第2四半期「密航」
――直後、機体は大爆発。
その音は、同時刻、近海を航行していた高速船・エントリー号の最下層、貨物庫にまで聞こえてきた。
甲板で、就活生たちが沸いたようだ。
大きなずだ袋から顔だけだして、サカミは深く息を吸った。
隣にはおなじ袋がもうひとつ。
「……花火、にしてはいささか野蛮な音がしましたね」
袋はなにも言わない。
「――苦しくありませんか」
そう聞かれてようやく、男が顔をだした。いつの間にか、リンゴなど頬張っている。
「……悪いね」
と、男はもうサカミにもすっかりなじみの奇妙な冷静さで言うのだが、いったいなにが「悪い」のか――返事が遅れたことなのか、ひとりだけリンゴを食べていることなのか――意図はどうにもわからない。
ほんとうに、とらえどころのない男だった。すこし首を傾げて、ひとりなにか考えてから、
「……いるかい?」
真顔で、リンゴを差しだしてくる。
「ふうむ……」
歯型のついたいびつな半円を、サカミはじっと見つめていた。
――まったく、妙な事態に巻き込まれたものだ。
……ジンジィランドの正門前で夕陽をあびながら、ひさびさにサユリと言葉を交わしたのは昨日のことだった。
まったく、難儀な時間だった。
サユリはこちらを「裏切り者」といってなかなかまともに口を利いてくれようとはしなかったし、サカミもサカミで、彼女がキリサキの支配下にある――と思われる――以上、持っている情報をどこまで明かすべきか初めのうちは判断がつかなかった。
――しかし、腹の探り合いをしていても始まらない。
ここは選考会場だ。いつ、キリサキがやって来ないともかぎらない。許された時間はわずかだ。
サカミは腹を決めてたずねた。
「『裏切り者』……。それは僕の懲戒解雇に関連して、かい?」
ガンコに腕組みしたままではあるが、それまでそっぽを向いていたサユリがようやくちらりと、サカミに目を向けた。
「懲戒解雇? なに言ってるんですか? サカミさん。自己都合退職でしょ?」
「ふうむ……?」
いぶかしがるサカミに、サユリはなにか紙を突きつけた。
――ただの白紙だ。
「やりかけの仕事、全部あたしに押しつけて。それまでなんでもひとりで抱え込んでたと思ったら、今度はいきなりバックレですよ。わけわかんないです! どれだけのプレッシャーだったか、わかりますか?」
「いや……」
ふと、サカミは足元を見た。勢いよく噴き上げた水がここにまで降りかかったのだろう、水溜まりができている。
――青い……。
夕焼け空は赤いのに、水溜まりは、やけに青い。
サユリが映っている。
書類を掲げている。
みかがみに映った書類には、サカミの自己都合退職により全人事業務をサユリが引きつぐ旨が記載されている。
「ふうむ……」
「『ふうむ』じゃないですよ! いっつもそうやって、なにか頭を捻ってるフリして! そうやってればなんでも誤魔化せるとでも思ってるんですか?」
「――サユリ君」
「なんですか! っていうか、もう上司じゃないんですから、『君』とかえらそうに――」
サカミは足元を指差している。
サユリは下を見た。
顔を真赤にし、あわてて、スカートをおさえた。――見えてるよ。そう指摘されたものと思ったからだ。
しかしもちろんそれは誤解。
「ああ、――失敬。書類だよ」
言われてサユリは、いちおう、すなおに書類を見た。自分の手にあるのと、みかがみのそれとをかわるがわる、すばやく何度も見くらべる。見れば見るほど、表情は驚愕に染まっていった。恐怖にひきつっていった。とうとう、悲鳴があがった。
あんまり大きな声だったので、サカミはいちおう、あたりを警戒した。キリサキ専務の姿はない。
認識の共有がすんだところで、ようやく今後の説明にはいることができた。
「――すみませんすみませんすみませんすみません!」
サユリはひたすら、頭下げっぱなしだった。
「いや、君のせいじゃない」
「でもあたし、サカミさんにひどいこと――」
「いいんだよ。そんなこと、僕は全然気にしていない。……問題は、これからだ」
「これから……ですか?」
サユリは涙目でサカミを見あげた。
サカミはうなずいて、
「僕は予定通りボッチ島に向かおうと思う。……『マサシ』なる人物がやはり気になるからね」
「カツバトの、開発者……。でも、ほんとうなんですか? サカミさん」
「わからない」
サカミはリョウの、あの真剣なまなざしを思い出した。
「だから、確かめてみようと思う」
「あたしは……。あたしは、どうすればいいですか?」
「……引き続き、選考を頼んだ。君にばかり苦労をかけて、すまない」
「それこそサカミさんのせいじゃないですよ! 悪いのはぜんぶ――」
サユリはさすがにボリュームを落として、
「ぜんぶ、キリサキ専務です!」
「ふうむ……」
サカミとしては、その見解に、単純に同意を表明することはできなかった。
もちろん、なにか目的を持ってキリサキ専務が暗躍していることはたしかだ。
しかしサカミの解雇といいサユリの操作といい、それだけのことが彼ひとりの力で果たしてできるものだろうか?
