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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
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05 夢の仇敵

 白鳥の湖のような美しさを持つ王宮で、ジルベルトは吐き気を催しながらも表面上は平静を取り繕っていた。

 フロスト家はセイレリア王国の中でも有数の忠臣であり、王家から絶対的な寵を受けている一族である。

 ゆえにその後継者たるジルベルトもすでに何十回とこの王宮へ出入りしているのだが、こうも嫌気がさすのは初めての事だった。

 見慣れた王宮の応接間、その様相にさえ神経を逆撫でされている気分だ。


「……殿下はまだなのか」

「準備に手間取っているとの事です」


 人を呼び寄せておいてなんたる事か。客が来る前に準備は済ませておけば良いものをと思いもするが、そもそも殿下にとって、ジルベルトは客ですらないのかもしれない。

 ジルベルトを王宮へ呼び出した人物。それはまさしく、夢の記憶でジルベルトの最愛達の命を奪った第二王子。


──ラフェエル・ノア・セイレリア──


 名の綴りを見て、湧き上がる衝動のまま手紙を引き裂いていた。

 現在のジルベルトが14歳であるのだから、ラフェエルはまだ9歳だろう。そもそも夢の記憶が本物であるかさえ定かでない事も理解しているのだ。

 彼に憎悪を向けるなどお門違いも良いところで、せいぜい夢の記憶で最愛達を殺した成長した姿のラフェエルへ向けるのが妥当である。

 けれど理解していたとしても、感情を制御できるかは別の話だ。


 では何故呼び出しに応じたのかと言えば、それは一重に面倒だったからである。


 フロスト家は、まず何があっても王家からの命を第一に考え行動し、時にはその命さえ捧げてきた忠臣の一族。この説明だけで断れる状況でないのは明らかだろう。

 たとえジルベルトが拒否しラフェエルがそれを許したとしても、父サイモンが王家からの要求を断るなど何事かと激昂するに違いない。

 王家にとってのイエスマン、それがフロスト家なのである。

 メイドにラフェエルの様子を聞いてから20分の時間が過ぎた。

 いよいよ内心で苛立ちが限界を越えようとしていた頃、ようやくその重苦しい扉が開かれる。


「すまなかった!思いの外用意に時間がかかって!」

「大丈夫ですよ、殿下」


 慌ただしく入ってくる姿に酷く呆れてしまうのは、夢の記憶を見てしまったからだろうか。以前なら妹相手のような気持ちでいられもしたものを。

 ラピスラズリのような深い色の髪と、星が散った瞳。

 まだ幼さが目立つが、すでに深海のような美しさを備えたこの少年こそ、ジルベルトが名を見ただけで嫌悪する人物である。

 あんな信憑性に欠ける夢の記憶のせいで、忠誠を誓う相手になんて感情を抱いているのか。

 されどもこの憎悪を抑え込める気もしない。

 ぐつぐつと煮えたち続ける感情は、まさに激情と呼ぶに相応しいものだ。オリヴァーが弟に抱く激情とは打って変わって、殺意と憎悪ばかりのものだけれど。


「それで、此度はどのような用事で私をお呼びになったんです?」

「もう春休みが終わる頃だろう?一度顔を見たいと思っていたんだ。迷惑だったか?」


 拒絶されるなど思いもしていない顔でよくもまあ抜け抜けと言えたものだ。


「まさか、私も殿下にお会いでき嬉しいばかりです。殿下はこの春をどうお過ごしになられたんですか?」

「剣の稽古に明け暮れていた。あれは良い、何も考えずに済むから」

「殿下の教師を務める皆様の苦労は多少お考えください」

「………勉強は将来学園ですればいい」

「それは貴族としての範疇でしょう。将来は国を担うお一人になるのですから、王族として学ばなければいけない事は多くあるはずです」


 ジルベルトの言葉に、ラフェエルが顔を歪ませる。

 事実、学園では確かに様々なことを学ぶが、それ以上に貴族学校は人脈を作る場として利用されている。


「なんだか今日のジルベルトは小言が多いな。いつもなら笑って流す話だろう、こんなの」

「…教師の皆様が嘆いているのをたまたま見たのですよ。私を呼び出したのも勉強から逃げたいからでしょう?」

「!そ、それは違うぞ!私がお前に会いたかったんだ!」


 子犬のように健気な言葉だ。以前のジルベルトであれば心穏やかな、それこそ妹へ向けるような慈愛を感じていたかもしれない。

 いっときはラフェエルはジルベルトを兄のようだと慕い、ジルベルトもラフェエルを弟のように可愛く思っていたのだ。

 本来ならここで呆れたような、優しい微笑みでも、落としていたのかもしれない。


「……そうですか」


 けれど返された言葉はそれだけだった。

 冷えた石のようなジルベルトの表情にラフェエルがわかりやすく動揺する。

 思えば妹へは実の兄妹相手という事で不器用になりがちだった家族としての情を、兄として慕ってくれる他人のラフェエルに注いでいたのかもしれない。

 主君の子であると同時に幼い頃から見てきた幼馴染。情が湧くのも、一生を持って守りたいと思うのも当然の感情だったはずだ。


「じ、ジルベルト、本当にどうしたんだ?」

「何もおかしいところなどありませんよ、殿下。それより先ほど準備に手間取っていたと言っていましたが、何か問題でもあったのですか?」

