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この想い、壊せはしない

霧深き山道を、烏瓏と怜綾は並んで歩いていた。木々の枝が風に揺れ、夜の帳が静かに降りるなか、空には大きな月が浮かんでいる。月明かりを浴びた怜綾の姿は、人と猫のあわいに揺れる“幻”のようだった。


「……まだかすかに痛むが、歩ける。ありがとう、烏瓏殿」


「お主のように、月の呪に耐えうる者は滅多におらん。見上げたもんじゃよ」


そう呟く烏瓏の手には、常に薄く煙を立ちのぼらせる小さな香炉。道を照らす明かり代わりであり、邪気を祓う術でもある。


ふと、怜綾が立ち止まった。見上げるその目に、悔しさと切なさが宿る。


「……わかっていたら、もっと早く伝えるべきだった。俺の"答え”を茗渓に…。」


烏瓏がその横顔をじっと見つめた。


「伝えたかった、とは?」


「……愛しているとそう伝えたかったのです。」


怜綾は静かに言った。風が、彼の白い衣をふわりと揺らす。


「ようやく気づいたのです。茗渓が、私にとっての“運命の相手”だと。……自分が何者であろうと、姿がどうであろうと、彼女は俺を否定しなかった。むしろ、抱きしめ、支えてくれた……」


言葉を絞り出すように続ける。


「……なのに、その想いに気づいたその時、彼女は攫われた。今も、どこかで苦しんでいるかもしれない……それが、たまらないんです」


怜綾の拳が震えていた。


烏瓏は煙を一吹きしてから、目を細めて言った。


「……それじゃな。お主の呪いの解呪条件は、“真実の愛の口づけ”だったな」


「……はい」


「ならば……雨魘が茗渓を攫った理由、思い当たることはないか?」


怜綾は一瞬、言葉に詰まる。烏瓏は続ける。


「あやつ、雨魘の狙いは、“お主が愛に気づいたこと”そのものなのじゃ」


「……え?」


「口づけを交わせば、呪いは解ける。じゃが、茗渓を亡き者にしてしまえば……呪いは永遠に解けぬ。お主はまた黒猫として生き、誰にも知られず、忘れられ……いずれ、この世から消える」


怜綾の表情が凍りついた。


「……そんな……まさか」


「まさかじゃない。あやつが最も恐れておるのは、“お主が呪いから解き放たれ、人として蘇ること”じゃよ」


そして、烏瓏はまっすぐに怜綾を見る。


「じゃからこそ、今こそ選べ。愛する者を奪われ、また過去に囚われるか。あるいは、すべてを越えて、愛する者を救い出し、人として生き直すか」


怜綾は、風に揺れる香煙の向こうで、小さく頷いた。


「――俺は、茗渓を救う。何があっても、絶対に」


その言葉には、黒猫の皮を脱ぎ捨てた“怜綾という人”の確かな決意が込められていた。


闇の深い地下の石室。湿気と血の匂いが入り混じる空間に、鉄鎖のきしむ音が響く。


「……はぁ……っ、う……っ」


鉄の椅子に拘束された茗渓の身体は、見るも無惨な状態だった。腕や足には何重にも裂けた傷が走り、乾きかけた血が衣の上から滲んでいる。顔も青ざめ、唇は乾き、呼吸は浅く途切れがちだ。


それでも――


「……言わない……私の口からは……」


かすれた声で、そう言葉を紡いだ茗渓は、虚ろな目で雨魘を睨んでいた。


雨魘は低く、呆れたように笑う。


「頑なな女だ……どれほど苦しめばその口を割る? 貴様に価値はないと言っているのだ。怜綾の心が向くはずがなかろう。あやつは、いずれ麗妃と結ばれる定め――貴様など、忘れ去られるだけだ」


「……それでも……あの人が、私のそばにいてくれた……その時間だけは……私の誇りよ」


その言葉に、雨魘の笑みが凍る。次の瞬間、手にしていた錫杖を振るい、再び茗渓の足元に呪符を叩きつけた。


「黙れ……! 貴様のその目障りな信念など、今すぐ砕いてやる……!」


電光のような呪波が茗渓の足元から駆け上がり、全身を焼きつける。


「――あ、ぁああっ……!」


悲鳴を上げた茗渓の身体が仰け反り、椅子の鎖が激しく揺れた。


それでも――その目だけは、折れていなかった。


「……れい……りゃ……怜綾……どこ……?」


震える唇が、かすかに愛しい名を呼ぶ。まぶたは重く、意識の淵に沈みかけていた。


(……駄目、ここで……眠ってしまったら……もう、二度と……)


「……私は……もう、そろそろ……無理よ……」


微かに流れた涙が、血に濡れた頬をつたった。


雨魘は、黙りこくったままその姿を見下ろしていた。しばしの静寂ののち、錫杖を壁に立てかけ、呟いた。


「……使い物にならぬか。ならば、始末するしかあるまいな」


冷酷に、静かに――死の宣告。


その言葉とともに、再び呪術を操る構えを見せる雨魘の周囲に、淡く血の気を帯びた黒い気が渦巻いた。


命の灯が、消えようとしていた――


だが、その瞬間。


――遠く、遠くで、金色の風が吹いた。


夜の山道を、月明かりとともに駆ける影があることを、誰もまだ知らない。

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