第26四半期「いつか再会するために」
――まあ!
――なんですと!
二匹はベッドの下に潜りこんだ。いちばん奥まで逃げこんだ。まっ暗闇に、獰猛なふたつの眼が光っている。物腰やわらかなソリューニャンの、こんな顔つき見たことがない。
――おい! どうしちまったってんだよ、おい!
――くそ、作戦名「アナフィラキシー」実行だ!
兄弟蜂は長い尻尾の揺れるお尻をぶすり、ぶすりと交互に突き刺しまくるが、それもかいなくソリューニャンは上体を低くして狩りの態勢をたもちつづけている。
むくむくむくっとお尻が高くなっていく。突撃のときはちかい。
マウスたちは震えている。
――なんですの、おねこさん! なにがあったんですの!
――死を恐れるあまり、……少々、ぶっ飛んでしまいましたかな!
――危険だよ! 危険!
リスクヘッジホッグはよたよたピアノによじのぼって、キュッと身体をちいさくした。
これはピアノブラシに擬態しているのである。ほんとうはハリモグラだけれど、何度訂正してもハリネズミとまちがわれる。つぎの標的にえらばれる危険性はきわめて高い。
――コン!
と、キツネクタイがふくらんでいくお尻にしがみついた。即座に身をひるがえしたソリューニャンが、キツネクタイの尻尾を思いっきり、がぶり。
――コン! 顔だけは傷つけないで、コン!
と、コン願するのだが、まるで言葉そのものが通じないように、ソリューニャンは尻尾をガジガジしつづけている。
――よし、よし、よし。
ここで、マトリックマがひと仕事。ふっさふさの絵筆を小きざみに動かして、虫や蛇のように這いずりまわらせた。ソリューニャンはしぜん、興味をひかれたようだった。そのさまは、もう、ただのねこだ。
――はあ。
と肩を落とし、いったん、やりきれないものを吐きだしてから、筆の動きでうまーく、誘導していく。毛むくじゃらのちいさな無生物が、物陰に引っこんだり、あらわれたり、ジグザグに跳梁したり、ほわーんと飛びあがったり、いきいきと旋回したり……廊下にでたところで、とうとうぽいっと絵筆は投げだされた。
すかさずソリューニャンは飛びついて、柄を抱きこみ、床をのたくり、毛を噛みちぎり、ひとりずもうに熱狂している。
はあ、ともういちど、マトリックマはため息をついた。
そして、ドアを閉ざした。
ほんとうに、なにがなにやらだ。全員動揺しているだろうと思った。しかしもどってきた部屋のなかは、案外なしずけさだった。
みんな、おしゃべりすることもなく、なにかを囲んでいる。
静寂。そんな感じだった。ちかづいていくとき、いつもの面々なのに、すこし、気が引けたくらいだ。
足音を立てないよう、じゅうぶん気を遣いながら、マトリックマもまたその輪に加わった……が、
――あ!
と、沈黙をやぶらずにいられなかった。
そんなにも驚くわけはみんなにもわかっていたから、――わかりすぎるくらいだったから、誰もとがめたりしなかった。
寝息。
シズナの寝息。
死んだはずのシズナが、弱々しくではあるけれど、たしかに寝息をたてているのである。
――え? どういうこと? どうして? ……ねえ、どうして?
ソリューニャンの乱心よりまずそちらだった。でも、下を見てみてすぐにわかった。ふたつのことは、おなじひとつのことだったのだ。
輪のまんなかにあるのは、物語の本だった。それは、シズナの母語である、いにしえの言葉で書かれたものだった。
捲りやすいようハリをちょっと蜂蜜で湿してから、兄蜂がそっと、見返しを示した。
そこには……。
――あ……!
マトリックマからすっとんきょうな声があがった。
――なんて、ヘタな絵なんだ……!
その道のものとして、まずそこは、それだけは指摘しておかねばならなかった。
しかし不思議と、嫌いな絵じゃない。
そこにはどう見ても、在りし日の、そして若き日の、コンサルタートルが描かれていた。
――この本は……。
今度は弟蜂が、おなじく蜂蜜のついたハリでさっきのページを捲ってみせた。
――読んでたらしいな。
――お嬢様が? 本を? それは……。
――お嬢様も。
――「も」って?
