第7四半期「タワーマンションの戦い! vs 怒りの就活生、エリカ(前編)」
そのとき、リョウを阻んでいたのは炎の壁だった。
数多のモーレツ社員たちに猛追されながら吊り天井、巨大な鉄球、矢の嵐などさまざまなトラップをかいくぐった果て、もうエリカのいると思しき最上階までほんとうにあと一歩のところ。
あちこちに見さかいなく延焼しながらふしぎとこの塔だけは避けているかに見えた火の手が、階下からとうとうリョウに迫り、追いついたのだ。
これだけ炎にのまれてなお焼けくずれず屹立していられるのはZAKURO社ゼネコン部の技術のたまものか、それともたんなる一時の僥倖で、じつは危うい状態にきているのか。
どちらにせよ、いちばんの気がかりはエリカだった。
エリカは就活生でないし、耐熱性のスーツを着ているわけでもない。このまま火が廻れば、塔が無事でもエリカはただではすまないだろう。
リョウだって決して平気でここに立っているわけではない。ただでさえ盛りだくさんなアトラクションに体力は消耗していたし、あらわな肌は暑い、というか熱い。リョウは内心、シッポに感謝していた。
――シッポ、すごいよ、このスーツ。
保護されている部分はすこしも熱を感じない。布が焦げたり、汗がにじんだりして清潔感がうしなわれることもない。
――これなら、行ける。きっと行ける。
リョウはボタンを外して、ジャケットを脱ぎ、それで頭巾のようにあたまを覆った。
さすがに、怖い。くらくらと、目の前が揺れているのはかげろうのせいばかりでない。熱への強さはもう実証ずみだが、耐火性といったって、はたしてこんなところを突っきって、無事でいられるものなのか。それは、わからない……。
――でも、ここを抜けなければエリカのもとへたどり着くことはできないのだ。退路もすでに絶たれている。行くしかない。
――信じるしかない。シッポを。
「失礼、――致します!」
リョウは頭から、炎のなかに突っ込んだ。
……そして数分後、煙のなかから、あらわれた。
「シッポ」
リョウは、声にだして言った。
「――ありがとう」
最後の階段を、一気にのぼっていく。そして開け放たれたままの扉に、そのまま駆けこんでいった。
そして、――慌てて足を止めた。
落っこちそうになった。
いつの間に、こんな高さまでのぼっていたのだろう。赤く、無惨に滅びつつあるジンジィランドの全景が一望できるそこはタワーマンションの最上層、最高級賃貸住宅のひと部屋を模したらしい空間だった。
ソファがあり、超大型テレビがあり、テーブルがあり、その上にシャンパンタワーもあり、開けっぱなしのウォークインクローゼットにはきっとブランドものなのだろう、リョウにも見たことくらいはある知恵の輪みたいなロゴのついたコートやらバッグやらが上品に置き並べられている。
けれども肝心の、壁がない。天井もない。ここもまだ改修中なのだろうか、ぐるりとめぐらされた鉄骨の足場の間からすさまじい風が吹き込んでは、抜けていく。
エリカはそのただなかに、隠れることなく、こちらを向いて立っていた。ほかに何者の気配もない。
「――エリカ」
リョウはびっくりして声をかけた。エリカが、スーツを着ていたからだ。
ジャケット、ブラウス、スカート。
どう見たって、正真正銘の、就活生だ。
「これは、どういうこと?」
「リョウ、聴いて。――わたしね、就活はじめたの」
エリカはいつものエリカのように、ものしずかに言った。でも、リョウはなにかぞくっとした。そこにいるのがまちがいなくエリカであって、それでいてすこしもエリカじゃないことがすぐ、わかったのだった。
「エリカ。どうしたの?」
「どうしたって? ――何か、おかしい?」
リョウは、誤魔化さずうなずいた。
「おかしいよ」
「どうして? わたしが就活しちゃ、おかしいの?」
「そうじゃないよ」
リョウはエリカのむこうの、荒涼とした大人気テーマパークの成れの果てを眺めわたしながら、つぶやくように言った。
「……こんなの、就活じゃない」
「じゃあ、どんなのが就活なの?」
エリカは食ってかかるように言った。
「ねえ、リョウ。……リョウはずいぶん、えらくなったのね」
「そうじゃないよ」
「……そうよね。就活生さんだものね」
「エリカ。ほんとうに、どうしちゃったの?」
リョウは歩み寄った。エリカは退いた。
「わたしね、……ずっと、これが夢だったの」
エリカは、名刺を取りだした。
とっさに、リョウはテーブルを見た。シャンパンボトルの、鋭角的な断面。だくだくと、溢れだす金色の液体。その奥の、鉄骨に刺さった名刺。
「どう? わたしの就活。――これで、みんなと同じでしょ?」
すこしの笑みもなく、エリカは言った。
「エリカ、就活したかったの?」
テーブルの下、カーペットにひろがっていく染みを茫然と見つめながら、リョウは言った。
「だったら――」
「――すればよかったのに、……とか、言うのよね! きっと!」
これまで聴いたことのないような声で、エリカは、ぶちまけた。
「エリカ……?」
「ほんっとうに嫌い。……大嫌い! こんな世界! 就活! 成長! 資格! 年収! キャリア! 人材価値! 生産性! ――自己責任! ……ねえ、リョウ。なんなの? 『傾聴』って」
リョウは、答えることができなかった。
「馬鹿らしいわ! ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ馬鹿らしいわ、就活生たちの悩みなんて! ぜんぶ、ぜんぶ、――ぜんぶぜんぶ恵まれた悩みじゃない! そんなの、どうしてわたしが聴いてあげなくちゃいけないの! お父さんも、お母さんも、――みんな、どうして、わたしを追いつめるの! なんで、わたしをはけ口にするのよ!」
まわりで、花火が炸裂した。
「エリカ、落ち着いて!」
リョウはまた一歩前にでた。エリカはまた、後退した。
「オレは、追いつめたりしないよ」
ところがその言葉が、エリカをさらに、昂らせずにはおかなかった。
「リョウだって! そうじゃない!」
「なにが!」
「わたしの話なんて、ちっとも聴いてくれないじゃない! 就活生になってから――なおさらよ!」
「話って――」
「もう、遅いわ!」
「待って、エリカ。オレ、気づかなかったんだ。エリカがなにか、悩んでるってことに。自分のことで、いっぱいいっぱいで――」
「なに? 自分のことって! なんでリョウが? リョウには、――居場所があるじゃない!」
「エリカにだってあるよ!」
「ないわ!」
また、花火がいくつもはじける。塔が揺らぐ。リョウは、転倒しかけたくらいだった。エリカは、平然とそこに立っている。
「どこにもないわ! わたしの居場所なんて! 大学にも! 島にも! それに――」
「ゆがみの町は? オレも、シッポもいるし――」
リョウは言葉をきった。エリカの全身に、オニガワラと同じような青い光がみなぎっている。いや、オニガワラより、遺跡で見た就活生たちより、誰より激しく、寒々しい光だ。
エリカは、叫んだ。
「情 念共有ッ!!」
必殺技――カツバトなしの!
エリカの背後に、オニとも悪魔とも激詰め上司ともつかない、恐ろしい顔が浮かびあがった。両眼のプロジェクターから、青い光が放射されている。
――見ちゃ、だめだ。リョウは、直観した。もし、目を合わせてしまったら……。
「――関係ないわ」
エリカは言った。
「プレゼン会場は、わたしたちの中にあるのよ。さあ――ご静聴あれ! わたしの傷を! 苦しみを!」




