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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
16/27

15 少女の心眼

 中級生のお茶会の準備が日に日に進む中、ジルベルトは会場のコーディネート担当であるパリスと共に、フローレンス子爵家別邸へ訪れていた。

 会場全体のコーディネートは工務店ヴァラへ依頼し、候補のデザイン画は流行と伝統を取り入れた夏らしいものが上がってきた。さすが流行の中心で長年生き残ってきた老舗である。

 今日はそのデザイン画を持って、生徒の装飾品を依頼したフローレンス子爵夫人との打ち合わせだ。

 ジルベルトが同行しているのは、ディアハニーへの申請状に記された生徒名がジルベルトだったからである。

 申請するために必要だったとはいえ、推薦したのもジルベルトであるのだから、同席するのはもはや義務と言っても良い。

 フローレンス子爵夫人は急な訪問に嫌な顔をする事もなく、パリスから渡されたデザイン画に目を通していく。


「確か、学生の皆様が身につける装飾品のご依頼でしたね」

「はい。大広間のデザインと調和し、尚且つ学年クラス別にきちんと差別化されるようなデザインが好ましいです」

「爽やかさに重点を置いていますが大広間のデザイン自体にはさまざまな色が使われていますし、デザインや色を細かく分けても調和は取れると思います。装飾品は腕章でよろしいのでしょうか」

「それが一番わかりやすくて良いと思っています。中級生全体のネクタイの色が青なので6年生を青の腕章にして、5年生4年生を他の色にしたいんです。腕章のデザインは学年ごとに変える方向でお願いします」

「腕章の形のデザインですか?それとも刺繍のデザインですか?」

「フロスト令息の紹介ですから。全面的にお任せします」


 にっこりと笑いながら面倒な事を言う。それは信頼ではなく脅迫だ。

 明るいだけに見えて彼女も立派な貴族の娘らしいと理解したジルベルトは、面倒な注文の仕方をされた子爵夫人を見た。


「わかりました。凝りすぎても印象が重たくなってしまいますし、シンプルなデザインで考えていきましょう」


 若輩が先達に勝てるはずもなく、柔らかな微笑でもって返される。

 この数回の問答にパリスは満足げに顔を綻ばせていた。

 ブティックに劇場、カフェにレストラン、流行が集まる場所にできる限り足を伸ばしてきた彼女にとって、このたった数回の問答で子爵夫人が信頼に足る相手だと理解したのだろう。

 それはフローレンス子爵夫人も同じだったようで、パリスを確固たる依頼者として認識しているのはその目を見ればわかった。学生だからと侮られる心配はなさそうだ。

 自分はあくまで付き添いであり、顔を貸しているだけにすぎないと自覚しているジルベルトは、腕章の色は青系統でまとめるだとか、形は統一した方が見栄えが良いだとか、隣から聞こえてくる話を香り立つ紅茶と共に飲み下す。

 その判断はどうやら正しかったようで、嬉しそうな顔のパリスが「素敵!」と高らかに謳い、子爵夫人は「総額の計算をしてまいります!」と嬉しげに席を立つ事となった。良き事である。


「部屋の前に使用人を立たせておきますので、もし何かあればそちらの方に。腕章の型の見本などを用意したりとお時間をいただく事になりますから、屋敷内もご自由に歩いてくださって構いませんわ」

「よろしいのですか!?では私、庭の噴水を見たいと思っていたんです!とても美しい彫刻でうっとりしてしまって…」

「あの噴水の良さがわかるだなんてディオン令嬢は本当にお目が高いですね。使用人達も屋敷内の説明をできる者を置いているので、ぜひ楽しんでください」

「ふふっ、ありがとうございます!」


 パリスと楽しげに話した後、子爵夫人がその場を後にする。

 そこでやっと、ジルベルトがほっと息をついた。


「随分と打ち解けたな」

「はい!子爵夫人のような素敵な方を知らなかったなんて自分を恥じてしまいました!婦人とのご縁をくださったフロスト令息には感謝してもしきれません!」


 パリスの場合、どこまでがお世辞なのかよくわからない。


「そうか、それならよかった」

「フロスト令息も屋敷内を見てまわられますか?私は先ほど話していた通り噴水を見ようと思っているのですが…」

「私も庭に出る」

「であれば一緒に参りましょう!」


 にっこりと笑う顔を見て、ジルベルトは深々と、こういう人好きのする性格が彼女の強みなのだろうと実感した。

 子爵夫人の言葉通り部屋の前に待機していた使用人達に案内を頼み、庭に出る。フェイブ家の庭園もバランスが取れていて見事なものだったが、フローレンス家の庭園はさながら花の都だ。


「あ、あそこですフロスト令息!」


 パリスが指差した方を見れば、確かに花に囲まれた噴水がある。ジルベルトはゆっくりとした足取りで向かうけれど、パリスは我慢ができなかったのか少しばかり駆け足で噴水へ近づいていた。

