やさしいかおりのする秋にフランス窓から浪漫葡萄酒をあなたに・・~夏からの手紙は雨の糸をつむぐあのころの風景~
コロン様主催個人企画『酒祭り』参加作品です
2025年の5月11日まで開催されるそうです。
なので時間があったら立ち寄って他の作品も読んでみてねっ!
時は晩秋。全ての生き物たちがその身から湧き溢れる情熱に身を震わせ、この世に生まれてきた喜びを爆発させた夏も既にその座を次の主役へと引継ぎ、人々が大地と太陽の恵みたる作物の収穫に感謝を捧げる季節。
なのでこの時期は各地にて様々な感謝祭が行なわれる。特に葡萄の産地では収穫した葡萄をワインに醸造する仕込みも既に終わり、今年の初物ワインが既に出回り始めていた。
そう、これから季節は冬へと向かうが人々はその前に生きている喜びを噛みしめる為、大いに食べて飲んで踊り、恋人たちは夜の帳の中で愛を確かめあうのだ。
しかしそんな祭りの喧騒も広場から遠く離れた村はずれに建つ古びた屋敷までは届かない。そのせいなのかその屋敷の周囲ではまるで時間が止まったかのような錯覚に陥りそうである。
いや、もしかしたら本当に時が止まっているのかも知れない。とある昔話では悪い魔女の呪いを受けた王女が眠るお城は茨で守られていたが、この屋敷も目に見えない何かで守られている気配がする。
もっともこの屋敷の主であるマダムは眠ってなどいない。秋とは言え今日はまだ夏の残り香が感じられる小春日和だ。
そのせいだろうか頬を撫でる風にすらどことなく優しい香りが含まれているような気がした。
なのでマダムは朝からあれこれと用事を済ませ、それらがひと段落つくと未だに昔の縁で繋がっている人々から送られてくる手紙に目を通し、必要ならば返事を書いている。
そしてお昼前に一旦それらの所用の片付けを中断したマダムは、次に屋敷のフランス窓前に広がる庭のテラスで手早くお昼ご飯を食べる事に決めたようである。
そんなマダムのご飯はいつも質素だ。なので献立も朝の残りのスープとパンとサラダ。それとふた切れだけあぶったベーコンと目玉焼きである。
但し今日はいつもよりは少し豪華になる。何故ならば昨日今年収穫され醸造されたばかりのフレッシュワインが、初出荷のお祝いにと近隣のワイナリーから届けられたからだ。
そのワインの銘柄は『ポワゾン・ヌーボー』。ポワゾン地区で今年初めて造られた新酒という意味で付けられた名前だ。
その味わいはまだ発酵がそれ程進んでいない為、葡萄本来のフルーティーさが強く残っており、飲みやすく軽やかな風味が持ち味である。
そんな頂き物の新酒をマダムはグラスに注ぐ。だが何故かグラスはふたつ用意されていた。今日は別にマダムのもとに客が来る予定はない。しかしマダムはワインを飲む時は常にお気に入りのグラスをふたつ用意するのだ。
これは33年前から変わらぬマダムの儀式であり、ふたつのワイングラスも同じだけの時間をマダムと過ごしてきた。
そしてマダムはワインを注いだグラスを目の高さに掲げ、日の光を透かしてグラスの中で揺れるその紫がかった鮮やかな赤い色を愛でた。
因みに『ポワゾン・ヌーボー』は国の決まりで赤かロゼと決められている。
そしてワインの赤い色は葡萄の皮に含まれる色素が漏れでたものである。とは言え原料となる葡萄の皮は赤というよりも黒に近い紫色だ。
そう、色とはその濃度と光の加減で様々に変化してゆくものなのである。
因みに白ワインとは皮が赤黒くない専用の葡萄で作られ、尚且つ皮や種を取り除いた後の果汁だけを使って醸造されるのでほぼ透明なワインになるのだ。
なので『白』ワインと言っても、決して牛乳のような白さはない。あくまで、『赤』に対する『白』なのだ。
そしてグラスの中で揺れるワインを見つめながらマダムは遠い昔に思いを馳せた。その思い出の中でマダムは降り続ける細い雨の糸に身を濡らしながらこの屋敷の庭にて自分別れを告げ去ろうとしているひとりの若者を見送っていた。
そう、その若者はあの時まだ若きマダムのもとを離れ魔王の脅威に晒された世界を救う試練に旅立ったのだ。その若者の事を後世の者たちは『勇者』と呼んだ。
