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就活生RYO -Grand Design-  作者: 就活史編纂室
第6期「ボッチ島の戦い」
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第10四半期「会談、AZUMANISHIKIにて(後編)」

「あなたは……虚人病患者を治療されたそうですね」


 花鏡院はすでにビリー本人を呼びだし、そのいきさつを訊いていた。

 聴取がすすむにつれ、ビリーの瞳はふたたび霞み、曇り、濁り、頬は緩み、口元はだらけ、涎のひとしずくが落ち、――そして存在しない荒野に、ビリーは駆けだしていった。存在しない冒険を求めて。


「『治療』なんてものじゃないんです、たまたま……そういうふうになっただけで」


「しかし私の考えではその時のあなたの対応方法にこそ、鍵があるのです」


 対応方法? もう、そんなことまで把握しているの? 花鏡院の情報収集のすばやさに、エリカは圧倒される思いだった。敵に回してはいけない。あらためて、そう思い知らされたような気がした。


「あなたは聴くことに徹するだけでなく……ご自身の心に浮かんだことを、率直に表明されたようですね? ――それこそ、新しい『傾聴』のかたちです。わたしは、そう思っているのですよ」


「でもそれは、わたしの個人的な経験を話したとか、そういうのじゃないんです」


「わかっていますよ。……だから寛解までには至らなかったのです。いいですか、エリカさん。必要なのは対話です。対話の場に、彼らを引きずり出すのです。もしあなたのほうから、ご自身の秘し隠してきた経験を、その苦しみ、その悲しみを嘘のない態度で語り打ちあけるならば、……いっそ彼らを、一人前の聴き手として信頼し、尊重して接するならば、信頼された彼らのほうも自分自身の存在価値をひしひしと実感し、空想の人格など必要としなくなるでしょう」


「それが、虚人病治療の方法……?」


「私の考えではね。……どうです、エリカさん。彼らの現状を、憐れに思いはしませんか。彼らは彼らなりに、ある特殊な苦悩を抱えているのです。それは、苦悩それ自体に決して気がつくことができないという苦悩です。最も深く絶望している者、それは、絶望していることそれ自体に気がつくことのできない者なのです」


 どうだろう?

 聴いていて、エリカはこんなふうに思ってしまった。そのまま「絶望」に一生気がつかずにいれば、いられれば、その人たちはけっきょくそれなりに、幸福な人生をまっとうできるのではないだろうか。……しかしそんなこと、とても言える気はしなかった。

 どうせ、愚問中の愚問に決まっているのだ。


 またもう一杯、カクテルが飲みほされるのを待って、いよいよ花鏡院は趣向を変えた。


「エリカさん。……あなたは、迷っていらっしゃいますね?」


 声が、目つきが、一気につめたくなった。


「え……?」


 ――わたし、迷ってるの……?


 迷うもなにも、はっきり断ろうと思っていたはずだ。

 でも、怖い。

 怖くてそれどころじゃない。

 胸がざわざわし、身体ががくがく震えはじめる。

 急に、どうしたというのだろう。さっきまであんなにやさしげだったのに――。


「エリカさん」

 こちらを見る目には、もう、失意や軽蔑しか感じられない。


 なにが?

 わたしのなにが、このひとをこんなに怒らせてしまったのだろう?

 顔が熱くなり、嫌な汗が噴きだしてくる。

 ばくばくばくっと心臓が暴れている。

 逃げだしたい。もういっそ、逃げだしてしまいたい。でも、身体はとっても重たく、つめたいのだ。力が抜け、立ちあがるのすら極度に億劫なのだ。


 ――なにが? なにがいけなかったの?


 もう、それだけ。そればっかりが、頭のなかでぐるぐる回りつづけている……。


 そんなエリカに、花鏡院は、すこし、顔を寄せた。

 そして低い声で、ゆっくりこう言った。

「あなたはエゴイストだ」


 エリカの呼吸が、一瞬止まった。


「不安。恐怖。そんな個人的感情ばかりにとらわれて、悩める人々に一顧だにしようとしない、正真正銘のエゴイストだ。あなたは、自己の平安ばかりを考えている。他人などどうでもいいと、そうお考えらしい」


「――ちがいます!」

 思わず、ほんとうに何も考えず、そう言っていた。

「わたし、そうじゃないです――」


 ――でも、ちがう?


 いや、その通り。

 花鏡院さんの言う通り。

 だって、そうでしょう? 

