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ある貴族の記憶では  作者: 荻猫
プロローグ
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プロローグ

※同性愛、近親相姦、残虐描写等の要素を含むためR15推奨にしています。

 妹がいた。

 シャンパンのような淡い金の髪、愛らしさもありつつ人の芯を射抜く事に長けた緑玉の瞳。

 父が急死し当主になった挙句、若くして妻に先立たれた俺を、嫌な顔ひとつせず支え続けてくれた自慢の妹だった。

 もともと口下手で感情を表に出す事も得意ではなかった俺は、ついぞ妹に真正面から愛していると告げる事はできなかったけれど、少し緊張した面持ちで恋人を紹介された時は、思わず泣きそうになるほど嬉しかったのを覚えている。


 今まで兄らしい事などしてやれなかった。


 仕事に追われ、顔を合わせる機会も減っていた。

 心細い思いをしていると知りながら、俺ではなく乳母達といる方が気が楽だろうと寄り添う事からも逃げた。


 だからこそ、そんな権利なんてないと知りながら、妹が添い遂げたいと思える相手を紹介してくれた事が、とても嬉しかったのだ。


 妹の恋人は伯爵家の三男坊で、とにかく優しい男だった。

 と言っても気弱というわけではなく、貴族家の息子としてどこに出しても恥ずかしくない気立ての良い好青年。

 彼になら妹を任せられると心から思い、結婚の許しも出した。

 結婚式は今までに見ないくらい盛大に執り行い、花のように笑う妹に、とうとう俺は堪えきれずに泣いたものだ。

 そんな俺の姿を見て義弟となった彼は驚いた顔をした後、すぐに妹を呼びつけた。

 どうも妹は俺の表面上の無関心な態度から、自分が嫌われているのだと思い込んでいたらしい。

 それを知っていた義弟が、妹の晴れ姿で泣く俺を見て誤解があると確信したのだ。

 妹と義弟の結婚式だというのに妹と俺の対話でその日を終えてしまった事を、申し訳なく思うと同時に、妹の夫になる男が彼で良かったと心から思った。


 それからの毎日は、こんなに幸せで良いのかと疑いたくなるほど充実していて。


 義弟が正式に我が家の人間となり、妹夫婦から送られてくる手紙が日々の楽しみとなり、地位を確固たるものにもでき、なんの不自由もない生活だった。



 けれど、妹夫婦が結婚して3年目。


 一年前に生まれた甥っ子が最近活発に動き回るようになったと聞いて、視察のついでに顔を見に行こうと妹夫婦が暮らす屋敷へ赴いた時のこと。

 王都から程よく離れ自然も多い領地の一角、統治も妹夫婦に任せているけれど、街並みを見れば彼らの手腕がいかに素晴らしいか察せられる。

 ポツポツと降り始めた雨に気づき慌てて洗濯物を取り込む領民を馬車の窓から眺め、屋敷までの道のりを思い出す。

 整備こそしているが、妹夫婦が自然を好んでいるため土道が多く、雨が降るとぬかるんで馬車の進みが遅くなるのだ。

 案の定護衛として連れてきた騎士も、到着まで少し時間がかかりそうですね、と呟いた。


 結局、屋敷に着いたのは予定より1時間も遅れてから。


 お茶でもしようと思っていたのに、本当に顔を見たら蜻蛉返りしなければいけなくなってしまった。申し訳なさそうに俯く御者に気にしないように伝え馬車を降りる。

 すでに小ぶりだった雨は風に煽られザァザァと荒々しい音を立て始めていた。


「お待ちください」


 いきなり尋ねてもいつもなら使用人の誰かしらが出迎えるはずの表玄関。

 雨が降っているため庭や門付近に屋敷の者がいない事には違和感を覚えなかったが──いや、門番さえいないのは少し気に掛かったけれど──護衛の騎士が表玄関の階段下まで行ったところで、待ちの一手をかけた。