「それじゃ行くよ。聖女。」
33年前の屋敷の庭にて勇者が魔王討伐に出発する前に若かりし頃のマダムに別れを告げている。そう、実はマダムは聖女だったのである。
だが、今回聖女には勇者と共に旅立てない理由があった。それはこの国を魔王の脅威から守る結界の維持である。
本来その役目は専門の魔法使いが担っていたのだが、魔王が送り込んだ刺客によって殺されてしまい急遽聖女が代役を務める事になったのだ。故に聖女は勇者と一緒に旅に出られなかったのである。
「止めても無駄なのね?」
「・・、うん。」
聖女の言葉に勇者は少し悲しそうな顔をしながらも強く頷いた。そう、本来ならば国の全面バックアップのもと、魔王討伐軍の先兵として遠征するのが勇者パーティのありようなのだが、なんと今回国王は王国と魔界の境界線上にある地下資源の採掘権と引き換えに魔王と手打ちをしてしまったのだ。
とは言え、魔王もタダで王国に譲歩した訳ではない。交換条件として別の地域を魔王の勢力範囲へと割譲する約束が結ばれたのだ。
その地域は王国としてはあまり旨みのない地域だったので国王はひとつ返事でこのディベートを受け入れてしまった。
とは言え、その土地を故郷とする者もいる。そして勇者もそのひとりだった。故に勇者は国王と決別し、単独で魔王へ決戦を挑むべく旅立とうとしたのである。
そんな勇者の行動は国からしてみれば反逆行為となる。故に勇者は他のメンバーたちに迷惑が及ばないようにひとりで行動しようとしたらしい。
ただ、聖女だけには最後の別れを告げに来たのだろう。当然聖女は何度も止めようとした。しかし勇者の決意は固く覆す事はできなかった。
「判ったわ、ならばこれを持って行って。」
説得を諦め、聖女は勇者の無事を願って贈り物をした。それは聖女の念が込められた守護のペンダントである。
そしてのペンダントの石には正しき者が危機に陥った時、その者の身代わりとなり助けると信じられているパイソンカマムシの像が刻まれていた。
またそれとは別に聖女は道中の食料としてワインとパンの入った皮袋も手渡した。この皮袋は特殊なもので神の守護により約半年分の食料を詰め込む事ができた。
これによって今まで自炊などした事がない救済馬鹿な勇者でも、取り敢えずは道中飢える事はないだろうという聖女の配慮だ。
因みに皮袋の一番下に聖女のおパンツが隠されていたのは聖女なりの茶目っ気である。
もっともたかがパンツと侮ってはいけない。そもそもこのパンツは聖女の秘境を長年守ってきたものなのである。その守護力足るや邪な心を持つ者にとっては聖骸布よりも畏怖を覚える神聖なものなのだ。
そして勇者は旅立った。その日以来、聖女はワインを口にする時、常に勇者の無事を祈り勇者の分も含めてグラスをふたつ用意したのである。
そんな聖女の祈りが通じたのか、魔王討伐はかなり順調に進み勇者が旅立ってから半年後、聖女のもとへ勇者より近々帰還できるようになりそうだとの手紙が届いた。
因みに手紙の後半は読みようによっては勇者から聖女に宛てたラブレターのような文面になっていた。
おかげでその箇所を読む際の聖女の頬は赤ワインよりも真っ赤になった。
だがその後、結局勇者が聖女のもとに戻る事はなかった。何故ならば勇者は魔王との最終決戦の場で魔王から思わぬ反撃を受け、死なばもろともとばかりに最終奥義『カミカゼアタック』を喰らい魔王共々満身創痍の状態で位相空間に吸い込まれてしまったからだ。
しかし後日、人伝にその事を聞いても聖女は勇者を待ち続けた。そしていつ勇者が戻っても時間の経過に戸惑わぬようにとあの時と同じ状態に屋敷を整え、更に勇者が好きであったワインを常に準備して33年間待ち続けているのである。
そして今日も聖女はワインを口にしながら、あの時勇者から送られた手紙を読み返している。そして最後に書かれていた文面を何度も目で追い反芻する。
聖女・・、早く君に会いたいな。そして君に伝えたい事があるんだ。
早く会いたい。勇者が聖女にそう告げてから既に33年の月日が過ぎ去った。しかし聖女は今も待っている。
