25 オリヴァーの夢の記憶
フロスト侯爵家ジルベルト・フロストの死。
貴族でなくともセイレリアの人間であれば一度は聞いた事がある大貴族。王家の最後の番人。その当主の悲報は唐突に訪れた。
貴族議会の議長など、国の中枢を担っていたジルベルトとは違い、長男から任された領地にて粛々と領主の職務に当たっていたオリヴァーは、本来であればジルベルトの死を国民らと同じタイミングで知らされるはずだった。
早くに知れたのはただ一重に、オリヴァーとジルベルトが仲の良い友人であると知っていた国王ランドルフの気遣い故である。
「嘘だ」
国王直筆の手紙。嘘であるはずがない。それでも、信じる事などできなかった。
普段は気の強い妻でさえ、この時ばかりはオリヴァーにかける言葉を見つけられず。
ただ何度も嘘だと呟きながら蹲り泣き喚く夫に、寄り添うばかり。
馬車の転落というジルベルトの死因と共に、手紙にはジルベルトの妹夫婦シャノンとレックスの失踪についても書かれていた。
妹夫婦の屋敷の使用人の多くも姿を暗ましており、ジルベルトの死と夫婦の失踪が公表されるや否や民衆の間では、使用人達による暗殺説や他貴族の暗躍説。果ては呪いによる呪殺説まで持ち上がった。
暗殺。フロスト家の地位を考えればない話ではないけれど、フロストに刃を向けるという事は王家に反旗を翻すと同義。この国で、いったい誰がそんな事を企てる?
何より妹夫婦はなぜ失踪した。屋敷の人間はどこへ行った。
残された子供ルイスは妹夫婦の屋敷近くで泥だらけで発見されたそうだが、唯一の跡取りだけが何故取り残されたのか。
オリヴァーの頭はそれらの疑問で埋め尽くされていた。彼らは、ジルベルトの最愛だったのだから。
疑問を解くきっかけになったのは、ジルベルトの葬儀での事だった。
転落死したジルベルトの体は損傷が激しく、それでもいいから一目会わせてくれと王に懇願したオリヴァーをあしらった人物の目が、自分ととてもよく似ていたのだ。
弟の死を装い、葬儀を取り行った日の、自分と。
妹夫婦が失踪し残されたルイスもまだ幼く、妻も前フロスト侯爵夫婦も他界している。取り仕切る者がいない葬儀で喪主を務めたのは、王弟ラフェエル。
彼の瞳はオリヴァーを見下しながらも後悔と歓喜に濡れていた。
他者が見たなら悲しみに暮れているように見えただろう。けれどオリヴァーは身をもって知っている。愛するものを殺した後悔と、愛するものを手に入れた歓喜を。
絶対的な優越感に浸った、その目を。
「ジルベルトと会う事は、本当にできないのですか」
「何度も言っている通り無理なものは無理だ。ジルベルトも友人に醜い体を見られたくはないだろう」
ラフェエルはジルベルトが慈しんだ人間の一人。これは自分の勝手な妄想だ。オリヴァーは必死にそう信じ込もうとした。
今の自分は冷静ではない、今の自分は誰かに敵意を向けなければ立っていられないのかもしれない。そう考える事で、ジルベルトが愛した者を憎まないよう最善を尽くしていた。
「安心しろ。ジルベルトの遺体は、私が責任を持って管理する」
愉悦に染まった一言を聞きさえしなければ、オリヴァーは己の思考を強制的に終わらせていただろう。
「………そうですか。会う事は叶わなくとも、それならば安心できます」
その場で殺したかった。おそらく気遣いを見せるランドルフが側にいなければ、オリヴァーはラフェエルをその場で刺し殺していた。
オリヴァーの返答に満足したラフェエルの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。ジルベルトの体がどれほど損傷していようと、この笑みほど醜くはないはずだ。
オリヴァーに、ラフェエルへの憎悪が芽生えた瞬間だった。
それから、王弟ラフェエルは葬儀が終わって数日も経たないうちに、オリヴァーをジルベルト殺害の首謀者に仕立て上げた。
フロスト邸からジルベルト宛てに、妹夫婦の屋敷へ向かうよう仕向けるオリヴァー直筆の手紙が見つかったそうだ。
虚偽の証拠と共に吊し上げられたオリヴァーには、オリヴァーに指示されたと名乗り出てきた見知らぬ下手人の証言を決定打に、終身刑が下された。
証拠と証言が揃ってしまえば逃れる事はできない。
けれど、オリヴァーを手助けする者もまた、現れた。
その筆頭がアゼリア伯爵家のオリアナである。この時すでに彼女は嫁ぎ、他家の伯爵夫人となっていた。
「まさか君が会いに来るとは思わなかった」
「貴方が無実であるなら、どれだけ時間がかかろうと無実を証明する価値があるもの」
彼女は依然として貴族派であり、王家の失墜を望んでいた。
「僕が無実だと信じる理由は、ジルベルトかな」
「…ええ。少なくとも、彼から聞いた貴方は、彼を裏切ったりなんかしないはずだわ」
生家が掲げた思想を遂行せんとする彼女の態度から見えるその思いは、間違いなく私怨と呼べるものだろう。
オリアナの助けを借り、幽閉塔から抜け出したオリヴァーは、それから潜伏を続けた。
ただ、ラフェエルを殺す機会を得るために。
事態が好転し始めたのは、潜伏を続けて12年目の頃。
「こうしてちゃんと話すのは初めてかもしれないな」
ヴァージル・スプラウト。ジルベルトが生前信頼を寄せていた武将。
着々と力を蓄え続けているオリアナが連れてきた彼の口から語られたのは、フロスト家唯一の生き残りルイスについてだった。
