第24四半期「脱出」
「レジェンド・リクルート!」
キョウカは今度こそ、屈辱もあらわに言った。
「あなたはご自分が、なにをなさっているか、おわかりなのですか?」
「わからない」
額の血もそのままに、リョウはこたえた。
「あなたはわたくしを愚弄した」
「だとしたら、ごめん」
リョウは、キョウカを見た。キョウカは、たじろいだ。
「それは、――それは、わたくしの業務でした」
「ごめんなさい」
「それは、世界を揺るがしかねない――」
これ以上、言えないのがもどかしかった。いっそ、なにもかもぶちまけてしまいたい――こんな感情のうごめきが、ひどく、いらだたしい。
「あなたは、レジェンド・リクルートとして、不適格です!」
「それでもいい!」
石窟に、リョウの声がひびいた。
「――オレは、……好きでそんなものになったんじゃない」
「卑怯です! レジェンド・リクルート」
「なんでもいい!」
怒りより、焦りに駆りたてられてリョウはキョウカの前に立った。片手に、例の本をもっている。それを、ためらわずキョウカに差しだした。
「――はい、キョウカさん」
キョウカは、すぐには受けとることができなかった。
「……なぜですか、レジェンド・リクルート。これは……」
「――これは、あげる」
リョウは言った。
「キョウカさんにあげる」
「なぜ――」
「キョウカさん、これが必要なんでしょ? ……もう、こんなに軽くなった。もう、簡単に持って帰れるよ」
リョウの挙動を慎重に見さだめながら、キョウカは本を受けとった。
リョウは言った。
「……お願いが、あるんだ」
キョウカはだまっていた。なにを頼まれるのか、もうわかっていた。
「シズナさんを、助けたい」
「……レジェンド・リクルート」
「時間がないかもしれないんだ」
だからリョウは、後先考えず、得体のしれないものの破壊さえこころみたのだった。
「……わたくしに、どうしろとおっしゃるのですか」
「わからない」
それが、ほんとうに正直なところだった。
「とにかくオレは、シズナさんのところにもどらなきゃいけないんだ。もどりたいんだ。それに――友達のことも、心配だ」
タナカと、シッポ。今ごろどうなってしまっているだろう?
「そのために、あなたはこの本を?」
「オレは、キョウカさんに大変なお願いをしてるのかもしれない」
ホロウワーク家。さっきの話を、まだリョウはうまく消化しきれていない。不死とか不老とか、頭がちかちかだ。
このうえなお、リョウに明かされていないなにかがあるのかもしれない。隠しだてというのでなく、安易な言語化のためらわれるなにか繊細で、隠微な事情が。それを教えてもらうとしたら大変なことだ。このひとにとって、うまく言えないけれど、それは、まるで大ジャンプだ。
「だからオレにできる、――今オレにできる、これがせいいっぱいのお返しなんだ」
キョウカは言った。
「……申し訳ございません、お父様」
唸り声のようなものが聞こえてきた。
あたりが揺れはじめた。
岩くずが落ちてそこらじゅう、ぱらぱらいっている。
それですめばいいが、音も揺れもはげしさを増し、すぐに、早急なご対応の必要なレベルとなった。
真っ先に反応したのは、キョウカだった。駆けだして、立ち止まり、そして、ふりかえった。
「――こちらにお越しください!」
つぼみの破壊がもたらした事態だった。
あの泉はこのまま崩落で埋もれてしまい、二度と、浸かることはできなくなるだろう。
マナの光。
――シズナの誇り、そして、傷。
「……申し訳ございません、お父様」
激甚な揺れに、よったよったと翻弄されながらすすんでくるリョウを待ちながら、キョウカは、もういちどつぶやいた。
――わたくしには、代わりは、務まりそうにありません。
「――おいおい!」
鼻先にぱらぱらと降りかかった石くずが、タナカを文字通り飛び起きさせた。はげしい揺れにたちまち足をとられ、すてんと転倒してしまう。
「どうなってんだよ?」
ふたりは狭小も狭小な石窟に閉じこめられていた。
小窓の格子越しに、シッポは外の様子をうかがっていた。そこにいたはずの看守志望の就活生は、さすがの先読み能力というべきか、いわゆる初期微動の段階で逃げだしてしまったらしい。開錠作業にかかりたいが、これじゃ、手もとどころか足場もさだまらない。
「知らないよ! ――地震じゃない?」
「だとしたらかなりやばいんじゃないか? 急にガツンときやがったし――おわ!」
ひときわ大きな石の塊、もう岩に昇進したほうがよさそうな大きさのものがボコンと落ちてきて、タナカの頭を粉砕しかけた。
「こりゃ……脱獄の算段なんざ練らなくったって、そのうちこいつのほうから」
ぺちぺち石壁をたたきながら、
「くずれてくれるかもな」
「そしたらオイラたち、――今度は棺桶に閉じこめられてるよ!」
「そりゃあ……カンベンだな。地獄にも天国にも、バイトのくちは少なそうだ。せいぜい釜茹で風呂の番台か、白衣の合唱隊の一員か……」
「将来設計より!」
シッポは叫んだ。
「今の話だろ!」
――ああ、オイラ、このまま終わっちまうのかな?
とうとう、一着のスーツも作り上げられないままだなんて!