そう、万が一にも勇者が聖女を前にして怖気付き告白を躊躇う場合に備えて情熱を後押しする赤いワインをグラスに満たしながら。
そして時は晩秋。これから季節は冬へと向かうが人々はその前に生きている喜びを噛みしめる為、大いに食べて飲んで踊り、恋人たちは夜の帳の中で愛を囁きあう季節。
そんな祭りの喧騒も届かぬ村はずれの街道を、今マダムが住む屋敷に向かってゆっくり歩いてくる青年がいた。
その青年の年の頃は二十歳前後か。それにしてはかなり時代遅れな服装を身につけている。
そう、しいて似た服装を挙げれば33年程前に冒険者たちの間で流行った当時の勇者が着ていた服装に見えなくはない。
とは言え、その服はボロボロである。背にしているマントに至っては半分以上が破れてなくなっていた。
それ以外にも数十の剣刃を受けたかのような切り傷が体中のあちこちにみられる。そしてそれらの箇所は流れ出た血が染みそのまま乾いたのだろう、どす黒く変色していた。
その為か、青年の歩みは著しく遅い。更に一歩踏み出すたびに傷口が疼くのか数歩歩いては立ち止まり呼吸を整えている。
だが、一休みこそすれ青年が歩みを止めることはなかった。いや、それどころかマダムが住む屋敷を見通せる丘の稜線を越えてからは何かに急かされているかのように青年の足どりは早くなった。
もう少し、そう、もう少し。あの十字路の角に立つ大きな樹までたどり着けば青年は庭にて寛いでいるマダムの姿を遠くに見るはずである。そんな青年の胸には、その昔聖女が勇者へ贈った守護のペンダントが揺れていた。
しかし、そのペンダントに当時の輝きは既になく、あまつさえ中央の石に刻まれているパイソンカマムシにはヒビが入っていた。
その意味するところはつまり、そのペンダントは既に仕事を終えたのだろう。そしてその仕事とは勇者を守り、聖女の元に帰還させる事である。
そう、33年という歳月は掛かってしまったがペンダントに刻まれたパイソンカマムシは漸くその課せられた使命を達成したのだろう。
ただ、33年経ったにも係わらず勇者の姿は昔のままだった。これはペンダントのチカラなのだろうか?
それとも聖女に忘れられたくないという勇者の思いがそうさせたのか?はたまた位相空間の特性が33年の年月を超越させたのだろうか?
そしてとうとう青年は十字路の角に立つ大きな樹までたどり着いた。その目線の先には庭にてワインを片手に何かを読んでいるマダムの姿あった。
そう、33年の月日を経ても、青年は聖女を見間違う事はなかったのだ。そして聖女の姿を目にし青年はそれまで押さえ込んでいた感情を爆発させ叫んだ。
「聖女っ!」
初めその声を遠くに聞いた時、マダムは空耳かと思った。もしくは少し飲み過ぎてしまい風の音を無意識に聞き間違えたのかとも思った。
しかし、再度その懐かしい声を耳にした時、疑念は確信に変わった。
「聖女、ただいまっ!今、帰ったよっ!」
マダムはまさかと思いながらもゆっくりと声が聞こえた方に視線を移す。そこには十字路の大木にもたれながら力の限りに手を振る青年がいた。
その姿を見た途端、マダムは目を大きく見開いて手にしていた手紙を取り落とした。そしてゆっくりと青年の方に震える指先を伸ばし叫んだ。
「勇者っ!」
その叫びと共にマダムは青年に向かって走り出す。するとどうしたことだろう。青年に近付くほどマダムの姿は33年前のあの時に戻っていくではないか。
いや、変化はマダムだけではなかった。あんなに傷ついていた青年の傷が見る見るうちに消えてなくなり破れていた服もあの旅立ちの日と同じに戻ったのだ。
そしてとうとうマダム・・、いや33年前の姿となった聖女は勇者の胸の中に飛び込んだ。そして嗚咽交じりの声で勇者を叱責する。
「遅いわ、勇者っ!何年待たせるのよっ!あんまり待たせるものだから、私はおばあちゃんになっちゃったじゃないっ!」
そう、マダムはまだ自身が若返っている事に気付いていないらしい。そんなマダムを勇者は昔と変わらぬ優さにて抱きしめ謝った。
「ごめんよ、魔王のやつが結構手強くてさ。でも聖女がくれたペンダントが僕を救ってくれたんだ。」
