第3四半期「変わり果てたボッチ島」
このあたりで一度、天気の話題を。
ここはボッチ島。
本日も絶好のウツロニウム精製日和。
空は青い。明けがたなのに、真っ青だ。群青色の雲が低く垂れこめている。
海岸沿いに並んだノコギリ屋根の建物から青い煤煙が休みなくのぼりつづけている。
海も青い。不自然なほど青い。イルカもトビウオも、めっきり見かけなくなってしまったらしい。
街も青い。青い霧が漂っていて、息苦しい。
木々も青い。緑のことをそういっているのでなく、ほんとうに青い。
アズマニシキ・タワーの高層階。窓から島東側が一望できる。
よく見える。だから、よくわかる。島がすっかり変わってしまったということが。
外が騒がしい。赤絨毯の上をいくつもの革靴が駆けていく。
アズマニシキといえば「旅館」だった。それが今ではすっかり「ホテル」だ。どちらでもいいことだけれど……。
ノックの音がした。
「……どうぞ」
エリカは答えた。
ドアが開いて、ゴーダが駆けこんできた。
「――エリカ、大丈夫か? 怖くなかったか」
さっきの爆発音のことを言っているのだろう。
法被を着て、肩に手ぬぐいをかけている、そのゴーダの形相のほうが、エリカには怖い。
「……ううん。大丈夫」
「ちょっとさ、一大事、なんだよ。さっき、爆発があったろ? あれ、もちろん花火なんかじゃなくてさ……つまり、『テロリスト』ってことなんだよ、エリカ! 正体不明のテロリストが二人、島に潜伏してるかもしれないってことでさ!」
「……そうなんだ」
エリカとしてはもう、なにもかも、どうでもよかった。
が、ゴーダは反応の薄さを不安に思って、
「……起きてたのか?」
「うん」
「眠れないのか?」
「……うん」
ゴーダは窓を見るエリカのかたわらに立った。落ち着きなく手や、目玉を動かしつづけている。
「……オレ……傾聴はできないかも知れないけどさ、エリカ。教えてくれたら、役に立てるかもしれないぜ。つまり……オレはもう、お前の知ってるオレじゃないのさ。島全体を動かすパワーに満ちてるんだ。なあエリカ、教えてくれよ。何があったんだ?」
一時期、エリカが音信不通状態にあった件についてだ。
「――ごめんなさい」
エリカには、答えられない。
「ごめんじゃわからないよ、エリカ。遠慮しないでなんでも、ドシドシ言ってくれよ。オレ、もうほんとうに昔のオレじゃないからさ。まさか――」
そこでゴーダは目をつりあげて、
「――あの、うすのろか?」
リョウのことだ。
「あいつが……今就活で、ちょっとくらいマグレ当たりしたからって、なにかひどいこと言ってきたのか? ――エリカ。あいつになんかされたのか?」
「ちがうわ」
エリカは明確に否定した。
「本当、どうしようもない野郎だよ、エリカ。運も実力のうちっていうけどさ、つまり、運だけじゃ実力とは言えないのさ。オレなんかガキのころから旅館の手伝いして、いろいろ身体にたたき込まれてきたクチだけどさ――」
ゴーダの問わず語りがはじまった。
エリカのこころは、過去へさまよいでた。
遠い昔のことじゃない。つい三日、四日前のこと――しかしその日をさかいに、なにもかも変わってしまったのだった。
――わたし、ほんとうに最低。
ひどいことをしたのはリョウでなく、エリカのほうだ。
それは、あのうつくしくやさしい女のせいだったろうか?
