第三話 逃亡
「待って! マダム、話を聞いて!」
スラウブが薬屋のマダムの肩を掴む。だがパニック状態の薬屋のマダムは強引にスラウブの手を払い、走り去ろうとする。
「待って! 落ち着いて!」
スラウブが止めようとし続けるも、とうとう薬屋のマダムは人が多くいる所までたどり着いてしまった。
――まずい……!
「助けてえええ!」
薬屋のマダムが放った渾身の叫びに、人々がこちらを振り向く。
「なんだ? どうしたんだ?」
「ちょっと何?」
「助けてって、叫び声がしたぞ」
スラウブの恐れていたことが、現実となってしまった。
「人殺しよ! あそこにいるわ!」
そして薬屋のマダムが指さす方向にいるスラウブに、人々の視線の矢が一斉に注がれる。
――クソっ……!
スラウブはすぐ横にあった抜け道に駆け込んだ。
――逃げなきゃ……!
圧倒的に危機的な状況であった。
クララを救うためであったとはいえ、<セレッサ>が落とした【指輪】を盗み、それを売り払った。その【指輪】は、独裁者プラウルのものだ。しかも【指輪】を探せという命を受けた<セレッサ>とその部下たちを、殺害してしまった。さらに、自身は嫌われ者の元<スキーモ>という立場である。
――もう、トルオス王国を離れるしかない……!
スラウブの頭の中には、即座に浮かんだ一択しかなかった。自身の巨体を揺らしながら全速力で走り、なるべく人通りの少ない道を選びながら、家に向かった。
*
「おかえりなさい、スラウブ」
スラウブが家に戻ると、クララがすぐに出迎えてくれた。その顔に、ベッドで寝たきりだった時の面影は全くなく、血行のいい晴れやかな顔をしている。
「今日はスラウブが作ってくれてた生姜スープを作ってみたのよ。私のもきっとスラウブみたいに……」
言いかけたところで、クララはスラウブの異変に気付く。
「ねぇちょっと、大丈夫?」
荒い呼吸、尋常じゃない汗の量、青ざめた顔、久しぶりに見るようなスラウブの姿。それはまるで<スキーモ>の時のようであった。
「クララ、ここから離れるぞ!」
切羽詰まったような、スラウブの声。
「え? どういうこと!?」
困惑するクララをよそに、スラウブが荷袋に松明や食材、小さい鍋にナイフといった様々なものを詰め始める。
「ちょっと、スラウブ!」
そしてしまいには、家の片隅にある小型のクロスボウまで取り出した。
「ねぇスラウブってば! 何やってるのよ!?」
スラウブが左肩に様々なものを詰めた荷袋と小型のクロスボウを担ぎ、強い口調で言うクララの手を右手で強引に引っ張って家を出る。
「行くぞ!」
スラウブの突然の行動に、クララは困惑する一方であった。
「全然意味わからないってば!」
自分の手を凄い力で引っ張るスラウブの手をクララも必死に引っ張り、スラウブを止めようとする。
「止まるな! 一緒に走るんだ!」
だがスラウブは、そんなクララにもお構いなしだ。まるで、何かから逃げているかのようであった。
「ねぇスラウブ、お願い、一旦止まって! まずは話を聞かせてからにしてちょうだい!」
クララがそう叫んだその時、
「あそこ!」
「奴だ!」
「いたぞ! 追え!」
後ろの方、小規模な森を抜けた辺りから多数の男たちの声がした。
「え……? あれは、トルオス王国軍兵士!? どうして……?」
その男たちの格好は、遠くからでもわかるほどであった。嫌な予感がして、クララの顔が蒼白になる。
「まずい、来てしまった」
スラウブの焦る声と、手を引っ張る力が強まったことで、クララは何かまずいことが起きていることを確信する。
「ねぇスラウブ! 一体何をしたの!?」
クララの問いには答えず、スラウブはただひたすら懸命にその場を離れていくだけであった。
*
気が付くと、スラウブとクララはいつも『メリア』へ行くために通る小規模な森とは反対側の森の奥まで来ていた。すでに辺りは暗くなっており、スラウブは小さく松明の明かりを点ける。
