02 親友との再会は原因究明につき
妹との不和、これはジルベルトにとって由々しき事態だった。
夕食を終えて解散する時も目線さえ合う事はなく、勇気を出して「良い夢を」と声をかけてみれば目を見開かれ驚かれる始末。
「お兄様も良い夢を」と返事はしてくれたものの、気遣いであるのは目に見えていた。
夢の記憶の中で、ジルベルトとシャノンは和解していた。
それは一重に義弟のお膳立てがあったからであるし、お互いに落ち着いた大人に成長していたからというのもあったのだろう。
だが今はシャノンが8歳、ジルベルトが14歳。ジルベルトはともかく、シャノンが幼すぎる。
大切なシャノンや義弟を亡き者にしたかもしれない第二王子を思い出すと複雑この上ないが、それ以上に今はシャノンとの和解が最優先だった。
一晩眠る事もできずに考えたジルベルトは、とうとう部屋から出て使用人へ声をかけた。
「………フェイブ家へ連絡を入れてくれ」
もういっそ、化けの皮が剥がれる瞬間が早まっても良いから手を借りよう。
───
その日、フェイブ家の使用人達は忙しなく客人を迎える準備に奔走していた。
早朝に入ったのはフロスト侯爵家嫡子ジルベルト・フロストの訪問の知らせ。
上流階級の貴族であっても機嫌を損ねないよう必死になる正真正銘の大物貴族家の人間だ。
フェイブ家も辺境伯という爵位を持ち、当主も次期当主である嫡子も本邸である国境沿いの領地にて立派に務めを果たしているが、正直格の差というものは歴然と存在していた。
ただの侯爵家であるならいざ知らず、王家から長年寵愛され続けているフロスト家は例外と言うほかにない貴族家なのである。
乗馬の師が同じであったという平凡な出会いでフェイブ家次男オリヴァーとフロスト家嫡子ジルベルトの間に交流ができたと知っている使用人はまだ少ない。
であれば、この慌ただしい屋敷内も当然の事とさえ言えるものだった。
「いいいいいいいやあああああああああだああああああああ!!!!!」
「いい加減になさい!フロスト家の令息にご挨拶できるまたとない機会なんです!兄を見習ってさっさと身だしなみを整えなさい!」
「ぜぇったい嫌だああああああ!!!!!」
「まぁまぁ2人とも落ち着いて…」
どうやら騒がしいのは使用人達だけではないようで、ある一室では、駄々をこねる子どもに母と兄が手を焼いていた。
「これが落ち着けるものですかオリヴァー!見なさいこのオズワルドのみっともない姿を!わがままがいつまでも通ると思っているのよ!」
「確かにみっともなくはありますが、怒鳴るばかりではオズワルドも意地を張ってしまいますよ、母上」
現在、王都近くの別邸にいるのはフェイブ夫人、次男のオリヴァー、三男のオズワルドだ。
家格が上のフロスト家の人間が来るとなれば、少なくともこの3人で出迎えるのが礼儀というものだろう。
だというのに、問題児と名高いオズワルドは、それはもう盛大に駄々をこねまくっていた。
これ以上怒鳴ったら床に寝転がってしまいそうだ。跳ねた黒髪がこれ以上荒れてしまっては目も当てられない。
「オズワルドも、嫌だと叫ぶだけじゃなく理由を言え」
「……と、とにかく!嫌だ!」
口籠るのを見るに、最初は面倒だったが母に怒鳴られ意地を張ってしまったという事なのだろう。相変わらず下手なところで頑固が出る性格をしている。
「…オズワルド、お前も12、すでに社交界にも出ている立派な貴族家の息子だ。いい加減無意味に意地を張るのはよせ。これから先もこのざまでは、いつか大きな恥をかくぞ」
「ッ〜〜!ウルセェ!」
「!?待ちなさいオズワルド!!!」
フェイブ夫人の制止も虚しく、オズワルドは部屋を飛び出て行ってしまった。
同じ育て方をしたというのに次男と三男でどうしてこうも違うのか。
同じところなど黒髪くらいしかない。
「ああもうっ、あの子はなんで…!」
「母上、先に準備を済ませておいた方がいいかと」
「…オズワルドのこと任せても良いかしら」
「もちろん…と言いたいところですが、多分あれはもう捕まりませんね。ジルベルト様は子供が挨拶を怠った程度で怒る方ではありませんから、誠意を持って謝れば大丈夫でしょう」
「はぁ…そうね。もう今日は諦めて令息を迎える事に専念しましょう」
まだ朝だというのに疲労の溜まった顔の母を労い、オリヴァーが背中に手を当てる。
フェイブ家は国境沿いを長く守ってきた武家の一族でもある。ゆえに嫁いでくる令嬢達も気が強い女性が多く、現フェイブ夫人も例に漏れずそうであった。
だというのに、そんな気の強い彼女さえ疲弊させる問題児がオズワルドなのだ。街に出れば喧嘩沙汰、社交界に顔を出したかと思えば1時間もしないうちに帰ってくる。
因縁をつけた相手が街のごろつきであればまだマシだが、貴族相手だった時にはフェイブ夫人の悲鳴が響いたものだ。
元気なのは喜ばしい限りだが、母のボルドーの濃い赤髪に白髪が増えない事を何度切に祈った事か。
素行が悪いと一言で片付けられる問題ではあるものの、矯正するのはなかなか骨が折れる問題でもあった。
まぁ今回は、そんな問題児が顔を出さないと宣言したのだ。
フロスト令息がいる間は多少平穏を保てるかもしれない。
