第21四半期「死」
はじめのひとことは、なんにも聞こえなかった。
こんなお嬢様、いちども見たことない。それでいて、だれもなんにも言えないのだ。生きていると、ばかみたいに、どうしようもなさをのろうしかないときだってある。そんなことを、カツモンたちは学びつつあった。
シズナの、息みたいな声がようやく言葉になりかけていた。
「あんたたち……また、勝手に……?」
――お嬢様。わたくしたちの姿が?
ウケタマワリマウスは、夢うつつのシズナにものみこめるよう、さすがげっ歯類らしい噛んでふくめるようなていねいさで、状況を説明した。
するとシズナはわかったのかどうか、
「勝手に、……じゃないわよね」
と、つぶやいたようだった。
――お嬢様……?
「あんたたち……みんな、生きてるんだもの」
それから、シズナは窓のほうを見た。なにかあるのかと思ってカツモンたちもいっせいにまなざしをむけた。が、とくになんにも見あたらない。
どう見たって、窓からはただあたりまえの夕日が差しこんでいるばかり。
……きれいね、というシズナのつぶやきのしおらしさに、みんな思わず、キツネクタイがそこにいるのをたしかめたくらいだった――ちゃんといる、ということはこのお嬢様はほんもののお嬢様だ――けれど、けっきょくなにがきれいなのか、幻覚なのか、走馬燈なのか、雲に乗った螺髪頭の大集団なのか、光る輪っかをいただいた白衣のラッパ吹きたちなのかはわからなかった。
こんなゲンシュクな雰囲気に水でなく西日なんて差されるのもまぶしくてたまったものでなく、だれかがサッと口でカーテンをしめてしまった。
シズナは、だまっていた。
それでもカツモンたちは、じつに勤労意欲旺盛だった。がちがち歯がなれば摂氏百度のおへそでお湯をわかしてくれたし、おでこをつたったいやな汗は大きな葉っぱでのこらずふいてくれた。
失敬してきたチーズをご提供差しあげたり、武勇伝を語ってあげたり。
ちくちくしてあげたり、もふもふさせてあげたり……。
……総員いろいろに気をきかせ、なにごとも先回りにこなしてはいたけれど、ただひとつ、遮光性だけがすぐれものの、愛想っけないグレーの布なんていつまでも未練がましげに見つめつづけているまなざしの意味だけが、最後まで理解不能だった。
兄蜂につっつかれたマトリックマが、ああっ、とにぶい声をあげて、絵筆一本で、そこを白くま色の光きらめく大銀河にしたてあげた。みんな、ほんものの夜空でも見あげているみたいに、なつかしい記憶を語らいはじめた。
ここにいる、ほとんどだれもが一度くらいは、こんな星空をシズナといただいたことがあった。
だいじょうぶ。企業なんて、星の数ほどございますよ。――そんな無力な常套句の、ほんとうの意味を知ることができるような夜空だ。
でもそのときは例外なく、レガシーハント業務の真っ最中。星なんて気にするひまありはしなかった。
だからシズナは、じつはいちどだって、星空なんか、見たことがない。そういえるのかもしれなかった。
そしてそれは、夕日だっておなじことなのだ。
「……悪かったわね」
ふいのつぶやきに、思い出話がやんだ。
――お嬢様?
ウケタマワリマウスの、ありもしない眉根が寄った。
――いま、何と……?
「……わたし、あんたたちのこと……これまで……」
――お嬢様。
オソレイリマウスが、あわてて言葉をはさんだ。というのも、子いわく、こういう哀切な真情のこもった、善き言のもれるときというのは、つまり――。
――ぜひとも……また、お嬢様と冒険の旅に出かけたいものですな!
――そうですわそうですわ!
ウケタマワリマウスも、妙に元気に追随した。でも、かくせない感情を尾が雄弁にものがたっている。
――お嬢様! わたくし、気がついたことがありますの。なにも、マナなんていただかなくったって……。
「……わたし、なんにも知らないわ」
――え?
「……あんたたちのこと。……あんたたちを生みだしたのは、わたしなのにね……」
たまたま染みついた青い光がおもしろくってたまらなかった、十二のシズナ。ねこやら、トカゲやら、ねずみやら……。手あたりしだいに、光をぶっつけまくったのだった。屋敷の庭先や、敷地の森を駆けていたころの記憶は、もう、誰のこころにもない。
「……そのせいかしら。わたし、ほんとうに、自分の手足みたいに……」
――お嬢様。
沈黙という危機だけは避けたくって、リスクヘッジホッグは言った。
――大事なのはこれからですよ! そう、大事なのは、いつも、これから。もう取り返しのつかないのことは、すっかり忘れる。それが、究極の危機回避ですから!