「ああ! ――神様、ホトケ様、……それから、……ええと……」
石のとびらが砕け散った。
神様? ホトケ様? ――いいや、見知らぬ女と、それからリョウだった。
傷ひとつない、額。流麗な、お辞儀。岩砕きのためでなく、精励に敬意をあらわすため、磨きすましたはずの――。リョウは、なんともいえない気持ちになった。
扉だけ壊して、キョウカはすぐ、身をひるがえした。リョウが呼びかけた。
「タナカ、――シッポ!」
「――リョウ! これは?」
しかしタナカはすぐ察して、
「いや、話は後、だな?」
くずれゆく遺跡を、四人、一列になって走りぬいた。
前を行く、泥んこの、スーツの背中。それを、シッポはある決意とともに、観察しつづけていたのだった。
就活生たちの、声高な点呼が聞こえてきた。どうやら全員無事みたいだ。
リョウ、タナカ、シッポ、それからキョウカは、赤茶けた地上にふたたび立っていた。
月が、さえざえとしていた。
「――しめた!」
と、シッポが前方を指差した。
「タナカのアンちゃん」
「どうした? ――って、おいおい」
指の先にあるのは、小型飛行機だった。
「お前、まさか……」
シッポの言うことはきまっていた。
「あれでずらかろう!」
「だれが、操縦するんだよ?」
「決まってるだろ?」
タナカは、やれやれと言いながら、
「まさか、こんなところで役立つとはな」
と、どこからか取りだした愛用の帽子をシッカリかぶって、
「パイロット経験が」
「タナカ、飛行機も?」
リョウはしんそこ感心していた。
「まあ、――あの時は大型旅客機だったが……」
「大は小をかねる!」
シッポが人差し指を立てた。
「本当かよ」
と、タナカは大げさにため息をついて見せた。
三つの笑い声が、こんな時なのに、こんな時だからこそ、陽気に調和した。
立ち止まったキョウカは、遠ざかっていく三つの背中を見て、みずからに生じたこの奇妙な感情を味わいなおしていた。
リョウは気づいて、ふりかえった。
「キョウカさん! ……キョウカさんは……」
駆け寄ってくるリョウに、きっぱりと告げた。
「わたくしは、……帰還いたします」
「どこまで? もしかしたら、タナカが――」
「必要ありません」
物言いが、どこか、やわらかくなった? なんとなく、リョウはそんな気がした。
「……必要、ありません」
「……そっか。本当に、ありがとう」
リョウはぺこりともせず、そう言った。
「……これから、どうなさるおつもりですか?」
「困っちゃった」
くるしい笑みが、リョウに浮かんだ。
「でも、あきらめない」
「具体的には?」
「もういちど、調べなおしてみる。マナのこととか……」
すこし考えてみても、手がかりはほんとうに皆無だった。
「……うん。そうだね。そんな感じかな……」
さっそうと、キョウカは上着を脱いだ。
胸もとで、なにか光った。
――ペンダント?
大きく、いびつな石がぶら下がっている。いびつな、――青い石が。
それをリョウに差しだしながら、キョウカは言った。
「これを」
「え……?」
「これは、マナの結晶です」
この間、ゆがみの町を霧で包囲するのに使用したものだった。じぶんにマナを宿せないキョウカは、こんなモノに頼るほかなかったのだった。
「まだ、相当な量が残存しているかと思われます」
そう、シズナは気がつきすらしなかったろう、わたしが、これすらもあの時利用したのだと。
気がつきたくなかったろう。
わたしだって、もう二度と、これを、業務のためなどに――。
リョウとしては、すんなりと、受け容れるわけにはいかなかった。
「でも……これは……キョウカさんの……?」
「それはあなたも同じことです」
本を、返すつもりはなかった。
「でも……」
そのとき、プロペラの音がたった。
「――リョウ!」
タナカが叫んだ。
「悪いが、――立ち話をしてる場合じゃなさそうだ!」
就活生たちが、大挙してこちらに向かっているらしい。怒涛の足音がせまっていた。
「アンちゃん! ……と、あんたも」
シッポはキョウカに呼びかけた。
キョウカのこぶしに、ぐっとちからがこもった――リョウは、たしかに見た。
しかしキョウカは、
「誤解なさらないでください」
と、瞳に機械的なつめたさを取りもどすと、ペンダントをリョウに押しつけ、
「レジェンド・リクルート。……わたくしどもは、あなたの獲得を断念したわけではございません」
「キョウカさん――」
「――失礼、致します!」
そのまま背をむけて、走り去っていってしまった。
突風に、もらったばかりの首飾りがなびいた。
「アンちゃん!」
搭乗口から身をのりだしたシッポの、短い手が限界までのびていた。
「早く! つかまって!」
リョウは、手を伸ばした。
「……さっきの女は?」
と、操縦桿を握りながら、タナカは尋ねた。
「……帰るって」
「……帰る?」
タナカはちょっと、いぶかしく思った。でも、隣のリョウを見て、なんにも言わないことにきめた。
シッポはどうどうと、
「帰るって、どこにさ? そもそも、あいつのお辞儀――」
それをタナカはさえぎるように、
「リョウ」
と、言った。
「シートベルト、締めとけよ」
「うん」
リョウは外ばかり見ていた。
なすすべもなく上空に呪詛を吐く就活生たちが、どんどん小さくなっていく。
キョウカはどこにもいない。見つかりっこないのだろう。
やがて錆色の巨岩の群れは、雲間にかすんでいった。




