第23四半期「ホロウワークの歴史(後編)」
――不死になった……。
――なぜ……?
キョウカにはきわめてめずらしく、そこで急に話が飛んだことに、いくら鈍感なリョウでも気づかないわけにはいかなかった。
でも、ちょっと考えてみると、そうではなかった。
キョウカさんは、飛ばしたのだ。飛ばしたかった、といったほうがいいかもしれない。
人間味との、ふいの遭遇。このひとにも、足早に素通りしたい記憶があるのだ。
その発見は、前ならどこかリョウを安心させたかもしれない。でもいまは、いたましい気持ちになるばかりだ。
「――死ねないということ、そして老いないということ。それがなにを意味するか、おわかりですか。レジェンド・リクルート」
べつにためすふうでもなく問いかけるキョウカに、年を、とらないこと……と、なんの捻りもないこたえを返しかけて、リョウはああっと思いあたった。
「――履歴書が、書けない……。就活が、できない……」
キョウカはうなずきもせず、
「――わたくしども、ホロウワークの者は、いわば人生を剥奪された存在。滅亡ののち、命ばかりながらえてみても、定職に就くすべもなく、受けついできた伝承は、荒唐無稽なつくり話として退けられ……。この世界全域は、レジェンド・リクルート、わたくしどもにとって、ひとつの異邦と化したのです」
――破壊された屋敷で、なぜか死ぬこともできずにいる姉妹のもとに、ある日、正体不明の仮面の男があらわれた。
男は名乗りもせずあがりこみ、まったく聞きおぼえのない声で、異常な身の上話をまくしたてはじめた。
いわく、撃ちぬかれた頭。死んだ肉体。のこった魂。あらたな肉体への憑依、すなわち、「転蝕」の秘儀……。
姉と、妹。
おなじ嫌な予感がふたりの胸にあった。
それは、戸棚の陰でひそかに共有された。
お茶といっしょに、差しだしてみたのはこんな問いだった。
――十二歳のときの「祈りの日」、わたしが履歴書にかいた動物は?
ふしぎそうに、男は即答した。父以外には、こたえられるはずのない問いだった。
「――シズナ、キョウカ。今、この時から、はじまるのさ。我々、ホロウワーク家の、あたらしい歴史が」
すっかり風通しのよくなった大広間のホワイトボードの前に、変わり果てた父が立った。
独房の壁に発狂寸前の自己対話をきざみつけるような筆勢で書きなぐられていく再興計画の、夢のようなあらましを、ふたりは茫然とながめていた。
「就活生たちの打ち立てたこの新制度を、屈辱的な自壊へといざなう。千年、――いや、ことによると万年単位の計画だよ」
「就活生」。その呼称が神話の「驟雨渇生」にもとづくというのなら、彼ら一家がこれから永遠に担っていくはずの未知の職業には、おなじように物語から「エージェント」の名を拝借するのがふさわしいやりかたに思えた。
エージェントの業務。それは、就活生の補佐。就活生の、影に徹すること。そう表現するとき、キョウカの語りくちに一瞬まじった苛烈なものがリョウの胸にせまった。
精励のために鍛えぬいたたいせつな技術を、世渡りのための一手段におとしめるなんて。技量でも、経験でも、それから真剣さでも、じぶんに遠く及ばない就活生たちを、永遠に支えつづけるだけの人生なんて――。
「……しかしそれが、お父様のお考えなのです、レジェンド・リクルート。永遠にちかい時をかけ、各業界に、わたくしどもの影響をこうむった人材を大量に送りこみ、ひいては、就活制度そのものが内側からくずれ去るさまを、悠然と見とどける――」
……そこで、物語は急に終わった。沈黙のなかに消えていった。……話しすぎた。そう、キョウカは思ったのかもしれなかった。
じゅうぶんにキョウカが黙りきったあと、リョウは、敬意のようなものをあらわしたくなった。
「話してくれて、――ありがとう」
キョウカは、それには直接答えなかった。
「……レジェンド・リクルート。わたくしは、先ほど、『不死』という表現で、わたくしどもの境遇を表現したかと思います」
うん、とリョウは言った。
「……その点について、曖昧さが存在したことをお許しください」
――申し訳ございませんでした、と言って、キョウカは頭を下げた。
それは敵の頭蓋をくだいたり、壁をぶち破ったりするためのお辞儀とはちがっていた。
「あ、……そんな、大げさな」
キョウカが顔を上げてくれるのを、リョウは待った。そして、
「曖昧さって……?」
キョウカは言った。
「厳密に申し上げれば、わたくしどもは生存している、とは申し上げかねる状態にあります。すなわち、――『非正規の生』。それが、わたくしどもの現状です」
「ヒ、セイキの……?」
リョウの辞書には、ちょっと収録されていない語彙だった。
「つまり、レジェンド・リクルート」
キョウカは、呆れたりすることもなく、平然と説明をつづけた。
「わたくしどもは、生きても、死んでもいない状態にあるということです。条件次第では、容易に、『死』の側に転落するリスクをはらんでいます」
やっと話の見えてきたリョウは唾をのみ、
「その、条件っていうのは……」
と、尋ねかけて、答えようとしたキョウカを、
「――あ、でも!」
と、急にさえぎった。
キョウカは、不審そうに口をつぐんだ。するとリョウは、なお不審なことに、こんなことを言いだした。
「でも、それをオレに教えちゃったら、キョウカさんも、困っちゃうかもしれないから――」
