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監獄館の殺人  作者: 岸辺
3/3

犯人当て小説 解答篇


岸辺は溜息を吐きながら最後の原稿を置くと、目の前に腰掛けている青池の方に視線を上げた。青池も口元に微笑を浮かべながら、流し読みをしていた雑誌を置いた。

「読み終わったようですね—————どうです?」

「どうです————とは?」

「犯人ですよ、分かりました?」

「そもそもこれは、犯人当て小説なのか?言いたいことは沢山あるんだがね」

「まあまあ、ダメ出しは後で聞きますから。では推理タイムに入りますね」

青池は顔を上げて、辺りを見回す。

「時計かい?」

「そうです、この部屋時計置いてないんですか?」

「もう長らくは。君のその腕時計、それでいいんじゃないの」

岸辺は顎をしゃくり上げ、青池の右腕に巻かれた腕時計を示す。

「ああ、そうですね。ええと……二十分位経ってますね、それじゃ推理タイムは十分でいいですか、それとも、岸辺先生の中では既に目星がついてます?」

「まあ、なんとなくは。だが纏めるために、少し時間をもらいたい」

「分かりました、では推理時間を十五分取りますね」

青池は腕時計のタイマーをセットすると、文字盤を岸辺の方に向けてテーブルに置いた。

「そういえば、岸辺さん以前、偶然居合わせた実際の事件の解決に一役買ったっていう記事、新聞で見ましたよ。でもこの小説は、小説だからこそのトリック……というか、仕掛けをヒントに推理してもらう形になりますので、それを念頭に置いてくださいね」

「お褒め頂けるのは光栄だが、早くしてくれよ」

岸辺はテーブルの端に投げ出されていた煙草ケースから一本取り出し、ジッポライターで火を付けながら云った。

「そうですね。では今から十五分です」

青池はタイマーを開始し、再び雑誌を開く。


真剣な面持ちで原稿を凝視していた岸辺は、一度顔を上げた。そして、青池からペンを受け取ると、読んでいた原稿を裏返して白紙に何かを書き始めた。

そこでテーブルに置かれた時計が控えめなアラームを奏でた。

青池は雑誌を置いてアラームを止めると、再び腕時計を腕に巻きながら顔を上げた。

「では、犯人を聞かせてもらってもいいですか」

好奇心旺盛な子供のような面持ちで、青池は岸辺の答えを窺う。

「その前に、ちょっといいかな」

岸辺は右手で顎をなぞりながら、不服そうに顔を傾げる。

「作中で提唱された、青治和香と使用人の自殺説や、ご主人による選抜の一環としての死んだふり説……確実に殺人が起きる犯人当て小説において、存在する意味はあるのか?」

しかし、青池は鼻白む様子もなく、

「それは……まあ仕方ないんですよ。二日間で描き終えて持ってきたので、まだまだ粗はあると思うんですが、そこはどうぞ見逃してください、ね」

と、青池は顔の前で両手を合わせながら、照れ臭そうに微笑む。

「ん?まあいいさ」

「それで先生……ズバリ犯人は?」

青池はまたぞろ真剣な面持ちをつくると、岸辺の顔を覗き込むように顔を近づける。

「犯人は————」

岸辺は煙草を銜えた方の口角を釣り上げながら、青池に視線を返す。

「君だろ」

岸辺は原稿に視線を落としながら、そう呟いた。

青池は一瞬愕然と目を見開いたが、すぐさま口元に笑みを湛えながら、

「成程、では推理をお聞かせください」

と云いながらペンを握り、一枚目の原稿の人物紹介に記された、青治哀都の名前を円で囲った。

目下の原稿に視線を落としたまま、岸辺は吸殻を灰皿に捨てた。

「犯人当て小説なのだから、動機は度外視でいいんだよね?」

青池は口を噤んだまま、真剣な面持ちで一度頷いた。

「まず読んでいて感じたのは、この小説、やけに描写が淡々としていて、記録のように感じた。それも当然で、登場人物の言動しか描かれていないからね。人物の心情や思考が一切描かれていないが、まあ犯人当て小説なのだから全員が三人称で描写されているのだと納得した」

