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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
第一章
10/27

09 学園の腐敗

 セイレリア王国内には大きく分けて、レインディオ学園、ナイガラン学園、ユリフェイエ学院の3つの貴族校が存在する。

 ジルベルトは、3校の中で最も歴史が古いレインディオ学園に属していた。

 学園の警備兵がフロストの家紋が入った馬車に気付き頭を下げる。

 長期の休みぶりに戻った学園は休み明け前日という事もあり人がまばらで、独特の雰囲気を持っている。

 レインディオは一番初めに作られた貴族学校であるため王都の中央近くに位置しており、フロスト家とそう遠い場所にあるわけではない。

 それでもジルベルトが次の休みまで帰れないのは、サイモンがジルベルトの長期休暇以外の帰宅を良く思わないからだった。

 サイモンは不器用ながらジルベルトとシャノンを愛しているが、それ以上に、同じ学園に属する第一王子ランドルフの側をジルベルトが離れる事に難色を示すのだ。


 忠義の一族とは良く言ったものだ、とジルベルトは経過する日々に比例して強く思う。

 こんなのはただの狂信者だ。


 けれどそれに疑問と疑心を抱けるのは夢の記憶を見たからであって、夢の記憶を知る前のジルベルトはその思想に一切の疑いさえ抱いていなかった。

 挙句、夢の記憶があってもランドルフへの忠義が心中のど真ん中に鎮座しているのだから、父を笑うことも出来ない。


 馬車が止まり窓の外を見れば、どうやら寮の前についたようだった。


 御者が一度ジルベルトを寮前に降ろし、馬車を規定の場所へとめに行く。

 寮で普段使いしているものは全て、長期休暇中は寮に置きっぱなしにしたおかげで、御者が運ぶ荷台の荷物も少なく済んでいた。

 大きな鞄一つを持って戻ってきた御者に、駄賃代わりの銀貨を3枚手渡す。


「ここまでで良い」

「ですが…」

「荷物を運ぶだけだ、自分でできる。それに娘が風邪なんだろう?早く戻ってやれ」

「!…ありがとうございます。何かありましたら、いつも通りお呼びください」


 学園の学生全員が従者をつける事を禁じられている。できる限りの格差をなくすという最低限の配慮の意味を込めた規則だ。

 けれどそれゆえに、連れて入る事を許されている馬車の御者が従者がわりにされる事もままある事態だった。

 実際ジルベルトの御者も元々は屋敷で働いていた従者であり、ジルベルトの入学と同時にジルベルトの身の回りの世話をするため御者に転身させられた男だ。

 ジルベルト本人としては、入学当初こそ苦戦はしたが自分の事は自分一人で片付けてしまえる寮の生活が案外気に入っているので、こうして駄賃を渡してさっさと帰らせる事も多々あるのだが。


