第十六話 厳しい暮らし
翌日の朝、スラウブとクララは昼頃に伝達されるという自分たちの処遇を聞く前に、様々なものが売られている露店市場を訪れていた。
野菜や果物に肉やスパイスといった食材に、生活雑貨、身につける衣類。それに、武器や盾に防具まで売られている。
「マジかよ……」
「すごいわね……」
トルオス王国にもチェルビュイにも露店市場はあったが、武器や盾に防具が売られている露店が出ているのは二人とも初めて見た。
露店市場はとにかく活気があふれており、力強いペルーア王国らしさが感じられるものであった。
と、一際目立つ露店には、宝石や絵画、骨董品といったものが――。
スラウブはそこで思わず足を止める。
――ここで【指輪】を売れればな……。
露店に置かれた商品を眺め、店主の方に目をやったスラウブが固まった。
「え……?」
そこにいたのは、見覚えのあるキツネの獣人であった。
「やれやれ、もう見つかっちまったか」
「キツネのおやっさん……?」
トルオス王国で一度【指輪】を売り払い、病で寝込んでいたクララを治すための《エリクサー》を買う資金を提供してもらった、あのキツネ獣人の店主――。
「どうしてここに……?」
「逃げてきたんだよ、お前さんのせいでな」
キツネ獣人の店主に軽蔑したような目を向けられ、スラウブがたじろぐ。
「キツネのおじさん!?」
クララが声を上げた。スラウブと同様にクララも、幼き頃にキツネ獣人の店主に盗んだものを買い取ってもらい、家計を助けてもらっていた。
「私のこと、覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
棒読み口調でキツネ獣人の店主が答える。
「もう俺の前には現れないでくれ。【指輪】も、もう二度と見せるな。あと、金はちゃんと仕事して稼げ。あと、健康には気を付けろ。以上だ!」
キツネ獣人の店主がスラウブとクララを突き放すようにして言う。もう面倒ごとに巻き込むな、といった感じであった。
スラウブとクララがうつむく。クララは、スラウブからキツネ獣人の店主に《エリクサー》を買う資金を提供してもらったが、面倒ごとに巻き込んでしまったことを話されていた。
「……ごめん。それと、ありがとね、キツネのおじさん」
キツネ獣人の店主の話によると、<セレッサ>たちに【指輪】が見つかって、スラウブが<セレッサ>たちを皆殺しにした後、あの店の自慢の品だけ持ってトルオス王国からなんとか逃げてきたらしい。
ペルーア王国の前で現れたゴーレムは、道中言葉巧みに仲間にしていった猛者たちを盾にしながらなんとかクロスボウで倒して、自身のみが生き延びたようだ。現在のペルーアの王であるブルートは、高価なものに目がなく、特別にペルーア王国の居住と商売を許可されたらしい。そして昨日偶然、闘技場を訪れていたところで、スラウブとクララの居住試験を見ていたとのことであった。
「高価なものに目がない……」
スラウブには、やはりブルートに何かよからぬ一面があるような気がしてならなかった。
「まぁ、ある意味お前たちには感謝しているのかもしれないんだがな。ここは、トルオス王国より商売のやりがいがある。なにせ、欲望の塊みたいな連中が集まっているから、売れ行きもいいんだ」
「欲望の塊?」
キツネ獣人の店主が意味深な発言をしたところでふと、スラウブは自分たちの横で先ほどからずっと立ち止まっている、ペルーア王国の民にしては珍しいやや細身で小綺麗な顔つきをした青年に目をやる。すると、青年はあわてて目をそらした。
「さぁ、とっとと消えるんだ」
「……わかった。おやっさんも気を付けてな」
キツネ獣人の店主に言われ、二人が名残惜しそうにその場を去ろうとした、その時であった。
「あれ? スラウブじゃないか!」
「あら、クララじゃない!」
行き交う人々から、声をかけられた。
「昨日の闘技場での戦い、すごかったぜ!」
「魔法、すごいわね!」
