表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MURDER HERO  作者: あああ
序章
1/7

1話 君のヒーローに

冬の空気は、ただ冷たいだけじゃなかった。


吸い込むたびに、どこか重たく、わずかに喉の奥に引っかかるような感覚が残る。吐き出した白い息はすぐに空へ溶けていくのに、その違和感だけは、なぜか消えずに残り続けていた。


「……さっむ」


高校1年生の東雲慧(しののめけい)は、マフラーを首元に押し込みながら、肩をすくめた。


夕暮れの光が町全体を橙色に染めている。古びた家々、使われなくなった畑、ところどころひび割れた道路。どこを見ても変わらない景色で、特別なものなんて何もないはずなのに――それでも、慧にとってはここが“帰る場所”だった。


「……なんもねぇな、ほんと」


ぽつりと呟く。


けれど、その“何もない”が心地よかった。


何も起きない日常。

それが続くことが、当たり前だと思っていた。


「おーい、慧ー!」


背後から聞き慣れた声が飛んでくる。


振り返ると、クラスメイトの少女――朝霧(あさぎり)ひよりが、少し息を切らしながら走ってきていた。


「ちょ、待ってよ……はぁ、やっと追いついた……!」


「そんな走らなくても逃げねぇよ」


苦笑しながら言うと、ひよりは軽く睨む。


「逃げるでしょ普通に。てかこれ」


そう言って差し出されたのは、一枚のプリントだった。


「今日配られたやつ。絶対忘れてると思った」


「あー……はい、忘れてました。マジ助かる、ありがとう朝霧」


「でしょ?」


満足げに笑うひより。


その顔を見て、慧もつられて少し笑った。


「ほんと、お前お人好しだよな」


「え、なんでそうなるの?」


「普通わざわざ追いかけてこねぇだろ」


「……困るでしょ、慧が」


当たり前のように言われて、少しだけ言葉に詰まる。


「……まあ、助かったのは事実だけど」


「でしょ?」


得意げな顔。


こういう何気ないやり取りが、妙に心地いい。


そのときだった。


遠くの電柱に取り付けられたスピーカーから、ノイズ混じりの音声が流れた。


『――本日未明、県内にて複数の失踪事件が発生――』


「……またこれか」


慧は顔をしかめる。


最近、こういう放送がやけに増えていた。


行方不明。失踪。原因不明。


そして、それに関連するように出てくる単語。


「…… “心喰(こころぐい)”ってやつだっけ」


ひよりが小さく呟く。


「らしいな。まあでも、ああいうのって大体都会の話だろ」


「でもさ、ネットで見たんだけど」


ひよりは声を潜める。


「心喰って、 “烙印”の暴走とか、人の恐怖から生まれるとかって……」


「スティグマ、だっけ」


「そう、それ」


慧は少し考えるように空を見る。


「でもあれだろ、断罪執行機関が全部処理してるってやつ」


「……うん」


断罪執行機関。


シグナと呼ばれる能力を扱う人間たちで構成された、半ば軍のような組織。


刻印は、人の“感情”を元に発現する紋様でシグナによって形は異なる。

自分の力を極めた者だけが扱える特別な能力。


そして、その元となるエネルギー――エデン素。


L()u()c()i()d()i()a()もそのエデン素から作るんだっけ」


「うん……死んだ人からしか取れないやつ」


ひよりの声が少し震える。


「……黒蜜とかも、それ狙ってるんでしょ」


「まあな。あいつらは普通にクズだろ」


Lucidia(ルディア)


それは万能の結晶。


薬にもなり、武器にもなり、能力の強化にも使える。


だからこそ、人はそれを求める。


人を殺してでも。


「……なんかさ」


ひよりがぽつりと呟く。


「もしさ、そういうのが本当にこの町に来たらどうする?」


「どうするって……」


慧は少しだけ考えて、


「そんときは――」


少しだけ照れくさそうに笑う。


「俺が助けるよ」


軽いノリで言った言葉。


でも、ひよりは真剣な目でこちらを見る。


「……ほんとに?」


「ああ」


「絶対?」


「絶対」


短い言葉だった。


でも、その約束は確かに交わされた。


---


家に帰ると、いつも通りの匂いがした。


温かい料理の匂い。


「ただいま」


「おかえり、慧」


母親の声。


その“当たり前”が、なぜか今日は少しだけありがたく感じた。


「今日もあれでしょ、ニュース」


テレビには、また同じ話題が映っている。


黒い影。ぼやけた映像。


『――現在、心喰(こころぐい)討伐指定区域の拡大が検討されており――』


「心喰、ね」


慧はソファに座りながら呟く。


「結局なんなんだろうな、あれ」


「知らないほうがいいこともあるのよ」


母親はそう言って、少しだけ笑った。


その笑顔が、妙に引っかかった。


---


翌朝。


「慧、気をつけてね」


玄関で、母親が少し真剣な顔で言う。


「最近ほんとに物騒なんだから」


「大丈夫だよ」


慧は軽く笑って、靴を履く。


「何も起きないって」


ドアを開ける。


冷たい空気が流れ込んでくる。


「いってきます」


「……いってらっしゃい」


その声が、なぜか少し遠く感じた。


---


外は、異様に静かだった。


風もない。


音もない。


「……なんだこれ」


一歩、歩く。


足音だけがやけに響く。


「人……いなくないか?」


周囲を見渡す。


誰もいない。


本当に、誰も。


そのとき――


ドン。


地面が揺れた。


「……なんだ?」


ドン。


もう一度。


音が、近づいてくる。


そして――


匂い。


鉄のような、重たい匂い。


「……血……?」


心臓が跳ねる。


ゆっくりと、視線を向ける。


そこにいたのは――


“熊”だった。


だが、それは“心喰”だった。


歪んだ肉体。裂けた口。存在そのものが狂っている。


そして――


人を、喰っていた。


ぐしゃり。


骨が砕ける音。


肉が裂ける音。


それを、ただ無造作に、食っている。


「……なんだよ……それ……」


理解が追いつかない。


現実が、拒絶される。


そのとき。


「東雲くん……!」


背後から声。


振り向く。


自販機の影。


そこに、朝霧ひよりがいた。


血に濡れ、震えながら。


「助けて……」


その一言で、慧の足は止まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