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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
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04 愛しき和解

 フロスト家の本邸へと帰ってきたジルベルトは、コートをメイドへとさっさと任せ、花束を持ったまま自室にいるというシャノンの元へ直行した。

 扉の前に立てば多少緊張する。

 妹の部屋を訪ねた事など夢の記憶を合わせても一度もなかった。

 今思えば何故ここまで気持ちを伝えず傍観していたのかわからないほどだ。


 コンコンッ。


 変哲もないノック音。

 扉越しに「はーい」と声がする。

 使用人に敬語を使うなといつもならちょっとばかりの小言を言うところだが、今回ばかりはジルベルトもそうはいかなかった。


「シャノン、ジルベルトだ。開けてくれないか」


 扉越しでもわかるほどの物音が響き渡る。

 シャノンの側にいたのだろうメイドが悲鳴をあげたのが扉越しにわかった。

 次いでバタバタと忙しない音を立てた後、大きな扉が、小さな存在によって開かれる。


「お兄様?ほんとに…?」

「ああ、ただいま」


 オリヴァーから伝授された年下と仲良くなる術の幾つかを実践しよう。

 言われた通り頭を撫でると、シャノンはものの見事に固まってしまった。


「シャノン…?」

「?…???………!?」

「どうした?どこか具合でも悪いのか?あ、俺の手が嫌だったか?」

「!?ち、違う!!!」


 頭に乗せたままのジルベルトの手を、シャノンがぎゅっと掴んで固定する。

 嫌ではないのなら一安心だが、こう拘束されるとどうして良いのやらわからない。

 試しにイマジナリーオリヴァーに問いかけてみたが、にっこり笑うばかりで答えてはくれなかった。


「………シャノン、今日はお前にプレゼントがあるんだ」

「ぷ、れ、ぜんと……ってなに?」

「?…プレゼントを知らないのか?」

「?………!…もしかしてプレゼント…?」


 シャノンの脳内に兄からプレゼントを貰うという思考がなかったゆえに、言葉の意味を処理するのに時間がかかったようだ。

 誕生日に形ばかりのプレゼントは貰うものの、それはいつだってメイド越しで、兄が選んだものだと思った事は一度もない。

 そんな中こんな話をいきなりされたら、誰だって戸惑うものだろう。


「気に入ってくれると良いんだが」


 差し出されたのは黄色とピンクの花束だった。

 可憐な雰囲気がシャノンの愛らしい容姿にとてもよく似合っていて、メイド達がその可愛らしさに思わず頬を染める。


「フェイブ夫人てずから作ってくれた一品ものだ。色は俺が選んだ」


 シャノンはフェイブ夫人が誰か知らない。

 爵位さえわからない。

 けれど夫人と呼ぶからには貴族の妻であるというのは理解できた。

 そんな相手に花束を作ってくれと兄が頼んだ。

 自分のプレゼントのために、花の色を選んでくれた。

 笑顔なんてほとんど見た事がない兄が花束を差し出し、自分の様子を伺っている。まるで初めて兄と目が合ったような気がした。


「あ、あり、がとう…」


 ほろりと頬を伝った幼い涙は、ただ喜び一色に染まっている。


「!?シャノン?なんで泣いてるんだ?嫌か?どこか痛いのか?」

「や、やじゃなぃ、い゛だぐな゛い゛ぃ!」

「え、あ、ええ…じゃあ本当になんで泣いてるんだ…」


 以前のジルベルトであったならどうすれば良いのかわからず固まって見下ろすばかりだったが、夢の記憶を見た後だと泣き止ませてやりたくて仕方がない。

 なぜかメイド達に助けを求めても「頑張ってください!」と応援されるばかりだし、ジルベルトはオリヴァーから伝授された方法を試してみた。

 年下を慰める時は抱きしめるのも良し、だそうだ。


「大丈夫だ、大丈夫だからな」


 間にある花束は潰さないよう丁寧に抱きしめる。

 夢の記憶で大人になってからハグした覚えはあるものの、こんな幼い頃に抱きしめた事はなく、どれほど力を入れて良いものなのかわからなすぎて怖かった。

 もうなるようになれと抱きしめたまま頭を撫でると、「うぇ…うっ、ひっく」とシャノンの静かな泣き声が耳を掠める。

 びっくりして肩が跳ねてしまったが仕方ない。


「お、おにいさ、ま」

「なんだ?」

「しゃのんのことっ、すき…?」

「……ああ、もちろん」


