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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
17/27

16 強みと弱みは表裏一体

 クラリス・フローレンス。

 フローレンス子爵家の令嬢であり、手芸や詩はもちろん、幼くして武芸にもその高い能力を覗かせる才女である。

 彼女が侯爵家令嬢シャノン・フロストと出会ったのは友人である伯爵令嬢が開いたお茶会での事だった。

 下位貴族を見下す伯爵令嬢の事を苦手に思っていたが、シャノンとの出会いの場を作ってくれた事だけは素直に感謝している。

 高位貴族の代表格でもあるフロスト侯爵家の令嬢。いったいどれほど高飛車なのだろうと思って話しかけたシャノンという少女は、天使の羽のような純真を纏っていた。

 新芽のようでありながら全てを俯瞰した聡明さを秘めた瞳。

 家庭教師に習った全ての語彙が見窄らしく思えるその瞳が優しげに微笑み、自分の名が呼ばれる。ただそれだけでクラリスは舞い上がるような心地になるのだ。


「クラリス様」


 ジルベルトとの挨拶を終えシャノンの方へ視線をやれば、彼女は兄に身を寄せクラリスを見つめていた。


「もう挨拶を済ませてしまいましたが、改めて、こちらは私の兄のジルベルトお兄様です」

「え、ええ、シャノン様からお話は聞いていたけど、仲が良いのね」

「そう見えますか!?」


 ずいっとクラリスの方に体を傾けたシャノンの瞳はらんらんに輝いている。

 クラリスはシャノンとジルベルトを見比べ、深く頷いた。


「もちろん。私嘘はつかない主義だもの。シャノン様とフロスト令息はどこからどう見ても仲の良い兄妹よ」

「っ〜〜!」


 何を噛み締めているのか、嬉しそうに口元を結んだシャノンが、ジルベルトの腕にギュッとしがみつく。

 ジルベルトもその行為を許容していた。

 本当に仲の良い兄弟だ。クラリスが、ジルベルトを優しい人間だと錯覚してしまうほどに。

 シャノンの愛らしさを孕む瞳とは似ても似付かぬ龍のような緑眼。見下ろされただけで足が竦む。

 クラリスは未だ自覚こそできていないが人を見極める能力が飛び抜けて高く、本能的にジルベルトを恐怖の対象としていた。


「そういえば、シャノン達はどうしてここへ?」

「あ、それは、クラリス様が私に見せたいものがあるって言うから…ね、クラリス様」

「ええ、お母様が新しく庭に植えた花がとても素敵だから、シャノン様とも一緒に見たいと思って」

「お花だったんですか?嬉しい!私最近お花に興味があって調べていたんです!」

「それならよかった!早く一緒に…あ、フロスト令息は…」


 上目で見つめると、クラリスは思いの外穏やかな顔をしたジルベルトと目が合った。


「私の事を気にしてくれてありがとう、ご令嬢。だがここは友人同士で交流を深めてくれ」

「!」


 ジルベルトの口から今、友人同士と。

 クラリスは例え誰に身分差がある友人だと言われようと気にしていなかったけれど、シャノンの実兄であるジルベルトから認められたような言葉が飛び出た事に、言いしれぬ喜びを感じた。


 クラリスとシャノンが、楽しげに庭の奥へと駆けていく。彼女らの側についていたメイド達が、「お怪我をなさってしまいます」と声を張る。

 思い出したように小さく振り返って「お手紙書くね」と笑ったシャノンを見て、ジルベルトはまた笑みを溢していた。


 そこでこつりと、ジルベルトのものではない足音が一つ。


「…子爵夫人、いつからそこに…」

「ふふっ、申し訳ありません。令息と令嬢が寄り添っているところを見て思わず足を止めてしまいました。子供達の交流を邪魔してはいけないと思い、窓からこっそりと、ね」

「………趣味が悪い」

「あらそうですか?なら、ディオン男爵令嬢も私と同じく悪い趣味をお持ちなのですね」


 夫人の言葉で噴水の方へ視線をやれば、いつの間にか近づいていたパリスが、口元に手を当てて木陰からこちらを見つめていた。

 ジルベルトに気づかれたと察したパリスの動きときたら、歴戦の間者を思わせる熟練振りである。


「素敵!!!!!素敵ですフロスト令息!!!!!」

「!?ディオン令嬢?こ、声が…」

「ここで声を荒げずどこで声を荒げれば良いと言うのですか!!!ああまるで絵画を、それとも劇?いいえこれは現実だからこそ相見える事ができる美しさなのでしょう!!!あんなにも深く美しい愛情の邂逅を見られるなんて!!!!!私!感無量です!!!」