闘技場でのペルーア王国の居住試験を観戦していた者たちらしい。スラウブとクララの周りに人だかりができる。スラウブとクララは昨日の闘技場の試験で、またたく間に有名人となってしまったようだ。
「は、はぁ……」
「どうも……」
昨日付きまとわれた筋骨隆々の狼男とトカゲ女から、自分たちの処遇について聞かされる時間が迫ってきているのにもかかわらず、しばらくの間二人は周りにちやほやされ続ける。
その中でスラウブは、自分たちの方に目を向け続ける、先ほどのやや細身で小綺麗な顔つきをした青年が気になっていたのであった――。
◆
「それでは、お前たちの処遇について伝達する」
ペルーア王国の新しい我が家になんとか戻ってきたスラウブとクララのもとに、昨日の筋骨隆々の狼男とトカゲ女が訪れる。
「スラウブ、貴様は定期的に行われる高い賞金を懸けた戦い『コベラム』に参加する闘技場の戦士でもあり、ペルーア王国を守る兵士でもある<ルーク>の一員となってもらう」
筋骨隆々の狼男が口を開く。
昨日の試験官ターナーに言われた通りであった。居住試験での戦いぶりが買われてしまったようだ。
ターナーに打ち負かされないように戦わなければ、ペルーア王国に住むことを許されなかった。
結局――スラウブは戦わなければならない運命から逃れられないのか。
「俺はもう、戦うことはしたくないんだ。クララも。別の仕事にしてもらえないか? 俺たちはただ、ここで平穏に暮らしたいだけなんだ」
「ダメだ。ブルート様は戦士としてのお前を高く買っている。お前ほどの実力者はなかなかペルーア王国でも見ない。ブルート様の命令は絶対で、逆らえば即処刑される」
懇願するスラウブを突き放すように筋骨隆々の狼男が言う。
――俺には……安泰が許されないのか……。
チェルビュイにいた時のように、仲間たちと談笑しながら大工の仕事でもしていたかった。
スラウブが嘆いていると、今度は筋骨隆々のトカゲ女が口を開く。
「クララ、あんたには――ブルート様のもとで色々と尽くしてもらうよ」
「色々と尽くす……?」
クララにはその意味がわからなかった。
「あんたの魔法の力は貴重だから、丁重に扱いたいとのことらしいわ。簡単に言えばあんたの仕事は、ブルート様の身のまわりの世話が中心よ」
筋骨隆々のトカゲ女がぎこちない笑顔で言うが、スラウブとクララは顔を見合わせる。
スラウブは得体の知れないブルートのもとにクララが行くことを心配し、クララはスラウブが戦いを生業としていくことを心配していた。
「これから各自の仕事場に案内する。スラウブ、一緒に来い。武器を持参しろ。お前はこいつについていけ」
そう言われて渋い表情で、スラウブは筋骨隆々の狼男に、クララは筋骨隆々のトカゲ女についていくのであった。
◆
愛用の大剣を手にしながらスラウブがやってきたのは、新しい我が家からそう遠くない、闘技場であった。
「ここが<ルーク>たちの鍛錬場だ」
筋骨隆々の狼男に案内されて来たのは、昨日訪れることのなかった闘技場内にある広大な空間であった。
多数のたくましい体つきをした<ルーク>たちが、表情を変えることなく黙々と筋トレをしたり、スパーリングをしたり、木でできた武器のようなものでわら人形を叩いたりしている。
「『コベラム』やペルーア王国のための戦いがない時でも、<ルーク>に必要なのは日々の鍛錬だ。光栄に思えよ、<ルーク>になれるのは本当に限られた者のみ。<ルーク>は、ペルーア王国にとって英雄たちの集まりなんだ」
鍛錬場にやってきたスラウブに、<ルーク>たちの刺すような視線が集まった。
スラウブが抱いた<ルーク>たちの印象は、各々で黙々と行動し、互いを仲間とは思っておらず、己に課せられた使命を全うするためだけにいる集団といった感じであった。
――<スキーモ>の時と同じだ……。
あの時、偶然出会ったクララという心の支え、守ってあげたいと思える存在がいたが、それ以外の者は赤の他人であり、どうでもいい存在であった。