「……申し訳ありません、雨のせいで鼻が鈍りました。急いで戻りましょう」

「…何かあるのか?」

「今はお答えしかねます…街まで戻りましょう。衛兵を連れて来なければ」


 物々しい雰囲気で馬車へ戻るよう促す騎士に、否応にも嫌な予感を押し付けられる。

 騎士は俺が単独行動をする際は必ず連れ歩くほどの腕の持ち主で、並の騎士など束になってかかっても傷一つつけられないと評判の男だった。

 そんな彼がこんなにも警戒心を露わにするなど何事だ。

 それほど警戒しなければいけない相手が近くにいるのか、怯えているようにさえ見える態度を示す事態がこの先に広がっているのか──あるいは、両方か。


「わかった、それほど言うなら馬車は捨てて馬に乗って行こう」


 ここは妹夫婦の屋敷。

 最愛の彼らが被害を被っているかもしれないと考えると今すぐ走り回って彼らを探したい衝動に駆られたけれど、流石に騎士のこの反応を見て身勝手に行動するほど馬鹿にもなれない。

 御者も確か乗馬ができると言っていたから、馬を一頭貸してさっさと逃してやらなければいけない。馬車の馬では不十分かもしれないが、幸運な事にこの屋敷には人を乗せ慣れた馬が暮らす厩舎がある。逃げる足には事欠かない。

