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花宴、秘めたる覚悟

鳳凰の朱い垂れ幕がそよ風に揺れ、後宮の奥にある鳳儀殿では、麗妃の懐妊を祝う華やかな宴が静かに幕を開けようとしていた。


華やかな衣を纏った女官たちが忙しなく立ち働き、次々と運ばれる膳には、山海の珍味と美酒が惜しげもなく並べられる。


その中に――茗渓の姿があった。


(私が、この宴に呼ばれるなんて……)


本来、冷宮に追いやられた妃がこうした宴に招かれることは極めて異例だった。だが、麗妃自身が「冷宮の静けさを知る者こそ、真の言葉をくれるだろう」と、わざわざ名指しで招いたのだという。


茗渓は、慎ましやかに頭を垂れて礼をし、静かに席に着いた。


麗妃は変わらぬ優美な笑みを浮かべながら、柔らかく言葉を交わしていた。

その腹元はまだ目立たぬが、確かに新しい命を宿している。


(この子が男の子なら、皇太子は確定……)


「下がります」


麗妃の背後に仕える若い侍女が、膳を両手に持って静かに近づいてきた。


(この光景……どこかで、見たことがある)


茗渓は、心臓がわずかに早まるのを感じた。


(絵巻の――あの場面。そうだ、宴の膳。麗妃に運ばれたその膳に、堕胎薬が――)


脳裏に蘇るのは、かつて自分が“物語”の中で見た恐ろしいシーン。


絵巻の終盤、麗妃の膳に毒を盛ったとして蘭妃が断罪されたあの瞬間。


(でも、その毒――堕胎薬――は、怜花宮にあったはず。私はそれを処分した。もう、使われることなんて……)


――だが。


目の前に運ばれてくる膳。

絵巻と寸分違わぬ角度、同じ銀の器、同じ黒豆と百合根の甘煮、そして湯気の立つ碗。


(いや……おかしい。あれと、同じだ。これ……再現されてる)


ざわり、と背筋を冷気が走った。


(もしも。もしも、怜花宮で処分したのとは別の堕胎薬が、ここに盛られていたとしたら?

物語の筋は、私が捨てた毒なんて最初から“無かったこと”にして、強引に進もうとしてる……?)


茗渓は無意識に、膳を持つ侍女の手を見つめていた。

かすかに指が震えている。


(今、“それは怪しい”なんて言ったところで……誰が、私を信じるの?)


冷宮に住む女。皇帝に見放され、居場所すらない妃。


(この場にいる誰も、私の言葉なんて重く受け取らない。むしろ“場を乱した”って責められる……)


だから――


「……あっ!」


茗渓は立ち上がった瞬間、わざとつま先を滑らせた。


侍女の真横で、ふらりと倒れ込むように。


「きゃっ……!」


ぐらついた侍女の手から、銀の膳が離れ、音を立てて床に落ちた。

器が転がり、汁が飛び、膳の脚が折れてしまう。


「申し訳ありませんっ!!」


茗渓はすぐに地に伏し、深々と額を床につけた。


「す、すぐに膳を……掃除を……!」


場が騒然とする中、茗渓はなおも頭を下げ続けた。


(……たとえ、私が疑った通りに毒が入っていたとしても。それが今、証明されなくても……

麗妃が、それを口にしないで済んだなら――それでいい)


わずかに、視線の端に麗妃の姿が映った。


彼女は驚いたように目を見開きながらも、その奥にはどこか静かな理解の光があった。


「……茗渓。大丈夫ですか?」


「申し訳ありません……つい、足を取られて……」


「……ふふ。こんな宴ですもの、緊張もしますよね。もうよいのです。さあ、新しい膳を用意してくださる?」


その言葉に、場が和らぐ。

女官たちは少し顔を見合わせつつも、侍女に膳の交換を命じる。


麗妃は茗渓の手をそっと取り、静かに笑みを返してくれた。


その笑顔が、茗渓の心を強く、深く打った。


(信じてもらえなくてもいい。でも、私は……“物語の筋”なんかに負けない)


誰にも気づかれぬまま、茗渓は己の信念を、また一つ強く刻み込んでいた。


――それは、目立たぬ戦い。

けれど確かに、未来を守るための、大きな一歩だった。


宴の喧騒の届かぬところ――

怜花宮の屋根の一角。瓦の上に、漆黒の毛並みを月明かりに浮かべた一匹の猫がいた。


怜綾だった。


(…また、妙な真似をして)


彼は琥珀の瞳で、鳳儀殿の庭に広がる宴の場をじっと見下ろしていた。


――まるで何かを守るように。


そしてふと、怜綾の中にあの日の記憶がよぎった。


「夢を見たの」


夜中に血の気の引いた顔で彼女がそう言った、あの日から。


(……あれから、ずっとだ)


茗渓は、どこか怯えているように見えた。

笑っていても、その奥に微かに揺れる影があった。

まるで、見えない何かに追い詰められているかのように。


そしてそれでも、彼女は一人で懸命に抗っている。


誰にも言えない秘密を抱えたまま――。


(君は……いったい、何と戦っているんだ)


怜綾は、唇を噛んだ。


何かを隠しているのは間違いない。けれどそれは、誰かを傷つけるためではなく――

むしろ、誰かを守るための嘘のように見えた。

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