表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/50

封印された扉

春の香りが薄れていく頃、怜花宮の庭は静かに緑を深めていた。

茗渓は今日も元気よく、風に揺れる枝葉の音を背に、ひとり小道を辿っていた。


「ふふ、こんなに広いんだから、ちょっとくらい探検しても罰は当たらないよね」


――そう、これはあくまで「気分転換」。

けっして「禁止区域に踏み込んでいる」わけではない。うん、きっと違う。たぶん。


怜花宮の裏手には、細い竹林があった。

春霞のように淡い青竹が並ぶその奥へと、茗渓は足を進めた。


「……あれ?」


風が止み、竹が揺れた隙間から、ひと筋の古道が見えた。

敷き詰められた石畳は苔に覆われており、踏まれた気配すらない。


まるで、長い時間忘れられていたかのように。


「……なにここ。お宝の匂い、というか……隠された何かの予感!」


小声で興奮気味に言いながら、茗渓は古道を慎重に進んでいった。

やがて、竹林を抜けた先に現れたのは――


朽ちかけた門と、黒ずんだ瓦屋根をいただく古びた殿。


「……え? なにあれ、お屋敷? こんなところに……?」


門には蔦が絡み、重たそうな南京錠ががっしりと掛けられている。

その傍らには、まるで石像のように立つ番人の姿。年老いた男で、その瞳は茗渓の方をじっと見ていた。


「ひぃ……!」


思わず情けない声が漏れる。

まるでこの世の者ではないかのような気配に、茗渓は慌てて笑顔を作った。


「ご、ごきげんよう〜!あの、ちょっと道に迷っちゃって〜!」


番人は無言のまま、一歩も動かず、ただ彼女を睨みつけるように見ていた。


(ダメだこりゃ!完全にアカンやつ!)


茗渓はそそくさと踵を返し、古道を引き返す。

心臓はばくばく、背中には冷や汗。


「なんなのよ、あれ……何かありそうだったのに……!」


竹林を抜け、ようやく怜花宮の庭に戻った時、茗渓はどっとその場に座り込んだ。


「でも、気になる……あの建物。あれが何か、知ってる人いないかな……?」


そう呟いた瞳には、いつものように好奇心と、不思議な使命感が揺れていた。


怜花宮の夕暮れは、柔らかな茜色に染まっていた。

庭先で、茗渓はすやすやと日向ぼっこしていた猫――怜綾を膝に乗せ、穏やかな笑みを浮かべて撫でていた。


「ねぇ、今日ね、すっごいところを見つけたの」


ふと、茗渓の声が静寂を破る。

怜綾は片目だけ開けて、ちらりと彼女を見上げた。

(また何かくだらないことを言うつもりか…)


「竹林の奥、ずっと奥にね、古いお屋敷があったの。門には大きな錠がかかってて、誰も入っちゃいけないみたいな雰囲気でさ。で、番人がいて、すっごく怖くて無愛想だったの!」


怜綾の身体がぴくりと反応した。

(竹林の奥…?まさか、幽燈殿…?)


茗渓は続ける。


「でも、なんだか不思議でさ。空気がぴりっとしてて、誰も入っちゃいけないような。でも、逆に言えば、何か大事なものが隠されてる気がして…。」


怜綾は飛び起きた。


「……!」


まるで獣の本能に突き動かされるように、彼の足がふらつくように地を蹴った。

茗渓の膝から飛び降りると、そのまま庭を駆け出していく。


「ちょ、ちょっと、どうしたの怜綾!?そんなに毛立てて……!」


振り向くこともなく、怜綾は風を裂いて走った。


――幽燈殿。

――冥月之書。

それは呪いの鍵。長い年月、追い求めてきた「解放」の唯一の道。


(まさか……見つからなかった幽燈殿が、怜花宮のすぐ近くに……?)


心臓が激しく打つ。鼓動が煩わしいほどに耳を叩く。


(愚か者め。あれほど隠され、封印されていたのに。よりにもよって、あの女の好奇心で場所を嗅ぎつけるとは……!)


だが、次の瞬間、胸の奥に浮かぶのは別の想いだった。


(……それでも、冥月之書が手に入るのなら、俺は……)


それを見つければ、人として戻れるのかもしれない。

呪いを解き、母の仇を討ち、真実を白日の下に晒すことができるかもしれない。


(いや、戻るのだ。必ず……)


木々の影がゆらめき、夜がすぐそこまで迫っていた。


そしてその時、自分が猫ではなく、人の姿でいなければならないと、怜綾の本能が告げていた。


怜綾の姿が庭の茂みに消えたのを見て、茗渓は慌てて立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って!怜綾、どうしたの急に!?」


慌てて靴を履き、怜綾の後を追う。

だが、猫の身のこなしは人間の想像を遥かに超えていた。竹林の奥、しなやかな身体を木々の間にすり抜けさせ、いつの間にか茗渓の視界からその姿を消す。


「どこ行ったのよ……もー……!」


藪をかき分けながら、茗渓はそれでも懸命に走った。けれど、すでに怜綾は幽燈殿の門前に辿り着いていた。


(……やはり、ここだったか)


月明かりに照らされて浮かび上がる、古びた朱塗りの門。

その扉には重く黒い南京錠、そして見張りの気配はない。だが――


(……これは、ただの扉じゃない)


怜綾は門の前に立ったまま、しばし微動だにしなかった。

ぴんと立つ尻尾、わずかに広がる瞳孔。背筋にぞわりと走る冷気のような感覚が、全身を包んでいた。


(これは結界……結界が張られている。中へ入れば、ただでは済まない)


風もなく、空気は重たく沈んでいるのに、竹林の葉だけがざわめいていた。

怜綾はそっと前足を地面につけ、低く構えながら耳をすませる。


(この場所は、あの雨魘が守っている。あいつの術式……これは強い。中に入るには、解呪の印が必要だ)


と、その時――


「はぁ、はぁ……いた! 怜綾っ!」


背後から、どたばたと茗渓の足音が響いてきた。

その音に、怜綾は反射的にしっぽを立てて振り向く。


(……くっ。来るな、ここはまだ――)


「こんなとこで何してるのよ……うっわ、なんかすごい雰囲気……ここが、さっき言ってた場所……?」


怜綾はすぐに身を翻し、茗渓に近づいてぴたりと足元にまとわりつく。

その小さな体で、彼女の足元を押し、まるで「戻れ」と言っているかのように何度も擦り寄る。


「な、なに? どうしたのよ……なんか変な雰囲気あるけど……」


(今はまだ早い。結界を破る術も、鍵もない。お前まで巻き込むわけにはいかない)


怜綾は鋭く空を見上げた。月はまだ高い。

いずれ夜が満ちる時――その扉を開く鍵が、揃うのかもしれない。


(その時が来るまで、焦るな。まずは、冥月之書を見つけ出すための道を――)


茗渓の袖を引っ掻くようにして、怜綾は竹林の奥から遠ざかるよう導く。

「んもう、何なのよ……!」と文句を言いながらも、渋々ついてくる茗渓。


そして幽燈殿は再び、静寂の闇に沈んだ。

ただそこに、確かに存在する「禁忌」と「呪い」の記憶を封じたまま――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