第6四半期「症例ビリー」
傾聴は、つづいている。
終わりそうにない。
就活生たちは何人でもやってくる。
エリカは正直、もうまともに聴いていなかった。目の前の相手に悪いけれど、もううなずくのもしんどかった。じっと腰かけているのすらつらいほどだ。
ここに来るひとたちははじめ、自分がどうしようもなくだめなやつに思えてしかたないのだった。誰からも必要とされない無能者で、生き甲斐も、人生の意味も、これまでに成したことも、将来の見込みもなんにもないくずに感じられてどうしようもないのだった。
でも、ひとたび話を「傾聴」してもらうと、どうだろう。
――なんだ、オレ、意外といろいろ経験してきたんだな。オレはオレなりに、がんばって生きてるんだ。
――わたし、実はたくさんの辛いこと、悲しいことを、いつの間にか乗り越えてきてたんだ。……なかなかやるじゃん、わたし。
――そうか。僕はもうなにもかもおしまいだと思ってたけれど、よくよく考えてみるとまだまだ、棄てたもんじゃないぞ。……うん。なんか、いけそうな気がしてきた。
……などと、皆それぞれに生のかがやきを纏って帰っていくのだった。
べつに、それが不本意なわけではない。
すばらしい、よろこばしいことだ。ほんとうに。
――でも今は、もう……。
限界がちかづいていた。
――もう聴きたくない。
けれども、先方はエリカの事情など慮ってはくれない。
「――失礼、いたします!」
またやって来たあらたな就活生の、その姿を目にしたとたん、エリカは思わず疲れも忘れて、あっと思わず指差してしまいそうになった。
――リョウの……。一次選考の……。
自称、砂漠の内定稼ぎ・ビリーだったのだ。
でも、おかしい。
あれは「空想現実」だったのでは?
ここは選考会場じゃない。エリカはもちろん、カツバトなんてつけていない。
それなのにどうして、この人は「砂漠の内定稼ぎ」のままここにいるのだろう?
カウボーイハットにベスト、ジーンズ、腰もとのホルスターにはなんと銃まで収まっている。
ビリーは律儀に一礼して、椅子に腰を下ろし、まっすぐにエリカを見た。
そして、開口一番――。
「オレは、砂漠の内定稼ぎ・ビリー」
エリカは、ビリーの瞳に目を凝らした。ビリーは見返している。ずっとこっちを見ている。しかしすこしも、目と目が合った感じがしない。ビリーは、話しつづけた。
「そう、オレは砂漠の内定稼ぎ。オレの冒険譚を、聴いてくれ」
――虚人病!
エリカは、悪寒におそわれた。
この人は「砂漠の内定稼ぎ」なんかじゃない。「ビリー」などという人物は実在しない。それは、カツバトの創りだした虚構だ。物語だ。空想現実だ。
この人はわざわざまる一日の船旅をして、長時間順番待ちをして、自作の空想物語を披露するために、今ここに座っているのだろうか?
ちがう。きっとちがう。絶対にちがう。
きっと無意識のうちにはわかっているのだ。いま自分が恐ろしい危機にさらされていることが。自分が自分でなくなろうとしていることが。
虚妄に蝕まれつつある彼の最後の正気の部分が、あがくように「傾聴」を求め、空想の人格「ビリー」をここに促したのだ。
健常なカツバトユーザーなら変身後の人格といつもの自分とのちがいをじゅうぶん理解している。
理解しているからこそ、そのギャップに苦しむ。苦しんで、エリカのもとを訪れる。「現実のすばらしさ」をもう一度発見するために。
いっぽう虚人病患者は、「現実の自分」などというものの存在自体すっかり忘れてしまっている。
――どうしよう……。
どうしようもない。
「オレはビリー。オレには昔、保安官という定職があった。……だが、転職を考えるようになってね」
「傾聴」、それは悩み苦しむ者を自己探求の旅にいざなう試みである。
そう、それは旅なのだ。冒険なのだ。だとしたらそもそも旅立ちの意志すらない者を、いったいエリカはどこにどうみちびくことができるというのだろう?
正直、時間が経つのだけを待つつもりでいた。そして、後でウツロ先生に報告するつもりだった。
しかたがない。
虚人病の前に「傾聴」は無力、どころか有害――安易な受容は理想自我のさらなる肥大を招く、というのがウツロ教授の見解だ。
ビリーはうっとりと語りつづけた。
「……それで、スフィンクスが謎を示したんだ。朝のうちには四本足、昼になったら二本足、夜をむかえりゃ三本足になるものは? ってね。オレは、答えてやった。それは、就活生だってね」
エリカはできるだけ反応とぼしく、聴きつづけた。
「理由は、椅子に座れば四本足。呼ばれて立ち上がれば二本足。そして――」
聴きつづけるつもりだった。
「――お辞儀をすれば三本足」
しかし、
――えっ!
内心思わずにいられなかった。声は、我慢したけれど……。
――お辞儀って……あのお辞儀でしょ? 足……二本足じゃないの? 三本……? お辞儀でどうして三本足になるの?
けれどもビリーは、種明かしをするつもりはないらしい。
もやもやしたまま、エリカは耳を傾けつづけた。
そしてつい、
――リョウだったら……。
と連想してしまうのをどうしようもなかった。リョウだったら、きちんと説明してくれるのに。
「オレはスフィンクスの許可をもらって、その中に入っていった。すると目の前に、果たしてそいつは安置されていた」
エリカはもう、疑問なしに聴くことはできなかった。もう、無関心ではいられなかった。
――「そいつ」ってどいつだっけ……?