「大丈夫か?」
はぁはぁと息を激しく吐くクララの背中をスラウブがさする。クララは《エリクサー》のおかげで容体がよくなったとはいえ、体力の方はまだ戻している最中だ。
「ねぇ……何を……したの……? 答えて……よ」
途切れ途切れの言葉で、クララがスラウブに問い詰める。
「それは……その……」
すると、おどおどするスラウブの目に、ぼんやりとした別の明かりが映り込んだ。
「クソっ!」
トルオス王国軍兵士だ。ランタンを手に、二人のことを追いかけてきたようである。
「隠れるぞ!」
スラウブが急いで松明の明かりを消し、クララと共にその場から少し離れた所の木の陰に隠れる。そして、兵士たちが過ぎ去っていくのを待った。
だが兵士たちは、スラウブが松明の明かりを消した辺りの所で止まった。
「まだ遠くには行っていないはずだ! 散らばって探すぞ!」
部隊長による散開の命が出て、兵士たちが各々でスラウブとクララを探し始める。
「まずい……」
スラウブは木の陰から散らばった兵士たちの人数を確認した。
どうやら、部隊は全部で八人いるようだ。
クララが疲れを見せており、このまま走って逃げるのは厳しそうであった。
「クララ、ここに隠れているんだ。いいな?」
スラウブが小声でささやきながら大剣と荷袋を置き、右手に小型のクロスボウ、左手にナイフを握る。
「え……どうする気……?」
その様子を見て、スラウブが何をしようとしているか察したクララが青ざめた。
「あいつらを始末してくる」
言って木の陰から飛び出そうとするスラウブの腕を、クララが掴む。
「何言ってるの!? そんなことしたら私たち……」
「トルオス王国にはもう、戻らない」
振り向きざまにそう言い放ったスラウブに、クララが言葉を失った。
「いいな、ここで待ってるんだ」
スラウブがクララの手を払い、木の陰からそっと飛び出す。
「ちょっと、スラウブ」
行ってしまった。兵士たちの方へと。
――トルオス王国にはもう、戻らない。
今度こそ、二人で平穏に暮らしていけるものだと思っていた。だがまたしても、神はそれを許してくれないようだ。
「どうして……」
失意のクララがスラウブに言われた通り、じっとその場で息をひそめる。
スラウブが、無事に戻ってくることを信じて――。
「いるんだったら素直に出てくるんだ。どのみち、貴様らは一生タダでは済まされないぞ」
今が夜でよかった。自身の巨体をなんとか茂みの中に隠しながら、兵士の様子をうかがうスラウブはそう思った。辺り一帯でけたたましい鳴き声を上げている虫たちも、自身に味方してくれている。
だが兵士の視界に入らないように、かつランタンの明かりに照らされないようにしなければならない。
クロスボウの射程内に、兵士がいる。その兵士からそう遠くない所にも、別の兵士がいる。上手く誘い込めれば――。
射程内の兵士と別の兵士からほどよく近い所までスラウブはあえて行く。
――よし、この辺で。
スラウブは射程内の兵士にクロスボウの照準を定めた。一瞬歩みを止めた兵士の頭に、クロスボウの矢を放つ。兵士が声を上げることなく、ばさっと音を立てて倒れる。
「なんだ?」
別の兵士が、音がした方へと歩み寄っていく。スラウブの計算通りであった。別の兵士の背後に回り、ゆっくり間合いを詰めていく。
「おい! 大丈夫か!?」
別の兵士が倒れている仲間を見つけたところで、一気にスラウブは別の兵士に近づき、ナイフで喉を搔っ切って、その場を急いで離れる。
兵士はこれであと六人。クロスボウの矢は、あと三本であった。
スラウブは、ナイフで安全に倒せそうな兵士は慎重に近づいてできるだけ静かに倒し、クロスボウで仕留める時は確実に兵士の頭を射抜ける距離まで近づいて倒していった。
気付けば、兵士たちの数は残り二人となっていた。
――いける……!
