第二十四話 自分を変えるために
スラウブによるイアンをジェイクの代わりにするための鍛錬は日々続いていた。
イアンは日に日に戦いが上達し、ちょっとやそっとのことではへこたれなくなり、心なしか体つきもたくましくなってきていた。
そんなある日、鍛錬場の一番奥の無駄に広く、天井まで届きそうなほど長い縄や、高さが様々な木のハードル、助走をつけないと越えられそうにないカーブが掛かった岩の坂といったものが設置されている空間――そこにイアンを含む一部の<ルーク>たちが集められていた。
集められていたのは『コベラム』成績下位者たちで、これから行われるのは<ルーク>の隊長ターナー主導による鍛錬だ。それがあるから<ルーク>たちは『コベラム』成績下位者になりたくなくて必死に戦う、と言っても過言ではないものである。
「ペルーア王国の英雄にして恥さらしの諸君! 今日は貴様らの名誉挽回のためにその痩せたニンジンの身を、徹底的に鍛えさせてもらう!」
『コベラム』成績下位者でも、痩せたニンジンの身などではない、たくましい体つきの者ばかりだ。そんな者たちも、『コベラム』での成績が振るわなければ痩せたニンジン扱いである。
イアンはこの『コベラム』成績下位者の鍛錬の常連であり、いつもこれすらまともにクリアできていない。
――さぁ、見せてみろイアン。俺の鍛錬の成果を。
スラウブはイアンを見守るために、『コベラム』成績下位者たちが集められた空間の近くで自分の鍛錬をすることにした。
さっそく、『コベラム』成績下位者の鍛錬が始まった。ターナーが眉間にしわを寄せながら、腕立て伏せをする『コベラム』成績下位者たちの間を回る。
どうせいつも通りに挫折するのだろうとイアンをどやして頭を踏みつける準備をしていたターナー。だが一向に、イアンが挫折しない。それどころか、同じ姿勢を保ったまま腕を曲げ続けている。
「……今日はしっかりできているな、イアン」
「はい」
いくら待っても挫折しないいつもとは違うイアンに違和感を感じつつ、ターナーは次に『コベラム』成績下位者たちに腹筋をやらせる。いつもなら枝が折れたかのように上体が倒れ、そのまましばらく動かなくなるイアン。ところが同じペース、同じ姿勢を保ったまま延々と腹筋を続けていた。そんなイアンに周りの『コベラム』成績下位者たちも驚きを隠せない。
次にターナーが『コベラム』成績下位者たちにやらせたのは背筋。それも、イアンは上体が折れて動かなくなることなく最後まで続けていた。
最初の関門である筋トレを全て挫折することなくやり遂げたイアンに、ターナーや周りの『コベラム』成績下位者たちが唖然とする。
――いいぞ、イアン。
近くで己の鍛錬を行っているスラウブが小さく握り拳を作った。
「次! 障害物!」
ターナーの声に、『コベラム』成績下位者たちが狼に追われたウサギのように急ぎ、高さが様々な木のハードルの前に並ぶ。
「先頭! イアン!」
「え?」
「早くしろ!」
「は、はい」
次に始まったのは障害物トレーニングで、一番最初に行う者に指名されたのはイアンであった。回復する暇もなく、イアンが走り出す。
高さが様々な木のハードルを、飛び越え、腰を落としたままくぐり抜け、ほふくしたままくぐり抜けていく。
「速く!」
ターナーの尻を蹴り上げるような勢いの言葉に乗ってイアンは助走をつけ、カーブが掛かった岩の坂を越えた。イアンはその後に待ち受ける様々な障害物を乗り越えていく。
――行け、イアン!
スラウブの心の中の声援に押されてイアンがたどり着いた先、最後に待ち受けていたのは、天井まで届きそうなほど長い縄であった。闘技場の最上段の席ほどの高さがあるであろうか、縄の先には小さな鐘が設置されており、それを鳴らさなければならない。
イアンは全身をばねのように使いながら、縄を登っていく。いつもは複数ある縄のうち、一つの縄は途中で挫折して落ちてきたイアンを、ターナーがしばきあげるためにアリジゴクの如く待ち受けるためにあった。
だが今日は違う。イアンは上だけを見て、鐘だけを見て、一目散に向かっていった。
そして、縄の先にある鐘を鳴らす。
――よし!
