第一話 救うために ~前編~
「ねぇ、スラウブ……ちゃんと話してくれないかしら」
先に切り出したのは、クララの方であった。
二人の間で、たき火の炎がせわしなく揺らいでいる。
「《エリクサー》なんて、とても鍛冶屋の仕事の収入で手が届くものじゃない。そうでしょ?」
じっとたき火の炎を見つめ続ける険しい顔のスラウブをのぞき込むようにして、クララが訊ねた。
「あの《エリクサー》、どうやって手に入れたの? そんなものを買う大金、どこで手に入れたの?」
スラウブは黙ったままだ。
「どうして、私たちは追われていたの? あの《エリクサー》が何か関係している、そうでしょ?」
クララが問い詰める。
「答えてよ……スラウブ」
それからしばらく、二人の間に沈黙が流れた。
クララはずっと、スラウブから目を離さないでいる。
するとスラウブは大きく息を吸い、吐き出すと、観念したかのように顔を上げた。
「わかった。全てを正直に話すよ」
そしてスラウブが、ようやく重い口を開けた。
◆
沈みかけの夕日の中、右肩から左腰にかけて革のベルトを巻いた鞘に収めた大剣と大きな荷袋まで背負った一人の男が、巨体を揺らしながら野原を走っていた。
その男スラウブは、さっぱりとした暗めの栗色の短髪で、顎からもみ上げまでつながった細い髭を生やし、おだやかな顔つきをしている。小麦色の肌に、自慢の丸太のような腕や分厚い胸板とは対照的な、やや愛嬌のある腹も特徴的だ。ベルトを巻いた腰布、籠手にすね当てといった剣闘士の装備をしているが、いかにも大らかな風貌である。
小規模な森を抜け、ぽつんとたたずむ小さな木造の家屋が現れたところで、スラウブは少しずつ足を緩めていった。
「帰ったぞ」
我が家に帰るなり汗を拭ったスラウブは、大剣と荷袋を下ろし、唯一の同居人のもとに向かう。
「おかえ……り……」
スラウブが寝室のドアを開けるとそこには、窓から差し込む夕日の光によってきらびやかにブロンドの髪を輝かせた、同居人クララがベッドの上にいた。端正な顔立ちの美しい容姿とは裏腹に、咳き込む姿が痛々しい。
「何か作ってやるよ」
スラウブがクララの額をなでながら優しく言うと、
「いつもの……スープでお願い……」
咳き込みながら、クララが声を絞り出した。
「わかった。待ってろ」
今度はクララの頬に軽くキスをすると、スラウブは急ぎ厨房へと向かった。
野菜を切り、沸騰させた鍋の水に放り込んで、様々な調味料を入れる。
仕上げに生姜をすり下ろし、スラウブ特製の生姜スープが出来上がった頃には、外の日はすっかり沈んでいた。
赤子を抱えるように生姜スープの入った皿を手にしたスラウブが再びクララの寝室を訪れると、そこには弱々しいランタンの明かりに照らされた、悲愴な寝顔のクララがいた。
「ほら、作ってきたぞ」
スラウブの声に目を開け、クララがゆっくりと体を起こす。そしてスラウブの手から生姜スープの皿を受け取ると、さっそくそれを口にし始めた。スラウブは横に座り、じっとその様子を見守る。
「おいしい……ありがとう。スラウブ、料理人も……できるんじゃない?」
最近はもう、クララの頬が緩むのはこんな時だけである。
「そいつはどうも」
照れくさそうに頭をかくスラウブにクララが再び口を開いた。
「ねぇ……スラウブ……最後にさ……一つだけ……やりたいことがあるんだけど……」
それを聞いたスラウブが、声を上げる。
「馬鹿! 最後なんて当分先の話だ! いいな!?」
「いいから……聞いて……」
クララがそんなスラウブにも変わらぬ調子で声を絞り出す。
「<スキーモ>の刑期が終わった後にさ……『ベネステ』の景色を高台から一緒に見たじゃない……? あれを……もう一度やりたいな……」
「クララ……」
ここトルオス王国では、罪を犯した囚人は労働者兼兵士としての奴隷<スキーモ>として刑期の間、もう長い間独裁者として君臨し続けているプラウルの政権支配下に置かれるようになってしまっていた。