「お前なら、一流の<ルーク>になれる。『コベラム』で賞金をがっぽり稼いで、国に尽くせば、将来お前が望む平穏な暮らしも手に入るさ。それも、贅沢し放題のな。そのためにも、まずはその腹をどうにかしておいた方がいいぞ」
皮肉交じりに筋骨隆々の狼男がスラウブに言う。
「これは……幸せをため込んでるだけだ!」
「はっはっはっはっはっ! 面白い!」
「ところで、あんた一体何者なんだ?」
「おっと、そういえばまだ自己紹介をしてなかったな。俺はペルーア王国の<ガーディアン>の長であるジェイクだ」
「<ガーディアン>?」
「そうだ。この誇り高く美しいペルーア王国の安全のため、常に俺たち<ガーディアン>は巡回し、危険なものはないかと目を光らせている。お前やクララは一応、ペルーア王国に流れ込んできた危険な可能性がある存在として、しばらくの間は俺たちの監視下に置かれることになっているから、くれぐれも妙な真似はしないことだな」
「……あっそうですか」
ペルーア王国の<ガーディアン>――よくわからないが、警備兵とかの上位版といったところなのであろうか。筋骨隆々の狼男ジェイクが誇らしげに言ったのを関心なさそうにスラウブが流したその時、奥の方で大きな罵声が響き渡った。
「この根性なしが! <ルーク>の恥さらしめが!」
スラウブが、罵声がする方に目を凝らす。
よく見ると、大男に頭を踏まれている<ルーク>の姿が――。
スラウブは大男に見覚えがあった。昨日死闘を繰り広げたターナーだ。
「あいつ……」
「ああ。実を言うと、あいつは<ルーク>の隊長なんだ」
「はぁ!?」
「奴はトルオス王国を抜け出し、ここペルーア王国へとやってきた後、<ルーク>の隊長にまで上り詰めた男なんだ。もう奴は、自分にはペルーア王国の血しか流れておらず、ブルート様に全てを捧げるんだと言っているくらいだから、その<スキーモ>とかいう時のお仲間という感覚は捨てるんだな」
「いや、はなから仲間だなんて感覚はねぇけどよ……」
ジェイクの言葉に、スラウブが唖然とする。
「『コベラム』では連敗街道まっしぐら! 任務では役立たずの足手まとい! この『コベラム』成績下位者の鍛錬でも何をやっても後れを取るし、挫折する!」
罵声を浴びながら、ターナーに頭を踏まれていた<ルーク>が顔を上げる。
スラウブは、その<ルーク>の方にも見覚えがあった。
「踏まれてる方の奴は……」
今朝、露店市場で見かけた、やや細身で小綺麗な顔つきをした青年であった。
「ああ、あいつはイアンだ」
「イアン?」
「<ルーク>の中で一番華奢で、『コベラム』ではいつも初戦敗退でボロボロ、いつまで経っても『コベラム』成績下位者の鍛錬もクリアできず、ターナーにボコボコにされて任務では足手まとい。何を思ってブルート様に懇願してまで<ルーク>になったんだか……何を思ってブルート様もあんな奴が<ルーク>になることを許したんだか。庭師にでもなった方がよかったのに。ま、あんな奴、庭師になっても役に立たないだろうがな」
スラウブは、ジェイクにボロクソ言われ、<ルーク>の隊長であるターナーにまた頭を踏まれ始めたイアンという青年の<ルーク>に、しばらくの間目を留める。
「それはさておき、お前にまずやってもらうことは、<ルーク>の焼印をその身に刻むことだ」
「<ルーク>の焼印?」
焼印と聞いて嫌な予感がしたスラウブが固まった。よく見ると、<ルーク>たちは皆、右上腕に獅子の顔をしたものを刻んでいる。
「こっちに来るんだ」
ジェイクに手招きされ、おとなしくその後についていったスラウブがやってきたのは、闘技場内の鍛錬場から離れた所であった。
「ここは――鍛冶場?」
中央の大きな溶鉱炉、右側の様々な武器や盾、左側の様々な加工用具、まぎれもなくそこは、スラウブがトルオス王国で仕事していたような鍛冶場であった。
