願い
いったん、トピックは変わる。
ここに、オニガワラ(22)という男がいる。
それなりに由緒ある道場のひとり息子だ。もちろん、由緒だけで食っていけるほど世の中、甘くない。いまの道場があるのは、父の努力のたまものだった。
父は、それなりに才気ある人物だった。有用なものばかり重んじられる風潮の世にあって、ごくごく平穏に暮らしていくぶんには無用も無用な「武道」なるいとなみをいかにして、これからも繁栄させていくか――苦心の果てに、目をつけたのは「就活」だった。
就活こそ、この世でもっともアクチュアルないとなみである。
同時にそれは「戦い」でもある。
――だとしたら、就活術と格闘術、ふたつの術を、合わせてみてはこれ如何に?
ここに、あらたな流派「縁取流」が創始された。
経歴、資格、実績、などにおいては立派なものを持ちながら、戦い怖さにエントリーをためらっていた就活生たちがぞくぞくと門を叩いた。
叩いた、ものだった。数年前までは。
しかし――。
――カツバト。
あの装置の普及にともなって、入門者は激減。
退会者は激増。
なにごとも空想現実上の「バトル」で快く簡便にけりのつく昨今、汗や血やときにはよだれなんかも飛び散らしながら生身でぶつかりあう格闘技なんて、時代遅れだし、面倒だし、格好わるい。
それがおおかたの意見だった。いろいろレトリカルな言いつくろいもあったが、要するにそういうことだった。
いまやすっかり、道場は無人。
いや、正確にいえばひとり、オニガワラがいるのだが、その気配は、在りて、無きが如し。
モチベーションは天を焦がし、
お辞儀は猛牛をしとめ、
ノックは音を置き去りにする。
とにかくある境地に、達しているほどの男だった。カツバトのごとき最新装置のあつかいは、からっきしだけれど――。
それでも二次選考「面接」への進出を決めていた。
――リョウさん、すか。
対戦相手は、選考詳細に明記されてある。ある意味、因縁の相手だった。
というのも、カツバト音痴のオニガワラが一次選考を通過できたのは、実質「不戦勝」のおかげだったのである。
実質、というのは、試合前日の、リョウと朱雀の詳細不明なトラブルにたいへんショックをうけたらしい同卓の志望者たちが、今日もなにか妙な事案がおこったら……と終始おびえっぱなしでディスカッションどころじゃなく、まさに戦って戦わぬが如し、だったからだ。
「――おす」
とオニガワラは気合いの一声を発し、マインドフルネスを解いた。「おん社におかれましては益々ご盛栄のこととお慶び申し上げます」から、極限まで贅肉を削ぎ落としていくと、最終的にはこうなる。
――どんな相手だろうと、自分のすることに変わりはないっす。
岩板を、ノックがぶち抜いていく。
つぎつぎと、文字が刻みつけられていく。
志望動機だ。
「カツバト」時代の終焉を、そして、健全な「戦い」としての就活の再興を――もとは漢文だが、訳すとだいたいこんな意味になる。
この道場に、再び清涼な活気を。
真摯な熱気を。
切磋琢磨の気風を。
――取りもどす。
それが、オニガワラの悲願なのだった。
誰にもぶつけたことはない。
父にさえ。
彼の戦いは、つねに、おのれとの戦いだ。
――それがなぜ、わかったのだろう?
「素敵だわあ、その心がけ」
そこに、女が立っていたのだ。
「――ねえ」
と、女は言った。
金色の、長い髪が揺れた。
「――いい話があるの」
エリカは、海を眺めていた。
今日は、花鏡院に呼ばれたわけでもない。
ただ、海が見たかったのだ。あのかなたに、思いをやりたかったのだ。
――わたし、どうすればいいんだろう。
リョウに会うのが、後ろめたい。
シズナに会うのが、恐ろしい。
シッポに会うのが、恥ずかしい。
ゆがみの町に、ひさしく近寄っていなかった。かといって、大学に行くのも気が重い。旧友たちはそれこそ就活でいそがしいし、先生は、「千載一遇のオファー」に返事をためらっているエリカなんて、顔も見たくないだろう。
ボッチ島に帰るわけにもいかない。ゴーダの話では、両親もBOCCHI-21に乗り気だという。ふたりとも、エリカに期待していることだろう。
そもそも、島への渡航には制限がもうけられつつあるらしい。
あの観光船「エントリー号」は廃止され、行き来するのは花鏡院コーポレーションの貨物船や飛行機、かぎられた許可証所持者だけが乗れる旅客船、そしてなぜか、大量の就活生を運びつづける高速船。
――今が、大事な時期ですからね。リスク要因を可能な限り排除したいのです。開発が一段落すれば、またもとどおり、誰でも行き来が可能になりますよ。
そう言って花鏡院は微笑んでいたけれど、
――そうさ、エリカ! オレ、島のみんなに、演説ってやつをしたのさ! そしたら、みんなどんなリアクション見せてくれたと思う? 拍手喝采、雨あられ、ってやつなのさ! 観光収入のストップはきついけど、そのぶんガッポガッポの未来が待ってるから! だから、今だけ頑張ろうって、オレ、そう言ったのさ!