スラウブがイアンの方を見上げながらガッツポーズした。
「さ……さっ、さと、スタート地点に、戻れ」
「はい!」
いつも落下するように縄から落ちてくるのとは違い、なめらかに滑るようにして落ちてきたイアンに対して、口ごもりながらターナーが指示する。イアンは軽快な足取りでスタート地点に戻り、再び障害物トレーニングを始めた。
過酷な筋トレに続く過酷な障害物トレーニングは、十周ほど続いた。いつもなら、次の〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟が終わる頃に倒れるようにゴールしていたイアンが、無事に障害物トレーニングを終える。
――やればできるじゃねぇかよ。
スラウブが「やったな!」とばかりに力こぶしを作ってイアンの方に向けた。それに対してイアンは親指を立てて見せる。
だが問題は次である。〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟だ。つまり、『コベラム』成績下位者同士がスパーリング場で戦う、最後の試練である。この〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟を勝ち抜かなければ、この地獄の鍛錬を終えることはできない。
〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟は本家と同様にトーナメント制で、己の肉体のみで戦う形式だけ、五分間の試合の勝敗判定はターナーが行い、試合に負けた者は再び障害物トレーニングを行う。そして再び負けた者同士で戦って、それに負けた者は再度障害物トレーニングを行うのだ。
つまり、〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟で勝てない者は、延々と生き地獄を味わい続けるのである。
イアンはその〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟にすらいつもたどり着けないため、〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟が終わった頃に一人ターナーにしごかれて地獄の鍛錬を終えていた。
「〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟のくじ引きを行う! 一枚ずつ取れ!」
ターナーが声を上げると、『コベラム』成績下位者たちはスパーリング場のそばに用意してある木の机に置かれた、人数分ある小さな紙切れの中から一枚だけ取っていった。小さな紙切れの裏には、様々な武器の模様が描かれており、一致する武器の種類同士の者が戦う。
イアンの紙切れはあろうことか、拳の模様のものであった。武器ごとに戦う順番は決まっており、拳の模様は一番手のものだ。再び休む間もなく、イアンに試練が訪れる。
「拳の者! さっさと準備しろ!」
ターナーの声で押し出されるようにしてスパーリング場に上がったイアンの前に現れたのは――アズール襲撃後の『コベラム』でボロボロにされた、全身刺青の<ルーク>であった。イアンがあの〝救済〟によって救われた日の『コベラム』で、スラウブ相手に早期敗退していたのだ。
「よう、また会えてうれしいぜ」
あの日の時と同じように口角を上げる全身刺青の<ルーク>に、イアンの表情がこわばる。
「試合を始めろ!」
木の机にどっしり腰掛けたターナーが砂時計をひっくり返した。
全身刺青の<ルーク>が口角を上げながら、イアンの周りをゆっくりと回る。イアンは表情がこわばったまま、全身刺青の<ルーク>の様子をうかがうようにしていた。
目の前にそびえる、血に飢えた野獣、巨大な壁。
――やはり……僕では無理なのか……。
スラウブによる厳しい鍛錬によって生まれ変わり、ようやくここまでたどり着いてみせた。
それなのにここに来て、徐々に自分に対する自信が薄れていくのをイアンは感じる。
すると突然――目の前に、自分の姿をした何かが現れた。
――え……?
それは、やつれた顔で、生気を失い、希望を失った、スラウブの【指輪】を盗んで捕まった以前の自分の姿であった。
――幻影……?
以前の自分の幻影が、戻ってこいと言わんばかりにイアンに手招きしている。
――いやだ……戻りたくない……戻りたくない……戻りたくないよ……。
卑劣な罪を犯した弱い自分を変えたくて、少しでもこんな自分のために犠牲となってしまったジェイクの代わりになりたくて、スラウブの【想い】に応えたくて、歯を食いしばって必死に耐えてきた。
――やっぱり……荷が重すぎるよ……こんな僕じゃ……。
重荷を背負ったイアンが、以前の自分の幻影に飲み込まれそうになっていく。
その時、ふと奥にいるスラウブの姿が目に映った――。
〝自分を変えられるのは、自分しかないだろう!? いい加減目を覚ませ! 自分を変えてみせろ!〟
スラウブに言われたあの言葉が、突き刺さったかのようにイアンの全身を駆け巡り、イアンの全身を流れる血を煮えたぎらせ、イアンの細胞の全てを叩き起こしていく。
――そうだ……自分を変えられるのは、自分しかない!
そしてスラウブに言われたあの言葉が、イアンのこわばった顔を破裂させた。
――出ていけ! 弱い僕!
