23 記憶と成長は別である
ランドルフに許可をとったジルベルトは、その場に跪き泣き崩れた親友を起き上がらせると、一直線に己の馬車がある停車場へ向かった。
今日はシャノンへの手紙を屋敷へ届けさせるため、まだ御者を学内に留めておいたのだ。
「クレットまで頼む。その後は学園まで戻り殿下を通して私の外泊届を出しておいてくれ。明日はクレットに迎えに来るように」
「外出ではなく外泊ですか」
「殿下からの許可は得ているから心配するな」
「かしこまりました」
未だ涙を拭いきれていないオリヴァーに対し一瞥はしたものの、その後なにか反応をよこすでもなく御者は馬車を出した。
ジルベルトとオリヴァーの身分を考えて場所を選ぶとするならば王都にあるフロスト邸、フェイブ家別邸のどちらかの方が好ましい。それ以外にも王族御用達のホテルなど様々あるだろう。
けれど、なにぶん今から行われる話は誰に聞かれても頭の病気を疑われるようなものである。話の内容を重視して場所を選ぶべきだ。
レストラン・クレット。ジルベルトが長年利用している密会場所の一つ。と言っても、今のジルベルトで換算すれば3年ほどの付き合いしかないけれど。
「予約のご予定はなかったはずですが」
「急用だ。これは友人のオリヴァー・フェイブ。宿泊できる部屋をふた部屋頼む」
「……オーナーに確認してまいります」
クレットに着き、早々に御者を学園へ戻らせたジルベルト達を出迎えたのは、いつも笑顔を絶やす事のない受付の男だった。けれどその素顔は今、思い切り引き攣っている事だろう。
クレットの宿泊ルームを利用できるのは常連客のみ。3年の付き合いがあったとて、クレットではそこそこ顔が馴染んできた程度の認識。そんな客がいきなり一見の男を引き連れ宿泊させろと宣ったのだ。
門前払いしていないだけ優しい対応だった。
「オーナーに確認が取れました。ご案内いたします」
見事なほど綺麗な笑みで帰ってきた受付人に一つ頷く。
案内された先は、広くもなく手狭でもない、少し薄暗い談話室だった。
「奥に寝室がふた部屋ございます。お飲み物や簡単な食事はテーブルの上に用意しております。その他のご用命はこちらの紐を引きベルを鳴らしていただければ私がまいりますので、ご随意に」
簡潔な説明を終え扉を閉めた受付人に、ジルベルトは一つ息を吐き出した。あの受付人は夢の記憶でこのクレットのオーナーになっていたはずだ。妙な摩擦は生みたくない。
今回の件で悪印象がついたのは間違いないため、いつか何らかの形で軌道修正できれば良いのだが……と常のジルベルトなら考えていただろう。
けれど今、ここに、すぐそばに、オリヴァーがいる。
何も覚えていない子供ではなく、まだ出会って間もない友人ではなく──ただ1人、ジルベルトが心から気を許す"親友”が、今、ここに。
「オリヴァー」
名を呼ぶと、俯いていた顔が緩やかに上がっていく。
クレットに着く頃には止んでいた涙がまた頬を伝ったかと思えば、次の瞬間には、ジルベルトはオリヴァーに首を絞められていた。
幸い後ろにテーブルがあった事で倒れ込む事はなかったが、強く腰を打ってしまった。
「じ、ジル、ベルトッ!」
「なんだ」
「っ…う゛ぅ゛…い゛ぎでる゛…い゛ぎでる゛ぅ゛……!!!」
「首を絞めながら生存確認するのはやめろ」
「う゛る゛ざい!こっちがっ、僕が!どれだけお前を…!どれだけ……ッ!」
動揺しているように見えてしっかりと脈を確認しているあたりオリヴァーらしい。
絞めていると言葉で表したところで、その掌には何の力も入ってはいない。ただ目の前の現実を処理しきれずに泣きじゃくっているようだった。
苦労をかけた、のだと思う。
ジルベルトは自分が死ぬまでの記憶しかないけれど、この男はジルベルトが死んでからも生きていたはずだ。そして、その人生の幾ばくかは確実にフロストのために費やしている。
ジルベルトが愛した生家をこの男は見捨てられない。
だからこそ、決壊した涙腺からボタボタと溢れてくる涙が己の顔を汚すのは許容してやる。
「ジル゛ベル゛ドォ!!!!!」
「やめろ鼻水がつく」
鼻水は許容範囲外だ。
泣きっ面のまま抱きつこうとしてきたオリヴァーを即座にひっぺがし、近くの1人がけのソファへ投げ捨てた。
「とりあえず水を飲め。果物もいるか?」
「う゛っ、ジルベルトが僕に優しくじでる゛…」
「その反応は引くがな」
「ジルベルトが僕に返事してる゛…」
「………」
ズッズッと幼子のように鼻を鳴らす親友の姿に本気で引きかけたけれど、自分とオリヴァーの立場が逆だった場合を想像して持ち堪えた。ここまでではないにしろ涙が止まらなくなるのは確実だ。
「俺が話すたびに泣くつもりか?」
「仕方ないだろ!?お前が死んでから72年間一度たりとも忘れなかった男だぞ僕は!」
「誇るところがおか……は?」
「夢で見た記憶の限りの話だけどな!」
怒りながら言い捨てたオリヴァーに流石のジルベルトも言葉を失ってしまった。
ジルベルトの享年は26歳。そしてオリヴァーはジルベルトと同い年だ。つまり、お前が死んでから72年という事は、26年と72年……。