「そ、そうか…それは、よかった?いや待て良くない、そもそも令嬢が声を荒げてはいけないだろう」

「ハッ!確かに!美しい愛のお方の側にいるのですから慎みを持って礼儀に尽くさなければなりませんね!」

「あ、愛?」

「こんなにも心が高鳴ったのは初めてです!なんて素晴らしいんでしょう!世界が薔薇色だわ!ねぇ子爵夫人!?」

「そうですねぇ」


 何を冷静に返事をしているんだ子爵夫人は。

 ジルベルトは瞬時に脳の記憶を漁ったが、いくら探したところでパリスのこんなおかしな行動は見当たらなかった。新しい彼女の一面だ。

 それがこんな突拍子もないものだなんて、さすがのジルベルトも狼狽えるしかない。

 いったい天真爛漫な彼女はどこへ…一応これも天真爛漫に当てはまるのだろうか…。


「ディオン令嬢、とりあえず落ち着いてくれ。静かに話をしよう」

「この興奮を落ち着けろと!?」

「その素直な姿は令嬢の美徳だが行き過ぎればはしたなく見える。令嬢、深呼吸だ」

「深呼吸…」

「ゆっくりだぞ」

「フロスト令息と妹君がいたここの空気を吸っている深呼吸ですね…なんと贅沢な…」

「………なぜ妹だと知っているんだ…」

「聞いておりましたので」


 ジルベルトはこの時、到底学友に向けて良いラインを超えた視線をパリスへ向けてしまった。


 その後は終始冷静だった子爵夫人中心の元なんとか依頼料の総額や腕章の型の見本などを確認し、問題なく仕事を終える事ができた。

 ジルベルトの心にパリスへの警戒心が生まれた事以外は、順調なお茶会準備の1日である。


 学園に戻るための馬車の前。


「フロスト令息、この度は改めて、ディアハニーを選んでくださりありがとうございます。フロスト令息の名に傷をつけぬよう、ディオン令嬢の期待に応えられるよう…そして何より、レインディオの中級生の皆様にお楽しみいただけるよう誠心誠意努めさせていただきます」


