第2四半期「物語じゃない」
日が経った。
月がでるたび、リョウは部屋のまんなかでお辞儀をしたり、志望動機をとなえたりしていた。
なんにも考えず、ひたすらくり返した。
しまいには、からだから湯気が立って見えるほどだった。
それから階段を下り、中庭にむかった。
倒れた柱に腰かけて、しばらく夜気にあたった。
カツモンたちが夜ごと会議を開いていた場所だ。――でも、リョウはそのことを知らなかった。
シズナの棟を見あげた。
もとの部屋は穴だらけで、けもの臭さもきつく、もうとても住めたものじゃなかった。
やむなく、シズナは階下に引っ越した。様子が知りたいけれど、むこうから訪ねて来ない以上、こちらから戸を叩くのは憚られた。
そんな気遣いがはたらくのは、リョウが就活生で、シズナがエージェントだから、ということではなさそうだった。
リョウをためらわせるのは臆病さやよそよそしさとはぜんぜんちがうものだった。
リョウはそれから、あの着飾ったシズナにつれられて毎晩夢うつつに通った道を、いけないと思いながら、それでも何度でもたどりなおしてみずにはいられなかった。
けれども、どこをどう歩いても、何時間さまよっても、ついには朝日ののぼるころになったって、あいまいな記憶のなかのあのきらきらした草地、あの懐かしいなんにもない場所を、見つけだすことはできないのだった。
そうして、選考前夜になった。
その夜も、リョウはぼんやり中庭で腰かけていた。
すると、かすかな足音が聞こえてきた。こつ、こつと、どこか用心深く階段を下りてくる。
リョウは立ち上がった。
「――シズナさん」
そんなふうに、しぜんに名前を呼べたのはわれながら不思議だった。心はひどく波打っていた。
シズナは、髪をまとめている。スーツを着ている。
どう見たって、シズナだ。
けれどもなぜだか、コンサルタートルのシズナと重なったのだった。
あの日のような、月のあかるさのせいだろうか。
――いや。
「隣、いい?」
表情が、やわらかいからだった。
とはいえ、並んで腰かけると、シズナの表情はまたすこし、こわばった。
思えばボッチ島で、誘いをうけたときもこんな距離感ですわっていた。
リョウはそんなことを思い出した。
「明日、選考ね」
「……うん」
と、返事をして、いつの間にか、敬語のはずれているじぶんにリョウは驚いた。――ほんとうに、いつからだろう?
言い直そうかと思った。
しかしシズナは、
「グループ・ディスカッション。どうなることかと思ったけど、通ったのね」
怒らなかった。
リョウは、そのまま話すことにした。
「うん」
「けっきょく、レジェンド・リクルートがわたしたちになにをくれて、なにを奪ったのか、わからないまんまだわ。……ぜんぜん、わからない」
「……オレも」
「わたし、考えたの」
リョウは、聴いていた。
「わたし――」
シズナは思いきって言った。
「ほんとうは、『エージェント』なんかじゃないの」
「知ってる」
と、リョウはこたえた。
「……聴いた?」
「……うん」
はっきりとではないけれど。
「キョウカから……?」
「うん。……キョウカさんは……」
と、言いかけて、やっぱりリョウは黙っていることにした。伝えたいことはたくさんあるけれど、それをキョウカさんは望まないかもしれない。
シズナもあえて問わなかった。
「ほんとうに、悪かったって思ってるわ」
ぶっきらぼうな言いかただった。
「なにが……?」
「あんたのこと、利用しようとして」
「――オレも、かもしれない」
「え?」
シズナは意外そうだった。
「オレも、シズナさんに、頼りすぎてたかも。いろいろ、任せすぎちゃってたかも」
「それは……。当然でしょ? わたしのこと、『エージェント』だって思ってたわけだし」
「だとしても、ひとりの人間だよね。それなのに――」
「……キョウカにいろいろ聞いても、そう思う?」
「うん。――思う」
シズナはポケットに手を入れた。指がペンダントにふれる。
「……わからないわ。……わたし、どうしたらいいの?」
リョウは、黙っている。
「……これから、どうしていけばいいの」
リョウに、カツモンたちに、キョウカにさえ救われて、これからいったいなにをなすべきだろう? なんのために生きていけばいいのだろう?
「……わからないよね」
と、リョウは言った。
「……わからないわ」
生きていることを祝福したり、されたりするのは恐怖だった。怒るのをやめたら、呪うのもやめたら目の前にひろがる時間すべてが空虚になってしまうような気がしていた。
「……シズナさん」
しばらく黙ってから、リョウは口を開いた。
「オレの、親からね。父親でも、母親でもある人なんだけど……オレ、いつもこんなふうに言われてきたんだ。人は、何者にもならなくていい、って。人生は、物語じゃない、って」
シズナは、やわらぎかけた気持ちと真逆に、口もとをひきしめた。
「……物語じゃない……。あんたが、言われそうなことね」
そんなふうにつっけんどんに言ったわけは、リョウにはすぐわかった。
「うん、ほんとうにそうなんだけど……。オレ、すこしずつ、わかってきた気がするよ」
シズナはリョウを見た。まじまじと見た。病室で大泣きしたときとおなじようなことを言おうとしている。
けれども、
「――オレ、就活が、したい」
あのときとまるでちがうリョウがそこにいるような気がした。
なぜ、こんなに変われたのか?
「……あんなにつらい思いをして、まだ、そう言えるの?」
シズナは、すなおな気持ちで問いかけた。
「うん」
あえて、リョウは言いきった。そして、こちらを見た。
「だから、シズナさん。……いっしょに就活、つづけよう」
「え……」
シズナは、ほとんどおびえにちかい表情を見せた。
「どうして……」
「オレ、――がんばるから」
がんばる。こんな安易な言葉に、これくらいの重みをもたせられるようになったこいつが、リョウが、正直にいえば、うらやましくてしかたなかった。
だって、これだけの、短期間で……。
わたしなんて、もう、どれだけの……。
いっそ笑いが、込みあげてきそうだった。それがすごく照れくさくて、シズナはあわてて態度を急変させた。
「……じゃあ、さっさと寝なきゃ。――もう、明日なんだから」
そう言って立ちあがると、くるり、背を向けてしまった。
リョウはしばしのあいだ、呆気にとられていた――唐突きわまりなくて、機嫌を損ねたかと、けっこう本気で心配してしまったくらいだった。でも、最後には戦いをひかえた就活生の表情にちゃんともどって、頼もしく、返事をした。
「――うん」
――そして、選考当日がやってきた。