ひとりあわてているリョウを、はじめキョウカはどこまでも匿名の観察者の態度で、見つめつづけていた。
その言葉の意味はまったく、理解不能に思われた。が、少し考えてみて、得心がいったとき、あっと思わず、ちいさな声がもれた。
そうか。この青年は、気遣ったのだ、たしかに、こちらのことを。本来なら、「敵」と定義して差し支えないはずの、わたくしのことを――。
それは、……すがすがしかった。ねたましかった。
「……まさしく、レジェンド・リクルート」
思わずゆるみかけた口からもれたそのつぶやきは、リョウには聴きとれなかった。
「……その点は、問題ありません」
今度はリョウにとどく声で、キョウカは言った。
「わたくしどもは、それぞれのプロセスで不死のさだめを課されることと相成りました。よって、リスク要因も、それぞれ異なっております」
「じゃあ、シズナさんの場合は……」
「……シズナの場合。それは、……マナの枯渇」
「やっぱり……。じゃあ……」
と、リョウは痛いほど真剣な目でこちらを見てきた。それは、キョウカには当然予測可能な事態だった。
頭を、振るしかなかった。
「……誠に残念ではございますが。貴意に添いかねる結果と、相成ります」
「……でもマナは、キョウカさんにもあるんだよね?」
それなら、すこしくらい――と食い下がるリョウに、キョウカは、ぽつり、つぶやいた。
「……才能」
それは、ひどく孤独なひびきのする言葉だった。こんなにかなしそうなキョウカに、リョウはもう、なにも言うことはできなかった。
「……マナは、シズナだけにゆるされた、才能。わたくしには……」
そのとき、しゅう、と謎の音がした。背後からだ。ふたりは、そろってそちらを見た。
あかがね色の本から、なにか、煙みたいなものが立っている。
光。――青だけじゃない。赤。緑。黄色。紫。橙。金色。
そして、天窓からはいつの間にか月の光が差している。光という光がまじりあって、太い柱をなしている。
そのまんなかに、本は、あるのだった。
リョウは、ゆっくりと歩んでいった。
「――レジェンド・リクルート!」
たちまちキョウカが牽制の声を発した。
リョウはゆっくりと振り向いて、
――だいじょうぶ。
とでもいうように、うなずいた。
キョウカは名刺をふところにしまった。
台座の前に立ったリョウは、すぐに、変化に気がついた。
開いたままのページ、そこにたしかにあったはずの、キョウカの絵が消えている。あとかたもなく。
リョウは、直観した。
いらなくなったんだ。
この物語は、キョウカさんにとって、もう、必要なくなったんだ。
本を持ちあげてみた。さっきよりも、ずっと軽くなっていた。
「レジェンド・リクルート!」
鋭い警告の声が、リョウの背中をさした。
「その本を――」
リョウは、白紙にもどったページに目を落としたまま、そっとたずねた。
「キョウカさんは、どうしてこの本が必要だったの?」
「お父様が、必要としているのです」
即答した。
「お父様のもとに、持ち帰らなければ」
なんだか、悲愴なものがあった。
「そうなんだ。……キョウカさん、それでもしかして、出るに出られなくなってた?」
「……わたくしは……」
屈辱を押し殺してでもいるように、キョウカは言った。
「そちらの物体を……」
と、岩のつぼみを示した。
「破壊しなければ……」
「……これ? これを……どうして? これは、一体?」
「……わたくしの口からは、申し上げかねます」
申し訳なさそうだった。
だからリョウはもう、それについてはきかなかった。
「……でも、どうやって……こんなものを?」
「マナ」
キョウカはつぶやいた。
「マナの力が、必要なのに……」
リョウは、ふりかえった。
「キョウカさんも、マナを探して?」
そうして、リョウが思いだしたのは出会いの現場のあの泉だった。
「もしかして、さっきの、泉――」
「わたくしの」
かすかに、つぶやいた。
「力では……」
しまった、とリョウは思った。さっき、キョウカさんはほんとうにかなしそうにつぶやいていた。「才能」のひと言を。
「――シズナなき今、わたくしが、マナの使い手とならなければなりません」
それは、ひとりごとのようだった。
シズナに一瞬で染みついてしまった、マナの光。
あれとおなじくらいの輝きをキョウカがやどすには、いったい、どれくらいの時間がかかるのだろう?
光の泉に浸かりながら、キョウカのこころに込みあげてきたのは、開花しつつあるちからへの期待などではなかった。
手もとには、あかがね色の本。そして、鉛筆。
つい、できごころだった。ちょっとした、手なぐさみのつもりだった。
何百年ぶりのことだろう? ――いつしか、のめりこんでいくうちに、本はどんどん重さを増していった。
そのことには、気がついていた。
気づいていたのに、やめられなかった。
とどまるところを知らない硬筆は、つぎつぎに精緻なものを生みだしていった。
あのときキョウカは、台座に本を置き、つぼみのデッサンをこころみていた。
けっきょく、それはかなわなかった。
かわりに増えていくのは、思い出の絵ばかり。――そのうちに、本は決定的な重さに達したのだった。
リョウは本をたずさえたまま、つぼみの前に立った。
そして、――お辞儀した。
これほどの巨岩、ひと息にくだけるはずもなかった。
それでも、かすかにひびは入った。
それは、破壊にひとしかった。つぼみは光ることをやめた。
うつくしさが消えた。まがまがしさも、止んだ。