 遜るような言い方の影に、己の自信が垣間見える。

 子爵夫人の言葉にジルベルトとパリスは満足げな様子を見せ、各々の馬車へ乗り込んだ。


───











 フローレンス子爵家別邸、書斎。

 フローレンス子爵夫人が好んで執務室がわりにしているこの部屋へ呼び付けられたクラリスは、読書用の眼鏡をかけ、デザイン画に眼を通す母の姿を見つめていた。


「フロスト侯爵令嬢とは仲良くしているみたいね」

「はい。とても可愛らしい方で、私大好きです!」

「そう、それなら良かったわ。人脈と爵位がものを言う貴族社会とはいえ、自分を見下すような相手に謙る生き方なんてしてはいけないもの」

「それ聞き飽きました」

「大事なことよ。クラウスも理解してくれると良いのだけど…」


 クラウス・フローレンス。フローレンス子爵家の嫡子であり、クラリスの一つ下の弟である。

 シャノンと同い年でもあるクラウスだが、クラリスはクラウスの事を、内心軽蔑していた。


「お父様にそっくりなんだもの、きっとわかったりなんかしないわ」

「………クラリス、クラウスはあなたの弟でもあるでしょう。将来的にはあなたも彼を支える事になるのだし、そういう言い方は…」


 デザイン画から視線を外し、夫人がクラリスを見つめる。その瞳は心配げに揺れていた。

 クラウスは気弱な性格が災いし、嫡子であるにも関わらず使用人にさえ謙るような仕草を見せる子供だった。

 人の上に立つ事を生来得意としていないのだ。クラリスの目には、それが目上の者に対して胡麻を擂る父と重なるのだろう。

 デザイナーを夢見る町娘だった女を無理やり妻にし、領地に閉じ込めようとした男と。


「…わかってます。けど、やっぱり好きにはなれないの私」

「クラリス……」


 父と弟が違う事などわかっている。それでも仕草が、話し方が、父を思い出させる。

 拒絶されながらも無理に子供を産ませ、結局別の若い女に入れ込み母を「夢を叶えさせてやる」だなんて嘯いて領地から追い出した男と似た弟を、どう愛せと言うのか。

 クラリスの葛藤を理解している子爵夫人は、デザイン画をひと撫ですると、静かな声で話し始めた。


「クラウスは臆病だけれど、あの人とはできるだけ会わせないように育てているし、何よりあんな人よりずっと優しい心を持っている。それはあなたもわかっているでしょう」

「………うん」

「なら大丈夫、そんな不安そうな顔をしなくて良いの。あなたはちゃんとクラウスを真正面から見つめられる、とても凄い子。私の誇りよ」


 クラリスがクラウスを嫌っている一旦は、自分にもあるのだろうと子爵夫人は後悔していた。

 まだ二人が3歳と2歳の頃、若い女に入れ込んだ夫の手によって領地から放り出された。その先が王都だったのはせめてもの情けなのだろう。

 子供達を「学校に通わせるため。多くを学ばせるため」と言えば、子供に関心のない夫から引き離すことも出来た。

 男児であるクラウスだけは引き止められたが、若い女の方が領主夫人の座を狙っており、子供を産む気があったおかげでなんとかこちらに連れてくる事もできたのだ。

 夫婦間で起きた事について少しでも漏らせば即離婚だと脅されたが、気に留めるほどの事でもないように思えた。

 上手くいっていたし、すでに母として子を守らねばならないと奮起した子爵夫人にとって、王都での資金繰り以外に心を悩ませるものなどなかったのだ。


 それでも、時折心を掠める虚しさに苛まれ、気づけば聡明な娘に気持ちを吐露してしまう事があった。


 クラリスとクラウスが生まれてからこの子達を守るためだけに生きている。それを辛いと思った事も苦しいと思った事もないけれど、ふと何故自分なのだと疑問に思ってしまうのだ。

 その感情を、聡いクラリスは気付き、寄り添ってくれていた。

 だからこそクラリスは父の蛮行を知っているし、嫌悪している。

 まだ9歳だというのに、弟を純粋に愛せない事に苦悩する事になってしまった。


「お母様にそう言ってもらえると勇気が出ます。…んふふっ、それにね、お母様。同じ事をシャノン様にも言われたの」

「え…?」


 いつもなら暗い面持ちで笑う娘の明るい声に、子爵夫人は俯けかけていた顔を上げる。


「クラウスと会わせた事はないけど、少し苦手って話をして、あ、お母様達のことは何も言ってないです!ただ仲があんまり良くないって…そしたらシャノン様も、「御兄弟の事をきちんと見ているんですね、尊敬します」って」

「!…さすがフロスト家のご令嬢、私の娘の良いところに気付けるなんてお目が高いわ!」


 花のように笑う少女が脳裏に浮かび、同時に昼間訪れた依頼人の顔も思い起こされる。彼ら兄妹は方向性に違いはあれど、どちらもカリスマ性を持った人間だった。

 人の上に立つ性質を持っていると言い換えても良い。

 穏やかで物静かに、けれどしっかりと相手を射抜く少女と、若くして相手に思わず首を垂れされるような威圧感と圧倒的な存在感を持った少年。

 フロスト侯爵家の子供らの名に恥じぬ佇まいだった。彼らとの縁は、クラリスが繋いでくれたもの。


「良いお友達ができたわね、クラリス」

「はい!」


 楽しげに笑う己の一番星に夫人は愛おしさが込み上げて、もう少しだけ情けない母を支えてねと、心の内で嘆いた。

お読みくださりありがとうございました。

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