異世界でアンデッド転生。
【プロローグ】
最後にまともな休みを取ったのがいつだったか、もう思い出せない。
カレンダーの数字はただの記号になり、俺の生活は連日の仕事三昧という泥沼に埋もれていた。ここ数日、まともに食事を取った記憶すらない。胃袋が悲鳴を上げる段階はとうに過ぎ、今はただ頭の芯がジリジリと焼けるように熱かった。
深夜のオフィス。誰もいないフロアでパソコンの画面を見つめていた時、急に心臓が跳ね上がった。
「あ、これ……まずい、な……」
視界が急速に狭くなり、ブラックアウトしていく。俺の身体は、力なくデスクの下へと倒れ込んだ。
パタッ、と乾いた音が、静かな部屋に虚しく響いた。
【1日目】
「……んん…ん?」
どれほど眠っていたのだろうか。重い意識の底から、ようやく這い上がってきた。
てっきり会社の床で倒れていたのだと思ったが、どうにも様子がおかしい。妙に肌寒いのだ。いや、肌寒いというより、自分の皮膚の感覚がひどく鈍い。
「ここは……どこだ?」
声を上げたつもりだったが、喉から出たのは「ガサリ」という、枯れ葉をこすり合わせたような掠れた音だけだった。
辺りは薄暗く、じっと目を凝らしても数メートル先が煙っているように見えて、よく周りが認識できない。過労で倒れた俺が見ている、たちの悪い夢か何かなのだろうか。
とりあえず、この冷え切った場所を抜け出さなくては。
そう思い、俺は歩き始めた。コツン、コツンと、自分の足音だけが静まり返った空間にやけに大きく鳴り響く。
自分の格好を見下ろしてみる。家からそのまま私服出社するタイプの会社だったから、お気に入りのTシャツにグレーのパーカー、そして黒のズボンを履いている。しかし、なぜか足元だけが素足だった。手首に目をやると、愛用のアナログ時計の針だけは、チクタクと正確に時を刻み続けている。
しばらく歩いていると、どこからかチョロチョロと水が流れる音が聞こえてきた。
だが、その音に近づくにつれて、鼻を突く強烈な悪臭が漂い始める。生ゴミが腐ったような、あるいは動物の死臭のような、嗅いだことのない臭いだ。
「うっ、なんだこれ……」
顔をしかめながら、水の音がする方へ恐る恐る足を進める。
そこは、濁った地下水が流れる水路のようになっていた。驚いたのはその周囲だ。正体不明の奇妙な小動物の死骸や、見たこともない奇怪な生き物の残骸、さらには完全に肉の削げ落ちた人間の骸骨までが、無造作に何体も転がっていた。
「ここはもしかして……ゲームとかによく出てくるダンジョン、か? まーさか、そんなわけないよな……」
自分の突飛な妄想を笑い飛ばそうとした、その時だった。
少し先の通路の角から、ゆらゆらと揺れるオレンジ色の明かりが見えた。たいまつを持った数人の人間が、こちらに向かって歩いてくる。
やっと、人間に会えた。
強烈な安堵感が押し寄せる。ここはどこなのか、自分はなぜこんなところにいるのか、何か情報を得ようと、俺は彼らの方へ向かって足早に歩み寄った。
「あの、すみません、ここは――」
声をかけようとした瞬間、たいまつを持った男の一人が、ひっくり返ったような悲鳴を上げた。
「な、なんだあれは……ゾンビ!? いや、違う! あれは高位アンデッドの……『リッチ』だと!?」
「バカな! なんでこんな浅い階層にそんな化け物がいるんだ!?」
「やられるぞ、逃げろ!! みんな、走れっ!!」
彼らは完全にパニックに陥り、あまりの恐怖からか、手元に持っていたたいまつを地面に落としたまま、脱兎の如く来た道を逃げ去っていった。
遠ざかる足音を聞きながら、俺はぽつんと取り残された。
「情報、欲しかったんだけどな……」
いや、ちょっと待て。今の連中、俺のことを見て何て言った?
ゾンビ? いや、高位アンデッドの『リッチ』……?
