10 長い話と主君の旧友
翌日、レインディオ学園の大ホールでは始業式が行われていた。
最大で11年間在籍する事ができるレインディオは、大半が貴族の子息令嬢とはいえ人数が多い。
盛大な夜会が開ける大ホールがあっという間に埋め尽くされ、中級生エリアにいるジルベルトは、早く終わらないだろうかと表面上は平静を取り繕いつつ、内心悪態づく。
音声拡張機越しに学園長が今年の抱負だの貴族の模範の話だのを長々と続ける。毎年同じ話を聞いている気がする。
表面上は真顔を貫けているのは、夢の記憶でお偉方の話を聞き慣れたおかげだろうか。昨夜は徹夜を余儀なくされたせいで気を抜けば一気に倒れてしまいそうだが。
レインディオの学園長に相応しい尊敬できる御仁であるし、夢の記憶でもジルベルトは学園長を恩師と敬い、卒業後も年に一度くらいは手紙のやり取りがあった。けれど話が長くて退屈なのは別だ。
『冬の進級試験では落第者が出る事もなく、学園の生徒全員が無事に進級できた事、とても喜ばしく思う。春休みの間に卒業して行った諸先輩がたも貴族の模範たりえる者ばかりだった。来週には新入生の入学式が予定されているのは知っての通りだろう。新入生の彼らはこれからより一層励むことになるだろうが、諸君も貴族の模範として、レインディオの学生として恥じない行動を、これからも常に心がけるように』
若者ははっちゃけてこそだと笑っていた口がよく回っているようで何より。
どうせ長話をするのも生徒が眠気と戦っている姿が面白いからだろう。
ちらりと上級生エリアの方へジルベルトが目を向ければ、ランドルフの口元がぴくりと反応し、次いで引き攣ったかと思えばまた平素に戻っていた。
あれは確実にあくびを噛み殺した時の動きだ。よく見ていなければわからない微細な動き、お見事である。
学園長の長い挨拶がやっと終了すると、進行役の教師が乗馬クラブの牝馬が無事出産した報告と、定年を迎えた老教師が退職する旨を簡潔に伝える。
注目が集まった老教師が軽く会釈を済ませ、また生徒の視線は進行役に戻って行った。
『ではこれにて始業式を終了とします。2限が開始される前に、各自教室へ戻り準備を行うように』
さっさと終わらせたいと顔に書いてあるところを見るに、学園長の長い話に嫌気がさしていたのは教師も生徒もそう変わりないのかもしれない。
進行役の言葉で終了した始業式後、ジルベルトは2限が始める前に約束を取り付けなければと、上級生エリアにいるランドルフの元へ向かった。
「殿下」
「ん?…ああ、ジルベルトか、どうした」
中級生が上級生エリアに行くのは例え貴族位が上でもなんとなく気まずいものだ。
たまにレインディオの格差不問の規則を勘違いして絡んでくる輩がいる事も、上級生エリアに入りたくない気持ちに拍車をかけているのだが。
それはそれと割り切って、ジルベルトはランドルフの側へ駆け寄った。
「お引き止めして申し訳ありません。放課後、お時間をいただけないでしょうか」
「急ぎの用か?」
「はい。ですが場合によっては長くなってしまうかもしれませんので、休息時ではなく放課後にお時間をいただけないかと」
うーん、と返答に困った様子で数秒考え込んだランドルフが、ふと数歩となりを見やる。
立っていたのは、ランドルフと同学年のタイロン・ゾグラフとゼノ・オルティス。
どうやらランドルフを待っているようだった。
「聞いたか?」
「もちろん。急ぎであればそちらを優先するべきだ。手合わせはいつでもできますからね」
「……私も問題ありません」
にこやかに対応したタイロンとは反対に、ゼノは不満げに了承する。彼は昔からジルベルトに対して少し当たりが強い傾向にあった。
ランドルフに学友との約束を反故にさせてしまった事を内心後悔しつつ、けれど待てよ、とジルベルトは無表情の下で考える。
話を大きくするのはどう片付けるか決定してからの方が好ましいが、この両名は夢の記憶でも長くランドルフの友人としてあり続けていた。
であれば、約束を反故にして遠ざけるのではなく、巻き込んでも良いかもしれない。二人とも伯爵位と辺境伯位の家柄であるし、立場的にもちょうど良い。
「ありがたい。では放課後に会おう、ジルベルト」