「そうだ。ここは<ルーク>や<ガーディアン>たちが使用する武器や盾といったものを扱う、鍛冶場であり管理庫だ。その武器をここに置け」
「え? あ、ああ」
スラウブは手にしていた愛用の大剣をジェイクの指示通りに手前のカウンターに置く。
するとジェイクがカウンターから身を乗り出して、中央の大きな溶鉱炉で作業をしている頭にバンダナを巻いた黒い肌の大男に声をかける。
「グスタス! <ルーク>の新入りを連れてきたぞ!」
ジェイクの声に、グスタスと呼ばれた黒い肌の大男がこちらを振り返り、やってきた。
「よう! ジェイク!」
グスタスはスキンヘッドに巻いた灰色のバンダナに、ぱんぱんに膨らんだ上半身裸の筋肉を覆った革のエプロン姿というなんとも個性的な姿であった。
「あんたか! 昨日の戦いぶり、俺も観客席からたっぷりと見させてもらったぜ! あんたは確かに<ルーク>にふさわしいタフガイだ!」
おまけに、いきなり踊り出しそうなほどの陽気なノリである。
「このガッツある新入りに、<ルーク>の焼印を刻んでやってくれ」
「え? は?」
当たり前のように出てきた突然のジェイクの言葉に、あうんの呼吸のように反応して溶鉱炉に何やら長い棒のようなものを入れたグスタスに、スラウブがうろたえる。
「よっしゃ! そのぶっとい右腕を出しな!」
グスタスが先端から煙が噴き出している獅子の顔が付いた鉄の棒をスラウブに近づけてきた。獅子の顔から焦げたにおいが漂う。
「さ、ほら」
すると、ジェイクがスラウブの体を掴み、強引にスラウブの右腕をグスタスの方に差し出した。
「ちょ、おい、待てよ! 急展開すぎるだろ!」
スラウブはあわてて抵抗しようとしたが、ジェイクの力が予想以上に強く、上体を固定されてしまった。
「そんじゃ行くぜ! タフガイ!」
今度は馬でも急発進させるかのようなノリでグスタスが、煙が噴き出している獅子の顔をスラウブの右上腕に押し付ける。
「ちょ、待っ、いっ……! ぎゃ……!」
言葉にならない言葉を出しながら、スラウブは顔をしかめた。
<スキーモ>の時から数多くの激しい痛みを経験してきたが、そのどれよりも耐えがたい、右上腕から全身に染み渡っていくような痛みであった。
「もうちょい……はい、一丁上がり!」
軽快な声とともに、グスタスが鉄の棒をスラウブから離す。
「いつつつつつ……」
ジェイクもスラウブの体から手を放した。
「お前らぁぁぁ……」
顔をしかめたまま、グスタス、ジェイクの順に恨みを込めるようににらみつけたスラウブが自分の右上腕を見る。そこにはほのかな煙とともに、他の<ルーク>たちと同じような黒い獅子の顔が刻まれていた――。
「これでお前は今日から一人前の<ルーク>だ。いつもはターナーが付き添って、<ルーク>になるための誓いの言葉とかを述べさせてるんだが、お前にはそんなものも必要ないし、特別扱いだ」
「は……はぁ……」
愉快げに話すジェイクに、「どういう特別扱いなんだよ」とスラウブが心の中で突っ込む。
「ついでに、この武器も鍛えてやってくれ」
ジェイクがカウンターに置いてあるスラウブ愛用の大剣を指さすと、グスタスがそれを手に取り、目を輝かせた。
「こいつはいい武器だな! どんな奴が作ったんだ!?」
「俺が。自分で。トルオス王国にいた時、俺も鍛冶屋で働いていて……自分の武器を作りながら、日々そいつを磨いて腕を上げていったんだ」
「マジか!」
グスタスがすっとんきょうな声を上げる。ジェイクも驚きの顔を見せた。
「ますます努力家でもあるあんたのことが気に入ってきたぜ! このペルーア王国随一の鍛冶職人である俺様が、こいつを未来の王のために鍛えてやる!」
「いや、いいって。毎日自分で手入れしてるから」
「遠慮すんなって! 数日の間にこいつを国宝級のものにしてやるからよ!」
そう言ってグスタスがまるで横取りするかのように、スラウブの大剣を自分の作業場へと持っていく。
「おい、ちょっと……」
