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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
8/27

07 はぐれ者の魔女

 翌日、ジルベルトは馬車に揺られていた。

 ノラレスという店を探す上で、最も確かな情報源となるのはジルベルト付きの御者だ。学園にいる間も重宝しており、学園を出る際は必ずと言って良いほど足として使っていた。

 案の定、「ノラレスへ行く」と告げただけで馬車を動かし始めた御者に、ホッと息をついた。


「つきました」


 馬車の窓から見える景色は薄暗い路地裏だった。目を凝らせば、どうも脇の方に小さな看板がある。


──ノラレス──


 確かに店名はそう書かれており、思いの外早く夢の記憶の正体がわかりそうだと浮き足立つ。

 御者に1時間後に迎えに来るよう伝え、ジルベルトは路地裏へ足を踏み入れた。心まで温める良い天気だというのに、するりと首筋を撫でた風は冷たい。

 看板がある店の前に立つ。看板があること以外は、おかしいほどに何の変哲もない扉ひとつが佇んでいた。

 なぜこんなわかりにくい店を以前の自分は見つけ出す事ができたのか。ジルベルトは深まるばかりの謎に数秒その場にとどまったが、ここで考えていても無駄だと早々に扉を開けた。


「いらっしゃい」


 素朴な外観とは裏腹に、店内は薄暗く雑多に品物が並び立ち、一番奥には店主らしき老婆が座っているという不気味とも言える様相をしていた。


「薬が切れましたか」


 店主の老婆が問うてくる。

 薬とはランドルフが言っていた眠り薬の事だろう。

 ジルベルトは澱みなく言葉を返した。


「ああ、新しいのを買いたい」


 この一瞬の間に、ジルベルトは己がこの店に最低でも一度は訪れ薬を買っているという確信を得た。

 問題はその薬が本当に夢の記憶に関係するものなのかどうかである。

 この店の内装を見てただの薬であると考えるほどジルベルトはボケていないが、例えばそれが記憶をなくすほど危険な違法薬物であっただけで、夢の記憶と関係がないという事態はあり得るのだ。

 ジルベルトは店主の元まで行くと、普段通りを装い店内を見渡した。


「……この薬はどんな効能があるんだ?」


 指さしたのは小さな瓶に詰められた緑の液体。値札には金貨8枚と書かれている。

 なかなかに高額だ。


「ただの風邪薬ですよ。貴重な植物を使っているから効き目は確かなんですがね、なにぶんその値段ですから。なかなか売れちゃくれない」

「まぁ、街中で売る薬の値段ではないな」

「趣味の店ですから、たまに来るお客がいれば十分なんでねぇ」


 初見は魔女のようだった店主は思いの外穏やかな笑顔で会話に応じ、客が求めた眠り薬を探している。

 趣味の店とはいえ、街中で売る風邪薬など銀貨3枚がせいぜいだろう。

 さらに見渡せば他の薬も金貨が必要な値段のものばかり。ますます怪しい。


「ああ、ありましたよお客さん」


 そう言いながら店主が持ってきたのは、先ほどの風邪薬より一回り小さい小瓶だった。

 中には透明感のある薄紫の液体が入っている。


「……一つ聞きたいんだが」

「はい?」

「最近おかしな夢を見たんだ」


 レジとは名ばかりのカウンターへと戻り、紙袋に小瓶をしまい込む店主の動きが、ぴたりと止まった。


「へぇ、それは一体どんな夢です?」

「今より先の自分の人生を垣間見る夢だ。この見た目通り私は貴族の端くれなんだが、最後には最愛の家族を主君の一族の人間に殺され、私は崖から落ちて恨みを抱いたまま死んでいった。…何か知らないか?」

