表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/50

麗妃の忠告

薄紅色の簾越しに、夕暮れの光が淡く差し込んでいた。

香の匂いがかすかに漂う静寂の中で、茗渓はふと口を開いた。


「……どうして、この話を……私に?」


麗妃は少し驚いたように瞬き、けれどすぐに微笑んだ。

その微笑みは、どこか懐かしむような、そして慈しむような色をしていた。


「――貴女は、昔の怜綾様に、とてもよく似ているのです」


「……え?」


思わず聞き返す茗渓に、麗妃は頷く。


「目の奥に、真っ直ぐで澄んだ光を宿していて……それでいて、どこか儚げ。……この子ならきっと、怜綾様のことを、真摯に受け止めてくれる。そう思ったのです」


茗渓は何も言えなかった。胸の奥がまた、ざわめく。怜綾に似ている――その言葉が、なぜだか妙に心に引っかかる。


しかし、次の瞬間。

麗妃の声の色がふっと変わった。

先ほどまでの柔らかさが影を潜め、真剣な光がその瞳に宿る。


「……それから、もう一つ」


麗妃は卓に置いた扇子を閉じ、視線をまっすぐに茗渓へと向けた。


「――高妃には、どうぞお気をつけください」


「……高妃様?」


「ええ。あの方、貴女が“幽燈殿”に関わっているのではないかと……ずっと疑っていらっしゃるのです」


茗渓の背筋に冷たいものが走った。

確かに、あの紫煙の宴の日。高妃の視線にはただならぬものがあった。


「……どうして……私が?」


「おそらく、怜花宮に住まう者として、“幽燈殿”の存在が気にかかるのでしょう。幽燈殿は、怜花宮の近くにあると噂されていますから」


「……幽燈殿には、いったい何があるんですか?」


茗渓が問いかけると、麗妃は少し迷ったように息を吐き、それから声を落とした。


「――それは、誰も知りません。けれど、古くから後宮に語り継がれている噂があります」


「噂……?」


「“冥月之書”。全ての呪詛と、解呪の方法が書かれているという、禁断の書です。幽燈殿にはそれが眠っていると、言われております」


冥月之書――初めて聞く名だった。

けれど、どこかでその響きに聞き覚えがあるような、妙な感覚に囚われた。


「そして……その書を書いたのは、“烏瓏うろう”という陰陽師だと伝わっています」


「烏瓏……」


「――怜妃様が冷宮送りにされたあの日から、すべての歯車が狂い始めたのかもしれません」


麗妃はそう呟き、再び茗渓を見つめた。


「どうか……どうかお気をつけて。高妃は怜綾様を陥れた張本人。そして、今また、誰かをその手にかけようとしているかもしれません」


茗渓は、唇を引き結んで頷いた。

優雅に微笑む麗妃の背後に、後宮の闇がひっそりと息づいているのを、確かに感じていた。


怜花宮に戻った夜。

庭の藤棚に月明かりが落ち、風が竹の葉をかすかに揺らしていた。


茗渓は、湯上がりの白衣のまま廊下に腰を下ろしていた。

冷えたお茶を口にしながらも、心はどこか落ち着かない。


すぐ隣に、黒猫の姿をしていた怜綾がいたが――今は人の姿だ。

ふたり、縁側に並んで静かに座っている。


しばらく黙っていたが、茗渓はふと、ためらいがちに口を開いた。


「……ねえ、怜綾」


「ん?」


「芙蓉宮で……麗妃様から話を聞いたの。あなたが昔、許嫁だったって」


怜綾は少し驚いたように眉を上げたが、やがて懐かしむように微笑んだ。


「……ああ、そうだ。姉様――いや、麗妃様は、俺の許嫁だった」


その声には、どこか柔らかな響きがあった。


「すごく綺麗で、賢くて……子どもの頃の俺には、勿体無いくらいの相手だった。優しくて、気品があって、でも笑うと少しだけ子どもっぽいところもあってな……」


「…………」


茗渓は返す言葉が見つからなかった。

胸の内に、もやもやとした感情が広がっていく。


――どうしてこんなに気になるんだろう。

――ただの昔話なのに。


「……何か怒ってるか?」


怜綾が不意にこちらを見る。

その声に、茗渓は肩をすくめてごまかした。


「怒ってなんか、ないわよ」


「ふうん……」


「ただ……」

茗渓は、視線を庭に落とす。

月の光が庭石に反射し、淡く白い輪郭を描いていた。


「……あなたのことを、誰よりも心配してくれてた。」



「それだけ……?」


怜綾が少しだけ目を細めた。茗渓の顔をじっと見る。


「……まさか嫉妬してるのか?」


「してない!」


茗渓は即答した。

だが、耳の先がじんわり熱くなっているのを、自分でも感じた。


「してないったら!」


「……ふふ、可愛いな」


「誰が!」


怜綾は笑った。素直で、どこか安心したような笑いだった。


「でも…君の話を聞いて、安心したよ」


「え?」


「姉様だけは、俺の身を案じてくれてるんだなって。……それだけで、十分だ」


その言葉に、茗渓の胸がチクリと痛んだ。


――十分、って。

――私は、どうなんだろう。


そう問いかける自分に気づき、茗渓はそっと唇を噛んだ。


「……風、冷たくなってきたわね」


そう言って立ち上がろうとしたその時、怜綾がぽつりと呟いた。


「君も、案じてくれてるだろ」


「え……?」


「俺のこと」


茗渓は何も言えなかった。

ただ、夜風が頬を撫でる音だけが、静かにふたりの間に流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