「任せておけ。グスタスの腕はマジだ。あれを見ればわかるだろ? 冗談抜きに、お前の大剣を国宝級のものにしてくれるさ」
ジェイクが指さす方をスラウブが向くと、そこには剣や短剣、槍に三叉、鎌に曲剣といった様々な武器に様々な盾が置かれていた。どれも朝に露店市場で見たようなものとは一味も二味も違う、重厚で緻密な装飾が施された、上品な輝きを放つ逸品ばかりであった。
「でも……」
「いいから。ほら! お前は無事<ルーク>の仲間入りを果たしたところで、鍛錬だ、鍛錬!」
ジェイクに肩を抱き寄せられて強引にその場から連れられ、我が子の身を案ずるように心配な顔をするスラウブが、鍛錬場に戻ってきた。
相も変わらず、多数のたくましい体つきをした<ルーク>たちが、表情を変えることなく黙々と筋トレをしたり、スパーリングをしたり、木でできた武器のようなものでわら人形を叩いたりしている。
そして相も変わらず、やや細身で小綺麗な顔つきをした青年の<ルーク>イアンはターナーにしごかれていた。
「好きなように鍛錬しろ。『コベラム』はさっそく近日中に開かれるからな」
「その『コベラム』って、どんな風に戦うものなんだ?」
「トーナメント制でいくつか試合の形式があってだな、お前が昨日受けた居住試験のように己の肉体のみで戦う形式や、木製の武器で戦う形式、多人数戦といったものがある。形式は毎回戦士によってランダムで決められるから、どんな形式になっても戦えるように備えておくべきだな」
「はぁ……」
「いいか、鍛錬も仕事のうちだからな。もしサボるような真似をしていたら、即刻処刑されるぞ。わかったな?」
「へいへい、わかりました」
「それじゃ、お前のデビュー戦を楽しみにしているぞ」
そう言い残し、ジェイクが鍛錬場を去っていく。
仕方なしにスラウブは殺伐とした雰囲気の中、周りの<ルーク>たちと同じように黙々と筋トレをしたり、わら人形相手にスパーリングしたり木製の武器の使い勝手を試したりして、その日を過ごすのであった。
◆
クララは筋骨隆々のトカゲ女によって、ペルーア王国の現在の王であるブルートが居座る砂岩城に連れてこられていた。
「ラスク! 例のクララを連れてきたぞ!」
筋骨隆々のトカゲ女が砂岩城へと入った直後に叫んだ声がこだまする。
ほどなくして一人の女が、筋骨隆々のトカゲ女とクララの前に現れた。
「ご苦労様、ミシェル」
色白の美しい肌、艶やかなブロンドの髪、完璧なまでの比率で整った顔にエキゾチックな風貌、見事な曲線美の体、そこにまとわりついたきらきらと輝く露出度の高い金の衣装、澄んだ美しい声をした美女――正反対の風貌をした筋骨隆々のトカゲ女ミシェルにラスクと呼ばれたその絶世の美女に、クララは思わず見とれる。
「初めましてクララ、私はラスク。偉大なるペルーア王国の王ブルート様がおられるこの聖なる城――『サントゥリオ』を統べる者にしてブルート様の侍女<アンジェラ>の長なる者。以後、お見知りおきを」
「は、はぁ……」
ラスクの女神のような笑顔と美声としなやかな動きによる馬鹿丁寧なあいさつに、クララは尻込みしてしまった。
「ペルーア王国に来たばかりなのに、あなたは運がいい子ね。ブルート様のもとで、一生の安泰を得られるんだから。さ、ついてきて。まずは、そのみすぼらしい服装から着替えるところから始めましょう」
圧倒的な美貌と美声とは裏腹に出てきたトゲのある言葉に、クララはさっそくラスクに対して疑心暗鬼になる。
――安泰なんて……得られる気がしないんだけど……。
『サントゥリオ』というのが正式名称らしい砂岩城の中、クララはブルートの玉座とは違う方向へと連れられていく。
『サントゥリオ』にはペルーア王国らしい体つきをした警備兵以外に、ラスクのような格好をした戦いとは無縁そうな色気ある女たちが掃除をしたり、庭で植物の世話をしていたり、厨房で料理をしたりしていた。
――あの人たちが、<アンジェラ>とかいう人たちなの……?