 パリスについていた案内の使用人が慌てて後に続く。ジルベルトの側に残った使用人は、相手が侯爵令息であるからか少し気まずげだ。


「ここは夫人が手入れをしているのか?」

「!…い、いえ、住み込みの庭師が管理しております」

「そうか。見事なものだな」

「楽しんでいただけなら何よりでございます」


 機嫌を損ねただけで首が飛ぶ。

 使用人の脳裏には、その意識がしっかりと刻み込まれていた。


「確かフローレンス家には令嬢がいたな」

「はい。フローレンス子爵様の御息女クラリス様がおられます」

「在宅か?」

「早朝からお出かけになられております」

「………そうか」


 もし会えたなら、シャノンとの友人関係について聞いてみたかったのだけど。

 少しばかり気落ちしたジルベルトは、表情も歩幅も変える事なく噴水へ向かう。ゆっくりとした足取りだったからか、思いの外その道は長く感じられた。

 こつりこつりと鳴る革靴の音と、だんだんと大きくなる噴水の水音。

 余計な口を出す事もない使用人は極めて存在感がなく、自然と呼吸が深くなっていく。


「こっちこっち!あなたに見せたいものがあるの!」


 そんな中突如として響いた声は、軽やかに飛び立つ小鳥を彷彿とさせるものだった。


「お嬢様!?」


 驚いた様子で使用人が声をあげる。

 けれど、ジルベルトの視線は子爵令嬢と思われる少女ではなく、その手に引かれて駆け足でこちらに向かう、もう一人の少女に釘付けだった。


「シャノン」


 思わず動いた口は少女の名前をはっきりと模る。

 けれど使用人は気づかなかったのか、慌てて令嬢の元へ向かうと、その耳元へ口を寄せた。


「えっ!?フロスト!?」

「おっ、お嬢様!」


 驚いてこちらを凝視する令嬢に、またもや焦った様子で使用人が声を荒げる。

 当然だ。誰もいない空間であれば敬称なしであっても良いが、今声が届く範囲には、そのフロストの後継者であるジルベルトがいるのだから。

 子爵家の人間が侯爵家の人間を前に家名を呼び捨てにするなど無礼極まる行為である。

 令嬢─クラリスもその事実に幾許か遅れて気付いたのだろう。

 サッと顔を青ざめさせ、背筋を伸ばした。


 その後ろから、ひょっこりと顔をだす、ジルベルトにとって最愛の子。


「あ、お兄様!」


 目が合った瞬間にこちらに駆け出す存在を、拒むことなどできるはずもない。

 ジルベルトはズボンが汚れるのも厭わず膝をつき、両手を広げた。


「シャノン、久しぶりだな」

「うん!」


 シャノンの可愛らしいフリルのスカートが翻る。

 胸に飛び込んできた小さな妹に、ジルベルトは頬を緩ませた。

 たった1、2ヶ月。されど子供にとってはひどく長い時間だ。

 ぐりぐりと押し付けられる額に笑みが溢れ、その頭をポンポンと撫でる。


「シャノン、顔をよく見せてくれ」

「ん、ふふっ、うん」


 ニコニコと笑う花のような子。なんと可愛らしい事か。ジルベルトはシャノンの頬を撫でながら、その目元までも緩ませてしまう。

 そんな光景を目撃したクラリスは数秒呆気に取られ、正気を取り戻した瞬間すぐに二人の元へ駆けた。邪魔するのも悪いけれど、この状況で挨拶さえしないのは礼儀を欠く行為だ。


「ふ、フロスト令息!」

「!」


 声をかけられ、やっと周りが目に入ったのだろう。

 ジルベルトがシャノンから視線を外し、声をかけてきた少女を見やる。

 ピッタリと合った瞳に、クラリスは指先さえ動かなくなった。妙な息の吸い方しかできず、鼻にツンッと痛みが走る。

 妹を見つめていた蜂蜜のような緑眼は、クラリスに移された瞬間、人を惑わす迷林を濃くしたような色に変わった。恐ろしいとは違う。

 けれど、確かな恐怖が湧き上がる。


「君がフローレンス子爵令嬢か。初めまして、フロスト家嫡子ジルベルトだ」

「は、じめまして…フローレンス子爵家のクラリスと申します。シャノン様とは、仲良くさせていただいております」


 声は震えていなかっただろうか。

 こちらを見下げるジルベルトに対しクラリスが挨拶を述べられたのは、母に教え込まれた作法を体が覚えていたからだ。ほぼ無意識に発せられた言葉に、思わず安堵する。

 それほど、クラリスにとって目の前のジルベルトは、とても恐ろしい人物に見えていた。

お読みくださりありがとございました。

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