08 花束のお返し
ノラレスを後にして屋敷へと戻ったジルベルトは、自室に入ると便箋を取り出し、ペンを取った。
あの夢の記憶が本物の未来の記録である事はすでにジェイダに聞いている。
嫌がらせをしたいと言ってはいるけれど、こういった確認ごとで嘘をつく性格には思えないので偽りではないだろう。
であれば、あの夢の記憶は必ず起こる出来事というわけだ。起きて早々に夢の記憶での経験をノートへ書き出していて良かったと心底思う。
けれど、一番重要な事がまだわかっていなかった。
妹夫婦を殺したのは、一体誰なのか。
妹達の屋敷へ行き、何かが入った麻袋と眠る甥っ子を見た。屋敷の異様な雰囲気から、ラフェエル達が全くの無関係であるなど考えられるはずもない。
それでも、ジルベルトは実際にラフェエル達がシャノン達を殺す現場を見たわけではなく、あの麻袋の中を覗いてもいなかった。
きっと今、誰が一番憎いのかと聞かれれば間違いなくラフェエルだとジルベルトは答えるだろう。
だが何か誤解があるのならば。何か、無関係ではないにしても、憎む事自体が間違っていると思える事実があるのならば。
少しは、また昔通りに接する事ができるかもしれない。
憎いと思いつつ、希望的観測を捨てきれないなんて滑稽そのものだ。
ジルベルトは書き終えた便箋を封筒へと入れると、それをノラレスで買った眠り薬と一緒に、呼び出した使用人へと渡した。
「フェイブ家へ届けてくれ」
───
2日後。
ジルベルトは今にも泣き出しそうなシャノンを見下げ、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「っ……っ、おにぃさまっ……っ、おてがみ、ちゃんとかいてね…っ」
「あ、ああ、もちろん。シャノンも書いてくれるんだろう?」
「…ゔんっ」
訂正しよう、すでに泣いている。号泣しない事を褒めるべきなのだろうか。
そもそもここまで別れを惜しんでくれると思っていなかったジルベルトは、シャノンの側に控える乳母へ助けを求めた。
とても良い笑顔を返されて終わった。
今日は春休みが終わる前日。ジルベルトが学園の寮へ戻る日である。
早朝から落ち込みを見せていたシャノンとできる限り行動を共にし機嫌を取っていたのだが、やはり別れの瞬間というものは格別に悲しいようだ。
花束を渡してたった数日しか経っていないというのにここまで悲しんでくれるのは、きっとシャノン自身、兄ともっと仲良くしたいと願っていたからだろう。
ジルベルトはしゃがみ込み、今にも俯いてしまいそうなシャノンと視線を合わせた。
「シャノン、俺は次の休みまで帰って来られない。だからというわけでもないが、次会った時、侯爵家の娘として一層成長したお前の姿を兄に見せてくれないか。俺もお前が兄として誇れるような紳士に成長して帰ってくるから」
「っ〜〜!お兄様は!もう立派だもん!!!」
「おっ、あ、そ、そうか?」
「そうなの!!!」
怒られてしまった。
ジルベルトはとりあえずシャノンの頭を撫で、なんとか怒りを抑えてもらおうと努力する。
それがシャノンの涙腺を決壊させているとは考えもしていないようだ。
シャノンの言葉に若干口元が緩んでいるようないないようなジルベルトを一瞥し、兄妹の仲睦まじいやり取りを見守っていた乳母が、やっとシャノンへ声をかける。
「シャノン様、いつまでも引き止めていてはジルベルト様が学園に行けませんよ。それに大きな声をあげるのははしたなく見えてしまいます。立派な淑女はこういう時、殿方を笑顔で見送るものです」
「エヴァ…」
「もちろん、プレゼントを用意している時も、笑顔で渡さなければ殿方を悲しませてしまいますね」
「!」
にっこりと微笑んだエヴァの言葉に、シャノンはハッと気づいたような顔で控えるメイド達の元へかけて行った。
少しすれば手に小さな箱を持って帰ってくるものだから、まさかシャノンからプレゼントを貰えるのだろうかとジルベルトは内心浮き足立つ。
「あ、あのお兄様、これ…」
