第14四半期「紅いリクルート・スーツ」
その晩サカミは、ネズミの家に泊まった。
本当はすぐにでも日曜亭に向かいたかったが、ネズミいわくオカミというのはなかなか気難しい人物らしく、とつぜんの夜分の訪問は憚られた。
服装もいけない。
スーツなど着ていこうものなら「ご指導ご鞭撻」――具体的にどのような行為を指すのかはわからない――が待っているとのことだ。
今回の目的は、ただその場所を目指すことだけではない。
情報。
マサシについて、情報を引き出さねばならないのだ。オカミに悪印象を与える可能性のある要素はなるべく排除しておきたかった。
と、いうのももちろん、大事な理由だが……。
日曜亭をいただく山のふもとを、翌日の下見がてら通りすがった時のことだった。
ラジオが異音を発したのだ。
「あっ!」
ネズミはとっさにそれをサカミからひったくり、ボリュームと周波数を調整した。二人、同じ傘の下、筐体に耳を寄せる。
男はひとり、雨に打たれながら、黙って山頂のほうを見上げている。
――こちら……(ノイズにより不鮮明)……異状なし。そっちは?
――異状なし。
――だからさ。もともと人っ子一人来やしない、ボロ旅館らしいじゃないか。
――この観光地で。
――哨戒なんてするだけ無駄なんじゃないか?
――わからないよ。天才の考えることなんて。……どうせ醇麗様に取っちゃ、オレたちゃリソースのうちになんて含まれてないのさ。黙々と任務を続行するのみ、よ。
――ったく、悲しいね。こういう時はむしろ、侵入者ってのが恋しくなるね。
――ぶっ放してやりたいってか?
――思いっ切りね。
――半径(不鮮明)メートルだったか?
――いや、例の地点から(不鮮明)。侵入者は、ただちに駆除。……人聞き悪い話なんかじゃねえ。醇麗様が辞令を交付してくださった、立派なお仕事さ。
サカミとネズミは顔を見合わせた。話の流れからいって、「例の地点」、それは日曜亭を指すのだろう。
――ウズウズしちまうよな。ちょっとくらい誤差取って……(不鮮明)で考えとくか?
――それでも誰も来やしねえだろうがな。はあ。……いっそボロ旅館ぶち壊して、オカミとかいう奴ぶっ殺して、ドリルでぶち抜けばそれで終いじゃないのかね。
――溜まってるね、お前も相当。……だが、そりゃ無理な相談だろうがよ。
――わかってるよ。言ってみただけさ。オカミは取っ捕まえて……尋問だろ?
――拷問かな。
――それにしたって旅館ぶっ壊して、そのうえで生け捕りにすりゃあいいだろうが。
――醇麗様の美学ってモンがあるんだろうよ。そこは。
――美学、ねえ。えらく酔狂なところがあるね、醇麗様も。アタマがいいんだか、どうなんだか。
――おい、言葉は選んどけよ。どこで誰が聴いてるか、知れたもんじゃねえ。
ネズミはツマミを回した。
サカミが言った。
「離れたほうがよさそうだね。……しかし、予想以上だな」
「僕も、詳しくは知らないんですけど……温泉があるらしいんですよ」
「温泉? ……日曜亭だけにかい?」
ネズミはうなずいた。
「うちも旅館ですけど、お風呂はふつうのお湯です」
「妙だね」
「変は、変ですよ。みんな言ってます。せっかく唯一温泉のある宿なのに、それをウリにしないのはおかしいって」
「それも、そうだが……」
「でもオカミっていうのがやっぱり、変人の中の変人だから、まあそんなもんかなって。そういう感じでした」
「ふうむ……」
サカミは坂道を見上げた。湿った土の匂いが漂ってくる。
「とにかく策を練らなければいけないな」
「でも……どうしても、行くんですか? 相当危なそうな感じでしたけど」
するとサカミの代わりに返答するかのように、男が言った。
「オレは……」
サカミは男を見た。声色が、いつもと少し違った。そんな気がした。
「……オレは、やめておく」
そしてそのまま、来た道を引き返していこうとするのだ。
「あ、おじさん」
ネズミが呼び止めた。
「僕の家……こっちですよ」
男は片手を上げた。
去り際にひと言、
「……悪いね」
と、つぶやいたのかもしれなかった。
わからない。
そのまま、行ってしまった。
雨が降っている。
カーテンを閉めて、ネズミが言った。
「あのおじさん、大丈夫ですかね」
「ふうむ……」
とハンモックを揺らしながら、サカミは言った。
「さあね」
言葉はそっけなくとも、内心気がかりだった。あの男は確か船の上で、早く目的地に着かなければ、
――気が変わってしまう。
と言っていた。
それならば突然離脱したのは、「気が変わった」ということなのだろうか? 「気が変わる」、しかしそれはどういう意味なのだろう? そもそも、あの男は一体何を目的にわざわざリスクをおかしてまでボッチ島にやって来たのか? 何者なのだろう?