そこまで話し終えると、岸辺は無言で聞き入っている青池の視線に構わず、煙草ケースから次の一本を取り出して火を付け、悠然と吹かして、

「ただ、地の文の一部に、何やら個人の主観の混じった描写があった」

と云うと、そこでまた紫煙を燻らせる。

「その内の一つは、最後の尾崎の描写なんだが、彼は結局死んでしまっているから、犯人ではないと云うことになる。ここで尾崎の主観になっているのは、隠し扉および通路の発見を描くために必要だったと云うことかな」

「まあそんな感じです。この通路の描写だけは例外として下さい。最後まで行動のみの記述だと流石に味気ないかなと思って、ここは昨日付け足しました」

「へぇ、それで二つ目なんだが……」

岸辺はそこで口を閉じ、首を傾げながら少し考え込んだ末、

「まあそれはまた後にしよう。君、僕が読み始める前のルール説明の際に、地の文に何か仕掛けを施したと、そう云っていただろう。それを思い出して、改めてこの作中の文章を読み返している内に、ある一つの疑念が沸いた」

その時外で聞こえていた雨音が突然強くなり、その音に二人は同時に窓の方に顔を上げた。

岸辺は特に何も云う事なく紫煙を吐き出すと、視線を青池の顔に戻し、

「その前にまず、独力では満足に動けない主人が、選抜においてどのように候補者達の様子を観察するのか。作中で尾崎が云っていたように、館中に盗聴器のようなものが仕掛けられており、それを通して候補者の動向を把握しているとも考えたんだが、それでは音声だけしか把握できないし、効率を考えればあまり良い手とも云えない。そこで最後の、既に死んでいる主人が居たB-3の描写。直接的に示されてはいなかったが、照明が一つも点いていないはずなのに、やけに明るいあの部屋こそ、監視室だったんじゃないか。主人はあの監視室から、各部屋に取付けられた監視カメラのようなものを通して、候補者の様子を観察するつもりだったのだろう。随分趣味の悪い仕掛けだと思わざるを得ないが、この館も元は監獄だったのだから、その名残と云うことで理解はできる。大凡各部屋にある排気口の中にでも取り付けられていたんだろう。だが、主人は犯人ではない」

青池は何も口を挟むことなく、真正面から岸辺を見据えている。

「となると犯人は、早い段階でこの隠し部屋の存在に気づいて主人を殺害し、この監視室で他の候補者の様子を常に観察していた。君の云っていた、地の文の仕掛けとは……つまり、この小説の地の文全てが、犯人視点で描かれていると云うことかな。隠れた犯人と云うタイトル、言い得て妙だな」

岸辺はそこで顔を上げ、微笑を湛えたままの青池の顔を窺う。

「続けてください」

と云う言葉に、岸辺は一度「フン」と鼻を慣らし、

「唐突な場所の移り変わりや、節々に挟まれる、自室での候補者達の様子の記述。これも全て、監視カメラで観察していた犯人視点になっていると云うことだ。初日の夕食の場面の料理の描写、白身魚との記述。それに、自室での尾崎の描写。何かを書いていた……とある。これは、その場に居なかった犯人が、監視カメラの画面からだと、具体的に何の魚なのか、何を書いているのかまでは判別できなかったから、このような曖昧な表現になっているんだろう。それにあの終盤の、異様な野田の目の描写も説明がつく訳だ。野田は他の人間に鈍器を振り落とした訳ではなく、何かの拍子に発見した監視カメラを破壊したのかね」

岸辺は一度チラリと視線を上げて青池の様子を窺う。

青池は膝の上に肘を突き、その手を額に当てながら少しの間首を傾げ、

「そうですね、先生の言う通りです。確かに僕の云った仕掛けとはそれです。ただ、犯人視点で描かれているからと云って、犯人を含めた登場人物全員の行動の描写に、一切の虚偽はありませんので」