「相変わらず甘やかしてるなぁ」

「……ヴァージルか」


 多少人の気配がする寮から出てきたのは、ジルベルトの同級生ヴァージル・スプラウトだった。


「着替えまで手伝わせる君からすれば甘く見えるかもしれないな」

「ここの生徒の大半はそうしてるぞ?殿下だってそうだろ」

「殿下がしているからと言って私も同じようにする道理はない。それと、私は御者を従者がわりにする事自体に反対はしていないと言っているだろう」

「それだって侯爵子息って立場があるからできる事だ。男爵家や子爵家のやつは舐められないために御者を虐げる事に必死だよ」

「………何が言いたい?」


 言葉を交わしつつ寮内へ入っていくが、遠回しな言い方をするヴァージルにふと足を止める。

 嫌味混じりの世間話でもしたいのかと思っていたけれど、ヴァージルの表情には軽蔑の色が浮かんでいた。

 珈琲のような深いブラウンの髪をかきあげ、忌々しげに口を開く。


「馬の様子が気になって早めに戻ってきたら、まぁ嫌なもん見ちまってな」


 ヴァージルは乗馬クラブに属しており、長期休暇の前、乗馬クラブの牝馬が身籠っていると楽しげに話していた事を思い出す。

 専門の獣医に任せてはいたのだろうが、乗馬を好んでいるヴァージルが早めに帰ってくる事には納得できた。

 さて、では嫌な事とは。

 ヴァージルは伯爵家の人間だ。まだ14とはいえ人間の汚い部分も多いに見てきている。

 いまさら子ども同士の小競り合いにめくじらを立てるタイプではないはずだ。気分は害するかも知れないけれども。

 先ほどから話題に上がっている御者の件にしても、子爵や男爵位の子息令嬢達が御者を不当に扱う事例はままある事。

 不愉快に思う事はあれど、それも口頭で注意する程度に収められることが大半だった。

 わざわざジルベルトに告げ口のような形で話に来る理由がわからない。


「ここで言えない話か?」

「……写真もあるから、後で俺の部屋に来い」


 随分と物々しい雰囲気だ。

 面倒ごとは断りたいが、ジルベルトはいつにも増して目つきの悪いヴァージルに、まぁこの男と縁を持っていて損はないか、と思い直し自室へ向かった。

 ヴァージル・スプラウト。

 学生時代の素行こそあまり良いとは言えないものの、家督を継いで以降は負け知らずの戦上手になる男。彼のおかげで治められた戦いは数知れず、ジルベルトとヴァージルは公務において関わりを持つ事が多くなる。

 この際、恩の一つや二つ売り込んでも良いだろう。


 と、そこまで考えて、ジルベルトははたと気づいた。


 そもそも夢の記憶から大きく逸れた行動をしていないのだから、今はまだ夢の記憶通りに出来事が進んでいる。

 であれば、このヴァージルからの話は、夢の記憶でも起こった事態なわけだ。


 ヴァージルがきっかけで内容を知った、御者が関わる話。


 そんなのあっただろうか。

 ヴァージルとは世間話をする程度にはそこそこ親しく、だからこそ全ての会話を覚えているわけではなかった。

 なんなら内容的に自分とは関わりがない話だとバッサリ切り捨てている可能性さえある。

 夢の記憶の14歳の自分は、まだヴァージルが頼れる武将になるとは思っていなかったので、恩を売ろうともしていなかったのだ。

 とりあえず、印象に残っていないのであれば大きな事件ではないはず。

 苦し紛れに失態とギリギリ言えないレベルの微妙なミスを誤魔化し、荷物を自室へと置いたジルベルトはヴァージルの部屋へと向かった。


「珈琲しかないぞ」

「スプラウト領の珈琲豆なら文句はない」


 ヴァージルの部屋に来て早々、スプラウト領名産の珈琲を差し出される。

 香りを先に楽しめば、なんだか少し落ち着いたような気もした。


「それで、写真もあると言っていたが本当に何があったんだ?」


 ジルベルトが切り出すと、ヴァージルは机に置いてあった封筒を手に取り、その封を開ける。

 中から取り出されたのは14枚の写真。丁寧に並べられたそれらを見た瞬間、ジルベルトは思わず顔を顰めてしまった。

 浅い傷が無数につけられ血だらけになった男。

 顔こそ無事なものの服で隠れる腹や足に青あざをつけた女。

 無造作に髪を刈られた年老いた男。

 14枚の写真には、見るに耐えない様相をした人々が映し出されていた。


「最初は御者を誹る令嬢を見かけたのがきっかけだった。俺も初めこそまた子爵か男爵家の令嬢が御者いじめをしてるのかと思ってたんだが、どうもその御者の怯え具合が異常でな」