そう言って勇者は役目を終え割れてしまった胸のペンダントを掲げてみせた。だがどのような理由を述べようとも今の聖女を納得させられる事は無理であろう。それ程、聖女の感情は高ぶっていたのだ。
「馬鹿っ、勇者なんて嫌いよっ!大嫌いっ!」
「ごめん、本当にごめんね。でも僕は聖女が大好きだよ。あの日、ここで聖女と別れてからも一日足りとも聖女の事を思わない日はなかったんだ。」
なるほど、これが勇者が勇者足る所以か。そのど直球過ぎる返事に聖女は怒りをぶつける先を失い、されど溢れ出る感情を抑える事もできず勇者の胸の中でただただ泣き崩れたのであった。
そんな聖女の髪を撫でながら勇者が聖女の耳元で囁く。
「聖女、僕の聖女。もう君の側を離れたりしない。これからはずっと一緒だ。」
「ううっ、うわ~んっ!」
勇者の言葉に赤子のように泣き出す聖女。そんな聖女を強く抱きしめる勇者。
やがて漸く落ち着いたのか聖女は顔を上げ勇者を見つめた。そして問いかける。
「何時までも一緒?」
「そうだ、ずっと一緒だよ。嫌かい?」
勇者の問いかけに聖女は首を振る。そしてまた勇者の胸に顔を埋めて呟いた。
「嬉しい・・。」
その言葉が引き金になったのか、ふたりの周りに七色の光が溢れ出す。そしてその光に包まれるようにふたりは天に昇っていった。
そう、今度こそ聖女は勇者と共に旅立ったのだ。誰にも邪魔される事のない二人だけの世界へと。
いや、もしかしたらこれは長年聖女と共に勇者の帰還を待ちわびたふたつのワイングラスが聖女に見せた夢だったのだろうか?
実際、屋敷の庭の方に目を向けると、そこには勇者からの手紙を胸に抱き椅子にもたれるように眠っているマダムがいた。
いや、実はマダムは眠ってなどいなかった。何故ならばマダムはもう息をしていなかったのだ。そしてマダムが飲みかけていたワイングラスの近くには、グラスから零れたワインの雫に溺れるように一匹のパイソンカマムシがひっくり返っていた。
言い伝えで語られるパイソンカマムシと違い、実在するパイソンカマムシはアルコールを摂取すると嗅いだ者に強い幻覚作用を起こさせる気体をその身から噴出すると言われている。
その作用は強力で、特に飲酒をした状態でその気体を吸い込んでしまうと、人はこん睡状態に陥り最悪の場合は命を落とすとまで言われていた。
だとしたらマダムはそれが原因で息を引き取ったのだろうか?
いや、そんな事はないだろう。仮にそうだとしてもマダムにとって勇者の魂が自分の下に帰ってきた事に変わりは無かったはずだ。
そう、マダムは願いを叶えたのだ。故に思い残す事なく勇者と共に天に召されたのだろう。その証拠にテーブルの上には、ひっくり返ってたパイソンカマムシとは別にあの日聖女が勇者に手渡したパイソンカマムシのペンダントが戻っていたのだから。
そして今、時は晩秋。これから季節は冬へと向かうが人々はその前に生きている喜びを噛みしめる為、大いに食べて飲んで踊り、恋人たちは夜の帳の中で愛を囁きあう季節。
そんな祭りの喧騒も届かない広場から遠く離れた村はずれに建つ古びた屋敷の庭にて、ひとりの年老いた女性が頬を赤く染め、はにかむような笑顔で眠るように息を引きとった。
そんな女性の姿を周囲から隠すかのように庭の植物たちが目に見える早さで屋敷の周りを新しい青葉で覆ってゆく。そして木々の葉が完全に屋敷を覆い尽くしたのちには、人々の記憶からもそこに女性が住んでいた事が消し去られた。
何故ならばこの場所は勇者と聖女の魂を永遠に守る聖域となったからだ。なのでもうふたりを引き離す事は誰にも出来ない。
そんな時間の止まった場所には、今も主を見送ったふたつのワイングラスとパイソンカマムシのペンダントだけが朽ちずに残っている。
しかし世界は今も先に進んでいる。なので聖女の願いが叶った後も人々は生きている喜びを噛みしめるかのように、大いに食べて飲んで踊り、恋人たちは夜の帳の中で愛を囁きあう。
そんな時が何時までも続くよう、今宵は天空に輝く星々に三度祈りを捧げ眠りにつくことにしよう。
-Fin-