岸辺は軽く返事をすると、すぐさま目下の原稿に戻し、

「つまり犯人は、各部屋に取り付けられた監視カメラと隠し通路を用いて、候補者の隙ができたタイミングで自由に部屋に侵入できた訳だ」

そこで、岸辺は三度顔を上げ、熱心に頷いていた青池に問いかけた。

「そういえば、君も一本いるかい?」

岸辺は煙草ケースから二本取り出し、一本は自らの口に銜えながら、青池の前に差し出した。

「えっ、良いんですか。どうも」

岸辺は銜えた煙草に火を付けながら、美味そうに煙草を燻らせる青池を眺める。

「それで……地の文全てが犯人の視点であるならば、他の部屋を観察している時に犯人は監視室にいる必要がある。よって、犯人自身が居間にいる時は他の部屋の描写はされていないことになる」

そうして岸辺は目の前の原稿を何枚か捲り、

「そうなると、居間に残っている状態で他の部屋に視点の移った、野田と尾崎は犯人から除外できる、これによって、犯人である可能性があるのは、必然的に落合斗亜と青治哀都の二人になる訳だが———斗亜は誰かにナイフで襲われた描写があるよね」

「と云うことで、青治哀都が犯人だと?」

青池は右腕の腕時計を確認しながら尋ねた。

「まあ、そう焦るなよ。それともこの後、何か用事でもあるのかい?」

「いいや、そう云う訳ではないのですが……」

「そうかい、ならまだ続けさせてもらうが」

岸辺は紫煙を大きく吐き出し、

「もう一つ気になったのは、手だ」

と云うと、青池は意味慎重な笑みを浮かべながら頷いた。

「作中何かと手に関する描写が多かった。右手で握るだの、左手で持つだの、やけに登場人の利き手を意識させようとする記述が随所に見られた。それであの使用人……郡が犯人に襲われたあの場面。部屋の扉を背にして犯人と向かいあった状態で、無抵抗の彼女は犯人に腕を掴まれた。そしてその後の遺体発見の場面では、左腕の内側、肘窩に注射痕が見られた。つまり彼女が掴まれたのは左腕だ。あの緊迫した状況下で正確な位置に針を刺すためには、利き手ではない方の腕で使用人の腕を掴んで固定し、利き手で注射器を刺す方が確実だ。となると、真正面にいる犯人は右手で使用人の腕を掴み、左手で注射器を刺した事になる……だから犯人は左利きである可能性が高い」

そこまで一気に云い終えると、岸辺は両手を伸ばして、目の前に向かい合っている青池の左腕を掴んで、

「仮に右利きだとして、左手で彼女の左腕を掴み、その左腕の肘窩に右手で注射すると云うのはあまりいい案とは云えない。いくら使用人が無抵抗だったと云っても、注射の際に背を見せる事になりかねないし、そもそも、左手で掴むとしたら左腕の二の腕になるが、それでは関節が動くから固定はできない。やはり、犯人は左利きであり、右手で彼女の左手首を掴んで固定し、その肘窩に左手に持った注射器の針を指したんだろうね」

実演を交えながらの説明を終えた岸辺は、伸ばした両手を肘掛けの上に戻した。

「で、肝心の哀都はさっき確認したところ右利きだった。作中の登場人物の中で利き手が左なのは、使用人郡と斗亜の二人。つまり、犯人は斗亜しかいないことになる」

岸辺は口元を釣り上げながらそう云うと、再び原稿を捲り始めた。

「そう云うわけで、監視カメラで他の人間を観察していた犯人が斗亜として読み返してみると妙な発見もあった。先程例に出した、斗亜不在の初日の夕食の場面の白身魚との記述や、自室での尾崎の、何かを描いていた————と云う記述。どれも、監視カメラの画面だと正確に視認できなかったから、このような曖昧な表現になっていると云ったが、自室で斗亜がハムスターに餌を与える場面では、正確に向日葵の種とある。小さなものは正確に把握できないはずなのに———だ。これも、監視カメラ越しに見ていたのではなく、斗亜自身が餌を与えていたのだから、向日葵の種だと詳細な記述ができるんだよ」