「それは酷い夢で……未来の自分が死ぬ夢を見るなんて、不吉な事があるものですねぇ」


 多少の動揺を見せはしたが、次の瞬間にはまた穏やかな笑みを浮かべる店主に戻ってしまった。

 けれどその多少の動揺が、ジルベルトにとっては確証を得るに十分すぎる反応なのである。


「店主、私は腹の探り合いも化かし合いも嫌いじゃないが、身の程知らずは大嫌いだ。はぐらかすなら相手を選べ」


 言葉の重さとは裏腹に優しくさえ聞こえる声色に、店主が小瓶からジルベルトへ視線を移す。

 ジルベルトは、波の立たない水面のような瞳で、店主をただ見下ろしていた。


「時間はおありで?」

「あと40分は迎えは来ない」

「護衛も連れずにきたのはきっちり吐かせる為ですか。怖いお人だこと」

「逆だろう。男とはいえ14歳の腕力では心もとがなさすぎる。誰も連れてきていないのは、暴力を振るうつもりがないという何よりの証拠じゃないか」

「ものは言いようですねぇ」


 会話を続けながら店主はカウンターの側にあった椅子を取り出した。

 そのままジルベルトの元まで行き置くと、さっさとカウンターへ戻っていく。


「奥は調合部屋しかないもので、この狭い店で我慢してくださいね」

「有難い。立ちっぱなしは流石に若くても堪える」


 先ほどまで貴族としての圧を散々かけていたというのに、今はころりと態度を変えて好意的だ。

 けれど考えてみれば、この青年は最初から今まで、その表情こそ変化は見られないものの物腰は柔らかだったと店主は思い出す。だからこそ余計に恐ろしいのだ。

 店主は自分の椅子に座り込むと佇まいを正し、目の前の得体の知れない貴族へ頭を下げた。


「まずは自己紹介をば。薬屋ノラレスの店主をしております、ジェイダと申します。元は辺鄙な地にて隠居生活をしていた老耄にございます」


 名乗ったジェイダに、ジルベルトは逡巡したのち答える。


「ジルベルトだ。好きに呼んで良い」

「ではジルベルト様と。自己紹介も済んだところで薬について説明したいのですが、その前にジルベルト様は魔女についてご存知でしょうか」

「……あなたの正体が魔女であると?」


 話の流れから察せられはするが、こうして質問してくれれば話は早くなる。


「単刀直入に言えばそうなります。貴族様ともなれば魔女狩りの歴史も知っているかと思いますが、どうでしょう」


 ジルベルトは黙り込んだ。

 魔女と魔女狩り。魔女は人ならざる力を持った悪しき者として童話にも出てくる存在であり、二百年ほど前、教会が悪しき存在を一掃したとされる日にて行われたのが魔女狩りだ。

 と言っても殺されたのは魔女と断じられた女性だけではなく、教会が悪であると定めた人間、あるいは悪魔に憑かれた動物さえ殺されたと言う。

 ゆえに、聖なる使い達が悪を全て祓った清い日であるとして、聖鏖の日と呼ばれている。

 歴史として学ぶ際には、魔女や悪しき者とは犯罪者をさした隠語であり、女性が多かったのは昔は女性の地位が今より低く濡れ衣を着せる者が多かったからだと教えられる。


 けれどもし、この魔女や悪しき者が、本当に人ならざる力を持った者達であったなら。


「……魔女は罪を犯した女の総称であると学んだ事はあるが、あなたが言う魔女とは童話に出てくるような存在の事だろう。あんな夢を見た辻褄は合うな」

「おや、存外あっさりと信じてくださるのですね」

「あれが全て自分の夢であると信じる事と、あなたが魔女で私に未来を見せた、あるいは馬鹿な妄想を見せたと信じる事、どちらが良いか考えた結果だ。どっちにしても信じたくはないが」


 ジルベルトの言葉に、ジェイダはくすくすと笑って見せた。


「ここに店を構えているのはね、ジルベルト様。嫌がらせをする為なんです。二百年前に行われた魔女狩りで多くの仲間が死に、数少ない仲間達も生き絶えていく。多少普通の人間よりは長生きですが、そんな人生を長く生きたところで幸せなど碌にないのです。すでに生い先短くなった人生、残りは微々たる嫌がらせに費やそうと思っている次第です」

「そうか、良かったな。少なくとも私への嫌がらせは成功した」

「ええ、只人など全員苦しみの果てに死ねば良いと思います。本当は教会の人間にやってやりたいのですが逆に殺されてしまいますし、何よりこんな老耄にできるのは嫌がらせ程度ですから、ここで細々と続けるつもりですよ」

「そうは言ってもここは分かりづら過ぎないか?場合によっては私のような貴族よりゴロツキの方がよく来そうだ。それともそれが狙いか?」

「毒薬を常備していますから心配には及びませんとも。それにここに来られるのは呼ばれた方のみですから。店の前の看板、あれの裏に魔法陣を書いてあるんですよ。記憶を少しずつ曖昧にする効果も付与した傑作ですから、帰る際にでもぜひご覧になってください」

「魔法陣なんてあるのか……」

「ええ、一目見れば何を欲しているのか分かりますので、魔法陣で呼び込んだ後は相手が欲しがる薬を押し付けるだけです。よく出来ているでしょう」

「私の未来が良い未来だったらどうするつもりだったんだ?」

「悪い未来を持ち、眠り薬を欲しがっているという条件が揃っていたからジルベルト様は呼ばれたのです。良い未来であればそもそもここに辿り着けていませんよ」

「本当に嫌がらせのためだけの魔法陣なんだな」

「もちろん、残りの人生を嫌がらせに捧げるために隠居生活を終わらせたくらいですから」


 あの夢を見せた張本人が目の前にいるというのに、ジルベルトの心は怒りを抱くどころか穏やかな水面と化していた。

 ジェイダが躊躇いもなく全てを話すのは、その口で語った通り残りの人生を嫌がらせに捧げ、生への執着が希薄だからだろう。

 貴族であるジルベルトが一度でも声を上げれば瞬く間に吊るし上げられる立場であるはずなのに、その顔は笑みを絶やさなかった。


 いったい誰が、彼女を責められるのだろう。


 無差別である事など気に留める価値もない。

 ジェイダの話が本当であるならば、魔女狩りも魔女であるという条件を満たす者全てに、同じく無差別に行われたのだろう。

 子供でも容赦なく殺され迫害されたと聞く。彼女がどれほどの同胞を失ったのか、ジルベルトには想像もできない。

 だと言うのに、彼女は人の命を奪うでもなく、教会の人間に復讐するでもなく、残りの人生を嫌がらせに費やすと言うのだ。

 それは優しい人間だからこそ選んでしまう諦めに他ならない。


「ジェイダ」


 こうして会話が続いたのも、彼女には全てを吐き出せる話し相手さえいなかったからなのかもしれない。

 こんなにも優しい人なのに。


「また来ても良いだろうか」


 笑うばかりだったジェイダの表情が一瞬驚きに染まる。

 次いで現れたのは、今にも泣き出しそうな、一人ぼっちになってしまった人間の顔だった。

お読みくださりありがとうございました。

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