この一連の事件に関していえばたんなる策謀どころでない、なにか人間ばなれした力の存在さえ、サカミは感じるのだ。
「そこも……よく、考えてみなければならないね」
「でも……あたし本当にどうしたらいいんですか?」
サユリは気弱げにうつむいている。
「『引き続き』って言っても、今までのあたしはあたしであって、あたしじゃなかったみたいなあたしですから……あれ?」
頭がこんがらがってきた。
そこで、サカミはこんな提案をした。
「……サユリ君。君は確か、学生時代……演劇部所属だった、と言っていたね?」
「え? ……あ、はい。そうです、そうです! 覚えててくれたんですか?」
「まあ……部下のことだからね」
正確にいえば元・部下なのだが、サユリはそんなことにはこだわらなかった。
「サカミさんって意外と、人情味豊かなところあるんですね!」
「そうかい?」
サカミは苦笑する。
「そうですよ! ……でもそれが、どうしたんですか?」
「つまり、君は……今後も、君であって、君じゃない」
「あたしであって、あたしじゃない……」
サユリは合点がいった。
「あ、そっか! 演技するってことですね? キリサキ専務の言いなりみたいに……」
「そういうことさ」
「でも……」
「……心配かい?」
サユリは、すなおにうなずいた。
「あたし……」
すなおに言った。
「怖いです」
「すまない。……本当に、すまない」
「もう、サカミさんは! ……そんなふうに謝らないでくださいよ。よけい、不安になるじゃないですか」
そしてサユリは、ふるえながらぼそっと訂正を加えた。
「……あたし、裏方でした」
――悪いことを、してしまったな。
思いがけぬ大役を、担わせてしまった。なにか、変わったことがあればすぐサカミに連絡がくる手筈になっている。いまは海上だから圏外だが、島に着いたらさっそくなにか報告があるかもしれない。
――サユリ君には悪いが……そのメッセージすらも、慎重に読み解かねばならない。
キリサキがどんな手段でサユリを幻惑していたのか、そこは謎のままだ。場合によっては、かえってこちらがサユリの演技に騙され、情報を引きだされてしまう、そんな懸念もあるわけだが……。
――入社以来、人事業務一筋。人を見る仕事を任されていた者が、その程度の嘘を見抜けなくてどうする。
決意とともに、サカミはひとり、ちいさくうなずいた。
すると隣の男が、思いがけずこう問いかけてきた。
「……なにか、心配事か」
サカミは男を見た。
「……いえ。とくに」
「そうか」
男のほうは、一度もサカミと目を合わそうとしない。
まったく、つくづく妙な道連れだ。
ジンジィランドに急行し、当初乗る予定だった便に乗り損ねたことで、サカミの黄金のチケットは失効してしまった。再発行にはひと月かかるという。ひと月待てば、特・特・特等とやらの船室で好待遇の船旅を満喫できるわけだが、当然、そんなに待っていられない。
――密航。
その言葉が、すぐによぎった。チケット売り場を出てすぐ、港の近辺を探し回ると、近くの商店の店先で、果たしてこの男が揉めごとに巻きこまれていた。
というより、彼こそがその揉めごとの当事者だった。
代金も支払わず、売り物の野菜や果物に片っ端からかじりついたかどで店主に詰め寄られていたのだ。
サカミは代わりにお金を支払った。
男はいちおう礼を言った。
礼などいらないから、と言ってサカミは切りだした。昼間話していた「密航」について詳細を聴かせてほしい。
男はめずらしくややためらいを見せてから、重々しくうなずいた。
サカミとしてはこの男がなにか闇のコネクションでも持っていて、内通者の手引きで貨物船あたりに乗せてもらえるのだろうと踏んでいた。
けれども男が用意したのは、大きなずだ袋ふたつ。
たったそれだけ。
「じゃあ……行くか」
とまどいを隠せないサカミに、こう言った。
「――樽がよければ、それでもいいが」
――まあ、あとすこしの辛抱だ。
以前の観光船なら丸一日の船旅だったらしいが、この船はいくらか性能がいいのかそこまでかからないらしい。いまちょうど明け方ごろだろう。もう島が見えているかもしれない。サカミは段取りを確認した。
――到着したら、まず「日曜亭」を訪ねる。
花鏡院コーポレーションの急速な台頭は不穏だが、いまZAKURO社を離れた個人としてはそこまで憂慮すべき事態でもない。
むしろキリサキ専務の就活への関心を散らす要因になるのなら、好都合とすらいえるかもしれない。
そう、もっとも不穏なのはやはり他社のこれほどの横暴を静観しているキリサキ専務の思惑だ。
いったい、なにを考えているのか? まともな判断ができなくなっているとしか思えない。採用活動に固執するあまり。
「……おい」
熟考するサカミに、男があくまでマイペースに、注意をうながした。
「巣穴にもぐったほうが、いいぞ」
そして頭を引っ込めた。
警戒をおこたっていた。自戒の念とともに、サカミも袋に引っ込んだ。
あたりがやけに騒々しい。
エンジンの唸りが聞こえない。
なにか言い争うような、興奮しているような声が聞こえる。しかし、内容までは聴きとれない。
――なにか、あったのか?
まさに、「事件」が起こっていたのだった。




