06 変えられぬ王
現在セイレリアの国王直系の子供は5名。
うち王子は2名。1人は第二王子のラフェエル・ノア・セイレリア。
そしてもう1人は、まだ王太子が国王となって短いため即位式こそ行われていないが、次期王太子となり、ゆくゆくは賢王になるだろうと期待されている第一王子。
──ランドルフ・ノア・セイレリア──
齢15にも関わらずその聡明さは国中に知れ渡り、父であり国王のリッカルドを支えるべく日々邁進する姿は、国民から強い支持を得ていた。
彼が王宮にジルベルトが来ていると聞いたのは、つい1時間前の事である。
六つ年下の弟ラフェエルがジルベルトを慕っている事は知っていたし、こうして呼び出すのも珍しい事ではない。話を聞いたランドルフは、自分も顔を出しに行くかと足を向けた。
ジルベルトとは通う学園が同じであるため、休み以外はほぼ毎日顔を合わせている。
だからこそ、長期の休みでジルベルトの顔を見ないとすわりが悪かったのだ。
ラフェエルはジルベルトと長く話したくて話題を途切れさせたりはしないだろうし、ジルベルトもラフェエルには甘いから長居する事になるだろう。
ちょっとした挨拶の時間くらいは分けてもらえるはずだ、と呑気に考えていたランドルフの予想は、廊下で倒れ込むジルベルトの姿と共に崩れ去った。
駆け寄れば体は冷え切り脱力している。呼吸こそ続けているが耳を寄せれば浅いとわかった。
体調が優れず退席したのだという事は一目瞭然。
今にも死にそうなジルベルトを1人で帰らせるなど気が回らないにも程があるだろうあの愚弟めと内心誹りそうになったが、ジルベルトがラフェエルに弱みを見せるとは到底思えない。
なら痩せ我慢をして会いにきて、痩せ我慢を通して帰ろうとしたこのジルベルトに非がある。ラフェエルに甘いのも程々にしてほしい。
ジルベルトに声をかけつつ人を呼ぶ。倒れているのがフロスト家の後継者だとわかると途端に慌ただしくなる者達の手によって、ジルベルトはベッドのある一室へと移動させられた。
王宮内に常駐している医者を呼びつけ見せれば、原因は疲労であるとの診断を受ける。長期の休みに疲労で倒れるなど一体どういうわけだと思わなくもないが、ジルベルトの性格を考えれば納得もしてしまいそうになるので困った。
とりあえず仕事を終えた医者を下がらせ、ジルベルトの姿を見た者達に「この事は内密に」と言い込めた。こんな状態でもラフェエルが見舞いに来たら、ジルベルトは間違いなく無理をして対応するだろう。
人が多くいては気も休まらないだろうと側に控えていた使用人達まで追い出し、ランドルフはベッドの横に用意した椅子にどかりと座る。
暇を潰す本もなく、この整った横顔も毎日のように見ているため面白みがない。たまにかく冷や汗を拭いてやると安らかな顔をする。
それにいちいち安堵しているのだから、ランドルフもたいがい心配性だ。
どれほど時間が経っただろうか。時計を見れば10分も経たぬうちに、ガバッと派手に布団が翻った。
「──ハッ!…ッ、はぁ…ッ!」
「……悪い夢でも見てたのか」
「!?」
起きたばかりで警戒心など皆無だったのだろう。
いつものポーカーフェイスを置き去りに、焦った顔でランドルフを凝視するジルベルトの顔はなかなかに見ものであった。
「ら、え、ランドルフ殿下…?」
「廊下で倒れているところを見つけたんだ。先ほど医者に見せたら原因は疲労だと言っていた」
「あ、そう、なんですか………ご迷惑をおかけしました」
言葉を紡ぐ速度が普段より格段に遅い。
これは相当動揺しているなと察しつつ、それを気遣ってやるつもりもないランドルフは、わかりやすくため息をついた。
「体調管理もできていない状態で王宮に来たのか。倒れたお前を見た時は肝が冷えたぞ」
「……申し訳ありません」
ランドルフとジルベルトは主従であると同時に一歳違いの幼馴染。冷たくも聞こえるランドルフの言葉の端々に滲む心配に気付けぬほど、ジルベルトは鈍感ではない。
「ラフェエルの頼みとはいえ無理はするな。サイモンは小言を言うだろうが、息子が倒れる方がサイモンにとっても心労になる」
「……そうですね。今度からは、もう少し自分の体を気遣います」
気まずげに逸らされた視線にジルベルトらしくないと思いはすれど、本調子ではない人間相手にいつも通りの態度で居ろというのもおかしな話か、と思考を流す。
「確か休み明けの前日には寮に戻るんだろう。それまでに体調は戻しておけよ?」
「そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。もう薬も飲んでますし」
「疲労が薬で治るとは初耳だな」
「………疲労なんかじゃありません」
「王宮医師の診断を14歳の子供が誤診だと言うか、大それた真似をする」
ジルベルトも口達者だが、ランドルフも次期国王として数多の英才教育を受けている。そうそう口遊びで負ける人間ではなかった。
「殿下だってまだ15歳じゃないですか…」