そこで、それまでテレビから流れていたバラエティ番組が終わり、夕方のニュースを淡々と読み上げるニュースキャスターの声が聞こえ始めた。その声に岸辺は一度顔を上げ、視線をテレビに向けた。

「続けてください、テレビは消してしまいましょうか」

そう云って青池はテレビに向けたリモコンをテーブルに戻すと、無言で次を促す。

岸辺は少しの間消えたテレビの画面を眺めながら煙草を吹かし終えると、吸殻を灰皿に擦りながら再び口を開いた。

「とすれば、後は芋づる式に証拠が出てくる。斗亜が居間にいる時には、他の部屋の描写は無いし、極め付けは青治和香の遺体の発見後に主人の部屋に向かった場面。意図的なのか、単純に君のミスなのかは分からないが、ドアノブを握った斗亜が背後の使用人の方を振り返る場面に、こちらを眺めている使用人、とある」

岸辺は一度手に持った原稿から視線を上げ、青池の表情を窺った。

目の前の彼は先程から少しも表情を変える事なく、常に口元に微笑を湛えたまま、岸辺の話を真剣に頷いている。

「そうなると、斗亜が襲われた場面がネックになってくる。だがこの場面、元来場所が示された上で文章が続いていたのに、A-6の尾崎の様子が示された後————その隣の部屋では————と、その前置き無しに場所が移行している。思うに、尾崎の使用していたA-6の北隣のA-7、斗亜の自室に犯人が侵入してきて襲われたのではなく、南隣のA-5、哀都の部屋に侵入した斗亜が、哀都にナイフで反撃されたんだ。ナイフを握った右手という記述があるが、哀都は右利きだしね」

岸辺は眼鏡のブリッジを中指で軽く押し込むと、後ろに倒れ込むようにソファに凭れ掛かった。

「大体は話したかな。とりあえず以上だ」

「あの短時間でここまで……」

とうに吸い終えていた煙草を未だに銜えていた青池は、それを灰皿に置くと、漸く口を開いた。

「では、結局犯人は青治哀都ではなく、落合斗亜という事でよろしいですね」

青池は膝に乗せていた、人物紹介のページの原稿をテーブルに置くと、青治哀都の名前を囲った丸に二重線を引き、新たに落合斗亜の名前を丸で囲った。

「君、何で青治哀都を囲ってたんだ?僕は最初に云ったろう、犯人は君だって」

岸辺は新たな煙草に火を付けながら、愕然とした面持ちの青池を見上げた。

「君が落合斗亜なんだろう」

岸辺は顎の下を指で擦りながら続ける。

「君、最初云ってたよね。名前は変えてあるが、自分も登場しているって。最初は文字通り、ただ名前の漢字を変えただけだと思ったんだが————君、左利きだよね。コーヒーを飲んでいた時にふと気になって、一応の確認でさっき煙草を渡してみたんだが、君はやはり左手で煙草を持ち、左手で吸い殻を捨てた。それに、一般的に利腕の反対につける腕時計も、君は右腕に巻いている」

岸辺はそう云いながら、青池の右腕に巻かれた腕時計を指さした。

「それに、作中で野田は青治母子について、蛇の母子と形容した。それに文中に和香は一重だという記述がある。実在する人物を元にした登場人物だと云っていたが、子供のような丸い目の君が、とても蛇と形容されるとは思えないんだよな」

岸辺はそこで一度コーヒーを啜ると、他の原稿の山から離れた所に置かれていた一枚の原稿を裏返して、

「もう一つ興味深い発見があった。落合斗亜、これをローマ字にして、OTIAITOA。これを反対から読むと、AOTIAITO———青治哀都になるって訳さ。最初は、おちあいとあ、の名前の中に、〔あいと〕が入っていることが気になって検べてみたんだが。正直これには驚いたよ。これは君の遊び心か、はたまたこれも、僕を騙すためのブラフだったのかな」