 わたしいっつも、自分、自分、自分のことばかり。

 エージェントさんのことだって、リョウのことだってきっと本気で心配なんてしていなかった。

 それどころか、みんな死なせてしまうところだった。

 自分、自分、自分の感情にばかりとらわれていたせいで。


「ちがう? 何がです? わたしは、……これでも我慢してきたつもりですが、もう限界です。あなたはせっかく多くの虚人病患者を救う才能……そう、才能をお持ちだ」


 才能、そのひとことをやけに際立たせて花鏡院は口にした。じっさい、その言葉にエリカの心は大きく揺れた。

 その効果は、花鏡院の期待以上だった。あわれに身をすくませるエリカを見て、花鏡院は、我にもあらず妙な昂りを感じていた。


「それなのに、その才能を活用しようとしない! 社会貢献のことなどまるで考えず、どこまでも自分の殻に閉じ籠ろうとしている! これがエゴイストでなくて何です?」


「でも、わたし……」


「でもじゃない!」


 エリカはびくっと大きく震えて、それきりかたまってしまった。


「見損ないましたよ、エリカさん。あなたには、がっかりだ。あなたには大義がない! あるのは利己心だけだ! 我が身可愛さだけだ!」


 ちがう!


 そう言いたかった。思いっきり叫びたかった。でもそんな資格はない。

 だってこの人の言う通りだから。

 そうなのだ。

 わたしはきっと、そうなのだ。

 誰よりも不幸で誰よりも弱いわたし自身を守るために、たくさんの人のやさしさを利用してここまで生きてきたのだ、自分自身は誰のことも幸せになんてできないくせに。

 そうなのだ。リョウのことだって、そうなのだ。きっと大切になんて思っていないのだ。怖いだけなのだ。所有したいだけなのだ。支配したいだけなのだ。わたしは……。


「『就活ができない』? ……そんなのは甘えだ。就活ができなければ仕事ができないんですか? あなたは逃げているだけだ。逃避しているだけだ。いいでしょう、そのまま逃げつづければいい! その先には孤独しか待っていない」


 孤独。それもまたエリカに恐怖の一撃を与える言葉だった。


「……ごめんなさい」

 それしか言えなかった。


「何を謝っているんです? 謝ってもどうにもなりませんよ!」


「ごめんなさい、もう、やめてください――」


「……これではわたしが悪者みたいじゃないですか。悪人は、どちらです?」


「ごめんなさい、わたし……わたし、自分のことしか考えてなくて……」


「……考えていなくて?」


「……ほんとうに、わたし、……生きている価値のない、最低な人間だと思います」


 すると花鏡院はふっとやさしい笑みを浮かべ、


「……いえ、私もすこし、言いすぎました。社会正義ということを重んじるあまり……あなたの気持ちを、尊重しきれなかった。わたしのほうこそ、エゴイストかもしれません」


「そんな」


 エリカはすがりつくように言った。突然なじられたときはほんとうに恐ろしかった。怖すぎてわけがわからなかった。だから今こうしてせっかく見えた優しさの片鱗をぜったいにはなしたくなかった。自分を貶めることで、それくらいのことでこの人が認めてくれるなら、――それならばこんな自分くらいいくらでも傷つけてかまわなかった。


「わたしです、わたしが悪いんです、わたしの考えかたが、まちがっていたんです」

 ひと息にそう言いきってしまったとたん、奇妙なすがすがしさを、エリカは感じた。


「あなたは、強いお方ですね」

 そう言って、花鏡院はエリカの手に触れた。エリカはしんそこ、安心した。


「わたしも、無理強いはしません。先ほどの話も、もしあなたのお気に添わないようでしたら忘れていただいて結構です。ただ……今度は弊社にお招きしたい。詳しいお話だけでも聴いていただきたいと思うのですが……いかがですか?」


