第十話 母と娘たち
「え……?」
クララが絶句する。
――私が……ハイネの娘……?
わけがわからなかった。自身はトルオス王国の貧困地区『バッソナ』で生まれ育ち、両親もちゃんといた。
「何を言ってるの? そんなはずないじゃない」
フィオナに魔法をかけたまま、クララは困惑する。
「間違いない……あんたに初めて会った時……目を疑ったわ……若い時のハイネに……あまりにもそっくりだった……」
「ただ似てただけでしょ?」
「いえ……今日……あんたの魔法さばきを見て確信した……ハイネの娘だ……って……」
「何かの間違いよ」
「あれだけの魔法を……こんな短期間で……使いこなせる者など……普通はいない……それに……あたしは……チェルビュイが……トルオス王国の侵略を受けていた時に……ハイネと一緒に……戦ったの……」
「え……?」
再びクララが絶句する。
「あんたの魔法さばきは……ハイネのものと一緒だわ……」
きっとフィオナは、意識がもうろうとし、わけのわからないことを言っているのだろうとクララは思い、フィオナを回復させることに集中することにした。
「もうしゃべらないで」
クララが魔法の力を強めるも、フィオナは衰弱していく一方であった。
「無駄よ。あきらめなさい」
ナタリアは腕を組み、余裕たっぷりの表情である。
――うるさい、黙れ! あきらめないわ、絶対に救ってみせる!
だがクララの【想い】とは逆に、フィオナの顔から生気が失われていく。
そして、ついに――。
「クララ……お願い……この美しい……チェルビュイを……救って……ちょうだい……」
クララは、フィオナの体の力が一気に抜けていくのを感じた。フィオナは目を大きく開いたまま、動かなくなる――。
「そんな……いや……ダメよ……お願い、目を覚まして! フィオナー!」
クララには受け入れられなかった。
初めてできた、スラウブ以外の友人であるジュディーの死。そして、フィオナの死というものが――。
「だから言ったのに。さて、邪魔者がいなくなったところで――あんたのことも消して、チェルビュイはトルオス王国が頂くわ。これできっと、お父様もあたしのことをもっと認めてくださるはず!」
ナタリアが、再び右手の上で赤黒い炎を燃やす。
クララが、そっと立ち上がった。
「チェルビュイのことは――渡さない!」
クララも声を震わせながら、右手の上で激しく炎を燃やす。
「このあたし、ナタリアこそが、次なる玉座につく者にして、世界を制する魔法使い! 覚悟しなさい!」
「お前のことは、許さなーい!」
ナタリアとクララの炎が、激しく燃え盛っていき、ばちばちと音を立てていく。
「炎雷よ、この者を消し去り、このナタリアに、大いなる名誉を与えたまえー!」
「炎雷よ、平穏なる美しきチェルビュイとその純粋なる民たちを守るため、下劣なる悪を打ち倒すため、我に力を与えたまえー!」
ナタリアとクララの右手から放たれた炎雷が、すさまじい轟音と衝撃波とともにぶつかる。
ナタリアとクララは、足を踏ん張り、少しでも手を前に出そうとする。
「ええい! 往生際の悪い小娘め! 風氷よ、この分際をわきまえない愚か者を貫き、この地を支配し、我に名誉を与えたまえ―!」
「風氷よ、この卑しき悪の使者を貫き、この地を守りたまえー!」
ナタリアとクララの左手から突風とともに氷の塊が放たれる。
炎雷と共に氷の塊がぶつかり、めきめきと激しい音を立てていった。
「クソっ! 小娘ごときがどうしてこんなに魔法を!?」
ナタリアの顔から、一切の余裕がなくなっていった。
「ナタリア様ー! 援護いたします!」
トルオス王国軍兵士たちが、ナタリアの後方からやってきた。
「いらぬわ、そんなもの! 邪魔をするでない!」
ナタリアが右手の人差し指を立てる。赤黒い結晶の針が、後方からやってきたトルオス王国軍兵士たちを貫いた。
「こんな小娘ごとき、あたしの力だけで……!」
クララが、目をつむる。
頭の中に、様々なものが浮かびあがった。
チェルビュイの美しい景色――。
チェルビュイの学校『フォースク』でのよき思い出――。
隣の席に天使のような笑顔で迎えてくれたジュディー――。
