12 天性の戦上手曰く、あいつはシスコン
レインディオ学園、ナイガラン学園、ユリフェイエ学院。
貴族の令息令嬢を生徒とし、一部の貴族位を持たない生徒も富豪の者ばかりであり、平民は難関の特待生試験に合格しなければ通う事は許されない。
国に分布する学舎は全てこの3校のうちの1校に庇護され、支援を受けている。
言わずと知れたセイレリア王国の名門貴族校。
───その名が醜聞として紙の一面を飾ったのは、春も終わり、夏が始まろうとした頃の事だった。
学園へ通う生徒らが行っていた御者への所業。
子供のおもちゃと呼ぶには痛ましい被害者達の嘆き。それらは貴族であっても許される事ではなく、大きな反感を買う事態となった。
中でも御者らと立場を同じくする庶民らの声は大きく、次に虐げられるのは我らではないか、御者の悲鳴に耳を塞いでいた貴族を信用して良いのかと、次から次へと出る非難は不安と嫌悪の塊だった。
だからこそ一際響く喝采の声に、ジルベルトは笑みを零さずにはいられない。
誰もが顔を歪ませた事件を暴き世間に晒した者の名はランドルフ・ノア・セイレリア。
セイレリアの第一王子であり、レインディオ学園に通う一学生。
本来であれば在学校の不祥事など見て見ぬふりをすれば都合が良いものを、彼は虐げられる御者を不憫に思い国王への進言さえ厭わず守ろうとしてくれた。
挙句、一国の王子にとってはとるに足らないだろう御者一人一人に、気付くのが遅くなってすまなかったと、誠心誠意の謝罪を与えてくれたのだ。
ああなんと心根の美しい王子だろうか。彼は今、民衆の間で慈悲の英雄と持て囃されている。
「………これ、大丈夫だったのか?」
「何が」
中級生男子寮の談話室にて、新聞を読み耽っていたヴァージルがはたと呟く。
一人がけのソファでスプラウト産の珈琲を楽しんでいたジルベルトが聞けば、ヴァージルは疑わしげな顔で新聞からひょっこりと顔を出す。
「高位貴族のお偉いさん達だよ。王家と懇意にしてる家はある程度名前が伏せられたりしてるが、それにしたって高明な家の名前がこんなに…」
「確かに家名が出る事を厭う者も多かったらしいが、今回は殿下の名声と高位貴族達への牽制に舵を切ったらしい。まぁ牽制と言っても、名が並べられているのは総じて嫡子以外だったりするが」
「身代わりになったやつは…」
「当然いるだろう。それでも結局は子供の不祥事。3年も謹慎すれば名前なんてとっくに忘れ去られて、また社交界に戻ってくる。そこに書き連ねられている貴族の名前を一文一句民衆が覚えていると思うか?」
「……いや」
「最後に残るのは殿下の栄冠のみ。だからこそ陛下も貴族達の口を閉じさせる事ができたんだろう」
「………ひとつ聞くが」
普段よりも口数の多いジルベルトに、これは相当機嫌が良いらしいと察し、ヴァージルがさらなる疑問を口にした。
「殿下が民衆から有り難がられる理由はわかる…が、この熱狂ぶりは異常すぎるだろ。何かしたのか?」
そう言ってヴァージルがジルベルトへ見せたのは、ランドルフを讃える新聞の一面。
民衆がランドルフを王の子として敬い、次期王太子として期待する旨が書かれているのだが、その熱狂ぶりは一国を救った英雄にも引けを取らないほどだった。
ヴァージルがこの事件でした事と言えば、御者への聞き取りとフォローのみである。
ナイガランやユリフェイエに在籍している生徒への協力要請はタイロンやゼノが補い、全ての情報の確証を取った後、ランドルフ経由で国王へと進言した。
そこからは大人の領分だとジルベルトが一歩下がったことで、ヴァージルもそれに倣い何もせず事が終わるのを待つ事にした。
だからこそわからない。どう手を回せば、ここまで民衆の心を掴む事ができるのか。
「せっかく殿下の名が知れる機会だ。存分に使わなければ損だろう」
空になったカップを置き、ジルベルトがヴァージルから新聞をするりと抜き取る。
「こんな紙より、人の噂の方が出回るスピードは遥かに早い。挙句どこが出所かもわからないのに知り合いから聞いたというだけであっさり信用するんだ。醜聞なら特に。そこに吟遊詩人が高々と唄う王子の奮闘が加われば、主人公が誰なのかはすぐにわかる」
王子の名が広まれば広まるほど汚名となった貴族の存在は薄れていく。
