第十二話 あなたのために ~後編~
「炎の獅子王ファルート……?」
ナバロは圧倒的な存在感を放つ獅子の獣人の前で立ちすくんだ。
「失わない。絶対に……!」
クララの体が宙に浮く。
腕を交差させて胸に手を置いたクララが、再び力強く叫んだ。
「さぁ、奴を倒すのよ。スラウブ!」
炎の獅子王ファルートと化したスラウブが咆哮を上げ、ナバロに突っ込んだ。
「っ……!」
間一髪のところで、ナバロは目にもとまらぬスラウブの炎の爪攻撃を黒いオーラをまとった剣で受け止めた。
だが吹っ飛ばされて、議事堂の石柱に叩きつけられた。
背中の翼のおかげで衝撃がやわらいだものの、鈍器で背中を殴られたような痛みがナバロを襲う。
「ぐっ……!」
うめき声を上げ、石柱から落ちるナバロに、スラウブは容赦なく攻撃を加えてきた。
――速い……!
しなやかな動きで太い腕や脚を鞭のように振るい、手と足の炎の爪で攻撃してくるスラウブに、ナバロは剣で受け止めるのが精一杯であった。まるで自身が、人間のスラウブの時と同じ立場になってしまったようであった。
やがてスラウブの攻撃を受け止める剣が大きくそれ、ナバロに隙が生まれていく。そこをスラウブに攻められ、ナバロの体に次々と火傷の爪痕が刻まれていった。
――痛い……! 熱い……!
炎の獅子王ファルートと化したスラウブに、全く反撃の隙が見いだせない。間合いを取ろうとしても、一瞬でスラウブは距離を詰めてくる。
ナバロが初めて味わう、〝この相手には敵わない〟という感情であった。
――こいつは一体、何なんだ……!?
ふと、ナバロの視線の先にクララが映る。
宙に浮く紅蓮のオーラに包まれたクララは目をつむり、腕を交差させて胸に手を置いたまま動かない。
――あの女を殺れば……!
ナバロは、クララが今のスラウブを操っているのだと感じた。スラウブの怒涛の連撃を受けながら、クララに背を向ける形に持っていく。
――今だ……!
ナバロはスラウブの爪攻撃を受けた反動であえて後ろに吹っ飛び、転がりながら体の向きを変え、クララに突っ込んだ。
クララに剣を真っすぐ向け、突き刺そうとする。
――もらった……!
ナバロがそう確信した、その時であった。
地面の下から、紺碧に発光した半透明な壁が現れた。ナバロの剣が、阻まれる。
――なっ……!?
突然、壁の向こうに銀髪の女の霊体が現れた。
「誰だ……!? お前は……!?」
〝クララはー、殺らせないー!〟
ナバロの頭に、針を刺されたかのような感覚が襲ったかと思うと、女の声が響いた。
すると――。
「ぐはっ……!」
ナバロの体を、何かが貫いた。
愕然としながら、ナバロが視線を下の方に向ける。
自身の体を貫いていたのは、スラウブの腕であった。
「そんな……バカな……」
スラウブが貫いた腕を振るい、ナバロを後方に放り投げる。
「この私が……」
ナバロは口から血を吐き出すと、小刻みに震え続け、やがて完全に動かなくなった。
その様子を見届けてから、スラウブはクララの方に目を移す。
「フィオナ……?」
クララは宙に浮いたまま、自分の方を振り向いた銀髪の女の霊体に目を合わせる。
それは間違いなく、フィオナであった。
〝驚いたー? あたしのー……最後の【想い】の力よー〟
フィオナの霊体が、無邪気な笑みを浮かべた。
〝でももう限界かー……だけどー、これで安心して逝けるわー。クララー、スラウブ―、ありがとうー。チェルビュイを守ってくれてー。仲良くやっていくんだぞー。じゃあなー!〟
紺碧の光がフィオナの霊体を包んでいく。
「え、ちょっと……フィオナ……待ってよ……!」