「え、あ、いや…それは単に、その、お前と会うから何を着ようか迷っていて…」

「殿下は何を着てもお似合いになるじゃないですか」

「そんな事はない。何を着ても似合うと言うのは、お前やシャノンのような人間の事を言うんだ、きっと」


 長子の兄と揃って将来は各国の姫君達から熱い視線を贈られる事になる男が情けなく俯く。

 今でさえ誰もが関心する美しさを持つ少年であるというのに、自分の顔さえまともに見た事がないのだろうか。

 その口で妹の名を気安く呼ばないでもらいたい。


「そ、そんな事より!お前にはあるものを用意してあるんだ、ジルベルト!」


 パッと顔を上げたラフェエルの顔は淡く火照って、照れているようだった。感情の起伏が激しいのはまだ子供だからだろう。夢の記憶の成長したラフェエルはもう少し落ち着きを持っていた。

 正直今の精神状態でラフェエルから贈り物など貰いたくはないが、理由もなく拒否するわけにもいかない。

 ラフェエルがメイドへと目配せをすると、すぐに小さな箱がテーブルへと用意された。


「開けてみてくれ」


 期待が隠しきれていないラフェエルを一瞥し、ジルベルトがその箱を持つ。

 蓋を開ければ、中には万年筆が入っていた。シンプルなデザインでありながら細部にまで拘った金の装飾が全体を上品に仕上げている。


「……これを私に?」

「ああ!それならいくらあっても困らないだろう?」


 ジルベルトの反応から嫌がられてはいないと察したラフェエルが、嬉しそうに答える。

 確かにこの万年筆はジルベルトの好みに良く合っていたし、長く使えるものとはいえ、ペンはいくらあっても困らない。


「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

「使ってくれるか!そうか!よかった!」


 にっこりと特大の花を咲かせて笑ったラフェエルを前に、ジルベルトは内心で使う事はないだろうと確信する。

 その幼く愛らしい笑みでさえ忌々しいのだ。使うたびにラフェエルの顔を思い出して苛立つなど御免被る。

 ただそれでも感謝を述べたのは、残り香のようにまとわりつく情がなけなしの優しさを搾り出したからだ。

 ラフェエルが喜んでいたのも束の間。たわいもない会話を続けていくうちに、どんどんと顔に影が立ち込める。

 それはジルベルトの返事が機械的であったからか、いつも感じる深い優しさを感じられなかったからか。どちらにしても、気まずい空気が流れるのは瞬きの間の事だった。


「ジルベルト、本当に今日はどうしたんだ?体調でも悪いのか」

「そんな事は……いえ、確かに朝方から頭痛がしておりまして、薬は飲んだのですが…」

「そういう事は早く言え!」


 ジルベルトが己の体調さえ顧みずに自分に気を遣っていた事にカッと怒りが湧く。けれど同時に体調を隠してまで会話を続けてくれていたという事実に仄暗い喜びも湧いていた。

 ジルベルトからすればただ返事が億劫だっただけなのだけれど、そんな事をラフェエルが知る由もなく。

 別れを惜しみつつもラフェエルが席を立ち、内心安堵しつつジルベルトもそれに続いた。


「申し訳ありません、殿下」

「気にするな。私も気付けなくてすまなかった…久々にジルベルトに会えて舞い上がっていたんだ」

「…それなら、頭痛を我慢して会いにきた甲斐がありましたね」


 ジルベルトの言葉にラフェエルがわかりやすく笑みを溢す。ああよかった、このまま何事もなく帰る事ができそうだ。

 一刻も早くここから立ち去りたいジルベルトは、目の前のラフェエルに別れの挨拶を済ませると早々に踵を返した。


「また次の休みに会おう!」


 その大声で頭痛がしそうだ。元々酷かった吐き気が、一瞬の気の緩みで大波となって押し寄せてくる。

 それでも悟られるわけにはいかないと、その言葉に明確な返事をする事はせず会釈で済ませ、ジルベルトは少しゆったりとした足取りでまた歩き始めた。

 ここで早足にでもなってしまえば、せっかく無理して被った外面が水の泡だ。


 健気にジルベルトの背を見送り続けるラフェエルがようやく見えなくなった頃、ジルベルトは一気に肩の力が抜け、同時に襲いくる眩暈に眉を顰めた。

 あたりに人はいない。王宮をよく出入りしているジルベルトが相手のため、案内のメイドも早々に下がらせる事ができた。少し壁に寄りかかるくらいは、良いだろうか。

 この王宮という場所に多少なりとも嫌悪を感じているとはいえ、もうラフェエルと顔を合わせなくて良いと思えば幾分かマシだ。

 手触りの良い冷たい壁に手をつけ、ぐるぐると回る視界を押さえ込むために頭を抱える。

 足から力が抜けたのは、完全な無意識だった。


「ッ…」


 壁に寄りかかった状態で膝をついている今の姿など、もし王宮の誰かしらに見られたら終わりだ。話を聞きつけたラフェエルが戻ってきてしまうかもしれない。

 けれどジルベルトの努力虚しく足に力が入る事はなく、そうこうしているうちにどこからか足音が聞こえてきた。

 どこかへ行ってくれと祈っても、運が悪い事にその足音は確実にジルベルトへ近づいてくる。


「ジルベルト…?」


 とうとう足音が目前まで迫った頃には、ジルベルトの意識は眩暈に連れ去られていた。

お読みくださりありがとうございました。

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