――おねこさんも、ですわよ。
そうなのだった。ソリューニャンは、みんなが議論している間、なんの気なしにページを捲りつづけて、その物語を見つけたのだった。それを、偶然と言っていいのかどうか。それはわからない。
こんな物語だ。
「貢献の儀の物語」。
朽ちる間際の 亡骸に
すがる なげきの就活生
あわれに思った精励が
すべての光を 捧げ果て
おのれの生と引き換えに
途絶えた命を よびもどす
これこそ真の 貢献者――。
(一部抜粋、緑色の本より)
――「精励」。ボクたちの御先祖様だって、ソリューニャンが、言ってたよね。
これは、リスクヘッジホッグのつぶやきだった。
読み終えたマトリックマは、みんなの言わんとしていることを悟った。
――物語のなかの、この「精励」みたいに、ソリューニャンは、じぶんのマナの「光」をぜんぶ、お嬢様にあげたっていうこと?
――「貢献の儀」と書いてあるね。
――だから、「カツモン」から、動物にもどった?
――……みたいだね。
――……それは、「死ぬ」ことと、どう、ちがうの?
――さあな。
――僕たちも、動物にもどれば、あんなふうに……。
……できるだけ、やわらかい表現を見つけてあげたかった。しかし……。
――あんなふうに……醜態をさらすことになるのかい?
醜態、についてはなにも言わず、弟蜂がこたえた。
――ただ死ねば、ただ消えるだけさ。
――でも、精励みたく「貢献の儀」をするなら……?
ほんとうは、問う必要はなかった。
シズナの寝息が立っている。
リョウが、帰ってくる。
それが、すべてだった。
――……このままじゃ、また同じことさ。
と、弟蜂が言った。
――お嬢様は、虫の息。虫のオレには、それがわかるのさ。……ほっとけば、また死んじまう。肉体が腐っちまえば、それこそ一巻の終わりさ。
――行くのか?
兄蜂が尋ねた。
――ああ。
――兄を置いてか?
――……どうせお前も、来るんだろ?
――あばよ、兄弟。
――ああ、あばよ。
――楽しかったぜ。
――……ああ。
そして弟蜂は、呻った。
――ブウン!
すこしして兄蜂も、
――ブウン!
二匹は窓の外に、別れ別れの方向に、飛び立っていった。
うう……。シズナに譫言がもどった。
――……今だから言いますけどね。
――……なんです?
ウケタマワリマウスが、オソレイリマウスにささやいている。
――わたくし、あなたのことが……。
――よしましょう。
オソレイリマウスは、ちいさなハンカチを渡しながら言った。
――……なにも好きこのんで、未練をこしらえることもない。
――あら。でもわたくしたち、死ぬわけじゃ……ありませんわよね。
すこし黙ってから、オソレイリマウスは、こたえた。
――チュウ!
そしてどこかに走り去って行った。
――チュウ!
と、ウケタマワリマウスも鳴いた。
……それから、リスクヘッジホッグも、マトリックマも、キツネクタイも――みんな、「貢献」していった。
壁に穴を開けたり、ドアをぶち破ったりしながら、どんどん飛びだしていったのだった。
リョウがもどってきたとき、シズナは、ひどくうなされていた。うんうんと、ひどく苦しそうだった。でも、生きていた。
部屋は、とっても臭かった。あちこち穴だらけ、足跡だらけだった。
でも、そんなことを気にしている余裕はない。
リョウは、シズナを覗きこんだ。
ペンダントを、取りだした。
そして、すこしだけ部屋を見まわした。カツモンたちがいはしないかと思ったからだ。ずいぶん遅くなってしまって、心配かけたのをあやまりたかったし、なにか、よい知恵を授けてくれるのではないかと思った。
でも、誰もいない。
外が、すこしだけ騒がしい。
リョウはひざまずいて、シズナの耳元に顔を寄せた。そして、ささやきかけた。
「シズナさん。――シズナさん」
シズナは生きて、うなされつづけている。
「オレだよ、――もどったよ!」
リョウは、ペンダントをかざした。一心不乱に、振り動かしまくった。
「シズナさん!」
渾身の叫び。そして、青い光。
「……あ……」
目がひらいた。
「――リョウ」
それから、シズナはふたたび眠りについた。穏やかな眠りだった。
リョウは、封筒を見つけた。
すごく、きたない。なにか、糞みたいなのがついている。
中身は、合格通知だった。
……まなざしはやがて、かたわらに移った。
開かれたままの、物語の本があった。
立ったまま、読んでいた。
じっと読んでいた。
ひたすらに、読んでいた。
泣きながら、リョウは外に出た。
ドアは破れている。
うずくまって、ひざに顔をうずめて、声を殺してたくさん泣いた。
たくさん、たくさん、たくさん泣いた。
ふと目を上げると、なにかそこにいた。
のらねこだった。
「――ソリューニャン!」
リョウは立ち上がった。
ねこはびくっと身を震わせて、そのまま、どこかへ逃げ去ってしまった。
以上、第4期「流れる魂」となります。
第5期も、明日より更新して参りますので、
引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。