貧困地区『バッソナ』で生まれ育ったスラウブとクララは、家庭を助けるために中間層地区『メリア』で盗みを繰り返していたところを捕らえられ、幼くして<スキーモ>となってしまう。もともと病弱であったクララは、そこでスラウブに出会い、支えられていた。
二十何年にも及んだ、過酷な肉体労働、敵対勢力や魔物に賊といった者たちとの命を削る戦いを強いられたのち、ようやく<スキーモ>の刑期を終え、二人は共に暮らすようになった。もう二人には、家族もいない。
<スキーモ>の刑期を終えた時、『メリア』にある高台から、豪華絢爛な城や建築物が並ぶ富裕層地区『ベネステ』の夜景を二人で眺めたのが、クララにとってはよき思い出だったらしい。
「頼む……最後なんて、まだ言わないでくれ」
三か月ほど前から、クララの容体が悪化し、ベッドで寝たきりになっているのがほとんどであった。日に日に悪化していて、回復の兆しが全く見えない。
「もう……ダメなの……それに……もうこれ以上……スラウブに負担をかけたくない……」
「負担だなんて、思ってねぇよ!」
「スラウブ……あなたは……このひどい世界における……私にとっての唯一の光だったわ……」
「クララ……」
<スキーモ>の刑期を終え、二人は退所時に支給されたわずかな生活資金をもとに食いつなぎ、『バッソナ』の町外れに小さな家を建てた。求職してさまよったスラウブが、運よく『メリア』で鍛冶屋での仕事にありつき、やっと落ち着き始めた矢先でのクララの容体の悪化――。
クララを治すには、鍛冶屋での収入では到底手が届かないほどの超高級薬である《エリクサー》を使うしかなかった。
――《エリクサー》があれば……でも、あんなの……とてもじゃないが手に入れられない……。
スラウブが、ぎゅっと拳を握り締める。
「……わかった。明日、あの高台に行こう」
「ありがとう……スラウブ」
スラウブの言葉に、クララが安堵の表情を浮かべる。
「それじゃ、おやすみ」
「ええ……おやすみ」
そう言ってクララの頬に再びキスをした後、スラウブは肩を落としながら、寝室を後にするのであった。
*
翌日の夕暮れ前、約束通りにスラウブとクララは中間層地区『メリア』にある、富裕層地区『ベネステ』の景色を見下ろせる高台に来ていた。今日はちょうど、スラウブの鍛冶屋の仕事が休みである。
「きれい……」
スラウブ製作の車椅子に座る、ノースリーブで丈の短いズボンにロングブーツ姿という少ししゃれた服装に着替えたクララが、声を漏らした。
『ベネステ』の景色は、夜景はもちろんのこと、日が沈む前に見るものも心を奪われるものだ。
「それじゃ、買いに行こうか」
スラウブが景色に見とれているクララの両肩に手をやりながら言う。
高台に来る道中、クララはもう一つやりたいことを口にした。それはトルオス王国の銘菓デニークを食すことであった。
デニークは中心が空洞になっている円柱状の小麦粉の生地を焼いて、シナモンや砂糖の上でたっぷりと転がして味付けされ、空洞の中にクリームや果物をトッピングするものである。
今日は二人で楽しくデニークを食しながら、夜景を待つ計画であった。
「ここで待ってるよ」
クララがスラウブの方に首を傾けながら言った。
「お前を置いていけない」
「いいから……車椅子こぎながら行くの……大変でしょ? 私は大丈夫……ここにいたいの」
「……いいのか?」
「うん」
トルオス王国で一番うまいと評されているデニークの店は『メリア』の中にある。ここからだと徒歩七、八分といったところであろうか。
「ごめんね……スラウブ、また太っちゃうね」
咳き込みながら、笑いながら、クララが言う。<スキーモ>であった時、スラウブは今よりもだいぶほっそりとしていた。仕事を得て、ちゃんとしたものをしっかり食べられるようになってから、スラウブは今のような体つきになった。もともと筋肉も脂肪も付きやすい体質らしい。
「幸せをため込んでいるんだ、ここに!」
スラウブが少しムキになりながら、自身の腹を叩く。すると、クララの咳き込みながらの笑い声が増していった。