「はははっ、本当に調子が悪いらしいな。今の話に私の年齢は関係ないだろう」
いよいよ本格的に拗ねたのかジルベルトはムッと黙り込んでしまった。
けれど顔色はまだ良いと言えるほどではないため、拗ねて喋りたくないが5割、本当に喋るのが億劫であるのが5割というところだろう。
相手がランドルフでなければ早々に会話を切り上げ、寝直していたかもしれない。
自分がいる事で負担をかけてしまっていると考えたランドルフは、ジルベルトの意識も確認した事だし、と椅子から立ち上がった。
「私はそろそろ行くが、お前はもう少し休んでから……」
そこで、次会った時に聞こうと思っていた事を思い出す。
ラフェエルがいる場では言い出せなかっただろうが、ここには2人だけだ。
「そうだジルベルト、お前もうあの店には行っていないだろうな?」
本当に思いつきで問いかけた言葉に、ジルベルトは立ち上がったランドルフをきょとんと見つめた。
春休みに入る前、ジルベルトがある店を見つけたと話してきたのだ。寝つきが悪くなっていたが、その店の薬のおかげで深い眠りにつけるようになったと。
上機嫌に話すジルベルトに、体調が悪いならまだしも、寝つきが悪い事で薬に頼るのは逆に体に悪いのでは、と心配になったものだ。絶対にだめというわけではないが、薬に頼る前に相談の一つくらいできないものかと呆れもした。
その店が聞いた事もない店名だった事もあり、ランドルフは一切我慢する事なくジルベルトを叱りつけたのだ。
普段はランドルフがジルベルトを頼る場面が多い中そんな出来事が起こったものだから、ランドルフだけでなくジルベルトも強く印象に残っているものかと思いきや、とうのジルベルトは奇妙な間を置いて首を傾げた。
「店、ですか。すみません、一体どこの店の話を?」
「お前が眠り薬を買っていた店だ。覚えてないのか?」
良い薬を見つけたとあんなに喜んでいたのに。
そうでなくとも、このジルベルトがランドルフからの言葉を忘れるはずがないというのに。
幼少期より侯爵家の長男として育てられてきたジルベルトが、なんの保証もない店の薬に手をつける事自体がおかしい。話を聞き叱りつけた時も感じた気持ちの悪い違和が、またもランドルフの心中を掠めた。
「ジルベルト、もしかして何かされたんじゃないだろうな」
「………店名を教えていただけますか?本当に何も覚えていなくて…」
ジルベルトにしては珍しく本当に動揺しているようだった。
「確か、ノラレスという名前だったと思うが」
見上げてくる幼馴染のため答えてやれば、ジルベルトは鸚鵡返しのように「ノラレス」と口を動かす。
けれどその様子を見るに、やはり心当たりはないようだ。
「店の、場所は…」
「そこまでは私も聞いていない」
「そうですか、いえ、そうですよね。ありがとうございます」
「本当にわからないのか……ジルベルト、お前の身の安全が最優先だ。何か思い出し次第私にも知らせろ。いいな?」
侯爵家の嫡子が記憶をなくしている。
それは国を騒がせる大ごとにも発展しかねない事態であった。
その原因が得体の知れない店であるなら尚更であり、早急に見つけ出して店主並びにその店に関わるもの全てを断じなければいけない。
何より、ランドルフにとってジルベルトは未来の忠臣であり代えの効かない友人でもある。友に手を出された挙句黙って見過ごすほど、ランドルフは穏やかな性格をしていなかった。
「…お心遣い感謝致します、殿下」
作り物のような無機質な笑みに一抹の不安を覚えながらも、ランドルフは頷きを返したジルベルトを信じ、その場を後にする。
その背を見送ったジルベルトは、部屋のベットの上で思いがけず手に入れた手がかりに内心安堵にも似た感情を抱いていた。
ランドルフに迷惑をかけてしまうなど予想外も良いところであり、最初こそ失態に頭を抱えたくなったが、彼のおかげでだいぶ気分がスッキリとした気もする。
ラフェエルの事が心底憎く、王宮さえもラフェエルがいるとなれば気持ちの悪い洞穴のようにも思えていたが、ジルベルトにとってランドルフは変わらず王だった。
夢の記憶で彼は王となる。
そして彼を支えるためジルベルトは奔走する事となり、その関係を心地良くも感じていた。
忠義のくだらなさに気付いたところでランドルフへの忠義を捨てられるとは思えないほどに、今でもジルベルトは彼を王として慕っているのだ。
ラフェエルへの不確かな憎悪を確信すると同時に、ランドルフへの敬愛もまた捨てられないと理解してしまった。それならばより一層、ジルベルトをこんな事態へと放り込んだ夢の記憶の正体を探らなくてはいけない。
ランドルフの言葉によって、すでに大きな手がかりはつかんでいる。
ノラレス、何度考えても聞いた事がない店名。
けれど探し出さなければ何も始まらない。
ジルベルトはベッドから起き上がると皺の寄った服を整え、早々にその場から立ち去って行った。
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