「肖像画と良く似た男の死体を、見た事があるそうだ」
それが誰であるかなど聞かなくても理解した。
ヴァージルは生前のジルベルトとの関係から、成長したルイスとも懇意にしており、後見人を名乗り出たラフェエルにできない相談事をヴァージルにしているようだった。
その中で、なぜか今までずっと忘れていたのに、最近になって夢に見るようになったと。
その夢が現実であると、何故か明確に理解できてしまって苦しいのだと。
「この話が本当なら、ジルベルト・フロストの死は何らかの理由によって隠蔽され、その隠蔽を行なったのは王家の……王弟殿下って事になる」
「子供の話を信じてるんだね」
「あの怯え方を見るとどうもな……それに元々、あんたが逮捕された頃から違和感はあったんだ」
オリアナがオリヴァーを隠しているのは公然の秘密だった。
中立派であるスプラウト家のヴァージルがオリアナを通してオリヴァーに会いに来たのは、事実を知っているかもしれないという望み故だろう。
最近になって王弟ラフェエルが血眼になりオリヴァーを探し始めたという噂を聞き、どうするべきかと考えていた時に舞い込んだ好機。逃す手はなかった。
「ヴァージル・スプラウト。君が僕に会いに来たのは、僕がジルベルトを殺していないと考えているからだろう?」
「まぁ、あんたとの事は本人から聞いてたしな。あいつの信頼はそう簡単に手に入れられるものじゃない。何よりこの女があんたを生かしてるのが証拠だろ」
「戦場に身を置きすぎて口の利き方も忘れたのかしら」
貴族派のオリアナと、王族派だったジルベルトと懇意にしていたヴァージルは、多くないながらも衝突する出来事がいくつかあったようだ。
そんな二人が揃って現れるのだが、オリヴァーは己の親友を思って笑みを深めるしかできない。
「君の言う通り僕はジルベルトを殺していないし、たぶん犯人は王弟殿下だろうね」
「!何か証拠があるのか?」
「いや全く。勘だけど」
「は?」
人を殺すほどの執着を持った事があるゆえの確信。
それは勘と呼ぶに相応しいまでに不確定だ。
「一応、ジルベルトが死ぬまでずっと側に置いていた双子の騎士を、ジルベルトが死んでからは自分の邸宅、その五年後には“ある場所”に留めて守らせているって事はわかっているけど、王弟殿下がジルベルトを殺したって言うのは勘」
「…………あんた確実にあの馬鹿の親友だわ…」
「お褒めに預かり光栄だね」
ルイスが死体を見たらしい時期の年齢はおよそ六歳程度だそう。
双子が“ある場所”に移動した時期と一致するのである。死体をルイスに見られたから、双子ごと移動した、とも考えられるわけだ。
こうして、ラフェエルを殺すため、真相を確かめるため、王家を失墜させるため、それぞれの思惑を胸に3人は手を組んだ。
終幕は、驚くほど早かった。
ジルベルトが信頼していた武将ヴァージルが味方についた事により、王家の失墜を望む貴族派のみならず、貴族派に抵抗感を示していた王族派、その中でもフロスト家に追従していた貴族らが“仇討ち”を旗印に反旗を翻したのだ。
筆頭がフロスト家の生き残りルイスであった事と、敵と定めた相手が国王ではなく王弟であった事。
何より王弟に加勢すべきという王族派の進言に、国王ランドルフが応えなかった事が大きく関係しての騒動であった。
双子の騎士が守っていた場所は、王弟が治める領地の森奥。
ジルベルトが暮らしたフロスト邸と瓜二つの屋敷だった。
「殿下が、伯父上を殺したんですか。…っ、殿下が!私の父と母を!殺したんですか!」
伯父の死の真相を暴けば、両親の行方もわかるかもしれない。その一心で王弟ラフェエルを追い詰めたルイスの口から溢れた叫びに、ヴァージルが表情を歪ませる。
もう両親は死んでいるとわかっていたのだ、ルイスは。
「愛されたお前達が悪いんだ」
ただ一言ラフェエルはそう答え、隠し持っていた毒を口に含むと、奥の部屋に置いてあった棺桶に縋り付きながら生き絶えた。
棺桶の中にあったのは、朽ち果てる事もできず、異様なまでに美しい状態で保存されたジルベルトの遺体。
何か知っているのではないかと捕らえた双子の騎士の片割れは「死にたい」と譫言を唱え続け、もう一方の片割れは屋敷の一室で病死した状態で発見された。
当時まことしやかに囁かれた呪殺という言葉さえ脳裏に過ぎる異様な光景に誰もがたじろぐ中、オリヴァーは大きな虚しさと怒りに苛まれた。
己の手でラフェエルを殺すどころか、ルイスの手にラフェエルの死を渡してやる事もできず。
オリヴァーに残されたジルベルトへの弔いは、残されたルイスをはじめ、ジルベルトが愛したもの達を守ることだけだった。もうルイス以外、残っていると言えるものもないけれど。
沈黙を貫いていた国王ランドルフの「これは弔いであり、反乱ではない」という言葉により、この騒動は終わりを告げ、オリヴァーには元の地位と、一生涯の保証が国王の名において宣言される事となった。
国王への責任の追求も行われたが、仇討ちに参加した多くの王族派の貴族らが庇い立てした事により、貴族派の猛追は不発に終わり。
残りの人生をジルベルトが愛したものらのために費やし、オリヴァー・フェイブは、98歳という大往生のもとこの世を去ったのである。
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