王子の印象しか残さぬようにするのは、醜聞を飾った貴族達への慈悲ともなっていた。
「最初はお前も御者を憐れんで協力してるのかと思ってたよ」
「人が無意味に虐げられる事をよしとする人間になった覚えはない。これはあくまで殿下の名を高める機会だと思ったから有効活用しただけだ。たとえ利用できなくても協力はした。変な勘違いは起こさないでもらいたい」
「……そーだな、そういう奴だから相談したんだ」
「爵位が上だからじゃなかったのか」
「それはそうだろ。けど話しても大丈夫だと信用したのはお前だからだ」
真っ直ぐに見つめられ、ジルベルトは未来の話だというのに何故だか懐かしく思えて仕方なかった。天性の戦上手と称された武将は、人の心を掴むのが酷く上手かった。
責任からは逃げたいと笑うくせに責任感が強く、嫌味ったらしい絡み方をするくせに憎めない愛嬌を持ち合わせ、真っ直ぐに信じる目で人をたらし込む。
自分にはできない芸当で勝利を掴むこの男に、夢の記憶でのジルベルトは時に命運さえ預けた。
彼に信用を置かれているという事実は、将来的にもジルベルトにとって利益となるだろう。元より険悪な仲ではなかったが、僥倖である。
「こんな事はそうそう起きないでもらいたいが、また何かあったら気負わず相談してくれ。君からなら話を聞こう」
「太っ腹だな」
「私も君なら大丈夫だと信用している」
「………いきなりどうした、今までそんな事一言も言わなかっただろ」
「世間話をする程度の学友から一緒に事件に巻き込まれて解決した友人に昇格したんだ、このくらいは言葉にして伝える」
「そうか、せめてその無表情をどうにかしてくれれば俺も素直に喜べるんだが」
「信じられないか?」
「……まぁ努力はする」
シャノンの時もこの無表情が原因で怖がられていたし、やはり表情が無いというのはそれだけで信用されない原因にもなり得るのだろうか。
すでにこの世に生まれ落ちて14年も経って癖になってしまっているし、夢の記憶を見てからはより一層笑顔を浮かべるのは難しくなっている。
もちろん意識すればできなくはないが、普段から笑うとなると練習が必要かもしれない。
笑うばかりで優男の印象をつけるより無表情で厳格な印象を与えた方が、何かとジルベルトとしては楽なのだけれど。そこはおいおい考えれば良い。
「それでは私は失礼する。妹への手紙を書かなければいけないんだ」
「妹?わざわざ文通をするなんて随分可愛がってるんだな」
抜き取った新聞をヴァージルの手に戻し、ジルベルトが席を立つ。
今まで掴みどころがなく、ヴァージルにとっては高位貴族の見本のような学友でしかなかったジルベルトだけれど、文通の約束をするほど妹と仲が良いという情報が加わると少しばかり親近感が湧く。
ヴァージルに妹はいないが、家族を大切にしている点は同じなのかもしれない。
「ああ、前は怖がられていたが、最近やっと仲良くなれた」
「そりゃ良かったな。おめでとう」
ジルベルトの妹であればさぞ美形な子なのだろう。
フロスト家のご令嬢であれば教養も十分に備えているだろうし、絵に描いたような貴族然とした兄妹の姿がヴァージルの脳内に浮かんだ。
「ありがとう」
トンっと頭を小突かれたような衝撃が走り、すでに新聞に移していた視線をジルベルトの方へ切り替える。
優しい声だった、今まで聞いた事がないような。
見れば、談話室の出入り口の前で、ジルベルトがヴァージルの方を振り向いて、ほのかな火が灯るように笑っている。ただ優しく、ただ穏やかに。
誰もが行き交う談話室だが常時賑わっているわけではない。
ヴァージルは今ばかりは人がいなくて助かったと心を撫で下ろした。
ずるずるとソファに背を預けながらずり落ちる。
さっさと自室へ戻って行ってしまったジルベルトの軽快な足音を聞きながら、ヴァージルは広げかけた新聞を胸に落とし、思わず呟いた。
「めっずらしーもん見たぁ…」
笑う姿など滅多に見られるものではないというのに、妹の話をした途端にこれだ。
ランドルフが讃えられているから上機嫌だったのもあるだろうけれど、それにしたってシスコンが極まっている。
なるほどアイツは妹の話さえすれば機嫌を良くするらしいと、ヴァージルはひっそり心のノートに書き記したのだった。
お読みくださりありがとうございました。