出会った時から親身になってくれたフィオナ――。
「【想い】よ――我とこの美しき地に救いの手を差し伸べ、哀れなる者たちに報いたまえ」
「【想い】……?」
クララの炎雷と風氷が、一気に黒魔法を押しのけ、ナタリアを貫いた――。
「ぐはっ……あああああ……!」
ナタリアの断末魔が、チェルビュイの地にこだまする。
巨漢に体当たりでもされたかのように、ナタリアが派手に吹っ飛んだ。
「え……え……ウソ……でしょ……?」
ナタリアが、自身の身に空いた砲弾のような穴に戦慄する。
「なぜ……あたしの……黒魔法が……あたしの……《支配石》の……力が……そんな……」
クララがゆっくりと、ナタリアの方に歩み寄った。
「それは――《支配石》などというものではないわ。《想応石》よ。魔法は、人々を支配するためにあるのではない。【想い】に応えるためにあるのよ」
「《想応石》……? 【想い】……?」
ナタリアが、口から血を吐きながら、体を震わせながら、声を絞り出す。
「その石は、チェルビュイ内の洞窟で、ある炭鉱夫が見つけたものだった。炭鉱夫は、愛する妻のためにその美しい石をプレゼントしたの。だけどある日、その炭鉱夫は不幸な事故に遭ってしまった。炭鉱夫の妻は、強い想いを込めて祈り続けた。『どうか、私が唯一愛したこの方の命をお救いください』とね。その【想い】は通じ、炭鉱夫は奇跡的に息を吹き返した。もう一度言わせてもらうわ――《想応石》の魔法は、人々を支配するためにあるのではない。【想い】に応えるためにあるのよ」
虫の息状態のナタリアを、クララはじっと見下ろした。
「でも、あなたには――あなたが望むものをあげる。『支配』をあげる」
言ってクララはナタリアの方に右手を広げた。クララの左上腕にある黒い刺青から、黒いオーラがまとわりつく。
「え……? ちょっと……何……?」
ナタリアの体の周りから、うねうねと黒いものがうごめく。
「あなたが殺めた私の友人の無念とあなたへの憎しみによる『支配』。そして――私たち<スキーモ>が味わった苦しみと憎しみによる『支配』をあげるわ」
黒いものの正体、それは蛇であった。クララの刺青と同じ姿をした蛇――。
大量の黒い蛇たちが、ナタリアの体にまとわりつく。そして、黒い蛇たちはナタリアの体に一斉に噛みついていった。
「う、っつ! た、いたたた! う……きゃ……ぎゃ、ぎゃあああ! やめ……っつ……だぁあああ!」
狂ったような声を上げ、ナタリアがもだえ苦しむ。
引きちぎられるナタリアの顔の肉、腕の肉、脚の肉――クララは黒い蛇たちによる無慈悲極まりない処刑の様子を、氷のように冷たい目でじっと見下ろしていた。
「お願……い……たすけ……きゃあ……ぎゃあああああ!」
血の海が広がり、ナタリアが黒いドレスを着た骨になるまで、それほど時間はかからなかった。
やがて黒い蛇たちが〝食事〟を終え、クララのもとに集まる。
「……いいわ、背負っていってあげる。元に戻らないというのなら、この呪いの刺青を。そして――あんたたちのことも」
クララはしゃがみ、黒い蛇たちにそっと左手を差し伸べた。黒い蛇たちは巣に戻るかのように、クララの左腕の中に吸い込まれていった。
クララの左上腕にある黒い刺青から、ゆっくりと黒いオーラが消える。
覚悟を決めたかのような顔で、クララは立ち上がった。
ふと――ナタリアの近くにいた、椅子に座った老婆に目が行く。
老婆は、激しいクララとナタリアの魔法の応酬があったのにもかかわらず、そのままでいた。
「あなたは……」
クララが老婆の方に歩みかけたその時であった。
「っ……!」
頭に針を刺されたかのような感覚が、クララを襲う。
〝ああ……私の……愛する娘……〟
クララの頭の中で、再びあの声が響いた。
――え……娘……?
わけがわからなかった。ただ一つ間違いなく言えることは、クララの頭の中に響いている声は、この老婆によるものだ。
〝無事でよかった……〟
頭を抱えながら、クララは老婆を見る。
――あなたは、誰なの……?
クララは頭の中で、老婆に話しかけた。
〝私の名はハイネ……このチェルビュイの元女王にして……あなたの母親よ……〟
――え……?