あんな格好をしなければならないのか? というクララの不安はやがて、的中することとなる。
「あら、素敵になったじゃない」
「ははは、色気ある女になったじゃないか」
豪華絢爛で広大な衣裳部屋、そこでクララは恥ずかしがりながら、ラスクのような格好をさせられ、ラスクとミシェルにお世辞を言われる。
チェルビュイの学校『フォースク』で目を輝かせながら制服に着替えた時とは対照的に、クララはうつむいたままだ。
「きっと、ブルート様も気に入ってくださるはずよ」
ラスクに足元から胸元まで眺めるようにして見られ、クララは赤面する。
「それじゃ、私はここまでで」
「うん。お疲れ様、ミシェル」
「ちゃんと仕事するんだぞ、クララ。ペルーア王国では仕事をサボってたら、即刻処刑されるからな。わかったな?」
ミシェルが親指で首を切るようなポーズを見せた。
「わかった……」
たくましい背筋をしたミシェルの背中を見届けるクララに、ラスクが手招きする。
「さ、ブルート様と顔合わせしましょう」
「もうここに来た時に一度直接会ったわ」
「今の色気ある魅力的なあなたには、まだ会ってないでしょう?」
「はぁ……?」
「前のみすぼらしいあなたと今のあなたは別人なの。今日からあなたは、偉大なるブルート様の神聖なる侍女<アンジェラ>であるクララなのよ」
クララは、ラスクのまばゆい光を放つ宝石のような笑顔に不気味さを感じ、戦慄した。そして意のままに操られるかのように導かれ、気付いた時には<アンジェラ>の色気を醸し出した衣装で、再びブルートの玉座の前にひざまずいていた。
「おおお。美しくなったな、クララよ」
初めて出会った時から変わらず、全身にまぶしいほどに輝くアクセサリーなどを身につけ、豪華な玉座にどっしりと居座った巨漢のブルートが、<アンジェラ>となって色気を増したクララを美術品のようにまじまじと眺める。
改めて感じるブルートのすさまじい威圧感に、クララはひざまずくことしかできなかった。
「本日よりこちらのクララが、新たなる<アンジェラ>としてブルート様に尽くさせていただきます。このラスク、責任を持ってあなた様を喜ばせるべく、誠実に指導いたします」
「うむ。楽しみにしておるぞ」
「さ、行くわよ。クララ」
クララは<アンジェラ>としてブルートと謁見した後で、ようやくラスクと共にその場から退くことができた。
「まずは『サントゥリオ』の清掃から始めていきましょう。偉大なるブルート様がおられるこの『サントゥリオ』を美しくすることで、心も清らかにすることが、私たち神聖なる侍女<アンジェラ>の根幹にあるものよ」
『サントゥリオ』内のとある回廊、緻密な装飾が施された柱の合間から見事な水の放物線を描く噴水と、ファルート像が見える。そこに、鮮やかな金でできた柄のほうきを握ったラスクと、同じく鮮やかな金でできたちりとりを手にしたクララの姿が。
「私が隅の方に汚れを掃くから、あなたはそれをそのちりとりに収めていってちょうだい」
言ってラスクが軽快にほうきをさばいて、回廊の隅へと細かいゴミを掃いていく。
それをクララは大きめの金の刷毛でちりとりに収めていった。
――要するに、このでっかいお城で変な格好をして、規模の大きな家事をするのが<アンジェラ>の仕事なのね。ま、スラウブみたいに戦いが仕事で痛い思いをしなくていいだけマシなのかしら。てか、スラウブ……大丈夫なのかしら?
だんだんとクララのゴミのかき集め方がおおざっぱになってきた、その時であった。
ラスクが突然、中腰姿勢のクララの髪を勢いよく引っ張って立たせると、クララの左頬に平手打ちした。
――っつ……!