「オレは狂喜した。ウッハーと叫んだくらいさ。……そのままゆっくりと、この大冒険が終わっちまうのを惜しむように、宝箱に、手を伸ばしていく……」
――あっ、だめ! 危ない! そういう時は……。
「宝箱は、アッサリと開いた」
――えっ!?
「中には金銀財宝がドッサリさ!」
――罠とかあるんじゃないの!?
「オレはウハウハ状態。皮袋にしこたまつめ込んで、洞窟を後にしようとしたその時――」
――あっ! 危ない! 今度こそ! 崩れる!
「――には、特に何も起こらなかった」
「何よ、それ!」
思わずエリカは言ってしまった。
ビリーは驚いたようにエリカを見た。そのときにはもう、エリカは口をおさえていた。しかし、一度漏れてしまった声が引っ込むはずもない。
「あ……」
エリカは真赤になって両手をばたばた。
「ご、ごめんなさい! ……あの、わたし……」
大変なことをしでかしてしまった。傾聴の最中相手の語りに、それも虚人病患者のつくり物語に、水を差すなんて。エリカはびくびくしながら、ビリーの顔色をうかがった。
すると……?
「……えーと……いや……」
キツネにつままれたような顔をしている。
「どうだったかな……そう、そうだ。いや、洞窟はそのとき、ぶっ壊れちまったんだ」
エリカは息をのんだ。
――虚人病患者と、会話が成立してる……?
「あの……」
試しに、エリカは問いかけてみた。前なら、こんな大胆なことはとてもできなかったろう。
「さっきの宝箱の話……そんな簡単に、宝物が手に入っちゃっていいんですか?」
「簡単にって?」
いよいよびっくりして、ビリーは問い返した。
こんなまっすぐに飛んできてくれる問いかけが、じつに、じつに新鮮だった。
「罠とかあるんじゃないかなって思ったんです、わたし」
「罠……ねえ」
「例えば、その銃」
びしっと指差した。
「それ、せっかく身につけてるのに使わないままでいいんですか?」
「ガンマンが銃を抜くってのはお前、よっぽどのことなんだぜ」
「ガンマンなのに?」
「ガンマンだからよく知ってるんだ。銃の恐ろしさを」
エリカは感心した。
その後にも白熱の問答はいくつも交わされたが、
「……じゃあ、さっきのスフィンクスの謎は……」
と、問いかけたところで時間がきた。
ビリーは未練をにじませながら、それでもおとなしく立ち上がると、きちんと帽子を脱いで一礼した。
顔をあげた時のその瞳が、エリカの印象に強く残った。
曇りのはれた、妙に成熟した、妙に寂しい瞳だった。
――このひと……。
エリカは、直観した。
――治りかけてる……。
しかし自負、誇り、興奮、やり甲斐、達成感、その他諸々、なんにもエリカは感じなかった。ただひとつ感じたことがあるとすれば、それはビリーが瞳で語ったような、妙な寂しさだった。
――ビリーの変化に驚いた他の就活生たちから、この事例について、花鏡院醇麗にさっそく報告がなされたのはわずか数十分後のことだった。
――虚人病。
概念を提唱したのは花鏡院のビジネス・パートナーでもあるウツロ教授である。しかし、花鏡院は疑わしく思っていた。
――カツバトを使い、理想の自分に変身しつづけるうち、本来の自分を見失う……?
エビデンスにとぼしい。カツバトとの因果関係の証明が不充分である。症例もそう多くない。
せいぜい、大衆の間に反・カツバト的風潮を醸成するための一つのまあ宣伝材料くらいにはなれば……。それくらいの認識だった。
ところが、その認識を改めざるをえなかったのは、げんに虚人病患者が多発したからである。
というのも――。
はじめ花鏡院は、日曜亭地下深くに眠るウツロニウムの「温泉」を掘りあてるのに、なにも律儀にオカミの許可を請うことはないと考えていた。
日曜亭は山頂にある。
その山の側面から掘削機を投入し、直下にあたる位置まで掘りすすめばいいだけの話――そう考えていたのである。
かたい岩盤が存在するわけでもない。
災害誘発のおそれもない。
簡単な計画に思われた。
が、いざ仕事にかかると、予想外の問題が発生した。
掘削に乗りだしたものたちは、なぜか皆、ある深度に到達するなり作業を中断し、引き返してきてしまうのだ。
そして、口々に訴える。
何のためにわたしはこんなことをしているのか。
そもそもわたしは何をしているのか。
わたしとは何か。
何者なのか。
教えてほしい。
教えてほしい。
教えてほしい……。
つまり、ひとりの例外もなく、虚人病にかかってしまうのだった。
そんなところに、この回復例。花鏡院の興味は、大いにそそられた。
――あの女、やはり利用しない手はない。
掘削機に同乗させ、絶えず「傾聴」させつづければ――つまり虚人病患者を、かかったそばから治しつづければ、日曜亭地下の「温泉」は、ただちに掌握可能。
「その、エリカさんを」
部下に指示した。
「すぐに呼んできてください」
言いつけられた者たちは、即座に飛び出していった。
――日曜亭。
試作品の青い錠剤を恍惚と見つめながら、花鏡院は思った。
――その地下の、無尽蔵のウツロニウム。いよいよ、我々のものになる。いや、私のものになる。
そして、人間は――。
――その日曜亭への坂道を、駆けのぼっていく者があった。
「もうちょっとだ」
息を切らしながら、タナカは背中の少年に呼びかけた。
「もうちょっとだ、シッポ。――死ぬんじゃねえぞ」
緊急脱出の際、シッポは肩に機銃の一撃を食らった。生きているのが幸いなくらいだ。
「――もうちょっとさ」
声をかけつづけるしかない。
「もうちょっとだからな、シッポ」
やがて、その宿が見えてきた。




