03 親友の秘密
※同性愛及び近親相姦等の要素を含みます。
応接間から庭へと降りてきたオリヴァーとジルベルトが、庭園内のガゼボに移り、腰掛ける。
暖かい日差しに程よい風、外で茶を嗜むには丁度良い。
「自慢の庭園です。主に母が管理していますが、たまに私も手伝うんですよ」
「器用なんだな」
「…驚かれないんですね、庭師ではなく貴族夫人や令息自ら管理しているのは珍しいでしょう」
「愛でるだけではなく自分で手をかけるほど大切にしているんだろう。何を驚く事がある?」
ああやはり、調子が狂う。
居心地が悪いとは思っていたが、そろそろオリヴァーは確信に迫っていた。
「そう言っていただけると嬉しいです。では、お好きなものをお選びください」
「……ん?」
「妹君へのプレゼントです。ただ花屋で買うより、フェイブ家の庭園の花であり、フェイブ夫人が心を込めてラッピングした花束の方が格別なプレゼントになりますよ」
「は?夫人?ちょっと待て」
「もちろん母には許可はとってあります。ささ、どうぞ」
してやったり。
オリヴァーがにっこりと笑うと、焦りを滲ませたジルベルトは少し間を置いて「本当に良いのか」と念を押してきた。この程度のご機嫌とりは痛くも痒くもない。
頷いて見せるオリヴァーを見てとうとう諦めたのか、ジルベルトが席を立ち花々を見始める。
淡い金髪に深い緑の瞳、ここまで庭園が似合うのは流石の一言に尽きる。
会った事はないが、さぞ妹君も美人であらせられるのだろう。オリヴァーが一息ついてテーブルに並べられた紅茶を口にした。
瞬間、ひょっこりと視界を掠めた見慣れた顔。
オリヴァーの休息が終わるのはあっという間の事だった。
思わずガタッと椅子から立ち上がると、ジルベルトもその音に気づいて後ろを振り向いてしまう。
しまった、と思った時には時すでに遅く、ジルベルトの視界には泥だらけになった問題児が。
「ッ〜〜!オズワルド!なんだその格好は!!!」
侯爵令息の御前に野うさぎの如く現れた弟に、とうとうオリヴァーの怒鳴り声が降り注がれる。
バサバサっと音を立てたのは草むらに潜んでいた小鳥達だ。
「あ、あにうえ…」
「逃げ回った挙句そんな格好になるまで隠れていたのか!?」
「うっ…!」
オリヴァーの珍しい怒号にオズワルドの肩がすくむ。
驚いたのはジルベルトも同じだった。
「オリヴァー、私は気にしていないから落ち着け」
「ッ…申し訳ありません」
「君はフェイブ辺境伯の三男か。初めまして、フロスト家嫡子ジルベルトだ」
「え、あ、はい…」
「オズワルド、挨拶の仕方も忘れたか?」
「!あ、フェイブ辺境伯が三男オズワルドです!以後お見知りおきください!」
「ああ、よろしく」
挨拶を忘れて呆けていたオズワルドをキツく睨むオリヴァーにジルベルトは苦笑する。
彼がここまで怒る姿を見せるのは、やはりまだオリヴァーとジルベルトの間に深い友好関係がないからだろう。
「もう下がれオズワルド、今日は顔を見せるな」
「っ!なんだよその言い方…」
顔を歪め唇を噛んだオズワルドは、その表情と態度を持って不満だと表していた。
けれど機嫌が悪い兄が怖いのか、あるいはジルベルトがいるからか。
思いの外すんなりとその場を去ったオズワルドに、根は素直なのだろう、となんとなく理解する。
「ジルベルト様、愚弟が失礼いたしました」
「いや、元気があって良いじゃないか」
「あれは元気をあらぬ方向に発揮しているだけのバカです」
なかなかに辛辣な物言いのオリヴァーは、けれども先ほどの怒りはさっさと仕舞い込み、冷静を取り戻したようだった。
「実の弟にそこまで言うな。あの年頃にしてはヤンチャだが可愛いものだろう」