ぱんっという音が回廊に反響する。ラスクの見た目からは想像できないほどの力と、平手打ちの痛みにクララは驚き、ひるんだ。
「気を抜くな!」
ラスクが眉間にしわを寄せ、美しい白い歯を猛獣の威嚇のようにむき出しにし、轟く雷の如き低音の声でクララを叱責する。
「偉大なるブルート様がおられるこの『サントゥリオ』――いかなる汚れも許されない! 私が掃いた汚れがまだ残っているだろうが! 神聖なる侍女<アンジェラ>の誇り高き行いに泥を塗るような真似をするな!」
ラスクのあまりの変貌ぶりにクララは慄き、あわてて取り残した細かいゴミをちりとりに収めていく。
ラスクが回廊の隅に掃いたゴミを完全になくなるまでクララがちりとりに収めると、ラスクは元通りの顔になった。
「そう、それでいいの。気を抜いちゃダメ。さ、続けるわよ」
再びラスクは軽快なほうきさばきで回廊を掃いていく。クララは叱られた後の子供のように無心となって、細かいゴミを完璧なまでにちりとりに収めていった。
その時からクララは、ラスクに自身が操り人形となって支配されているような、恐怖にも近い感情を抱くようになっていた。
その後もクララの<アンジェラ>としての仕事は続き、植物の世話、ブルートの大食漢ぶりに沿った夕食の調理などをさせられた。
あまりにも細かい完璧な仕事ぶりを求められ続け、少しでも手を抜いた際にはラスクの平手打ちや叱責が飛んでくる。クララの神経は、すり減っていく一方であった。
「さ、今日の最後の仕事よ」
長い時間夕食の片付けをさせられ、体力の限界が近づいてきた頃、再びクララはラスクの後をついていく。
ラスクは戦士のような体つきでもなく、神経すり減る仕事を多数こなしていたのにもかかわらず、まったく疲れた様子を見せていない。
ふらふらの足取りでクララがラスクと共にやってきたのは、黄金のファルート像が左右にびっしりと並ぶ、廊下奥にある一際彫刻が細かく施された扉であった。
「背筋が丸まっているわ。もっとぴんと張りなさい! 疲れたような顔をしないで、もっと表情にこやかに!」
クララがラスクに扉の前で姿勢や表情を直される。
「これから行うのは、お休み前にブルート様に癒しを与える仕事。気を引き締めていきなさい」
ラスクが扉をゆっくりと開ける。
クララの目に映り込んできたのは、巨大なベッドの上で、複数の<アンジェラ>たちと淫らな行為をしているブルートの姿であった。
「おお来たか、ラスク」
「本日もお疲れ様でございましたブルート様。これより私たちが施術いたします。あなたたち、次は私たちが仕事をする番だから、今日はもう帰りなさい」
ラスクにそう言われ、ブルートの巨体に蛇のようにまとわりついていた<アンジェラ>たちが離れていく。
するとブルートが、巨大なベッドの上でうつ伏せになった。そこにラスクが近づく。
「マッサージのやり方、よく見ておきなさい」
クララにそう言うと、ラスクがブルートの体に手を置き、施術を始めた。
どうやらブルートの体にマッサージを施すことが、クララの最後の仕事らしい。
――冗談でしょ……。
ラスクの流れるような手つきの施術を受け、ブルートが低音のうなり声にも似た喘ぎ声を出す。
目をそらしたりしていると、またラスクの平手打ちや叱責が飛んでくるかもしれない。クララはじっとただ、ラスクの施術とブルートが心地よさそうに喘ぐ様子を見ているしかなかった。
やがて、ブルートが仰向けになる。
「さぁ、次はあなたがやる番よ」
ラスクがブルートのそばを離れ、自身がいた所に手をさす。
クララが渋々ゆっくりとそこに向かう。指し示されたブルートの近くの所に行ったところで、ラスクに耳打ちされた。
「一番大切な仕事よ。少しでも手を抜いたら承知しないから」
ラスクの背筋も凍りつくような低音の声は、まるで耳から心臓を直接突くかのようであった。
「さぁ、楽しませてもらおう」
ブルートが【指輪】を見ていた時と同じ不気味な満面の笑みを浮かべる。
クララはごくりとつばを飲み込むと、両手を重ね合わせ、ラスクと同じような動きで流れるようにブルートの体に施術を始めた。
やわらかで弾力がありながらも、筋肉の硬さが感じられるブルートの体――スラウブと似たその感触に、鳥肌を立てながらもクララは施術を続けていく。
ブルートの低音のうなり声にも似た喘ぎ声に、ラスクの矢の先で頸動脈を突かれているような視線。
――もう耐えられない……。
クララは手先に魔力を集める。
――この男と女を……!