「中身を見ても良いか?」
「うん」
プレゼントに気が逸れたからか涙が止まったシャノンが、小さな箱をジルベルトに差し出す。
リボンまで付いていて可愛らしいことだ。
受け取り蓋を開けてみれば、真っ白なハンカチが入っていた。触らなくても良い素材のものだとわかる。
広げると、端の方に歪だけれど青と白の花とジルベルト・フロストのイニシャルG.F.の文字が入っていた。ジルベルトは、嬉しさのあまり奥歯を強く噛み締める。
「…これは、シャノンが刺繍したのか?」
「あの、時間がなかったから…今度会った時、ちゃんとしたの、渡すから…へ、下手で、ごめんなさい…」
「シャノン、顔を上げてくれ」
まだ8歳。
刺繍は淑女の嗜みとはいえ、歴史などの授業に重点を置いているシャノンは刺繍の腕が良いわけではない。
実際このハンカチの刺繍も歪だ。
それでもシャノンからの初めてのプレゼント。小さな花々とたった2文字のイニシャルだけれど、ジルベルトにとってこれはそれ以上の価値があった。
恥ずかしいのか悔しいのか俯くシャノンが顔を上げる。ジルベルトは、シャノンを強く抱きしめた。
「ありがとうシャノン、今までで一番嬉しいプレゼントだ」
兄に抱きしめられた事、兄に言われた言葉。
処理し切る前に、ボンッとシャノンの顔が真っ赤に染まった。
「あ、お、おに、さまが、花束、くれたから」
「あれのお返しか、そうか、ははっ、嬉しいなぁ、こんなに嬉しいのは初めてだ」
噛み締めるように呟くジルベルトに、シャノンはぎゅうっと心臓が締め付けられた。
今まで嫌われていると思っていたのだ。
ずっとずっと、顔を合わせてもろくに会話すらしない。
その冷たい視線に見下げられると体が固まり、話しかけるなんてとてもじゃないができなかった。
それがあの日、花束の日をきっかけに変わった。
こんなにも優しい声で話してくれるようになった。
ぼろりぼろりと、悲しみではない涙が溢れてくる。
兄の背に手を回し、シャノンは小さく囁いた。
「シャノンもお兄様からの花束、嬉しかったよ」
きっとジルベルトは、滅多にシャノンが見られない笑みを浮かべているのだろう。
抱きしめたままでは見られないのが残念だったけれど、兄の暖かい体温を感じられるだけで十分なような気もしていた。
シャノンよりもずっと大きな手が、シャノンの小さな頭を撫でる。至福の時だった。
どれほどそうしていたのだろう。
ジルベルトの手がシャノンの頭から離れ、次いで体も離れていく。
スゥッと2人の間に入った風が、異様に寒く感じられて困った。
「シャノン、名残惜しいがそろそろ時間だ。次の休みにまた会おう」
「うん……いってらっしゃい」
シャノンから渡されたハンカチを持ってジルベルトが馬車へ乗り込んでいく。窓越しに手を振る兄の姿を見て、シャノンも小さく手を振り返す。
少しすればガタッと音を立てて馬車が動き出した。
だんだんと見えてなくなっていくお互いの姿にシャノンの瞳にはまた涙が浮かび、ジルベルトの表情も晴れやかなものとは言い難い。
夢の記憶で、ジルベルトはシャノンの死に目にすら会えなかった。
和解したのもシャノンが結婚をする年齢になってから。
それから3年、たった3年で、妹夫婦の真相はまだ闇の中だが、少なくともジルベルトはこの世を去った。あまりにも早い終わりだ。
それを考えれば、今の自分は幸せにも程があるとジルベルトは恐怖すら感じている。
愛しい妹と和解し、気の許せる友人とは早い段階で砕けた間柄になった。
ラフェエルの件もジルベルトの思惑通りに進めば次期に真相が明らかになるだろう。
侯爵家の嫡子として安易に浮かべないようにしていた笑みが、今ばかりは止まらない。
きっとこのハンカチは使えない。だって妹からの初めてのプレゼントだ。埃ひとつもつけてなるものか。
ガタリガタリと揺れる馬車の中、ジルベルトは穏やかな眼差しでハンカチを見つめていた。
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