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就活生RYO -Grand Design-  作者: 就活史編纂室
第1期「伝説の就活生、レジェンド・リクルート」
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第6四半期「日曜亭の日常」

「日曜亭」。


 いちおう、旅館です。


 六つの時、父・マサシ(享年35)が姿を消して――亡くなった、ということにされて、おそらくはすぐ、リョウはここにつれられてきました。


 おそらく、というのは、あまりに突然の出来事に当時リョウは混乱していて、詳しいいきさつを覚えていないからなのですが、ともかくそれからずっと、義理の父でもあり母でもあるオカミ(45)とふたりで暮らしているのです。


 もうじき、日が暮れるころでした。


 日曜亭は、丘というにはずいぶんけわしく、山というにはいくぶんつつましい、人里離れた坂道の上にポツンと位置しています。アクセスが悪い、という悪評がたたないのは、ごく一部の妙な目的をもった人々をのぞいて、そもそも誰も訪れようとはしないからです。


 リョウはいつものように、空想にふけりながら、とぼとぼと坂道をのぼっていきました。すると、坂の上のほうから、けんけんした声が聞こえてくるではありませんか。


 リョウは、ため息をついて、大切なあかがね色の本を抱えなおしました。


 今日は、その妙な目的というのをもった人が来ているにちがいありません。


 上司の目を盗み定時退社をこころみるビジネス・パーソンのように、そろりそろりと可及的ゆるやかな足取りで、戸口のあかりに近づいていくと、具体的、かつ詳細なやりとりが、嫌でも耳に入ってくるのでした。


「――ですから。ひとくちに、暮らしといいましても、サステイナブルな暮らしと、そうでない暮らしとが存在するわけでして。いわばこれは、アリと、キリギリスなのでございます。貴殿はいま、どちらのタイプに分類されるでしょうか? 経営計画の改善を実行しようともせず、かくのごとき低クオリティの生活に甘んじる理由を、わたくしにも納得のいくよう、ご説明願えますでしょうか?」


 ――やっぱり。


 訪問者は、ぴかぴかのお手製事業計画をたずさえた、就活生なのでした。今度はなんでしょう。コンサルタント志望か、経営学部の大学生か、はたまた、未来の起業家か……。


 こうなるともう、オカミは容赦しません。


「アンタにゃ、なんの関わりもありゃしないでしょうが! アリだかキリギリスだか知らないけどね、他人様の暮らしに踏みこんで甘い汁吸い取ろうだなんてアンタの性根は、甘ったれた虫ケラ同然だわよ」


「関わりがない? それはミクロな視点で見るからそうお感じになるのであってマクロなパースペクティブで検討するならば貴殿とわたくしとの間には経済活動を通しバタフライエフェクト的コミュニケーションが生じているのでございます! ――宜しいですか。ここ『日曜亭』はこのボッチ島で唯一、『温泉』を所有している旅館であるはずなのでございます。これは、きわめて重要なアドバンテージですよ! なぜ、温泉をコアにマーケティングなさらないのか! ひとたび貴殿が決断されれば莫大な利益が生じ、改築・移築どころか増築、貯蓄、さらには分館の建築さえ可能! なぜ、温泉を開放なさらないのです! ――さあ、わたくしにも納得のいくご説明を!」


 オカミは、何か思案するように、うっすらとヒゲの生えた顎のあたりを、ポリポリ。それから、大きなため息をついて、


「――わかったわよ」


 と、ポツリ。


「教えてやろうじゃないの」


 と、さも親しげな手招きで就活生を呼び寄せます。まるで、秘密の合言葉を教えてやる、とでもいったぐあいに。招かれるまま就活生が、たいそう誇らしげな様子でオカミの口もとに耳を寄せると――リョウは、慌てて耳をふさぎました。


 ――ワッ!


 と、馬鹿でかいオカミの叫びが轟いたのです。きいんと風が吹き、木々が揺れ、鳥たちがいっせいに飛び立っていきました。

 やがてオカミは、薄暗い坂道のかなたにまだ見える豆つぶほどの背中に向かって、


「今度来やがったら、ご指導、ご鞭撻だわよ!」


 それから、かたわらに呆然とたたずむリョウに向けて、何事もなかったみたいに、


「――あら、リョウちゃん。お帰り」







 畳の上に、ちゃぶ台。その上には、焼き魚、大根おろし、キュウリのつけもの、お揚げと菜っ葉のみそ汁、それからごはん。日曜亭の、標準的な夕食風景です。


「エリカちゃん、いまごろ、どのあたりかしらね」


「さあ」


「――大学院、受けるんだってね」


「うん」


 そういえば、さっきゴーダがそんなことを言っていました。


「つまり、――『就活』、なんてお下劣な真似は、しないってことだわね」


「そうだね」


「さすが、エリカちゃんだわよ」


 リョウは、白飯をはふはふかきこみました。


「船で妙なやからに、からまれてないといいけどね。なにしろ、季節が季節だから」


 ふたりして、みそ汁をすすります。


 それから、オカミはひょい、とリョウの茶碗を取りあげて、まだ残っているごはんの上に、さらにごはんを盛りつけます。


「いいよ、もう」


「食べなさいよ。――ドンドン食べりゃ、食べたぶんだけ育つ年ごろなんだから」


「……もう二十二だよ、オレ」


「まだまだ、ガキんちょだわよ」


 そうかすかにつぶやいて、今度はリョウの焼き魚をひったくると、見事な箸づかいでせっせと小骨を除いていく、オカミ。


 ――オカミ。


 どういう人生をおくってきた人物なのか、リョウはまったく知りません。過去の詮索を、オカミはひどく嫌うのです。



 おかげで、疑問はつきませんでした。


 なぜ就活生をあんなにきらうのだろう。


 なぜこんな就活生だらけの島でこんな暮らしをつづけているのだろう。


 なぜ父さんをあまり快く思っていないのだろう。


 なぜその父さんの息子であるオレを育ててくれたのだろう。



 なぜ、なぜ、なぜ。


 その手がかりになるかどうかわかりませんが、オカミはいつだったか、こんなことを言っていました。


「リョウちゃん。人生ってのはね。物語じゃないからね」


「何者かになろうだなんて、そんな妙な気持ち、絶対起こすんじゃないわよ」


「何者にもならなくったっていいの。なれやしなくったって、いいの」


「忘れるんじゃないわよ」


「人生は、人生。物語じゃないからね」




 ――わかってるよ、そんなこと。


 階段の下からは、ただ食器を洗う音だけが聞こえてくるのでした。


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