嫌な汗が背中を伝う感覚があった。俺は地面に落ちてパチパチと燃え続けているたいまつを拾い上げると、その明かりを頼りに、先ほどの水の音がする場所へと引き返した。
そして、たいまつの明かりを水面に近づけ、恐る恐る自分の姿を映し出してみる。
「……うわ」
水面に映っていたのは、どこにでもいるサラリーマンの顔ではなかった。
肉が削げ、あちこちから不気味な骨が覗いている、まさに異世界ファンタジーに出てくるアンデッドそのものの禍々しい姿だった。パーカーの袖から伸びる手や足の色を改めて見ると、血色の悪い、どす黒い灰色に変色している。
これでは、さっきの冒険者たちが腰を抜かして逃げ出すのも無理はない。俺だって、夜道でこんな奴に声をかけられたら絶叫して逃げる。
しかし、リッチといえば、ファンタジーの世界では強力な魔法を操る最上位の死者のはずだ。
「もしかして、魔法が使えたりするのか?」
試しに、頭の中に思い浮かぶ魔法の名前を色々口にしてみた。
しかし、大半は何も起きない。何度も試行錯誤した結果、唯一、右手を突き出して強く念じた時だけ、掌から禍々しい漆黒の炎が噴き出した。
頭の中に、その魔法の名称が自然と浮かび上がってくる。
――『死の獄炎』。
どうやら俺が使えるのは、この不吉な魔法だけのようだった。
俺は一先ず、この異形となってしまった現実を受け入れ、冷え切った身体(もう生きてはいないが)を動かして、さらにダンジョンの探索を続けることにした。
【2日前】
腕時計の針が二周半した。時間的には、この不可解な世界にきて二日目に入ったらしい。
辺りを探索してわかったことがいくつかある。
まず、この場所には明確な「階層」があるということ。そして不思議なことに、このダンジョンは上に登るほど強そうな魔物が徘徊しており、下に降りるほど、弱そうな魔物しかいない逆転構造になっているようだった。
そして、俺が最初に目覚めたのは「三階層」という場所だった。
試しに下に二階分降りてみると、最下層の一階層には大きな鉄格子の入り口のようなものが見え、そこから先ほどの男たちのような冒険者が、ひっきりなしに中へ入ってくるのが確認できた。
「なるほど。確かに普通の異世界ダンジョンなら、入り口からすぐの三階層に、最高ランクの高位アンデッドがいるなんて明らかにおかしいもんなぁ……」
一種のバグのような配置に合点がいった俺は、とりあえず冒険者との接触を避けるために三階層へと戻り、通路をトボトボと歩いていた。
すると、最悪なことに、またしても冒険者の三人パーティーと正面から出くわしてしまった。だが、今回は雰囲気が違う。前日の頼りない連中とは明らかに違い、身につけている甲冑や武器の装備が洗練されていて、強者のオーラを放っていた。
「おい、あれを見ろ……リッチだ! 低級の冒険者たちが騒いでいた噂は本当だったのか!?」
「ギルドの特別依頼だ、今すぐここで討伐するぞ!」
先頭の戦士が剣を抜き、後ろの魔術師がすかさず長い杖を突き出してきた。
「大人しく眠れ! 『絶零氷界』!!」
魔術師が呪文を唱えた瞬間、爆発的な冷気が通路を吹き抜けた。
ガキガキガキッと凄まじい音が響き、俺の足元から一瞬で凍りついていく。それだけでなく、周囲の壁も天井も、全てが絶対零度の氷塊の中に閉じ込められてしまった。身動きが一切取れない。
『やられる……!』
本能的な恐怖が走り、俺は凍りついた右手を必死に前に突き出した。
「『死の獄炎』!!」
叫びと同時に、俺の身体から漆黒の劫火が噴き上がる。禍々しい黒炎は、俺を閉じ込めていた絶対零度の氷を猛烈な勢いで溶かしていった。自由になった瞬間、俺は戦うことなど毛頭考えず、前衛の戦士が踏み込んでくる前に、一目散に背を向けて逃げ出した。
「待て! 逃がすか!」
後ろから怒号が聞こえたが、俺は振り返る余裕すらなく、ただただ暗闇の奥へと走り続けた。
【3日目】
どれほどの時間、逃げ回ったのだろうか。
文字通り、無我夢中で足を動かし続けた。背中の傷や疲労を感じないのはアンデッドの特権かもしれないが、精神的な消耗は激しかった。階段を見つけてはがむしゃらに登り、階層をいくつもいくつも駆け上がった。
ようやく後ろからの追撃の気配が消えたため、俺はひとまず落ち着ける場所を探した。