 声を震わせながらこんな当たり前の事を聞かせてしまった。

 酷い兄を慕ってくれる妹が愛おしく、ジルベルトは優しくその小さな体を離すと、自分より幾ばくか薄く、光り輝く緑玉の瞳を見つめた。


「俺はお前の事が大切だよ、シャノン」


 愛らしい瞳からうるりと溢れる涙の洪水に、ジルベルトは仕方なさそうに笑いながら、もう一度その体を抱きしめた。


───














 花束を渡してから、ジルベルトとシャノンの仲は少しずつではあるが、仲の良い兄妹のそれと同じようなものになっていった。

 顔を合わせればジルベルトは笑いかける事を意識し、その努力に気付いたシャノンが嬉しそうに微笑む。

 一緒に食事をする朝と夕方の時間は今までシャノンにとって緊張するものでしかなく、早く過ぎ去ってほしいと思うばかりのものだった。

 けれど、それもジルベルトからの質問によって生まれる会話で苦痛ではなくなっていた。

 いつも変わらない鉄仮面が兄の不器用さであると理解するのにそう時間はかからず、だからこそ自分のために笑顔の練習をしている兄を見つけた時、シャノンは自分が愛されている事を実感せずにはいられないほどだった。


「お兄様〜!!!」


 パタパタと小さな体を走らせて駆け寄ってくる姿のなんと愛らしい事。

 出先から戻ったジルベルトが今では慣れた様子でしゃがみ込み、その小さな体を抱き止める。


「ただいまシャノン」

「おかえりなさい!あの、あのね、みて!」


 こうして無邪気に笑いかけてくれるようになったのも大きな進歩だ。

 結果報告がてら会いに行ったオリヴァーには「多少の変化で改善するんだよ」とサラッと流されてしまったし、オズワルドとの話を聞かされる羽目になったわけだが。

 それでも、ジルベルトがシャノンとこうして話せているのは、オリヴァーの尽力あっての部分も大きいだろう。

 シャノンが見せてきたのは歴史書の一つだった。

 フロスト家の歴史が記され、フロスト家の子供であれば最初に読み聞かされる教科書でもある。


「全部暗記できてね!さっき先生に褒められたの!」

「!…それはすごいな、もう一人前のフロスト家の令嬢だ」

「えへ〜!」


 我が妹ながら顔が弩級に可愛い、とジルベルトは独言る。

 シャノンを抱き上げたジルベルトは、兄に褒められて上機嫌の妹の姿に癒されながら、ただ一つ気がかりな事実を思い浮かべていた。

 この国では18歳までの貴族子息は国内の学園で学ぶ事が義務付けられている。現在は春休みであるため家に長くいるが、あと1週間もしないうちにその休みも終わってしまうのだ。

 以前のシャノンならともかく、今その事実を伝えてどんな反応を返されるか。ジルベルトは期待と不安を胸に、ううんと頭を悩ませていた。


「………えっ」


 カーンッと小さな手に握られていたスプーンが落ちる。

 夕食中、それとなく伝えてみたらこれだ。サイモンがいなくて本当に良かった。


「また夏には帰ってくる事になるが、それまでは手紙のやり取りだけになる」

「あっ…そ、そう、なんだ…」


 毎年の事ではあるが、今回は兄妹の仲がグッと縮まった時間があった。だからこそここまで落ち込むのだろう。

 妹のこんな姿を見て喜ぶのは酷いとは思うけれど、ジルベルトは口元が緩みそうになってしまう。

 落ちたスプーンをメイドが拾ったところで、シャノンがバッと顔を上げた。


「じゃあ、手紙はどのくらいとか、あの」

「いつでも送ってきて構わない。俺もできるだけ返せるように努力する」

「ッ〜〜!うん!」


 それからはたわいもない話が続いた。

 昼間に猫を見かけただとか、好きな劇団の俳優が怪我をしたらしいだとか、勉強が捗っているらしいだとか。

 夢の記憶でもそうだったが、シャノンは会話を続けるのが上手い。ジルベルトが一つ投げかけただけでさまざまな話題が引き出されていく。

 きっと、本当に別れを惜しんでいるのはジルベルトの方なのだ。

 せっかく仲良くなった妹と、あんな悲惨な夢を見てから再会した妹と、もう離れなければいけないのかと。

 それでも、妹が我慢しているのなら自分も兄として我慢しなければ顔が立たない。寂しいだなんて女々しい感情は押し込めて、ジルベルトはただシャノンの心地良い声を聞いていた。


 一報が訪れたのは、そんな何よりも愛しい時間の後の事。


「王室から書簡が届いております」


 背筋に走ったのは、間違いようもない嫌悪だった。

お読みくださりありがとうございました。

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