クララは愕然とし、老婆の前で、蛇ににらまれたカエルのように立ち尽くした。
――ウソだわ。私には、トルオス王国に両親がいたの。
〝そう遠くない昔……チェルビュイがトルオス王国の侵略を受けていた時……私は魔法を駆使して……トルオス王国軍と戦った〟
クララはこの場所でフィオナが話していたことを思い出した。
〝私はそこにいるフィオナと……後ろで像となっている……ロドリックと戦った……ロドリックは……私の愛人だった……でも……トルオス王国軍との戦いの中で……子供を守ろうとしたところを狙われ……命を落としてしまったの……トルオス王国軍との戦いに勝利したものの……私は自責の念に苦しめられ続け……ある日とうとう……このチェルビュイを出ていった……〟
どうやら本当に、フィオナはハイネと共に戦っていたらしい。しかもロドリックがトルオス王国軍との戦いの中で子供を守ろうとしたところを狙われ、命を落としてしまったこと。ハイネがロドリックを失い、自責の念に苦しめられてチェルビュイを出ていったこと。これらはフィオナが話していたことと一致する。
〝我を失い……さまよい続けた中で……私は森で偶然……トルオス王国軍兵士に捕らえられてしまった……そして……トルオス王国に連れていかれ……今の独裁者プラウルの父親のもとで……ひどい拷問を受け続けたの……〟
――なんてこと……。
〝そんな中……私は……三人の子供を出産した……私と……ロドリックの子……一人の男の子と……二人の女の子よ……〟
――え……まさか……?
〝三人の子供のうち……女の子の一人は……父親の跡を継いだ若き独裁者プラウルによって奪われた……残りの二人の子は……廃棄物同然のように人が扱われている……貧困地区『バッソナ』に放り捨てられてしまったの……『誰かが拾ってくれることを祈っておけ』と言われたわ……〟
クララの目に涙があふれていく。
〝そう……そのナタリアという女は……独裁者プラウルによって……闇に落とされてしまった……あなたの姉よ……そしてあなたのそばにいた……あの大柄の男性は……あなたの兄なの……〟
クララはもう、頭の中をかき乱されているような感覚であった。
――ちょっと待って……待ってよ……。
ハイネの前で、クララが膝をついて泣き崩れる。
〝ごめんなさい……あなたのそばにいてあげられなくて……あなた……クララって名前なのね……とてもかわいらしい名前……あの男の人はスラウブ……素敵じゃない……〟
ハイネは、自分の子供に名前を付けることすら許されなかったようだ。
どうやらクララが両親だと思っていた者たちは、貧困地区『バッソナ』でクララを拾ってくれた人物たちだったらしい。
と――ハイネの身から、黒いオーラがあふれ出した。
――え……?
〝私はもう……ナタリアと《支配石》に取り込まれてしまった……このままでは……ナタリアが復活してしまう……〟
――それは……一体なんなの……?
〝《復活の黒魔法》……もし万が一……自分が死んだ時に……私の身を介して生き返れるようにと……ナタリアが私にかけた黒魔法よ……〟
クララが戦慄する。あのナタリアを、もう一度倒す気力は今のクララにはなかった。
――どうすれば……どうすればいいの……?
うろたえるクララに、ハイネは淡々とした口調で語りかける。
〝方法はただ一つ……そのナタリアが身につけている《支配石》を……破壊すること……それで……私を殺せる……〟
――え……?
クララは、心臓を鷲掴みにされたかのようであった。
――いやよ……そんなのできない……。
せっかく初めて出会った真の母親を殺すことなど、クララにはできなかった。
〝お願い……これ以上……ナタリアに……《支配石》に……プラウルに……利用されたくない……この無様な姿で……生きたくないの……お願い……クララ……〟
クララが涙であふれた目で、ハイネの目を見る。その目は、石のように固まってしまった他の体の部位とは違い、確かな生命力があった。訴える力があった。
クララは、黒いドレスを身にまとい、美しい《支配石》のネックレスを身につけたナタリアのむくろに近づき、《支配石》のネックレスを手に取った。
その手から、炎が燃え盛っていく。
〝それでいい……〟
クララが炎を燃やしながら、ハイネの姿を目に焼き付ける。
〝やって……〟
ハイネの首がほんの少しだけ、縦に動くのが見えた。
「炎よ、悪しき魂と、闇にさまよう哀れなる魂と、我が愛する母を救いたまえ」
クララは炎が燃え盛る、《支配石》のネックレスが乗った手をぎゅっと握りしめる。
ぱりんっと、甲高い音が響いた。
〝ありがとう……〟
ハイネの体から黒いオーラが消え、紺碧の光が帯びていく――。
「お母さん……?」
ハイネを包む紺碧の光が、勢いを増していった。
〝私の息子が……あなたの兄が……危ない……救ってちょうだい……愛してるわ……クララ……〟
「お母さん……お母さあああああん!」
クララの叫びとともに、ハイネの体が消えてなくなったかと思うと、美しい紺碧の羽をした一匹の蝶が現れた。
蝶はその場でしばらく羽ばたき続けると、やがてまるで天へ昇っていくかのようにきらきら輝く鱗粉をまき散らしながら、高く高く舞い上がっていった。
「お母さん……」
クララは蝶を、その姿が見えなくなるまで見送る。
「スラウブ……待ってて、今助けに行くから」
涙を拭き、大切な友人であるフィオナとジュディーに目をやった後、クララはスラウブの所へと向かうのであった。