青池はその質問に答える事なく、

「そこまで解っていたとは……」

と呟きながら、青池……落合は腕時計に視線を落とした。

「では、解答篇といこうか。犯人はやはり落合斗亜なんだろう」

岸辺は長きに渡る説明を終え、これまでより肩の力を抜いた様子で云った。

しかし目の前の落合は口を噤んだまま、話しだそうとしない。

「どうした?ここまで来て、解答篇は完成していないってのはナシだぜ」

「すみません、解答篇は紙に起こしてはないんです。ただここに、あるにはあるのですが……」

落合は自身の顳顬に左手の人差し指を当てながら、決まりの悪そうに呟いた。

「さっき用事は無いと云ってしまったんですけど……実は僕、これからどうしても外せない用事があるんですよ……」

「おいおいおい、ここまで語らせておきながら、それはないだろう」

明らかに機嫌の悪そうな岸辺は眉間に皺を寄せながら、申し訳なさそうに視線を足元のフローリングに落とした落合を睨め付ける。

「あの短時間で先生がこんなにも推理してしまうとは思っていなかったので、解説の時間が無くなってしまいまして……申し訳ないです」

「まあいいや。ここ最近はずっと原稿と向き合っていたから、今日は良い気分転換になったよ。解答篇が描けたらまた遊びにでも来てくれよ」

その言葉に落合は微笑で返し、テーブルの上に散らばった原稿を綺麗に纏めると、デイパックのチャックを閉じてソファから腰を上げた。

「自分から勝手に訪ねておきながらすみません、先生。どうしても今日会っておきたかったので。ちなみに岸辺さんの推理通り、犯人は落合斗亜で、小説全体が斗亜視点で描かれています」