すると、通路の奥に、淡い聖なる光の壁で覆われた特殊な小部屋を見つけた。ゲームでいう「セーフエリア」と呼ばれる、モンスターが立ち入ることができない結界がある部屋のようだ。
「ここなら……」
恐る恐る近づいてみると、なぜか魔物であるはずの俺の身体は、その結界をすんなりと通り抜けて中に入ることができた。
中には人はおらず、ひんやりとした、しかしどこか清らかな空気が満ちていた。なぜアンデッドの俺がここに入れたのかは分からない。元が人間だったからか、それとも規格外の高位アンデッドだから結界を無視できたのだろうか。
理由はともあれ、安全が確保されたことに安堵し、俺は部屋の隅に座り込んだ。
何をするでもなく、しばらく休息を取る。……そのまま、床に横になってしばらく寝てしまったようだ。アンデッドの身体になっても、元が人間なら眠気というものは襲ってくるらしい。
目が覚めても、相変わらず人の気配はなく、しんと静まり返っていた。
張り詰めていた緊張が少しだけ解け、ほっと息を漏らす。
しかし、いつまでもここに引きこもっているわけにはいかない。何とかしてこのダンジョンを出て、元の世界に戻る方法を探さなくては。
俺は意を決してセーフエリアの結界を出て、再び薄暗い通路を歩き始めた。
だが、運命は残酷だった。角を曲がった瞬間、最悪の再会を果たしてしまう。
「――見つけたぞ、化け物め!」
そこにいたのは、昨日俺を氷漬けにしたあのベテラン冒険者たちだった。執念深く俺を追ってきたらしい。
魔術師が即座に杖を掲げ、恐ろしい速度で詠唱を始めた。
「『並列思考』――展開!」
魔術師の目が妖しく光る。一つの脳で二つの魔法を同時に制御する高等補助魔法だ。
「喰らえ! 『絶零氷界』、そして……お前の得意な『死の獄炎』だ!」
昨日俺が放った黒い炎の魔法を、奴も使えるらしい。
前方から、全てを凍らせる冷気の嵐と、全てを焼き尽くす黒炎の渦が、同時に俺を挟み撃ちにするように襲いかかってきた。
ドォォォォン!!!
凄まじい衝撃波が通路を駆け抜ける。さすがのリッチの肉体といえど、最高峰の複合魔法をまともに喰らっては耐えきれなかった。骨が砕け、肉が裂け、俺はその場に激しく倒れ込んだ。もう、指一本動かす力も残っていない。
満身創痍の俺の前に、一人の女が歩み寄ってきた。後ろに控えていた、神聖な法衣をまとった赤髪の聖職者だ。
彼女は憐れみの目を向けながら、俺の頭上に静かに手をかざした。
「彷徨える哀れな魂よ、神の御名において、あるべき場所へ還るがいい!不死退散!……『ターン・アンデッド』」
眩いばかりの、純白の聖なる光が俺の視界を埋め尽くしていく。
身体がサラサラと光の粒子になって消えていくのが分かった。痛算はなかった。ただ、猛烈な浮遊感だけがある。
『しょ、昇天する……。せっかく異世界に来たのに、この世界のこと、何一つ知らないまま……。ああ、ああああああああぁぁぁ……!』
三日間の短い異世界生活が、白い光の中に溶けて消えていった。
【エピローグ】
気がつくと、俺はフワフワと宙に浮いていた。
視界の先には、たくさんの人間が集まっている。だが、そこは異世界のダンジョンではなく、黒い喪服を着た人々が涙を流す、見慣れた現代日本の「葬儀場」だった。
祭壇の中央には、パッとしないスーツ姿で微笑む、俺の遺影が飾られている。
お坊さんのあげるお経が響く中、会社の上司や同僚たちが「本当に真面目な奴だったのに、過労死なんて……」とハンカチで目を押さえていた。
どうやら俺は、あの夜会社で倒れた時点で、現実世界でも完全に死んでいたらしい。
あっちでアンデッドとして彷徨っていた三日間は、こちらでお通夜や葬儀の準備が進んでいた三日間と、綺麗にリンクしていたのだ。
「あのまま異世界で生き残ってたら、俺の魂は……」
霊体となった俺は、自分の祭壇の前でぽりぽりと頭を掻いた。
異世界に転生したと思ったら、たった三日で容赦なく現世の自分の葬式に引き戻されるなんて、一体全体、なんて終わり方だ……。
俺は小さくため息をつきながら、自分の棺桶の中にそっと手を合わせて、静かに煙のように消えていった。
思い立ったら即行動して即投稿しちゃいました。
感想等良ければお願いします。