気を取り直したフェイブ夫人に安堵しつつ、オリヴァーも令息を迎える準備に取り掛かった。
辺境伯子息のオリヴァーと、侯爵子息のジルベルトが出会ったのは、再三言う通り乗馬の師の紹介だった。
2人とも乗馬の腕が良く社交界での評判も上々。
おまけに同い年で家格も友人として見合っているとなれば、師が引き合わせようと思ったのも、友人として交流を持つようになるのも最早必然だった。
多少誤算があったとすれば、この急な訪問くらいだろう。
ジルベルトは距離感を見誤るような人間ではなかった。まだ交流するようになって間も無い相手に、急な訪問の申し入れをするとは到底思えない。
はてさて何が飛び出るのやら、オリヴァーは多少楽しみに思う気持ちを、母の疲れた背を見て覆い隠した。
「妹と仲良くなるにはどうすれば良いと思う?」
「ぶっ」
はずが。
12時過ぎに訪れたジルベルトにフェイブ夫人が挨拶を済ませオズワルドがいない事を謝罪したのち、応接間へ移った途端にこれである。
紅茶を吹き出したオリヴァーは何も悪くない。
「え、は?い、妹君ですか?」
「ああ、最近威圧的に話しすぎて怖がられていると気づいてな。少し関係を改善しようと思っているんだ」
「それは、まぁ、良い心がけですね…?」
何を真面目な顔で言ってんだこいつ、と思ったオリヴァーは悪くない。
友人となって日が浅い相手にする相談なのかそれは。
「そこでオリヴァー、君の助言がほしい」
「え、なんでですか?」
「適任だからだ」
やっぱり何言ってんだこいつ、と思ったオリヴァーは何度も言うが悪くない。
先日会った礼儀正しく思慮深いジルベルトは幻だったのだろうか。あるいは今目の前にいる男が幻なのか。
いや幻にしたってもう少し手心を加えるものだろう。ジルベルトがこんな突拍子もない相談をいきなりするような男だと認識した覚えはない。
つまり想像上の幻ではなく本物だ。実体もある。
……やっぱりオリヴァーはジルベルトの真意がわからず、なんだこいつ、と思った。
「君は人と良い関係を築くのに長けているだろう?」
「それはジルベルト様も同じでは?」
「まぁ、いつまでも私を敬称付きで呼ぶ君よりは、人と距離を詰めるのは得意かもしれないが」
「……」
「冗談だ。君の方が何倍も優れてる」
変な事を言い出したかと思えば、全てを見透かす瞳は健在だ。オリヴァーは少し、居心地の悪さを感じていた。
「フロスト家の御令息を呼び捨てにしてよろしいので?」
「君なら別に構わない。というか、そこまで遠慮するほど君の格は下じゃないだろう」
「嫡子であるならともかく、辺境伯という家格は私の格ではありませんから」
「もちろん君自身の格の話をしてるよ、オリヴァー」
「………本気で言っているんですか?」
「君に嘘はつかない。私も君相手には遠慮は不要と思っているし」
「えぇ?そこは多少遠慮してください…」
ここまで明け透けに気に入られていたとは驚くばかりだ。
これが将来吉と出るか凶と出るかは別として、今何か問題が起こるわけではないのなら享受する他に手はない。
オリヴァーが少し姿勢を崩して見せると、ジルベルトの視線が幾ばくか柔らかくなる。
これでは、本当に家柄なしの友人のようだ。
「それで、話を戻すがオリヴァー、どうするべきなんだろう私は…」
「はぁ…ですが他人の私より兄であるジルベルト様の方が妹君の事をお知りでしょう」
「そんな事はない。妹が生まれて8年経つが、妹が物心ついた頃には怖がれていたような気がするしな」
「逆に何をしたらそんな……ちょっと待ってください、一つ確認して良いですか?」
「ん?」
ジルベルトは、オリヴァーから見たら寛容な人間に見える。
けれど首を傾げる今でさえ、その表情筋は動く事はなく、思えば笑顔を見えたのも最初に挨拶をした時だけかもしれない。
「もしかして、妹君が物心ついた頃から笑いかけた事がなかったり、なんて事はありませんよね…?」
「……あっ!」
恐る恐る言葉にした問いかけに、びたりとジルベルトの動きがとまる。
それが答えだった。
「それが原因じゃないですか!」
「だ、だが笑顔ごときでそんな…」
「良いですかジルベルト様、普通人というのは好意的に思う相手には自然と笑顔になるものなんです。逆にいっつも仏頂面の相手には嫌われていると勘違いする事もあるんですよ」
「………言われてみれば確かに、私も父に嫌われているかもしれないと思った時期があったな…」
あんたのそれ親父譲りか!と心中でツッコミを入れる。
そういえば以前フロスト家当主のサイモンと挨拶をした時、その仏頂面が気になった。
侯爵としての威厳だとばかり思っていたが、もしかして単にそういう性格なだけだったのだろうか。
「わかった、笑いかければ良いんだな?」
「当たり前のこと聞かないでください。あとそれだけで良いだなんて思ってませんよね?」
「……プレゼントは、花束とかで良いだろうか…」
「無難でよろしい」
8歳の少女であれば可愛らしい花束で多少は喜ぶだろう。
なんだかドッと疲れたオリヴァーは、窓の外へと目を向ける。
「少し、場所を移しましょうか」
お読みくださりありがとうございました。