と、その時であった。
――……!? え……? ウソでしょ……。
クララが一瞬動きを止める。
すると、ラスクがクララの背中に爪を突き刺した。
――っつ……!
あわててクララが再び手を動かす。
「上手じゃないか」
「あ……ありがとうございます……」
クララは思わずブルートに本心でもないことを漏らした。
「今日一日、ずっとこちらのクララは<アンジェラ>としての役目を人一倍、真面目に丁寧にこなしていたんですよ。見ていて感心するばかりでしたわ」
背後にいるラスクの言葉に、クララが一瞬顔をしかめる。
「それは素晴らしい。そなたの魔法の力は貴重なものであるからな。安心しろ、ペルーア王国にトルオス王国のならず者が簡単に足を踏み入れることはできない。そなたを<アンジェラ>の一員として、大切に扱うと約束するよ。我が『サントゥリオ』で責務を果たしておれば、そなたは兄上とここで一生何事もなく暮らしていける」
「こ……心づかい……感謝いたします……」
クララは首に鎖でも繋がれているような息苦しさを感じながら、ブルートに施術を行い続けるのであった。
「ご苦労様。今日は本当によく頑張ったわね」
ラスクは疲労困憊の様子のクララを、『サントゥリオ』の出口まで見送っていた。
「おうちから『サントゥリオ』まではもう問題なく来られるわね? 今日と同じ時間にまた来なさい。その調子で、明日も頼むわよ」
「は……はい、承知いたしました」
普段着に着替えたクララは、ようやくこれで<アンジェラ>の仕事から解放されると安堵していたが、最後まで姿勢と表情を崩さなかった。
「それじゃあね」
警備兵二人が重厚な『サントゥリオ』の扉が閉じ、ラスクの姿が見えなくなったところで、クララは大きく息を吐く。
――これから先……ここでやっていけるのかしら……。
とぼとぼとした足取りで歩みを進め、幻想的な黄金の明かりで照らされた『サントゥリオ』を振り返った後、クララはペルーア王国の新しい我が家に向かうのであった。
◆
「ホント、さんざんな目にあったわ」
スラウブと共に遅い夕飯を済ませてから水浴び場の浴槽につかっていたクララが本音を漏らす。
「具体的には?」
「破廉恥な格好をさせられて、あのでっかい城の中を掃除させられて、膨大な数の植物の世話をさせられて、料理に皿洗いまでさせられたわ」
「破廉恥な格好って?」
「聞かないで」
「今度見に行ってもいいか?」
「ダメ。絶対にダメ。何を言おうがダメ。もし見に来たら、魔法でこの国の全てを破壊するくらいダメ」
「お互いこうやって裸を見せ合ってるのに?」
「それとこれは別。いい? 絶対ダメだからね? もし見に来たら、兄さんだろうと容赦しないから」
「おお怖い怖い」
面白おかしそうにしているスラウブとは対照的な表情をクララが浮かべる。
「それに、あの城を統べる者にして侍女の長だとか言う変な女にずっと付きまとわれて、少しでも手を抜くと殴られたり、怒鳴り散らされたりしてもう……極めつけは、その女に見張られながら、あのブルートの体をマッサージさせられたのよ」
それを聞くと、スラウブの顔も一変した。
「魔法で二人とも殺っちゃえば?」
もちろんそんなことをすれば、おおごとになるのは間違いないことはスラウブもわかっていたが、本心だ。
「実際我慢できなくなって、殺ろうとしたわ。でも、魔力を集中させた時に感じたの……」
クララがうつむき、少しの間沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「あのブルートとかいう男……ファルートの力を持っているみたいなの……」




