることないよ、姉さん。それよりお腹が空いたでしょう。せっかく、作って貰ったんだから冷める前に食べよう」
彼方の促しに頷いて、並べられた料理を一口口にする。
現金なもので、口にしてみれば、自分がいかに空腹だったのかがわかった。
美味しい料理を口に運びながら、そういえば今はいつ頃だろうかと考える。
確かクラウリス様にお城に連れて来られのがまだ朝早くだったはず。
それから、湯殿に入れられてこの部屋に連れて来られて気を失ったはず。
外はまだ明るいから、お昼過ぎかな。
私が窓から外を見ている事に気が付いたのか、同じように食事をしていた彼方が声を掛けてきた。
「どうしたの?あぁ、今はお昼過ぎだよ。姉さんが気絶してたのは、3時間くらいかな」
「そう。あっ、そうだ!あっちのお母さんとお父さんは、私が死んだ後どうなったの?私、親孝行できなかったけど」
「うん。父さんも母さんも姉さんが死んだ時は悲しんでたけど、まぁ元気で過ごしてたよ。ちゃんと老後の生活も見たし、孫も見せた。大過なく過ごして寿命を全うしたよ」
「そう、彼方ありがとう」
彼方の言葉に、気にかかっていた前世の両親が幸せだった事に、親不孝をしてしまった身としてはほっとする。
ほっとすると、今度はまだ子供だった彼方の記憶しかなかったから、孫という言葉が気になった。
「待って、彼方、結婚したの!?そうだよね、彼方だって大人になったんだよね。見たかったな。おめでとう!相手はどんな人だったの?」
どんな相手だって、彼方も幸せに過ごせたんだったら嬉しい。
だから、どうやって結婚に到ったのかとか子供は何人いたのかとか私が見ることの出来なかった、彼方の過ごした時間が聞きたかった。
けれど、彼方は私の質問に不機嫌そうにし答えようとはしなかった。
「………彼方?どうしたの?」
「何でもないよ。それより、姉さん覚えてる?あの家にいた猫のもものこと」
「うん、覚えてるよ。ももがどうしたの?」
結局、私は私が居なくなってから彼方がどう過ごしてきたのか聞くことは出来ず、他の懐かしい話題に気をとられてしまった。
彼方と話す内に、並べられていた料理は綺麗に片付いた。
残すは、最後のデザートだけとなり、あの寝室での出来事が嘘みたいな優しい時間に私は愚かにも勘違いしてしまっていた。
彼方との誤解が解ければ、私はまた両親の元に戻ってあの暖かく優しい時間を再び過ごすことが出来るのだと。
最後に甘いフルーツタルトとともに出されたのは、懐かしい香りのミルクティー。
それは、私が大好きだった彼方の入れてくれたもの。
顔を上げれば、彼方はにっこりと笑い、私にミルクティーを奨める。
懐かしくてミルクティーを見ていれば、何を思ったのか彼方は口を開いた。
「大丈夫だよ、姉さん。それには、何も入ってないよ。冷めない内に飲んでよ」
君が考えるのは、僕のことだけ。
そうなれば、僕は幸せなのに。