だがその時、
「きゃあああああ!」
聞こえてきたのは、悲鳴であった。甲高く、明らかに兵士のものではない。
「クララ!」
スラウブが隠密行動をやめ、一目散に走って悲鳴の方へと向かう。
「いたぞ! 奴だ!」
すると悲鳴の方とは違う横方向から、一人の兵士が現れた。兵士の数は残り二人。ということは、この兵士ではない別の兵士が、クララを見つけてしまった可能性が高い。
「観念しろ!」
剣を抜き、兵士がスラウブに突っ込む。兵士の足は速く、あっという間にスラウブに斬りかかってきた。
「邪魔するな!」
クララを守りたい一心のスラウブが左手のナイフで兵士の上質な剣をはじく。
「うっ……!」
スラウブの予想だにしなかったパワーに、兵士が体勢を崩す。そこをスラウブがナイフで激しく切りかかる。兵士は剣で受け止めるのが精一杯で、やがてスラウブのパワーに押されて剣を落とした。
「うおおお!」
スラウブが電光石火の如く、剣を落とした兵士の首に、ナイフを突き刺す。
「ぐふぉっ……!」
うめき声を出す兵士に、容赦なくそのまま突き刺したナイフを払うと、大量の血しぶきが吹き出した。
糸が切れた人形のように兵士が倒れたのを見て、スラウブが再び走り出す。
「クララ……!」
やがて、ランタンの光によって照らされた、取っ組み合う二人組のシルエットが浮かび上がってきた。
「おとなしくしろ! お前を拘束する!」
一人のシルエットが、もう一人のシルエットを地面に倒し、押さえつける。
押さえつけられていたのは、クララであった。
あわてて駆け寄ってきたスラウブに気付き、兵士が今度はクララを起こして盾にする。
スラウブが、最後の矢が入ったクロスボウを構えた。だが運悪くクララと兵士はほぼ同じ背丈なうえに、兵士は顔の位置をクララにほぼ隙間なく合わせていた。おまけに小刻みに動いて、クロスボウの照準を合わせにくくしている。
「動くな! 武器を捨てろ! 従わなければ、この場で女を処刑し、貴様も処刑する!」
兵士がクララの首に剣の刃を向けながらスラウブに叫ぶ。
「武器を捨てるのはお前の方だ! お前の仲間は、全員始末してやったぞ!」
スラウブがクロスボウを構えたまま兵士に叫び返す。
「何っ……!?」
兵士の顔が一瞬こわばった。
「……おい! 奴はここだ! 早く来い!」
大声を上げたが、なんの反応もなかったことで、兵士は状況を察したようだ。スラウブがクロスボウとともに手にしている血まみれのナイフが、その証拠としての説得力を増している。
「……本気だぞ! その武器を捨てなければ、女を殺す!」
スラウブは<スキーモ>の時の経験で、この兵士がクララを殺す可能性は低いし、恐怖で支配されていることがわかっていた。
だがスラウブも、下手に兵士を刺激してクララを失うことが怖かった。
スラウブも兵士も、武器を持つ手が震えている。
スラウブがちらとクララの方を見た。クララも、表情をこわばらせている。
三人ともしばらくの間、膠着状態が続いた。
スラウブがもう一度、クララの方に目をやった、その時であった。
――任せたわよ。
クララの口が、そういう風に動いたように見えた。
すると――クララは自身の後頭部を、思い切り後ろの兵士の顔にぶつけた。
「ぐふっ!」
兵士がひるむ。クララが顔を横に傾ける。
――今だ!
スラウブは条件反射の如くクロスボウの矢を、鼻血が飛び出た兵士の顔に放つ。
兵士は拳をもろに受けたかのように、後ろに倒れ込んだ。同時に、兵士に掴まれていたクララも後ろに倒れ込む。
「クララ、大丈夫か!?」
スラウブがあわててクララに駆け寄る。
「ええ……大丈夫……大丈夫よ」
兵士の体から、慎重にクララを離す。
<スキーモ>であった時、クララも主にクロスボウや弓矢を使った狙撃手として戦闘に参加していた。それ以来の緊張感からか、クララの体は震えていた。
「すまない、クララ。とりあえず、ここから離れよう」
そんなクララを、スラウブはそっと抱き起こすのであった。
◆
兵士の落としたランタンを拾い、二人はその場から遠く離れた小川の所にやってきた。
スラウブがたき火を焚き、持参してきた小さい鍋と食材で得意の生姜スープを作る。
「家で作るものより味に自信はないけど、ほら」
スラウブが差し出した生姜スープを受け取り、クララが浮かない表情で黙ったまますすり始める。
スラウブも何も言わず、生姜スープをすすり始めた。
二人が、黙々と食事を進めていく。辺りは先ほどまでのことが嘘のように、静寂に包まれていた。
「ねぇ、スラウブ……ちゃんと話してくれないかしら」
先に切り出したのは、クララの方であった。
二人の間で、たき火の炎がせわしなく揺らいでいる。
「《エリクサー》なんて、とても鍛冶屋の仕事の収入で手が届くものじゃない。そうでしょ?」
じっとたき火の炎を見つめ続ける険しい顔のスラウブをのぞき込むようにして、クララが訊ねた。
「あの《エリクサー》、どうやって手に入れたの? そんなものを買う大金、どこで手に入れたの?」
スラウブは黙ったままだ。
「どうして、私たちは追われていたの? あの《エリクサー》が何か関係している、そうでしょ?」
クララが問い詰める。
「答えてよ……スラウブ」
それからしばらく、二人の間に沈黙が流れた。
クララはずっと、スラウブから目を離さないでいる。
するとスラウブは大きく息を吸い、吐き出すと、観念したかのように顔を上げた。
「わかった。全てを正直に話すよ」
そしてスラウブが、ようやく重い口を開けた。