ボク、ぜんぜん、らしくないことを言っている。そう思いながら、それでも言わずにいられなかった。
――そうそう!
弟蜂が、ハリをピンと突き立てた。そして、いつものようになにかためになりそうな武勇伝を披露しかけたのだが、言葉をついだのは、なんと、マトリックマだった。
――「部隊では……後ろを振り返る者は、死すのみ」! ……とか、言いそう。
これにはみんな、大笑い。弟蜂自身、ぶんぶん照れくさそうにうなっている。
でも、「死す」という言葉は、こんな時にちょっと不謹慎だった。
マトリックマ自身、言葉をよく吟味するこころのゆとりがなかったのだ――そのことに気がついてこっそりあわてふためいている彼に、ソリューニャンは目だけでエールを送った。
「……ごめんなさい」
シズナは、とうとう、つぶやいた。
さあっと笑いがひいた。みんな、そういう言葉がいちばん恐ろしかった。
ソリューニャンは、すこしだけ申し訳なさそうにキツネクタイを見た。お祭りのとき言ったことだけど、あれは、僕の認識不足だったみたいだ。――そんな意味だった。
「……ありがとう」
シズナは――カツモンたちにしてみれば、たたみかけるように――そんなことまで言いだした。
「心配してくれてるのね。わたし、あんたたちにはほんとうに、ひどいことばっかりしてきたのに」
ばからしいことよ、起これ。突拍子もない事件よ、なにか――。
どんどん儚さを増していくシズナを前にして、カツモンたちのなかにあったのは、そんなおかしな切望だった。でも、部屋にはもうぶち壊しがたい、静謐さ、とでもいうようなものが満ち満ちてしまっていた。
そしてとうとうシズナの目のはしに、光るものさえあらわれてしまったではないか。
拭いてあげようと前かけを持ちあげたウケタマワリマウスの肩に、オソレイリマウスが、そっと手を置いた。そして、さとすように頭を振った。
それからはじまったのはシズナの長い、長い懺悔だった。一匹、一匹の名前を呼んで、あのときはああだった、このときにこうしてしまった、そんなことを、いっさいの混濁なく、きわめて明晰に語った。
カツモンたちは、しずかに聴いていた。
「――ほんとうに、ごめんなさい」
一匹ずつに宛てた、後悔と反省の物語は、かならずこうむすばれた。紙幣とちがって、数多く発行されたからといって、その言葉の価値が下落してしまうことはなかった。
――お嬢様!
じぶんの番が回ってきたとき、たまらずウケタマワリマウスはさけんだ。
――やめてくださいな! もう、そんなこと、おっしゃらないでくださいな!
でも、それにたいする答えは、ちっちゃなちっちゃな彼女のけんめいな泣訴よりもっとちいさく、かぼそい声で返ってきた。おまけに、ひどく弱気な内容なのだ。
こちらを窮地に追いつめるのが、ただ一匹のねこならば、がぶりと噛めば勝機は見える。
でも、シズナがいまおとずれを感じているもの、それは、節税対策のペーパーカンパニーをのぞけば、もしかしたらこの世でいちばん、実体のないもの――老いを知らないこのひとにとっては、なおさらだ。
……わかるの。わたし、もうすぐ……。
そんなシズナの言葉を聞きつけて、ソリューニャンが、口をひらいた。
――お嬢様。
ほんとうは伝えるべきか迷っていたけれど、
――……もうすこし、がんばってください。今、リョウが……。
シズナの肩が、一瞬はねた。
「え……?」
――リョウが……がんばっています。お嬢様を、救うために。
救う? なんて、大げさな言葉だろう。――でもやっぱり、大げさじゃない気がするのだった。
「あいつが……?」
どうして、とシズナは新鮮なおどろきを感じた。だってわたし、たくさんひどいことをしたのに――。
――もうすこしだけ、……もうすこしだけ、がんばってください。
シズナは、なにかつぶやいた。
ソリューニャンの耳が、機敏に寄せられた。でも、なんと言ったのか聴きとれなかった。
まぶたが下りた。
――……お嬢様……?
ソリューニャンの表情が、一変した。
それから、時間が経った。
ふかい沈黙のなか、胸もとに耳をあてたままのソリューニャンが、つぶやいた。
――死んでる。