「……その御者の写真はどれだ」

「今手に持ってるやつだよ」


 赤黒くなるほど鞭で打たれた背中の写真。背格好からして女性だろう。

 令嬢の場合、女性御者を連れる事も少なくない。


「どうやって聞き出したんだ?」

「伯爵家の名前を出した。俺なら助けてくれると思ったんだろ…可哀想に、貴族とはいえ俺みたいな年下に泣いて縋ってくるほど疲弊してたよ」

「………そうか」


 ジルベルトは逡巡し、最悪の可能性を導き出して眉間に皺を寄せた。


「ヴァージル、君が学園に戻ってきたのは…」

「3日前。そんで初日に気づいた。この写真、何日で集められたものだと思う?」

「……君の行動力に感謝しよう」


 つまり、たった3日間で10人以上の御者が被害者と判明したわけだ。

 長期休暇中も学園に残っている生徒と早めに帰ってきている生徒の御者の中だけでこの人数の被害者を見つけ出せたとなれば、休みが終わり始業してから再度探せばこの何十倍にも膨れ上がる。

 腐敗と言って相違なく、これは学園全体の問題だ。


 けれど、とジルベルトは一度思考を整理する。


 やはりこんな事件、ジルベルトの記憶にない。

 自分には関係がない事だと切り捨てるには大事すぎる事件だというのに。


「このこと、私以外の誰かに話したか?」

「いや、あとで生徒会に持っていくつもりだったからまだ誰にも。ちょうどお前と会ったから話したけどな。お前に言っておけば殿下にも伝わるだろ」

「…私に会わなければ、生徒会だけに言うつもりだったのか?」

「は?…ああ、生徒会なら公に調査しても誰も文句は言わんだろ?」


 なぜそんな事を聞くんだと首を傾げるヴァージルを意に介さず、ジルベルトは深く納得してしまった。

 このタイミングで会わなければ、ヴァージルはジルベルトに相談する事なく、生徒会にだけこの問題事を報告していた。

 そしてジルベルトがこの時間帯に寮に着いたのは、和解したシャノンと話をしていたからだ。夢の記憶ではおそらくシャノンとの会話がなかったためにもっと早い時間に寮につき、ヴァージルと顔を合わせる事もなかったのだろう。

 つまり、シャノンと和解するという夢の記憶にはない行動をしたから、ヴァージルと鉢合わせて事件を知る事ができた。

 今回は良い方向へ作用したが、この変化がジルベルトにとって悪い方向へ作用する事もあるだろう。

 大きな変動を起こしさえしなければ平気かと考えていたけれど、どうも思っているより小さな行動の変化で未来は変わってしまうのかもしれない。


「生徒会に相談するのは、少し待ってくれないか」

「…理由は?」

「おそらく生徒会はこの事を揉み消そうとするからだ」

「!?」


 ヴァージルは微かに目を見張り、眉間に皺を寄せた。


「生徒会は高位貴族ばかりだろ。自分達に関わりがあるような話ならまだしも、下位貴族の問題ならさっさと解決してくれるんじゃ…」

「本来ならそうかもしれないが、今はランドルフ殿下が在学している。殿下が知っているならまだしも、知らない状態なら知られていないうちに揉み消して全て無かった事にしようとする可能性がある」


 高位貴族と下位貴族の格差を明確にできるまたとない機会だ。

 格差社会を好む貴族子が少なからず在籍している生徒会は、本来であれば嬉々として動いてくれるかもしれない。

 けれど第一王子ランドルフが在学中にこんな不祥事を明らかにする事を、彼らは良しとするだろうか。

 現在の生徒会の中にはジルベルトから見ても頼りになる生徒はいるが、それと同じように高位貴族だからという理由だけで生徒会に入った能力のない者もいる。

 もし夢の記憶でのヴァージルがそういった権威だけに群がる連中に相談していたとするなら、ランドルフも、ランドルフの側に侍っていたジルベルトも知らぬうちに、全て揉み消されてしまったのだろう。


「この事は私から殿下へ伝えよう。あの方なら、必ず動いてくださるはずだ」


 権威を守りたい生徒会には悪いが、こんな勿体ない話を使わない手はない。

 ジルベルトの言葉を聞いて考えを改めたのか、しかと頷いたヴァージルの瞳には、虐げられる御者を助けようと考えを巡らせるジルベルトの姿が映っていた。

お読みくださりありがとうございました。

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