「まったく……じゃ、買ってくるからここで待ってろ」
そんなクララをその場に置いて、スラウブは小走りでデニークが一番うまいとされる店に向かうのであった。
*
美しい赤のレンガ造りの建物が並ぶ『メリア』――その街の一画で、急に人が多く並ぶ光景が現れる。
今日も一番の味を提供するとされるトルオス王国の銘菓の店は繁盛していた。スラウブがその店の列の一番後ろに並ぶ。
少しずつ、少しずつ列が前へと進んでいく。それと同時に、スラウブの後ろにも新たな列ができていった。
スラウブの後方から、声が聞こえてくる。
「やだ、あの人<スキーモ>だった人じゃない?」
「デニーク食ってないで、痩せろよ<スキーモ>のデブ」
「<スキーモ>なんかにここの味がわかるのか?」
「<スキーモ>なんて視界に入れたくもない。汚らわしい」
スラウブの左上腕にある黒い刺青――蛇が巻き付いているようなもので、<スキーモ>の印だ。クララの左上腕にも、それはある。スラウブは上半身裸で刺青をさらし、クララは袖のない衣装で刺青をさらしている。
この刺青は、<スキーモ>の刑期が終わった後でも消したり隠してはならない規則で、規則を破れば刺青にかかっている呪いによって即死亡してしまう。実際に二人とも<スキーモ>であった時に、刺青を布で隠した者が突然、体中に現れた黒いオーラをまとった大量の蛇によって、全身骨になるまで食い尽くされていった惨たらしい光景を目撃している。
<スキーモ>の刺青を見た、後ろの群衆からの容赦ない陰口に耐え続け、スラウブはついに、いかにも老舗な雰囲気あふれる店の中に入ることができた。
そこに、二人組の若い男の騎士が――。
スラウブには、その衣装に見覚えがあった。トルオス王国の独裁者プラウル専属のエリート騎士<セレッサ>のものだ。
――なぜここに……?
この店ではデニークを店内で食すこともできるし、持ち帰ることもできる。この二人組の<セレッサ>は、店内でデニークを食べていたのであろうか。
「失礼、<スキーモ>のおデブちゃん」
言って緑の髪の<セレッサ>が、わざとらしくスラウブの左肩にぶつかり、もう片方の青髪の<セレッサ>が笑い声を上げながら、共に店内を出ていこうとする。
――まったく、嫌な奴らばっかり……。
スラウブがそう思いながら、二人組の<セレッサ>を振り返り、ふと床に目を落とす。
すると――そこには上質な革の小袋が落ちていた。
その中に入っていたものが見える。
――え……?
指輪だ――。
エメラルドグリーンとサファイアブルーの鮮やかなグラデーションの宝石。
主役にも劣らない脇役の如く宝石の周りを囲う、細かなダイヤモンドの見事な装飾。
目が一瞬にして溶かされてしまいそうなほどのまばゆい輝き。
完璧な黄金比の等身と曲線美によって構成された美女のような美しさ。
――この指輪……。
スラウブは見たことがあった。
独裁者プラウルが<スキーモ>たちに行っていた鼻につく演説、そこで独裁者プラウルが指にはめていた指輪と瓜二つだ。
――二人組の<セレッサ>の一人が落とした……?
すでに店の外に出ている二人組の<セレッサ>は気づいていない――。
外の列の群衆は、こちらを見てない――。
店の店員たちも、こちらを見ていない――。
スラウブは咄嗟に、指輪の入った上質な革の小袋を拾い、その大きな手の中に握りしめた――。
二人組の<セレッサ>が、どんどん遠のいていく。
「いらっしゃい、ご注文は?」
「え……?」
貫禄たっぷりのスラウブみたいな体格をした店員に声をかけられる。
「注文だよ。トッピングは?」
「え……あ……ああ……」
スラウブは、上質な革の小袋をぎゅっと握りしめたまま動揺していた。
「ここに来るのは初めてか? うちはいつも忙しいんだ。さっさとトッピング内容を決めてくれ」
「え……あ……その……失礼!」
「え? おい!」
スラウブがデニークの店を出て、心の中でつぶやいた。
――これを売れば、《エリクサー》が……!
【続く……】