とゴーダも得意気だったけれど、
エリカは、とても……。
とても、不穏なものだけを感じていた。
――でも、わたし、どうすることもできない。
島が変わりつつある。
居場所が奪われつつある。
リョウの、わたしの、オカミさんの。
もうすぐ、ZAKURO社の二次選考が始まる。
リョウ、合格したのかな? 結果、どうだったんだろう?
連絡は、ない。
もう、エリカを気にかけている暇なんてないのかもしれない。
――わたし、かまってほしいだけなの?
なんて……。なんて、いやな人間なんだろう。
こんな気持ち、だれにも話せない。
話したくなんてない。
だれも、わかってくれっこない。わたし自身だって、わかりたくなんてない。
それなのに――。
「――あらあら」
そのひとは、ぜんぶ、わかってくれたのだった。
「そんな、悲しそうな顔して。せっかくの可愛いお顔が、だいなしよ?」
うつくしくて、
「よしよし、泣かないで。――もう、大丈夫」
やさしくて、
「大丈夫よ。――わたしが、あなたを救ってあげる」
そして――。
「――いい話があるの。聴いてみない?」
すべてだった。
休む間もなく色を移ろわせながら収縮運動に耽っていたつぼみが、大きく縮み、震え、げふっとうつくしい煙を吐きだした。
――足りない。ぜんぜん足りないよ。
いつからか、そんな口をきくようになっていた。
――「時」を。もっと「時」を、ちょうだい。
拝聴せざるをえない。
――ねえ、パパ。聴いてるよね?
それで、すべてだ。キリサキは、そうこたえた。
――たった、これだけ?
老いて、姿勢の維持すらもむずかしくなった就活生たちが、パイプ椅子からくずれ落ちていく。時を、食いつくされたのだった。
――ずいぶん、減ったねえ。――ねえ、パパ。
「その呼びかたはやめろ!」
けたけたけた、とつぼみは妖しくふるえた。
――パパのネームバリュー、なくなっちゃったんじゃない? この間の騒動で。
「邪魔者がいるだけだ」
苦々しく、キリサキは言った。
邪魔者、それは花鏡院コーポレーションのことだった。
ちかごろ就活生たちをあつめて、ボッチ島に輸送している。関連性は不明だが、就職浪人生たちも街から姿を消している。
若い「時」を絶えずつぼみに供給しなければならないものにとって、それは不都合なことだった。
――でもね、パパ。ボク、パパの誠意は買ってるよ。とうとう、あの女の人まで頼るようになったんだねえ、パパ。前は、ほんとうに嫌がってたのに……。
キリサキは――。
――なにが、できるわけでもなかった。
部屋を出ると、シルヴィアが控えていた。
「――わたくしなりに、趣向を凝らしてみましたわ」
なにを、考えているのか……。薄ら笑い。どこまでも薄ら笑いだ。
「レジェンド・リクルート」
シルヴィアは、あまったるくつぶやいた。
「試練の中で磨かれる力には、最大の試練を。――いかがです?」
キリサキは、顔をそむけた。
「どうでした? 人事部は、その後」
「貴様の気にすることではない」
シルヴィアは恭しく一礼して、
「お役に立ちました? わたくしの、この力」
沈黙で応じながら、キリサキは、認めないわけにはいかなかった。この女のちからがなければ、人事部の掌握は不可能だった。
――ということは、レジェンド・リクルートは、一次選考で祈られていたかもしれない、ということだ。
――なりふり構っていられない、っていう状態だね? パパあ。そうだよね、「グランド・デザイン」のためにはね……。
声は、遍在している。
「黙れ!」
キリサキは、かたく閉ざしたはずの扉にむかって叫んだ。
このとき、ほんの一瞬だけ、シルヴィアの笑みがくずれた。
しかしそれは、キリサキには見のがされたのだった。




