第6四半期「炎のなかの共闘」
なぜエリカが、こんなところに?
なんの説明もなかった。
ただ、居場所は伝えられた。さっき通りかかったときはたしかに厳重に封鎖されていた園中央のシンボル的建造物、「成り上がりタワーマンション」。あのてっぺんで、リョウを待つとのことだった。
――成り上がりタワーマンション。
一階から最上階まで、さまざまな試練をクリアしながらのぼっていくことで、新卒入社から定年退職までのビジネス・パーソン人生をスリリング、かつコンパクトに味わえる――という趣向の、大人気アトラクションだった。
でも、よりお手軽にべつの人生の疑似体験ができる「カツバト」が登場してからは廃れ、コンセプトの見直しが検討されることになった。それでいま、改修工事がおこなわれている――はずなのだ。
「……そう言うと思ったわ。あんたなら」
とまどいを感じながら、シズナは言った。
エリカのことは、嫌いだ。大っ嫌いだ。むこうもそう思っているだろう。ニガテというか……。相性が悪い。虫酸が走る。むかつく。イライラする。
けれども、いまシズナの感じているこのもやもやは、これまでエリカにおぼえてきたその種の感情とはなんというか、次元のちがうものだった。
これをなんと呼ぶべきか、シズナ自身にもわからなかった。すくなくとも、今こんなところで自己分析を行っている場合じゃないはずだった。
リョウは、シズナがエリカをあんまりよく思っていないのを知っていた。それでわずかに、顔色をうかがうような間があった。もちろん決意は固いけれど、せめて後味悪くない去りかたをしたかった。その忖度がまたシズナの気に障った。
「早く行きなさいよ!」
思いっきり怒鳴られたリョウはうなずいて、それからはもう迷うことなく、タワー目がけて走って行った。
そのまっすぐな後ろ姿がまたちくりと、どういうわけか、シズナの胸を刺した。
――何なの、これ……。
「――ワタクシガ、人間時代ガンバッタ事ハ」
いよいよオニガワラが地を蹴った。
シズナは迎え撃とうと姿勢をただした。
――いっそ、分かりやすくていいわ。身体動かしてるほうが。
「――肉体練磨デ、ゴザイマス!」
オニガワラはお辞儀、……するかに見えた。
このままジャンプして、ばかでかい背中に手をついてくるりと一回転、そのまま向こう側に着地して、オニガワラの背後をとる――それが、シズナのヴィジョンだった。
けれども、むこうが一枚上手だった。あるいは気持ちのみだれが判断を鈍らせたのだろうか。
敵のお辞儀は、逆向きにくりだされた。
あたまを下げるのでなく、上げたのだ。サイが前脚を上げて角を誇示する要領で、すばやく、抉るように背中を反り返らせた。
ちょうどそのとき、相手の背中目がけゆるやかに落下しつつあったシズナは、後頭部の一撃をもろに食らったかたちだった。
弾き飛ばされ、素早く身体をひねって、一回転。
受け身をとらなければ、致命傷を負っていたかもしれなかった。
落下地点こそ、狙い通り、オニガワラの背後。しかし体勢を立て直す間に相手はこちらを向いてしまった。
ネクタイ状の傷の走った胸部がむくむく膨らんでいった。
挨拶、するつもりだ。
シズナは舌打ちをした。赤く照らしだされた頬を、冷や汗がつたう。
――こんな状況で……?
風が起これば炎はいっそう燃え盛る。
炎、それは就活の脅威だ。スーツを焦がし、身だしなみを汚す。名刺も履歴書も、灰に変えてしまう。
今度はシズナのほうから向かっていった。
作戦はない。勝算もない。ぶつかりあいで、あの巨体に勝てるはずもない。
でも、とにかく挨拶は、阻止しなければ――。
しかしオニガワラはもう、大きく反り返っていた上体を、のっそり前に傾けながら、ためこんだ息を、挨拶ともども吐きだそうとしている――。
――そのときだった。
がこん。どこか間ぬけな音の直後、オニガワラが後頭部をさすりながら、急にからだの向きを変えたのだ。
地面には、モップ。
そして、まなざしの先にはジンジィ君の飼い犬、ザッシュ君。四足歩行のキャラクターを無視し、二本の足で、しっかと立っている。
「大変な事になってるな」
言葉をしゃべれないという設定もどこへやら、はっきりそう言って、かぶりものを脱いだ。
「あんた……」
と、シズナは指差した。が、名前がでてこない。
「……タナカな」
苦笑しながら、そいつは名乗った。
リョウは「壮年期」の部を終え、「中年期」の層へと駆けあがっていた。いろいろな危機にみちていて、稼働中、いちばん脱落者の多かった地帯。その深淵を、ひとっ跳びに越えていく。胸に光っているカツバトは――まちがいなく、プロトタイプだ。
――レジェンド・リクルート。
モニターを見つめながら、キリサキはつぶやいた。
「――もうすぐですわ。キリサキ専務」
かたわらのシルヴィアが、満足そうにささやきかけた。
「愛し合う者同士の、就活」