 決断したなら即行動に移さなければいけない。

 厩舎がある方へ足を向け、俺の後ろを騎士が警戒した様子でついて来る。けれど。


 ───コツッ


 物音一つしなかったはずの奥から、俺のものでも騎士のものでもない足音がした。

 思わず立ち止まると、またコツッ、コツッ、と聞こえてくる。

 これに焦りを見せたのは騎士だったけれど、ぶわりと広がった頭を殴るような鉄の匂いに、俺の足は動かないままだった。


「ああまいったな、なんでお前がここにいる?」


 大粒の雨が窓を打ち付ける雨音とともに屋敷を支配する曇天、それらが作り出した暗い影から現れた男に、絶句するしかできなかった。

 昔から側で仕えてきた、幼少の頃は遊び相手として共に笑い合った人。

 昔は、俺を兄のようだと慕ってくれた──第二王子殿下。

 その手に握られた剣の先から滴っているのは、紛れもなく血液。

 まさか、まさか、脳内がその思考を否定しようと躍起になる。一気に熱が上がったかと思えば、背筋には今にも体が凍てつきそうなほどの悪寒が走った。

 溢れ出た冷や汗が気持ち悪い。


 ───彼が妹へ恋心を抱いているのは、知っていた。


 けれど妹が選んだのは義弟だ。だからこそ、俺からも進言してその気持ちに蓋をして欲しいと頼み込んだ。

 彼もそれを了承したはずだったのに、どうして。

 騎士が俺の前に立ちはだかる。殿下は不愉快そうに眉を顰めた。


「殿下、清掃の準備は全て…おや」

「何々どったの?」


 けれど殿下が何か言葉を発する前に、その後ろから2人の男が現れた。殿下が戦場で連れている護衛の騎士。

 一方は何か、まるで人間が入ったような形をした麻袋を二つ引き摺り、もう一方の腕には、見慣れた子供の姿。

 息が、上手く吸えなかった。

 それと同時に、騎士が不穏な気配を察知したにも関わらず説明を怠った理由に合点がいく。人気のない屋敷、血が滴る剣を持った人間、人が入る麻袋。

 この状況をたとえ断片的に聞いたとしても、俺は我を忘れて取り乱していたかもしれない。


「ッ一体何をした!?」


 騎士が叫ぶ。


「躾のできた犬だと思っていたが、思い違いだったか」

「この状況、貴様がッ…!」


 ああそうだ、明白だ。


「答えてやる義理はない」


 冷ややかな視線を騎士に向け、一瞬の間に俺を一瞥した殿下は、麻袋を引き摺る騎士へ目配せをした。

 すると途端に楽しげに目を歪ませ麻袋を地べたへ放置し、俺の騎士へ剣を向ける。


「ッ!こちらへ!」


 腕を掴まれ、力む体を引っ張られる。そのまま厩舎の方へ連れられる中で、殿下と視線がかち合った。

 ああ、憎い。

 屋敷を飛び出て、厩舎へ向かう道は雨のせいですでにぬかるんでいた。

 泥に足を取られながらも必死に走る。雨宿りをしつつ待機していた御者に騎士が逃げろと叫んだ。

 この屋敷でこんな事をしでかすという事は、何かしら裏で手を回しているはず。

 俺がここに来る事がイレギュラーであるなら、俺は万に一つの可能性だけれど立場がある身だから命は助かるかもしれない。けれど、なんの力もない御者や、俺を守ろうとする騎士は、確実に殺されるだろう。

 俺達を追う男に騎士は苦虫を噛んだような顔をして、俺を背に庇う。


「お逃げください!」

「お前はっ」

「早く!!」


 騎士の怒号を浴びるまま厩舎から屋敷を囲う森へと方向を変え走った。

 足止めするためとはいえ彼が真正面から迎え撃たなければ勝てないと判断したという事は、相手も相当な手だれだったのだろう。

 走るのに邪魔な上着は早々に脱ぎ捨て、街を目指して森を抜ける。

 手元に剣があったなら、俺は彼らに立ち向かっただろうか。否、もし手元に剣があっても俺は今と同じ行動をとっていた。

 たとえ甥が相手の手中にあっても、あの麻袋の中身の見当がついていても。

 俺も己の身を守るためにそれなりの武術は収めているから、殿下に一矢報いる程度ならできた。けれど激情に流される事がどれほど危険かわかっているから、殿下の命一つでこの激情が収まるなどとは思わないから。

 するならば徹底的に。王族だろうが関係ない、市中を引き回して晒し首にしてやる。

 感情と同時に回る思考ははっきりとしている。


 ああけど、だからこそ。思考ばかりが先行して、足元を取られた。


「っ───!!!」


 森の緩い土が雨で雪崩れ、小さな崖のようになっていた。

 落ちたのだと気づくと、地面へと打ち付けられた体が一斉に痛み出す。


「ぐっ、あ゛ぁ゛っ」


 挙句、起き上がった拍子に頭から流れ落ちた血液で、頭を岩にぶつけたのだと理解してしまった。視界が歪み、立ち上がれない。

 雨と混ざって地面を汚す血液の量に奥歯を噛み締める。

 打ちどころが悪かった。すでに意識も半分以上朦朧としていて瞼が重い。

 嫌だ、嫌だ、と何度も思う。

 このまま死ねば、第二王子という立場上、殿下はいくらでも隠蔽ができてしまう。賊に押し入られた、の一文で片付けられてしまう。

 あんな麻袋の中に閉じ込められた愛しい者達を、手中に収められ眠っていた愛しい甥を、置いてはいけないのに。

 殿下の─あの男の首を、あの男が愛する者さえ殺しても静まらない怒りを、この世に置いて逝くわけにはいかないのに。


 遠く、遠くで誰かの悲痛な声がする。


 抱きかかえられたと気づいた時には、すでに視界が朦朧としていた。


「死ぬな!」


 聞き慣れた声にハッとする。

 ああ俺を抱きかかえているのは、お前か。

 気づいてから数秒間を置いて、俺は相手へ手を伸ばした。何を勘違いしたのか手を取ろうとなんてしてくるから、そうなる前にその首へ手をかける。


「し、ね、しね、しねっ」

「ッ!?」


 瞬間、ごぼりと口から吐血し、己の血で溺れかける。

 それでも、これだけは言わなければ、言ったところで、もう無意味だけれど。


「…ッ、やめっ、っ、私は…!」


 汚物が騒いでいる。


「い、ますぐっ、今すぐ!その首落として死ね!!」


 もう俺は、これを殺す事はできないから。前が見えない視界の中で、その顔を睨みつける。

 死ね、死ね、死ね。幸せの都をぶち壊したのだから、この世の苦しみ全てを背負って死に腐れ。

 ───恨みを抱いたまま、俺の意識は失われていった。

お読みくださりありがとうございました。

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