「はい。殿下、一つよろしいですか?」
「ん?」
「ぜひゾグラフ令息とオルティス令息にも同席していただきたいのです」
「あの二人に?珍しいな、自分から声をかける事も滅多にしないのに」
そりゃあタイロンはともかく、ゼノは明確にジルベルトを嫌っているのだ。ジルベルトから関わりに行く理由がない。
けれど利用できるとなれば話は別。わざと剣呑な空気を纏い、ジルベルトはランドルフへ耳打ちをした。
「早急に収束させなければのちのち禍根を残す問題が起こっています。おそらくお二方のお力添えがあれば、想定よりも早く片付けられるかと」
「そこまで言うほどの事が?」
「はい…何より」
耳打ちを終え、数歩となりの両名へしっかりと聞こえるように。
「ゾグラフ令息とオルティス令息はランドルフ殿下が信を置くご学友、私自身もお二人の事は信用しているんです」
ポカンと目を丸くしたのはランドルフ、次いで驚きつつも笑みを浮かべたのはタイロンで、ゼノはギョッと目を見開いていた。
予想通りの反応にジルベルトは内心にっこりと笑う。表面上は全く笑っていないので、多少不気味だが。
「ふはっ、フロスト令息は口が上手いみたいだな」
「笑ってる場合かよ…」
学年は違えどもジルベルトは普段からランドルフの側にいる事が多く、一見、両名とジルベルトにも親交がありそうに思えるが、実のところ会話らしい会話をした事がなかった。
それは一重に両名がフロスト家の後継者たるジルベルトと己の格差を弁え、ジルベルトがいる時は邪魔をしないよう控えているからだ。
「わかった、あの二人には私から事情を伝えよう。放課後は私達の教室まで迎えを頼めるか?」
「かしこまりました、殿下。では私は失礼致します」
時計を確認すればもう2限目が始まる10分前。
ジルベルトがその場を足早に去っていくと、ランドルフ達も教室へと足を向けた。
「殿下、フロスト令息大丈夫ですか?熱があるんじゃ?」
「数日前体調を崩して倒れてたからな…一概に違うとも言えないような気がしなくもないが…」
「お二人とも失礼な事を言ってる自覚あります?」
「ない。だってあのフロスト令息だぞ?世辞だと理解はしてるけどさぁ…」
「お前はジルベルトに対して偏見が過ぎるぞゼノ。あとあれは結構本気で言ってる時の顔だ」
「あの鉄仮面を見分けられるの殿下くらいですから…って、はい?え?ガチですか?」
「それにジルベルトは笑う時は笑う」
「嘘だぁ!」
「まぁ昔より可愛げは減ったがな…」
残念そうに呟くランドルフと、あの鉄仮面が?と首を傾げるゼノ。
タイロンはやっぱり失礼なんだよなぁと内心ジルベルトを可哀想に思いつつ、けれど可愛げがないとはランドルフも良いところを見落としているものだと思った。
こうして弾むランドルフ達の会話を聞きながら、それを羨ましそうに見つめていたジルベルトを見かけた時から、タイロンの目にはジルベルトが可愛い後輩として写っている。あんなに健気な姿を見たら可愛げがないなんて言えるはずもない。
そう考えると、期せずしてタイロンはなかなか良い場面を独り占めしてしまっているのかもしれない。
「やっぱり信じられませんよ、だって笑った顔さえ見た事ないのに…」
「その文句はサイモンに言うんだな。あれは完全に父親譲りだ」
「確か妹君がいるんでしょう?その子も鉄仮面なんですか?」
「いや、緊張しいだが気が抜ければよく笑う子だった」
「その可愛げがフロスト令息に少しでもあれば印象も変わるんですがね…」
「そうだな、昔はもう少しこう、隙があったんだが…」
だがこういう話を聞いていると、教えてやるのはフロスト令息に悪いような気がしなくもない。
事の本質を見れば一目瞭然だろうに、ゼノはともかくランドルフまで彼の隠れ上手に惑わされている。
けれどその信頼が容易く崩れるものではないという事も知っているから、タイロンはジルベルトが末恐ろしく、だけどやっぱり健気に思えて。
「タイロン、さっきから黙っているがどうかしたのか?」
「いえ、なんでもありませんよ、殿下」
あっさり教えるのは惜しいかもしれないと、タイロンはにっこりと笑みを浮かべて口を噤む事にした。
お読みくださりありがとうございました。