震える声のクララの頬を、涙が伝う。別れの言葉を言う間もなく、フィオナの霊体を包む紺碧の光が勢いを増していき、フィオナの霊体が消えてなくなったかと思うと、美しい紺碧の羽をした一匹の蝶が現れた。
蝶は別れを惜しむかのようにその場でしばらく羽ばたき続け、やがてきらきら輝く鱗粉をまき散らしながら、高く高く舞い上がっていった。
「フィオナ…………ありがとう……」
クララとスラウブは蝶の姿が見えなくなるまで、その場でじっと見送り続けた。
「スラウブ……」
炎の獅子王ファルートと化したスラウブに、クララが目をやる。
〝クララ、俺は一体……どうしちまったんだ?〟
クララの頭の中に、困惑した口調のスラウブの声が響く。
「スラウブ、聞いてほしいことがあるの。あなたと私のお母さんとお父さんはね……」
クララが言いかけた、その時であった。
「ユーゴ……リサ……トール……」
突然、死んだはずのナバロの体が激しく震えだした。
〝何……!?〟
スラウブが戦慄する。
ナバロの体を、黒いオーラが包み込んでいく。
「お前たちの無念を晴らすまで……私は死ねない……!」
ナバロの体を包む黒いオーラが、勢いを増していった。
「ナタリア様……我に……最後の力を……!」
黒いオーラが完全にナバロの体を覆った。
そして――。
〝……!〟
「……!」
スラウブとクララの前に現れたのは、炎の獅子王ファルートと化したスラウブと同じくらいの背丈がある、漆黒の重厚な鎧と兜にマントで身を包んだ黒騎士であった。
〝あれは……!?〟
スラウブにはその姿に見覚えがあった。<スキーモ>だった時に容赦なく戦の仕方を叩きこまれた、悪魔の騎士――その正体は、<セレッサ>の長ナバロだった。
すると、黒騎士ナバロの横に、女の霊体が現れた。
ナタリアだ――。
「ナ……ナタリア……!」
今度はクララが戦慄した。
〝驚いた?〟
ナタリアの霊体が甲高く笑う。
〝《復活の黒魔法》をかけていたのは、あのババアだけじゃないのよ。このムサ男にもかけていたの。条件としてはこのムサ男が、『自分がしくじった時に命と引き換えに絶大な力を頂けるなら、なすべきことをやり遂げた後で、この肉体をあなたに譲る』だったかしら。このムサ男にとってこの姿が、『全てを支配できる絶大な力を持つ姿』だそうよ〟
要するに、ナバロが確実に復讐を遂げるためにナタリアと命の取引をしていたということである。
〝このムサ男が、『子供たちの無念を晴らす』だったかしら? それが済んだら、このムサ男の肉体と引き換えにさっさと復活して、この街を頂くわよ。さっきは油断しちゃったけど、今度はそうはいかないわ。覚悟しなさい。ほら、さっさとこいつらを殺るわよ〟
ナタリアがそう言うと、ナバロは黒いオーラをまとった剣を構えた。
炎の獅子王ファルートと化したスラウブと、漆黒の重厚な鎧と兜にマントで身を包んだ黒騎士と化したナバロがにらみ合う。
「……いいわ。受けて立つ」
スラウブの背中越しで、クララが覚悟を決めた。
「スラウブ、お願い。もう一度私に力を貸して」
〝もちろんだ。お前こそ、もう一度俺に力を貸してくれないか?〟
「当たり前よ」
スラウブが後ろを振り返る。クララは、その決意に満ちた目を見てうなづいた。
「行くわよ、スラウブ!」
〝ムサ男、行けー!〟
スラウブの炎の爪とナバロの剣の応酬が始まる。絶え間なく激しい火花が散り、荒々しい音が鳴り響く。人間のナバロとは違い、黒騎士のナバロはスラウブの炎の爪を的確にかつ体勢を崩さずにはじき返していった。
「貴様らは所詮、奴隷の<スキーモ>。この私やナタリア様に勝つことなど、不可能なのだ」
黒騎士のナバロの重くえぐられるような低い声がスラウブとクララの身に響く。
人間のナバロの時との違いからか、スラウブに焦りが見え始め、徐々に攻撃が大振りになっていく。
