第20四半期「vs ホロウワークの遂行者、キョウカ(後編)」
振りかえりはしなかった。気配だけで、そこにいるのはもうわかっていた。
いっちょうまえに、達人ぶっている? いいや、そうではなかった。目がはなせなかったのだ。開いたままのそのページ、そこに細密に描かれた、その街並みから。
「そこを離れてください」
いつもとはちょっとちがう、どこかむきになったような警告がとどいた。
そこではじめて、リョウは振りかえった。そして、尋ねた。
「この絵。……キョウカさんが、描いたの?」
「レジェンド・リクルート」
キョウカはすこし大きな声で、リョウの問いかけをさえぎるように言った。瞳のゆれが、ほんのちょっとだけ見えた。
「今すぐそこを、離れてください」
「すてきな絵だね」
べつに、対話のきっかけをひらいたり、態度の軟化をさそったりするねらいなんてなく、リョウは言った。
「――おっしゃっている意味が、よくわかりません」
そう言いながら、キョウカの顔はほんのり赤らんでいた。
「それに、すてきな街。これ、ほんとうにある場所?」
「――返答の必要性を、感じません」
リョウはどうどうとキョウカにお尻をむけ、本を持ちあげようとした。
でも、重い。なぜかひどく重い。まるで、岩とずぶずぶの関係にひっついてしまっているみたいだ。
「無駄です、レジェンド・リクルート」
キョウカは言った。
「――どうして?」
リョウは変わらず、スキだらけの後ろすがたのまま問いかけた。無邪気な声は、妙な迫力にみちていた。それはキョウカに一瞬、追及をためらわせた。
その間に、リョウは一枚、ページを捲った。すると後ろで、
「――あっ!」
とちょっぴりあわれな声がした。振りむいたリョウのまなざしと、一見いつもみたく冷徹なままのキョウカのまなざし、先に逸れたのは、後者だった。
「――離れてください」
懇願同様の言いかただった。
「見ないで! ……ください、それ以上」
「ごめん」
リョウは、すなおに言った。
「今、見ちゃった」
そのまなざしの透明なまっすぐさに、ふしぎとキョウカは威圧された。
「すてきな絵だね」
やはりかけひきでなく、リョウはそう言った。
「ごめん、オレ、絵とかぜんぜんわからないから、それ以上のことは言えない」
「必要、ありません」
キョウカは、かすかな声でそう言った。
「感想など」
「ごめん。……嫌だった?」
だまってこちらを観察しつづけているキョウカに歩み寄りながら、リョウは言った。
「オレも、わかるかもしれない」
「……なにを、ですか」
「オレ、物語をつくるのが好きなんだ」
「……不要な、情報です」
「もしかして、読んでくれた?」
単純な、照れ笑いにはちがいなかった。でも、キョウカの核心はちいさな疼きにおびやかされた。
「ちょっと、恥ずかしいよね。勇気っていうか、心の準備っていうか……そういうのが、きっと必要だよね。自分のつくったものを、人に見せるのって」
リョウはまた一歩、二歩とすすんで、無防備な二者の距離は少しずつちぢまっていく。
「あれ、シズナさんだよね」
さっきちょっと見えた人物画について、リョウは控えめにたしかめた。
「となりのひとは、お父さん?」
キョウカは、しずかな混乱におかされた心を持てあまし、とうとういらだちをあらわにした。
「……わたくしを、責めていらっしゃるのですか?」
「責めてる?」
リョウの目がきょとんとした。
「……どうして?」
「わたくしが、あの本を、強奪した件について」
「強奪? ――そんな。あれはオレがじぶんで放ったんだよ」
「しかし要求したのは、わたくしです」
「でも――」
と、リョウにまたしても、よみがえっていたのはコンサルタートルのシズナだった。きっと、シズナさんのつめたさにわけがあったように、キョウカさんにも、
「――なにか、事情があるんだよね?」
「あなたは……」
キョウカは、とがめるように、こう言った。
「あなたは一体、何を考えていらっしゃるのですか?」
リョウとしては、なぜ御叱責たまわらなくちゃいけないのか、ぜんぜんわからない。なんだかもう、笑いだしてしまった。
「誤魔化さないでください! レジェンド・リクルート。これは、あなたの思考パターンを――」
キョウカは、あくまで真剣そうだった。
「ごめん、キョウカさん。……ちがうんだ。オレ、……それ、よく聞かれるなあ、と思ってさ。オレって、そんなに……なんにも考えてないように見えるのかなあって。それで、おかしくなっちゃったんだ」
そこでまたふっとリョウの浮かべたのは、キョウカにはなぜかとてもおそろしい無垢な笑みだった。
「たしかに、オレ、なんにも考えてないよ」
「嘘です。あなたは欺瞞的です、レジェンド・リクルート」
「嘘、なのかな。わからない」
リョウはどこかを見つめながら言った。
「でも、――そうだ、キョウカさん」
べつに聴きつづけるいわれなどないのに、言葉のつづきを律儀に待っているじぶんがいることに気がついて、キョウカはいらだち、おそれ、そして、ちょっと高揚していた。
「例えばキョウカさんは、絵を描く時、なにかいろいろな事を考える?」
「わたくしは――」
と、言いかけてキョウカはびっくりした。口を閉ざそうとするじぶん自身を、説き伏せて饒舌をうながそうとするもうひとりのじぶんもいることに、気がついたのだった。ひどく、わずらわしい。わずらわしいはずなのに――。
「わたくしは、なにも、考えておりません」
なぜ、答える必要がある? そう自問しながら、たとえはぐらかしにすぎないとしても、けっきょく前のめりに返しているじぶんがいた。
「だよね?」
リョウはうれしそうに言った。
「オレもそうなんだ。――物語を創っていると、オレ、いつも夢中で……なんだろう、オレってこんなこと考えてたんだって、……ううん、だから、『考えてた』って言葉は少しちがうんだけど――」
……ひとり、それこそ夢中になって、しゃべりつづけている。対象の抹殺業務くらい、かんたんに遂行できるキョウカを前にして。
「――オレの知らなかったオレみたいなのが、そこにはいたりして、それで……そう、それってすごく不思議な感じがするんだ」
「……あなたはおよそ、就活生らしくない」
それはしぜんに漏れた言葉で、じぶんでもどこか意味不明だった。
「うん、それもよく言われた。……シズナさんにも」
そう言ったじぶんの声が思いがけなく悲壮で、リョウは困惑にちかいものを感じた。でも、まだ無力なかなしみのフェーズではないはずだった。リョウは、思いっきり頭をさげた。
そのお辞儀が、レジェンド・リクルート、の名にあまりにもそぐわない粗っぽさだったので、キョウカは一瞬で警戒を解いた。
「――お願いします」
リョウの頭はふかぶかと下げられたままだった。
「……どういう、おつもりですか」
ほんとうに理解不能だった。
「いっしょに、考えてください」
リョウは言った。つむじをむけたまま。
キョウカは、黙っていた。言葉のつづきを待ってくれているのだと、リョウは感じた。
用件を、切りだした。
「――シズナさんを、助けたいんだ」