解き放たれた矢の如く、イアンが以前の自分の幻影に突っ込む。
――単調になるな。工夫しろ。
イアンは左の拳を繰り出すような動きで急激に右斜め下に体勢を落とし、そこから素早く右回し蹴りを繰り出す。
「ぶおっ……!」
イアンが体勢を立て直すと、目の前に以前の自分の幻影はなく、そこにいたのは鼻を押さえた全身刺青の<ルーク>であった。全身刺青の<ルーク>の鼻から血が流れ落ち、出番を待つ『コベラム』成績下位者たちとターナーが再び唖然とする。
「貴様よくも……!」
全身刺青の<ルーク>が一転して猛然とイアンに突っ込み、右の拳を突き出す。イアンは冷静にそれをかわしながら左の拳を全身刺青の<ルーク>の顔面に浴びせた。
「ぐっ……!」
全身刺青の<ルーク>がのけ反ったのを機に、間髪入れずにイアンは他の<ルーク>たちと比べて細い腕や脚を鞭のようにしならせながら、全身刺青の<ルーク>に次々と打撃を与えていった。
――動きを小さく、速く……!
これまで自分より体格のいい相手を倒そうと、無理して大振り気味の攻撃を繰り出してばかりいたイアン。スラウブの鍛錬のおかげで力も付き、細身を活かしたスピーディで、かつなめらかでしなやかな戦い方を意識するようになってから、細身であることがイアンの大きな利点となっていた。
新生イアンの柔軟性ある素早い動きで、全身刺青の<ルーク>は様々な角度や位置から鞭が飛んでくるような感覚に襲われる。
「お、お前……!」
全身刺青の<ルーク>が負けじと拳や蹴りを繰り出すも、イアンはそれを流すように払い、鞭のような腕や脚をカウンターするかのように繰り出してくる。
アズール襲撃後の『コベラム』とは完全な別人であるイアンに、全身刺青の<ルーク>が焦りを感じ始め、出番を待つ『コベラム』成績下位者たちとターナーは開いた口が塞がらないでいた。
――瞬時の動きで、高い火力を……!
イアンは腕や脚の振りは柔らかく、軽く、速くして、全身刺青の<ルーク>に当たる瞬間に手や足に力を込める。新生イアンの戦いぶりはまるで、力強く舞う羽衣のようであった。
「そんな……バカな……一体何が……!?」
顔中傷だらけ、全身あざだらけとなった全身刺青の<ルーク>が戦慄する。
イアンが、新しい自分に手応えを感じ、新しい自分に自信を抱いていく。
――変わったんだ、僕は……!
イアンは力強く歯を噛みしめた。
すると――目の前に再び、以前の自分の幻影が現れた。
以前の自分の幻影がイアンに語りかける。
〝やめるんだ、こんなこと。僕は僕のまま終わればいいんだ。自分に期待なんかするな。生まれ変わることなんて、できやしない。あんな母さんなんて、守れやしない。ジェイクなんて、赤の他人なんだ。気にすることなんてない、放っておけばいい。僕は――逃げ続けていればいいんだ。戻ってこい〟
力強い表情に、力強く構えるイアンに、以前の自分の幻影が手を差し伸べた。
――いや……僕は……僕は……! もう二度と……お前には戻らない! 母さんを守ってみせる……! 弱い僕のために犠牲になったジェイクの代わりに……なってみせるんだ!
イアンが、以前の自分の幻影に渾身の回し蹴りを入れる。
以前の自分の幻影が豪快に吹っ飛んだ。以前の自分の幻影が消え去るとそこには――仰向けに倒れて動かなくなった、全身刺青の<ルーク>がいた。
しばらくの間、スパーリング場周辺が沈黙に包まれた後、ターナーが絞り出すようにして声を出す。
「しょ、勝者……イアン!」
イアンがゆっくりとスパーリング場から下りると、唖然としながら出番を待つ『コベラム』成績下位者たちの中に紛れ込み、闘志を燃やしたまま次の試合を待った。
イアンはふと後ろを振り返り、スラウブの方を見た。スラウブは小さくうなずいただけで、イアンからすぐに目をそらした。イアンはもう少し褒めるようなリアクションをしてくれるのだと思っていたが、すぐにそれは「次もそのまま行けよ」ということなのだと理解する。
――わかったよ、次も頑張るから。
イアンもスラウブから目をそらし、次の試合に向けて集中することにした。
そしてその後も、新生イアンの快進撃は続き、無敗で〝『コベラム』成績下位者『コベラム』〟を勝ち上がり、ターナー主導の地獄の鍛錬から一番手で抜けることができたのであった。
◆
「やればできるじゃねぇか」
スラウブはイアンと共に帰路についていた。二人が通る広大な路地を照らす黄金色の灯りは、明るい未来を示すかのように力強く輝いている。
イアンは、口角を上げながら自分の方に顔を向けているスラウブの方とは反対側の方を照れくさそうに向いた。
「まぁ……あんたのおかげさ」