「ああ知ってるよ。で、何で殺した?」

落合の後に続くようにして席を立った岸辺は、玄関口に向かって歩き始めた落合に向かって尋ねた。

「えっ」

落合は戸惑いながら後ろを振り返り、怪訝な面持ちで岸辺の顔を見遣る。

「動機だよ、作中で落合斗亜が六人を殺害するに至った動機。いくら犯人当て小説だからと云っても、相当の動機が無いと六人を殺す事になんかならないだろう」

玄関口で靴を履いている落合を見下ろしながら、岸辺は悠然と煙草を吹かしている。

「ああ成程、動機か。強いて云えば、———祖父への抵抗———ですかね」

落合はそう云って立ち上がり、傘を握って岸辺が開けたドアから出ていく。

「抵抗……?どう云うことだ?それじゃあ祖父以外の五人を殺す理由にはならないだろう、もっと合理的な理由が必要だ」

「そうですかね……・」

ふとその時、これまで常に微笑を讃えていた彼の表情に、一瞬翳りが見えた。

落合はお辞儀しながら岸辺の前を通って外に出ると、そこで一度腕時計を見下ろした。

時計の針は、四時を少しまわっている。

「そうだ、もしかしたら……」

そう云った落合はドアの裏側に回り込み、ドア越しに郵便受けを開く音がした。そして、「あ、やっぱり」と、ドアの裏から再び顔を出すと、左手に持ったものを岸辺に見せて、

「これ、今日の夕刊ですよね。少し拝見しても?」

落合はそう云って束になった新聞を開くと、紙面をざっと流し読みし始め、紙面の一部でその目を留めると、「ああ、あった」とひとりでに呟いた。

「どうしたんだ。何を見ているんだい、君は」

落合はやがて開いていた紙面を綴じると、胡乱な目を向けている岸辺に差し出した。

「この一面を読んでみて下さい。云うなれば、これが解答篇です」

言葉の意味を捉えかね、手に新聞を持ったまま呆然と目の前の落合を眺めている岸辺に、

「勝手に訪ねてきた僕が云うのもなんですが、あまり見知らぬ人を家に入れない方がいいですよ」

と、落合は純粋無垢な笑みを浮かべながら云った。

「えっ、ああ、そうだな」

と、曖昧な返事をする岸辺に続けて、

「本日は突然の訪問にも快く招き頂きありがとうございました。これからも先生のこと応援してますから、ではこれで」

落合はそう云うと、一度丁寧にお辞儀をして去っていった。

その姿が見えなくなるまで呆然と眺めていた岸辺は、ドアを閉めながら、手に持った新聞に目を向ける。

落合が表にした紙面を目で流しながら、ソファの横を通り過ぎてベッドの前で止まる。

そこで倒れ込むようにベッドに横になると、うつ伏せの体勢で顔を上げ、本腰を入れて読み始めた。

初めの見出しを認めた瞬間に、突如として嫌な予感が首を擡げ、心臓の鼓動が加速し始めた。


以下、M××新聞六月七日(水)夕刊より抜粋


×県北西部の燕脂島で、落合グループ関係者が大量殺人か


今月四日から燕脂島の別荘を訪れていた六名が殺害されるという悲惨な事件が発生した。

この島には、島の持ち主で落合グループ前会長の落合智弘氏の誕生日を祝うために、落合グループに所縁のある六名が四日から訪れていたと云う。昨日六日、本土との船の送迎を担当していた舟本さんの通報で警察がこの島の捜査に乗り出した。そして警察は、誕生日会の舞台であった落合氏の別荘、通称監獄館の居間で、落合鉄鋼社長の野田康平さん(44)、日比谷工業社長の尾崎幸介さん(41)、落合産業役員の青治和香さん(42)、和香さんの一人息子の青治悠人さん(23)、三年前から落合智弘さんの使用人として働いていたと云う郡洋子さん(52)、計五名の遺体が並べられているのが昨日発見された。そして今日七日、一つの部屋から隠し通路のようなものが発見され、その先にあった部屋で、新たに落合智弘さん(67)の遺体が発見された。また、この会の参加者の中で唯一消息不明となっている落合智弘さんの孫落合斗亜さん(24)が書いたと思われる手記が発見された。以下、手記から抜粋。


警察の皆様


はじめまして

突然の報告になりますが、私、落合斗亜が、落合智弘、郡洋子、野田康平、尾崎幸介、青治和香、青治悠人の六人を殺しました

理由は、至って単純なものです

祖父落合智弘に、私は落合産業の時期会長には相応しくないと云われたからです

私が会長になれないなら、落合産業及び落合グループが存在する意味などないです

なので、殺しました

しかし、私は皆様に余計な手間を取らせるつもりはありません

私は現在或る作品を執筆中の為、皆様の前に姿を出すことができないのが心苦しいのですが、今は少し時間が欲しいのです

新たに罪を重ねるつもりもありませんので、どうぞご安心下さい

六月七日午後五時丁度に、隣県の××警察署に丸腰で伺います

重ねてとはなりますが、皆様に余計な手間を取らせるつもりはありませんので、予めご協力をお願いします

                              落合斗亜


サインの下には本人のものとみられる拇印も確認されている。

警察は現在、落合斗亜容疑者を一連の大量殺人の容疑者として指名手配を行っており、現在×県と周囲三県を範囲として、容疑者の捜索を進めている。




岸辺は一度も瞬きをすることなく記事を読み終えると、一度上体を起こして、新聞を傍に放り投げた。

そして岸辺は、未だ興奮状態の脳内で、少し前の記憶を追想する。

実際の島での出来事を小説だとは云っていたが。

その脳裏には、彼の見せた表情の幾つかが連続的な映像として浮かび上がっていた。

ドアの外で懇願していた彼の、今にも泣き出しそうな程の必死な顔……

ニュースを見た彼に、小説と現実を混同するなと云った時の、あの不満げな表情……

動機を指摘した時に一瞬だけ彼が見せた、あの深淵を見つめるような無感情な目……

何故彼は、ずっとグローブを着けたままだったのか。

本当に、あのグローブの下の右手には————

何故彼は、連続殺人を犯す程の怨嗟を抱いたのだろうか。

何故彼は、自らの犯行を小説にしたのか。

何故彼は、最後に僕を訪ねたのか。

本当に、以前このマンションで偶然僕を見かけてここを知ったのだろうか。

決して答えの出ない疑問と得体の知れない恐怖感が、今なお身体の奥底からとめどなく溢れてくる。

そうして岸辺は重たい頭を抱えながら、ベッドに横になった。



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