その隙をトルオス王国の独裁者プラウル専属のエリート騎士<セレッサ>の長ナバロは見逃さなかった。
「そこ!」
ナバロはスラウブの左手の爪攻撃を完璧なタイミングではじき返すことに成功した。
スラウブの体勢が大きく崩れる。ナバロが剣を振り下ろし、スラウブの額に入れる――ところで間一髪、スラウブは倒れながらナバロの剣を右手の爪で受け止めた。
地面に倒れ込んだスラウブの腹部を踏みつけたまま、ナバロが剣を押し込む。
〝いいぞ、ムサ男ー!〟
ナバロが押し込んでいた剣を振り上げ、容赦なくスラウブに剣を振り下ろし続ける。
スラウブは腹部を踏まれて押さえつけられた状態で、必死にナバロの剣を爪ではじき続けた。
〝あたしの『支配』の力を思い知るがいいわ。バカ女!〟
ナタリアの意志が乗り移ったかのようにナバロに黒いオーラがまとわりつく。
〝いつまでもつかしら?〟
ナタリアが高らかに笑い声を上げる。
「本当に……あなたは愚かなのね」
哀れみを込めた声で、クララがつぶやいた。
〝なんですって?〟
「もう一度言わせてもらうわ。魔法は『支配』するためにあるんじゃない。【想い】に応えるためにあるのよ」
そう言ってクララは、地面に落ちているスラウブが使っていた炎の大剣に向かって手を広げる。
すると紅蓮のオーラをまとっていた炎の大剣が、紺碧の炎をまとった大剣となった。
「スラウブ! 受け取って!」
紺碧の炎をまとった大剣がブーメランのように回りながらスラウブの所へ行く。
スラウブの左側から来た紺碧の炎の大剣が、ナバロの剣を受け止める。スラウブはそれを右手で掴み、ナバロを剣ごと後方へはじき飛ばした。
「何……!?」
〝なんなのあれ……!?〟
ナバロとナタリアが、スラウブが手にしている紺碧の炎の大剣に慄く。
「何度でも見せてあげる。【想い】の力を……!」
スラウブがナバロに襲い掛かる。
炎の爪とは違い、紺碧の炎の大剣には重みがあった。
「ぐっ……!」
スラウブが炎の爪と同じように紺碧の炎の大剣を軽々と振るう。ナバロがかろうじてスラウブの連撃を剣で受け止めるも重みに押され、徐々にナタリアの方へと後退していく。
〝こら、ムサ男! 押されてるわよ!〟
ナバロに、再び〝この相手には敵わない〟という感情が湧き上がった。
「『支配』では、共に栄えることなどできない。このチェルビュイで過ごして、それがわかったわ。あなたたちもプラウルも、【想い】に打ち勝つことなど――決してできない!」
クララの【想い】を乗せた、スラウブが手にする紺碧の炎の大剣と、ナタリアの『支配』を乗せたナバロが手にする黒いオーラをまとった剣がぶつかる。
ナバロの黒いオーラをまとった剣が、粉々に砕け散った――。
「……なんということだ」
スラウブがナバロの剣を砕いた紺碧の炎の大剣を振り上げ、渾身の力を込めて振り下ろす。
黒騎士のナバロが、真っ二つになっていく。
「ユーゴ……リサ……トール……この不面目な父親を……許してくれ……」
そして――黒いオーラとともに、黒騎士のナバロが消え去った。
〝そんな! ウソよ! こんな! 何やってんのよ、ムサ男! ぐはっ……!〟
狂ったようにわめき散らすナタリアの霊体に、スラウブが手にする紺碧の炎の大剣が突き刺さっていた――。
「私はここに誓う――いつか必ず、この世界から『支配』をなくしてみせる」
スラウブの近くにクララがやってきた。その目は力強く、決意に満ちていた。
「滅びろー!」
〝滅びろー!〟
クララとスラウブが叫ぶと、紺碧の炎の勢いが増していく。
〝ぎゃあああああ! 熱い! 熱いぃぃぃぃぃ!〟
ナタリアの断末魔の叫びが響き渡る。紺碧の炎が、ナタリアを完全に包み込んだ。