――わからないことだらけだ。
もちろん、それはさしあたり重要ではない。ないはずだが……。
「……すみません、おじさん。こんなところで」
「ん」
おじさん、はやはり心外だ。しかし、わざわざ訂正するのもそれはそれで癪だ。
「いや……僕のほうこそ、押しかけてしまって。おまけに、こちらを使わせてもらって」
「僕はぜんぜん」
ここはネズミの部屋、旅館の離れのプレハブ小屋だ。
母屋のほうに部屋を借りなかったのは、ネズミの両親に事情を説明するわずらわしさを嫌ってのことだった。また万一他のお客に怪しまれ、通報されるようなことでもあれば、両親だけでなく、ネズミ自身にも危険が及びかねない。
サカミははじめ野宿するつもりでいたくらいだが、この雨だし、この監視網だしということで、ネズミは頑としてゆずらなかった。
サカミはこの青年の厚意にこころから感謝した。そして今、気ままにハンモックを揺らしている。
ふだんの寝床をこころよく明け渡したネズミは、足の踏み場もないほどひしめいていた謎の機器や得体のしれない部品の一部をどかし、確保したスペースに寝転がってタオルケットをかぶっている。
「――全然、大丈夫ですよ。明け方まで機械いじって、そのまま机で寝ちゃう事も多いんで。それでも結構よく眠れるほうですし」
「君は本当に、機械が好きなんだね」
「好きっていうか……まあそうですね。性に合ってる感じですかね。細かい作業が」
「しかしこれは、細かいというより……ずいぶん、スケールの大きなアイデアのようだが」
サカミは悪いとは思いながら、それでも好奇心から、ある図面を拾い上げてみずにはいられなかった。
「ああ、それ」
ネズミは自嘲気味に笑った。
「それは、遊びみたいなものですよ」
「それにしては具体的な数字まで書き込んで、かなり詳細に設計してあるようだが」
「まあ、そういう遊びなんです。現実的にナンセンスなことを、あえてトコトン真面目に考察してみるっていう。『妄想トンデモ科学読本』って知ってます?」
「いや」
サカミが興味を示した図面。そこにはどうやら「金魚」と「就活生」をモチーフにしたらしい真赤なスーツの戦闘ロボットが、各部品の詳細なサイズに至るまで入念に描き込まれていた。
「しかし『妄想』というレベルじゃないな」
「照れちゃうなあ、人事のひとにそう言われると。なんか書類審査されてるみたいで」
「まあ、『元』だが……。名前は?」
「え? そのリクルート・スーツですか?」
「『リクルート・スーツ』?」
「ああ、まあロボットみたいなものなんですけど……」
それからネズミはいろいろアニメーションやらマンガやらのタイトルを挙げながら、つまるところはひと口に「ロボット」と言ってもいろいろあるのだ、ということを懇々と講釈してくれたのだが、その方面にきわめて疎いサカミには、話の半分も理解できなかった。
けっきょくネズミは、
「まあいいや、『ロボット』で。名前は……ちょっと、言えないですよ」
「どうして」
「まあ、忘れました、って事で。ずいぶん前に考えたやつなんで」
「モチーフが金魚、ということは……AZUMANISHIKIかい?」
「意地悪ですね、おじさん。まあ……そうですよ。ゴーダと一緒に考えたやつなんです、それ」
「彼も、その『リクルート・スーツ』が好きなのかい?」
「いや、ゴーダはアニメに関しては全然ライトなんですけど、ただアズマニシキの宣伝アニメみたいなのをわりとマジメに考えていた時期はあって……まあスタッフとか全然確保できないんで企画は頓挫しちゃったんですけど、僕とゴーダは二人で、そんなの大真面目に設計するだけしてみて、それで二人して笑い合ってた、みたいな……」
話すうち、ネズミの声は沈んでいった。
「……すまない」
「いやいや。……まあ、本当、昔の話なんで」
ネズミは黙った。
サカミも黙った。
突然、サカミの携帯が鳴った。
「ん」
ディスプレイにはサユリの名前が表示されている。
「すまない」
「外、出ましょうか?」
「いや。僕が出る。……ありがとう」
ネズミは、傘を渡した。
サカミは端末を耳にあてたまま、無言で頭を下げた。