そっぽを向きながら、イアンがスラウブに感謝の言葉を述べる。
「お前が自分の中に眠っている力を引き出せなかっただけだ」
スラウブがイアンの肩に軽く拳を浴びせた。
「確かになんだか……あんたに鍛錬してもらうようになってから、自分の中に眠っている何かが――目を覚ましたような感じを覚えたんだ」
イアンが自分の胸に手を当てる。
「トレーニングの仕方だったり、自分の体に合った戦い方とか、周りの奴らばかり気にしてたからそういうのが全然見えてなかったんだよ。それで自分に自信も持てなかったんだ」
「いや、そういうのじゃなくて……本当になんだか、僕自身の何かが目覚めたような気がしたんだよ」
「ん?」
イアンの言っていることがよくわからず、スラウブは軽く顔をしかめた。
「……よくわかんねぇが、まぁ結果的によかったじゃねぇか。今日みたいな調子で、これからも行くんだぞ」
「……うん」
「このままお前が本当にジェイクの代わりになって、〝その時〟が来たら、お前にも一緒に戦ってもらいたいんだ」
「……わかった」
これからスラウブは、自身の影響力をどんどんペルーア王国に広めていくつもりであった。
イアンを鍛え上げていくことは、〝その時〟にも繋がっていくことなのだ。
やがて、イアンの家にたどり着いた。しばらくの間、スラウブはペルーア王国中から冷たいまなざしを向けられることとなるイアンのことを守る意味でも、送り迎えするつもりでいる。
「それじゃ、また明日。今日はゆっくり休め」
「うん。ありがとう」
スラウブとイアンは互いの拳をしっかりと合わせた。
イアンが車椅子生活の母親のもとへ誇らしげな顔で戻っていったのを見届け、スラウブも自宅へと向かうのであった。
【幕間 危険な種】
ペルーア王国の丘の上にそびえ立つ豪華絢爛な砂岩城『サントゥリオ』――塩の結晶のように散りばめられた満天の星空の中で輝く月に照らされ、幻想的な黄金の明かりによって照らされ、その日は一段と輝いて見えていた。
「ジェイク……」
現在のペルーア王国の王ブルートは、亡くなった親友の墓の前で沈んだ表情を浮かべながら、極彩色の花をたむける。
ジェイクの墓はブルートの命令により、自身の寝室のそばにある庭園の中に建てられていた。極彩色の様々な花によって飾られ、ジェイクの愛用していた斧が供えられた墓――そこでブルートはジェイクに誓う。
「大丈夫だ、王の座は譲らない」
そうつぶやきながら、ブルートはジェイクの墓を後にした。
寝室に戻ると、そこにはブルートに仕える侍女<アンジェラ>たちが色気たっぷりの衣装を身にまとい、ベッドの上で待ち受けていた。その中には、嫌悪感を隠したクララの姿もあった。ベッドのそばには、<アンジェラ>の長にして妖艶な美女ラスクが、<アンジェラ>たちを監視するように背筋を真っすぐに伸ばして直立している。
「今日はもう帰ってよいぞ、お前たち」
ブルートの口から飛び出した意外な言葉に、ラスクとクララ含む<アンジェラ>たちが唖然とする。
「帰ってよいと言ったんだ」
いつもだったら欲望のままに<アンジェラ>たちと淫らな行為に明け暮れるブルートの様子が、なんだかおかしかった。
「……だそうよ。あんたたち、今日はもう帰りなさい」
ラスクの命令を受け、<アンジェラ>たちはブルートの寝室を後にする。
自身の巨体に合わせて作られたベッドにどっしりと、沈んだ表情のままブルートが腰掛けた。
そんないつもの余裕たっぷりの顔とは違うブルートに、心配そうな顔をしてラスクが寄り添った。
「どうしたの? 急に」
ラスクがブルートの膝にそっと手をやる。
「我は……王のままでいられるのであろうか」
それは、王となってからブルートが見せる、初めての顔であった。
「……スラウブのことが、心配なのね」
「あの日以来……<ルーク>の中で奴が存在感を強め、ペルーア王国中の民や<ガーディアン>の中の一部が――奴を崇拝し始めているように感じるのだ」
ブルートはうつむいたままだ。
「確かに彼は……危険な種ね」
ラスクは安心させるように、ブルートの背中をなでる。それに対してブルートはラスクの肩に手を回す。
「なんらかの手段で、暗殺してはどう?」
「明らかに殺害したとわかれば、民たちの反感を買うことになる。奴は――ロドリックの血を継ぐ者なのだから」
「厄介な存在ね」
「まさか奴とクララが……そんな者たちだとは知るよしもなかった」
「そうね……」
二人は遠くを眺めるようにして、身を寄せ合う。
「だがいずれにせよ、なんとかして奴を〝追放〟しなければならぬ。クララも。ペルーア王国を、あの時のような混沌に落とさないためにもな……」
「そうね、その通りよ。兄さん――」