「それは貴様が」
キリサキは、言った。
「貴様が考えたのか」
シルヴィアはゆったりとうなずいて、
「もちろん、わたくしの趣向でございますわ……。試練の果てに輝く力には……最大の試練を」
うっとりと口もとをゆがめた。
レジェンド・リクルート。まったくの無知だったはずのシルヴィアは、キリサキのあずかり知らないどこか闇の世界で、このような「趣向」を凝らしてみせるほどの、それほどの知識を身につけてきたらしかった。
「人事部はどうしている」
キリサキは話題を変えようとした。
「用済みですわ……。レジェンド・リクルートの獲得は、目前。そうなれば、就活は、不要……。そのはずでは?」
「しかし、あるいは最終選考まで――」
「――それまでの間。何度、あの者に助言を求めるおつもりで……?」
キリサキの目が、シルヴィアに向けられた。
「時を食らう化物……。わたくし……嫌ですわ」
めずらしく、極めてめずらしく露骨な嫌悪をあらわすシルヴィアを、言葉もなく、キリサキは見つめていた。
「嫌ですわ、……あれだけは。あのような者に、頼らずとも……グランド・デザインの成就は、可能。……ちがいます? キリサキ専務……」
「――そのタナカが、なんでこんなところにいるの?」
シズナはオニガワラの肩越しに、大きな声で尋ねた。
「生き様についちゃ、話せば長くなるが――ここにいる理由は単純明快。バイトさ」
「はあ? あんた、医者じゃなかったの?」
「まあ、……時たまな」
タナカはどこからか取りだしたあらたなモップを竹刀のように構えて、
「――でも、どうでもよくないか? この際」
はさみ撃ちにあった格好で、どちらを狙うのが得策か、オニガワラは、判断をめぐらしている様子だった。
「あんた、まさか戦うつもり?」
「そう見えるか?」
素振りでヒュッと風を切る。
「そんなら、光栄さ。これでも剣道師範のバイト経験ありなんでね」
「そんなレベルの話じゃないのよ、これは」
するとタナカはシズナにとって思いがけないことを言った。
「コイツの、青い光。……『マナ』ってやつだな?」
「リョウから聴いたの?」
「ああ。詳しいことはなんも知らねえけど――」
ふいに、タナカは跳びあがった。驚異の跳躍力、そして、スピード。オニガワラより、シズナの声が漏れたくらいだった。
「――なッ!」
のひと声とともに、オニガワラの額を一撃。危なげなく着地して、拳の反撃を紙一重にかわしつつ、飛びすさった。
「……かてえ……」
両手に、じいんとしびれがつたわっていく。とてもじゃないが、決定打にはならなかった。しかし注意を引くことには成功した。
「なに、考えてるの!」
シズナは真剣に言った。
「マナのこと知ってるなら、わかるでしょ? そいつはあんたの手に負える敵じゃない」
「だからだろ!」
タナカも叫び返した。
「あんた、『エージェント』ってやつなんだろ?」
「……ちがう!」
シズナはもっと大きな声で叫び返した。
「へ?」
タナカの目が丸くなった。
「そうなのか? でも――」
「わたし、……エージェントなんかじゃ、ない!」
するとタナカはもっともっと大きな声で、
「なんでもいいよ、そんなのは!」
モップ一本で猛攻を凌ぎつづけながら、叫んだ。
「オレは、リョウを信じる!」
「え?」
「リョウがお前のこと、すごく心配してたからさ!」
そして喉元をひと突き、と見せかけて柄をくるり。
炭化したそこらの燃えくずに、いつの間にかたっぷりなすってスミまみれにしてあったらしい先端を、敵の顔面にすぽんと放った。
とつぜん、まっくろい毛むくじゃらに飛びつかれたオニガワラは大慌て。両手をめちゃくちゃに動かして、ようやく毛糸を引っぺがしたのだけれど、顔にも手にもからだにも、スミのあとはべったり残った。
「就活生ってのは、身だしなみが大事なんだろ? こっちは、書道家のバイト経験もあるんでね。こんなところで生かしてみたぜ」
ほぼ全身黒く汚れたオニガワラの動きは、なるほどあきらかに鈍っている。表情もくもりがちだ。
「こいつは、オレの手に負える敵じゃねえ。それはわかってる。――だから、オレは囮に徹する。とどめは、あんたがさしてくれ」
「……わたしが……」
「そうさ! シズナ。リョウが、お前をどんだけ……」
と言いかけて、タナカは頭を振った。
「いけねえ、いけねえ。ここでオレがよけいなこと言っちゃあ……野暮だよな。シズナ。とにかくリョウはお前のこと、……なんていうか、認めてると思うよ。それは、それだけはオレ、言っとくぜ」
「エージェントとして、じゃなくて……?」
「さあな」
そう言って、タナカは替え糸をモップに装着。炎のなかに、つっこんだ。たちまち派手に燃えあがる。
「でも――じゃなきゃ、誰が命をかける?」
シズナは、言った。
「足、引っぱらないでね」
「おう」
――炎の乱舞が、はじまった。