〝ぎゃああああああああああ!〟
やがて黒いオーラが衝撃波のようにはじけ、紺碧の炎が収まった。
そこに、ナタリアの姿はなかった。
「さようなら……姉さん……」
クララがつぶやいた。
〝は……? 姉さん……?〟
その声を、スラウブは聞き逃していなかった。
「……そうだよ、兄さん」
〝は……? 兄さん……?〟
姉に続く兄という言葉に、スラウブがすっとんきょうな声を上げる。
「聞いて。私たちの母は、チェルビュイの女王だったハイネ。父は、ペルーア王国の王にして騎士団長だったロドリックなの」
〝は!? おいおいおいおい、ちょっと待てよ〟
困惑するスラウブをよそに、クララが続ける。
「トルオス王国軍との戦いの中で父さんを失った母さんは、自責の念に苦しめられてチェルビュイを出て、森で偶然、トルオス王国軍兵士に捕らえられてしまったの。そしてトルオス王国に連れていかれ、プラウルの父親のもとで、ひどい拷問を受け続けた。そんな中で母さんは、三人の子供を出産した。私とあなた、それにナタリアよ」
〝ウソだろ……〟
「私たちのうちナタリアは、父親の跡を継いだ若き独裁者プラウルによって奪われた。残った私たちは、貧困地区『バッソナ』に放り捨てられてしまったの。私たちが両親だと思っていた人たちは、『バッソナ』で私たちを拾ってくれた人たちだった」
クララが宙から下り、炎の獅子王ファルートと化したスラウブに手を広げる。
すると、包まれた紅蓮の炎の中から、人間のスラウブが現れた。
スラウブの体中にあった傷はすっかり癒えていたが、愕然とした表情を浮かべている。
「なんてことをしてくれたんだ……」
スラウブとクララが声の方を振り向く。
議事堂の建物から現れたのは、スラウブとクララのチェルビュイ居住審査を行った評議会議長であった。
「甘かった……一週間以内などと言わず、貴様らを即刻チェルビュイから立ち去るように判決を下すべきだった……」
スラウブとクララに評議会議長がじりじりと歩み寄っていく。その顔には憎しみや軽蔑、後悔といったものが感じられた。
「この平穏で美しかったチェルビュイを、よくも血の海に変えてくれたな……」
気が付くと、周りに生き残ったチェルビュイの人々が集まってきていた。
「私の家族が殺されたのは、あんたらのせいよ」
「まさか、災厄をもたらす者たちだったとはな」
「返してよ! 私の旦那を!」
そこに、おだやかであったチェルビュイの人々の姿はなかった。
「ちょっと待てよ。俺たちは……」
と言いかけたところでスラウブは口をつぐむ。
フィオナがこころよく招いてくれたとはいえ、確かに自分たちが来なければ、チェルビュイは襲われなかった。
スラウブとクララは、その場で黙り込むことしかできなかった。
そこへ、一人のチェルビュイの民が現れる。
「消え失せろ。二度と姿を見せるな」
言ってそのチェルビュイの民が、バラが一面に咲き誇る美しい広場に置いてきたスラウブの荷袋と小型のクロスボウを放り投げた。
荷袋の中に入っている【指輪】が――またしても災いをもたらした。
「スラウブ……」
「クララ……ここはもう、立ち去るしかない」
スラウブが荷袋と小型のクロスボウを拾って左肩に担ぎ、大剣を握る右手でクララを抱き寄せながら、冷たい表情を浮かべるチェルビュイの人々の間を通り過ぎていく。
自分たちのルーツは、ここにあった。だがもう、この平穏で美しい街には戻れそうにもなかった。
スラウブとクララは、破られた魔法陣を抜け、ついにチェルビュイを後にした。
「……行こう、兄さん。私たちの父さんの故郷、ペルーア王国へ」
「……ああ」
二人は悔恨の思いで後ろを振り返った後、一歩一歩重い足取りで前へ進んでいくのであった。