女は、エリカに一枚の履歴書を渡した。
ぼうっ、と発光していた。
「……見えるのね?」
女は、感心したように言った。いま思えば、ずいぶん大げさな言いかただった。
「すごいわあ。あなたやっぱり、才能あるのよ」
「そう……なんですか?」
「世間に受け容れてもらえないのも、もっともね。……みんな、あなたに嫉妬しているんだわ。あなた、かもめのお話を読んだことはある?」
かもめ? 突然のそんな言葉に、エリカはドキッとした。エリカの実家は「かもめ亭」だ。
「どれのことかしら――」
「かもめのお話」……。思い当たる物語はいくつもある。
「どれでもいいのよ。今度、読んでごらんなさい」
「あ、……はい」
そのとき女が、こうつぶやいた気がした。
「……機会があれば、ね」
それからはもう、覚えていない。
いや、嘘だ。
覚えている。記憶ははっきり残っているのだ。ぜんぶ、明瞭に覚えている。自分がどんな行動をとったのか、どんな言葉をリョウにぶつけたのかも。
気持ちの抑えがきかなかった。悲しくて、イライラして、しかたなかった。
暴走する感情に任せて、履歴書に不平、不満、呪詛を書き殴っていった。
書けばいっときは楽になることができた。しかしまた新たな、以前にも増して強い怒りが湧いてくるのだ。それを抑えるために、書く。また怒る。また書く。また怒る……。
そのくり返しで迎えた二次選考だった。
――そう、あれはわたしの本心。
もちろんいつものわたしなら、あんな言いかたなんか、絶対にしない。
あんなふうに、持てあました気持ちを他人にぶつけたりしない。
でも逆に言えば普段わたしはあんな内側の声を聴かないようにしているだけで――たまたま聴かずにすんでいるだけで、あれがわたし、あれこそがわたし、あれが、ほかでもないわたしなのだ。
――ほんとうに、みにくい人間。
目が醒めて、シズナに頬を張られてからのエリカは魂がぬけたような状態だった。
シズナがリョウの名を呼んだ時、焼けるように胸がうずいたのも情けなかった。この期に及んで、わたし、まだ、自分のことばかり――。
もうリョウに会うことはできない。とてもじゃないけど、合わせる顔がない。
誰にも会いたくない。
いっそ、このまま――。
……シッポいわく「幽霊みたいに」港をさまよっていたところ、ゴーダに発見されたというわけだった。
花鏡院も、事情については詮索せず、ボッチ島に帰省する手配をしてくれた。
もちろんまだ新たな人生、傾聴者としての人生に向けて踏みだす覚悟なんてついていない。
なんにもしたくない、なにも考えたくない。
ひとりになりたい。
そう言うと、ゴーダがこんな提案をしてくれた。
「それなら、ちょっとの間家に滞在すればいいよ、エリカ。気持ちの整理がつくまで……何があったのか、オレ、教えてもらってないけどさ。でもいいんだよ。実家に帰ったらおじさんもおばさんもいるし、就活生たちだって押しかけて来ちゃうだろ? 最高級スイートってやつだぜ。オレたちもう、ただの『アズマニシキ』じゃないのさ。なんていうか……もう、『AZUMANISHIKI』って感じなのさ」
結果、エリカは今ここにいさせてもらっている、というわけだ。
この先どう生きていくのか、そもそも生きていけるのか、それはまだ、ほんとうに、わからないのだけれど――。
「……変わったよな」
ふいに、ゴーダがそう言った。街を見おろしながら。
エリカは思わずゴーダの横顔を見た。
「ゴーダ君……?」
いまのつぶやきに、なにかとてもゴーダらしくないものが滲んでいたような、そんな気がしたのだった。
「……でもさ、エリカ。これも街のためだっていうんだよ。醇麗さんがさ。エリカ。あの人はすごいよ。ほんとうにすごい。今はこんなふうに……ちょっと、寂しい眺めだけどさ。でもこれも一時期のことなんだって。もうすぐ、もう少ししたらまた、観光やボランティアの就活生たちで賑わうあのボッチ島がもどってくるって」
「……ゴーダ君」
いっぽうではもうそんなことどうでもいいと思いながら、なぜかエリカは尋ねてみずにいられなかった。
「ほんとうなの?」
「ほんとうかって? ――ほんとうさ、エリカ。なにしろあの醇麗さんが言ってるんだぜ。醇麗さんはすごいよ、エリカ。島のあちこちに……ほら、遺跡にさ、英雄就活生の像なんかあるだろ? 名前も顔もわからないんだけどさ。あれ醇麗さんの登場を予言してるんじゃないかって、そんなこと大真面目に言う輩もいるくらいでさ、オレもそうなんじゃないかなって、最近思いはじめたくらいだよ。なんでかって――」
「ゴーダ君。……それは、ゴーダ君の本心?」
エリカはゴーダの目を見て問いかけた。
ゴーダの、目が逸れた。
「……なんだよ、お前、エリカ、そんなふうに……」
ゴーダにしてみれば幸いなことだったかもしれない。あるいはとてつもない不幸だったと、そういえるかもしれない。職員のひとりがノックもせず、部屋に飛びこんできたのだった。
「ゴ、ゴ、ゴーダさん!」
「どうした!」
助かったとばかり、ゴーダはエリカに背を向けた。
「――事件です、事件です、大事件です!」
――「事件」は、ふたつ起きていた。