「他人事だからそう言えるんですよ。三日あれと兄弟として過ごしたら頭痛と友達になれます」
「私には大人しい妹しかいないからなぁ…」
貴族家で男兄弟がいるというのは良い事ばかりではない。
当たり前のように後継の座を争う事になり、時には辺境の地へと追いやらなくてはいけなくなる時もある。滅多にあるものではないが、その命まで奪う羽目になることも。
けれども、純粋に弟や兄の存在を夢想した事も、正直な話をすればあるのだ。
「───では、お貸ししましょうか?」
そんな中かけられた言葉を聞いて、ジルベルトは美しい花々からオリヴァーの顔へと視線を移した。
夢の記憶で多くの淑女の心を奪っていた緩やかに垂れる暗いマゼンタの瞳が、ジルベルトを見据えている。奥底から覗いているのは、隠しきれない悪趣味な欲。その言葉の真意が冗談でも、ましてや本当に弟として貸すだなんてわけでもないという事は、すぐにわかった。
「生憎と、そういう趣味はないんだ」
そういえば、とジルベルトは思い出す。
夢の記憶でも、15の時に同じ質問をされたものだと。
「それにあれは君のものなんだろう?まだ君が手をつけていないのに、私が貸してもらうわけにはいかないよ」
「………そう思いますか」
「兄に手をつけられてあんな太々しい態度を取れる弟がいたら、それはもう弟の方がおかしいだろう」
「ははっ、確かにそうですね」
笑う声は戸惑いを孕んでいた。
自分から仕掛けておいてと思わなくもないが、夢の記憶でも、彼はそうだったのだ。
友人として親しくなりすぎたジルベルトに、ある意味で線引きをするために、抱え込んだ歪な塊をぶつけた。
実際に貸すつもりだったのかはわからないし、現時点で手はつけていないとはいえ、夢の記憶の中の15の時にはオズワルドの対応を見るに囲い込み始めていた。
夢の記憶でのオリヴァーは、自分はこんな人間なのだと、だから親しくしすぎてはいけないんだと、情が湧いてしまったが故に、ジルベルトへ突きつけようとしたのだろう。
結論から言えば、夢の記憶でもジルベルトは今と同じように受け止めたわけだが。
その質問以降だった。オリヴァーが一層砕けた態度を取り、敬称をなくしてジルベルトを呼ぶようになったのは。
さて、では今は、どんな思惑があってこの質問を投げたのだろう。
「オリヴァー、さっきも言った通り私は君自身を気に入ってる。君がどんな人間であれ、私の大切なものへ手を出さなければ大抵は面白がって受け入れると思うぞ」
「……意味がわからない」
「ああ、わからなくていい。したいようにすれば良いんだ。君にはそれを実現させるだけの能力があり、私にとって君はそれだけ価値のある人間だから」
夢の記憶を見てしまったジルベルトは、すでにオリヴァーの事も大切な存在として見てしまっていた。これはきっと、不幸な事と言うべきなのだろう。
弟への激情を秘めた男など、相当気に入っていなければ敬遠するものだ。実際、ジルベルトもオリヴァーが相手でなければ、今この場で縁を切っていたかもしれない。
けれど夢の記憶で彼が弟に対してやらかしたいくつもの問題行動を見てきたジルベルトにとって、この程度は可愛い戯れも同然だった。そもそも、何も知らなかった夢の記憶でのジルベルトも、15歳にしてこの男を受け止めてしまったのだから、然程変わらないのかもしれないが。
オズワルドの死体のない葬式に事実を知ってなお参加したジルベルトからすれば、今並べた全ての言葉に嘘偽りはない。
弟に関しては問題しか抱えていなかったというのに妻とはなかなか上手くやっていたのだから、それもまた面白い。