「長生きしすぎじゃないか…?」
長く生きて70歳の時代に98歳まで生きるなんて大往生も良いところだ。化け物だと揶揄されても反論できない。
「っ!お前は!早死にし過ぎだ!」
「……」
何も言い返せないジルベルトである。
「俺の早死にはまぁ、何も言えないが……72年…そうか、そんなに生きたのか」
72年の間一度も忘れた事はないと豪語するなんて随分酔狂な男だと思う。少なくともただの親友に向けるにはありえないほどの情だろう。けれどそれがオリヴァーという男である。
それが、ジルベルトが唯一親友と呼ぶ男。
「親友が長生きだとわかるのは、嬉しいものだな」
ころりと口から転げ落ちた言葉は全くの無意識だった。オリヴァーが聞けばただでは済まない。
案の定ジルベルトの言葉を聞いたオリヴァーはピシリと固まり、開いた口が塞がらなくなってしまった。
次いで、言い知れない怒りと、紛れもなく本物である親友との再会への喜びがない混ぜになりすぎて唇が震え、目頭が痛いほどに熱くなる。
「ジルベルト」
「なんだ?」
「頼む、一度だけ、もう一度だけでいいからっ…生きてるって、確認させてくれ…」
涙を堪えまっすぐ見つめてくる親友に、ジルベルトは仕方なさそうに笑いかけた。それを合図に、オリヴァーがジルベルトの心臓に縋り付く。
心音がしている。生きることの証が動いている。食い込むほどにジルベルトに縋り、オリヴァーはもう一度、その瞳から涙を流した。
───
「落ち着いたか?」
号泣した反動でぐったりとソファに横たわるオリヴァーに、ジルベルトが冷水を差し出しながら聞く。
目元にあてていた氷袋を少し浮かせたオリヴァーは視線をジルベルトへ向けたが、その顔が随分と意地悪いものだったから思わず逸らしたくなってしまった。
「一生言い続けるから覚悟しておけ」
「号泣をいじられ続けるのは流石にきついんだが」
ジルベルトが楽しげに軽口を叩く。
表情こそ乏しいけれど、あの夢を見た後だと感情豊かに見えるから不思議なものだ。
「ちょうどいいから聞くが、オリヴァー、今の精神年齢はいくつだ?」
投げられた質問は単純に見えて難しい。
そもそも自分の精神年齢を把握できている方が珍しいだろうけれど、そんな返しをジルベルトが求めているとは思えない。
3秒ほど考えて、オリヴァーは直感的な答えを返した。
「14歳。高く見積もっても20そこらだな」
「………そうか。同じようで安心した」
幼くして老齢のような事を言う子供もいるけれど、ジルベルトが聞いた"精神年齢"はそう言った意味ではなかった。
あのお茶会の事件から薄々感じてはいたが、ジルベルト達は別に夢の記憶を持つからと言って"成長"したわけではないようだ。現にオリヴァーは中身が98歳とは思えない号泣を見せたし、ジルベルトも26歳の若死とはいえ大人の時はもう少し感情のコントロールができていた。
26歳のジルベルトであれば呆れはしたかもしれないが、赤の他人が死にかけていようとあれほど苛立つ事はなかっただろう。
果たしてその変化を精神年齢の枠に収めて良いのかはさておき、あの夢の記憶での経験はあるようでない。まさに夢幻だ。
だと言うのに夢の記憶に囚われ、夢の記憶で味わった絶望も怒りも鮮明に思い出せるのだから、嫌がらせとはジェイダもよく言ったものだ。
「肉体年齢に引っ張られているという見方もできるが、今の俺達は歳を重ねるごとに得た成長がゼロになった状態なんだろう。一応14歳までに得たものはあるが…」
「知識だけがある、ねぇ。これ変なところでおかしい行動しそうで嫌だなぁ…」
「おまけに夢で感じた感情だけはそのままだ。俺は王宮に行った時、嫌悪感で倒れた」
「ああ…だから僕も今さっき恥も外聞もなく号泣したわけだ」
氷袋をテーブルに置き、オリヴァーが起き上がる。
「というか自然と確認する流れになってるけど、やっぱりあの夢は2人共通して見てて、尚且つ現実なの?あ、現実になること、の方があってる?」
「ああ。それ以外の情報を加えるなら、夢は魔女が見せた嫌がらせで俺がお前を巻き込んだ」
「は?魔女?嫌がらせ?」
「魔女は夢での記憶は一度人生を歩むのと同じと断言していた。回帰…時間を逆行したという認識で良いそうだ。そう言いながら成長を奪うなんて、まさに嫌がらせだろう?」
「待て待て待て知らん情報を一気に寄越すんじゃない」
「悪いな。巻き込んで」
「いやそれは謝る必要一切ないけど」
ジルベルトも悪いとは1ミリも思っていないが。
「という事で、今日は一晩休む」
「接続詞の使い方がおかしいぞジルベルト」
幸い明日はレインディオもナイガランも休日である。御者を使いに出させたので外泊届はしっかり出ているだろう。
オリヴァーの外泊届は……レインディオまで来たのも、ここまで着いてきたのも、オリヴァー本人の意思なのだ。
自分でどうにかするだろう。
「明日、朝一で魔女に会いに行くぞ」
「………はぇ?」
お読みくださりありがとうございました。