 エリカは、気がつけばうなずいていた。首を縦に振るだけで、それだけのことでこのやさしさを失わずすむのだった。


 それに、花鏡院はこうも言った。


「安心しましたよ、エリカさん。……もしお気に召さないようでしたら、今度こそ、きっぱりと断っていただいてかまいませんから」


 エリカは重ねて、安堵した。


 そうだ、どうしても気がすすまなかったらそのときに言えばいい。

 そのときに、断ればいいのだ。

 今はまだ、なにも考えなくていい。

 決断の重荷なんか、背負わなくったっていい……。







 デザートのアイスクリームは、溶けていた。


 すこしして、使者がやってきた。耳打ちで、こう告げた。


 ――おめでとうございます、醇麗様。ZAKURO社採用試験二次選考の合格通知、及び三次選考SPIの案内が届きました。


 花鏡院は、顔色ひとつ変えずにうなずいた。計画が、最終段階に入ったのだった。


 そのまま、きわめて紳士的な態度でエリカにわびを言い、席を立つと足早にその場を去った。


 エレベーターホールに、ゴーダが待っていた。


「……おめでとうございます、醇麗さん」

 オドオドと、ゴーダは言った。


「ありがとうございます、ゴーダさん」

 ひややかにそう返してから、

「どうしましたか」


「あの……醇麗さん」


 ゴーダがもじもじとしているうちに、エレベーターが到着した。

 花鏡院は構わず乗り込んだ。ゴーダもついてきた。

 そしてそのもじもじを持続させたまま切りだした。


「……醇麗さん。エリカに……何の用ですか。『傾聴』業務についてですか?」


「まあそんなところです」


「あの……さっき、ずいぶん大きな声を出してたみたいですけど……」


 睨まれたゴーダは、慌てて弁解を始めた。

「ちがうんです、ちがうんです。オレ、思うんですよ。その……醇麗さんに、必要以上の負担をかけちゃってるんじゃないかって。つまり、BOCCHI-21はオレのプランだから、もっとオレが責任を負うべきじゃないかって、そういう意味なんですよ。あの、エリカとの交渉もオレに任せてくれたら……」


 花鏡院は先ほどエリカを問い詰めながら感じたあの感覚をねっとり味わい返しながら、こう言った。

「交渉は、わたしがおこないます」


 しかし、ゴーダは食い下がる。

「でも醇麗さん、それで疲れがたまって、感情的にっていうか……その、少し不愉快な気持ちになったんじゃないかなって。オレ、心配だったんですよ。本当、BOCCHI-21はオレが勝手に構想したプランなんで、オレとしてももっと、その責任はとっておきたいっていうか……もっと任せてもらっても大丈夫っていうか」


 しかし、返ってきたのはこんな断言だけだった。

「必要ありません」


 ――そして、エレベーターを降りていった。

 小雨の中、走り去って行く車を、ゴーダがポツンと見送っていた。









 いっぽう、残されたエリカもまた、エレベーターを待っていた。


 ――さっきの花鏡院さん、本当に怖かった。


 もう関わりたくない。冷静になってみると、それが本音だった。

 しかし、この島はもう花鏡院コーポレーションの所有物同然。

 島にいるかぎり、彼の不興を買うことはできない。

 そして島外に、エリカの居場所はもうない。

 エリカを待ってくれている人も、もういない。


 ――心に思う方……とか、言ってたな。


 エリカの頭に浮かぶのはもうリョウの姿だけ。リョウのことしか、思い浮かべようがなかった。


 いろんなリョウだ。

 六歳のころ島に越して来て、いつも俯いてばかりいたリョウ。

 読書感想文をきっかけに、初めて心を開いてくれたリョウ。

 自作の物語を聴かせてくれるようになったリョウ。

 受験前にお守り――「学業成就」じゃなく「交通安全」だったのがまたリョウらしい――をくれたリョウ。

 カツバトを身につけたリョウ。

 一次選考で、本当に苦しそうだったリョウ。

 そして崩壊間際の塔の上、


 「オレは、ここにいるよ」


 と、目を見て言ってくれたリョウ。


 ――リョウ……!


 エリカは、エレベーターに乗った。

 乗ってから、気がついた。


 これ、上にいくやつだ。


 大きなため息が漏れる。今はなんでも自己嫌悪の材料だ。


 やがて、ドアが開いた。


 ガラス戸の向こうに、上り階段がつづいている。扉は片側だけなぜか開きっぱなしになっていて、風が入ってきている。


 ――屋上……?


 すぐ、引き返そうかとも思った。

 けれども、夜気に当たりたい気分でもあった。


 小雨が降っていた。雲間から、わずかに夜の光が差していた。


 ――これくらいなら、傘も要らないわ。


 とぼとぼと、エリカは歩いていった。端っこのほうまで、歩いていった。


 目もくらむほどの高さだ。青い光が島中にこびりついている。

 エリカと深淵とを隔てているのは、その気になれば簡単によじのぼれてしまうような鉄柵、ただそれだけ。


 その前に立ち、エリカは真下の暗闇をじっと見つめていた。

 高度のせいだろう、けっこう風がすごい。


 エリカはふらり、一歩進み出た。そして柵に、手をかけた。


 すると……。




 ――待たんかって!




 びっくりして振り向くと、赤いものが目に入った。

 冗談みたいに丈の低い、なんと鳥居が立っている。その奥に、今度はびっくりするほど大きな水槽。なぜか四隅に、仰々しい金細工の施された……。


 エリカは歩み寄り、身を屈め、――そして、鳥居の向こうを覗いてみた。


 ――ダイビングするなら、河じゃって!


 大ナマズが、そこにいた!


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