オリヴァーの弟論はいつ聞いても頭が痛くなるほど理解不能だったが、面白いと受け入れてしまった時点で文句を言う資格はないと言えるのかもしれない。
深く考えた事はないけれど。
「オリヴァー、この花を中心にピンクでまとめる感じで頼めるか?」
「……随分可愛らしい花束にするんですね」
「妹に渡すんだ。このくらい可愛くなくちゃいけないだろう」
黄色い薔薇を中心に、可愛らしいピンクの花々のブーケ。
喜んでくれるだろうか。笑みの一つでも見せてくれたら上々だ。
ガゼボに戻ったジルベルトがオリヴァーの向かいの椅子に座る。
「君も弟に送ったらどうだ?」
「男兄弟相手にですか」
「愛しい相手にだよ」
オリヴァーの瞳が、大きく見開かれる。
「たとえ歪だろうと、誰もが非難しようと、否定しようのない事実なのだから受け入れてしまえば良い」
「簡単に言ってくれますね。こうしてあなたに話す事さえ、声が震えるというのに」
「なら何故打ち明けた?誰かに認めて欲しかったんだろう。歪であっても、これは正真正銘の愛なのだと」
きっと夢の記憶のオリヴァーも、友人であったジルベルトに嫌われたくて、けれど、受け入れても欲しくて打ち明けたのだ。
「それがどんな激情であれ、私にはそう見えるよ」
目線は合わせず、冷めた紅茶を口に含んだ。
せいぜい1人で考えれば良い。
どうせ夢の記憶では、ジルベルトの言葉がなくとも15になる頃には逃げられないよう枷をつけていたんだ。今さら何を言ったところで、心の奥底ではすでに全て決まっている。
手放せない感情だからこそ苦悩しているし、踏み外してからの箍は哀れなほど外れていた。
「あ、だがきちんと叱っておいてくれ」
「!…やはりお気を悪くされましたか?」
「いや礼をかいた事についてはなんとも思っていないが、私はこの庭が気に入ってしまってな。だというのに、あんな泥だらけになる程荒らされるのは少し不愉快だ」
「怒るツボがズレてるってよく言われません?」
「覚えている記憶の限り君に言われた以外はない」
「あ、そうですか」
「まぁスパンキングくらいが妥当か?」
「12歳の子供相手にそれはちょっと…」
「君そういうの好きじゃないか」
「なんでそこまでバレてるんですかねぇ!」
軽快な会話に思わず笑いが溢れる。酷い話をしている。
きっとこのまま放置すれば、オズワルドは夢の記憶同様実の兄の手によって奈落へと引き摺り込まれていくのだろう。
だがそれがどうした。オズワルドを見捨てたからといって後悔する事などない。
ジルベルトは元来、己の大切なものにさえ傷がつかなければそれで良い男なのだ。
───
すでに空は赤染めされ、夕日が少しばかり目に眩しい。
「花束、気に入っていただければ良いのだけれど…」
「芸術に疎い私でも素晴らしいと思うのですから、きっと妹も喜ぶ事でしょう。ありがとうございました、夫人」
「まぁ、お上手ですね」
にこやかな挨拶を終え、花束を持ったジルベルトが馬車へと乗り込む。
この数時間で随分と砕けた関係になったオリヴァーの顔には、綺麗な猫の皮だことで、と書いてあった。完全にお互い様だ。
夫人とオリヴァーを背に馬車が動き始める。
花束を丁寧に席へと置き、ジルベルトが一息ついた瞬間。
「ジルベルト!!」
緩やかな馬車の窓から飛び込んできた大声に急いで窓の外に身を乗り出した。
貴族の子息らしからぬ行動だったが、これを逃してはいけない気がした。
「お前が受け入れたんだ!逃げたら承知しないからな!」
「ッ!ああ!わかってる!」
オリヴァーの隣でギョッと目を見開いているフェイブ夫人が、大笑いしてしまうほどにおかしかった。
お読みくださりありがとうございました。