第19四半期「vs ホロウワークの遂行者、キョウカ(前編)」
リョウは跳びあがった。光のしぶきが青く散った。
「キョウカ、さん……」
――なぜ、こんなところに?
そう問いかけたところで答えてくれるキョウカでないことは、以前の一件で思い知らされていた。
姿勢をただすリョウに向け、キョウカはもう、名刺を構えている。隙はぜんぜんない。いつでも交換できる状態だ。
――勝てるかな……?
自信はない。でも、からだは軽い。それに、こころも――。
このあいだの選考以来、リョウのこころにはいつも正体不明の恐怖があった。ちょっとしたきっかけでいつでも奈落化しそうな黒いほつれが居すわっていた。でもいまは、それがない。
いっぽうで、あたまのほうには妥当な考えもちゃんとあった。
勝ったところで、出口がわからなければ意味がない。就活回避をはかるのなら、なおさらだ。
どうして、キョウカさんがここにいるのかわからないけれど、あのときの手ぬかりのなさから考えて、地形を把握している可能性は高い。
――どうしよう?
推し量るまでもなく、とまどい丸だしのリョウに、キョウカは告げた。
「覚悟を、お決めください。――レジェンド・リクルート」
リョウなりに、周囲を把握しようと努めてはいた。するとわかったのは、キョウカの後ろに、そしてリョウの後ろにも、洞穴がぽっかり。
どこにつながっているのかは、わからない。
わからないけれど――と、リョウは考えた。
この青い光がマナだとしたら、ここで戦うのはどう考えたって、不利だ。
キョウカさんは、シズナさんの妹。そしてシズナさんとおんなじ、エージェントだ。
それなら、おなじようにマナの力を使えるはず――それが、リョウの推論だった。じつはふたつ、誤謬がひそんでいるのだけれど、幸か不幸か、それを御指摘いただける機会には、めぐまれなかった。
――イチか、バチか!
リョウははじめ、じぶんのすぐ後ろの穴に駆け込もうとした。キョウカがせまるのに、一秒もかからなかった。
――ごめん、キョウカさん!
「宜しくお願い、――致します!」
リョウはとっさに、お辞儀をした。
ただしキョウカでなく、土の壁にむけて。壁はくずれた。ここまでは、リョウのストラテジー通りだった。
――ウケタマワリマウスさん、ありがとう!
すぐに身をひるがえしながら、リョウは内心お礼を言った。
祭りのひと晩に、お化け屋敷でリョウをむかえ、出口のない暗闇では壁をぶち壊すのが最善策――ブレイク・スルー――だと、チュウ告してくれたのは彼女だった。
キョウカは表情を変えることもなく、崩落にのまれていった。青く光る水面が、今度は反対側の穴、つまりさっきまでキョウカが背にしていた洞穴にむかっていちもくさんに駆け抜けるリョウをゆらゆら、うつしている。
リョウは、穴に走りこんだ。
上層は花鏡院コーポレーションが開発をすすめていたようだけれど、ここは手つかずの深部なのだろうか。
なんの照明もないけれど壁いちめん青い輝きなので以前、霧の森を走ったときのような大変さはなかった。
ただ、わかれ道は多い。それは逃げる身にとって好都合といえるだろうか、すこしでも、キョウカを遠ざけることができたろうか?
誠に残念ながら、そういうわけにはいかなかった。後ろからの、妙に平静な気配がずっとリョウをおびやかしつづけていた。
それでもとにかく走りつづけていると、行く手から、風。そして光が差しこんできた。
青い光じゃない。溶けた鉄みたいな、夕焼けの光だ。
――外?
その光目がけてリョウは走りぬけた。
すると、先ほどリョウが目を醒ましたところと同じような、ひろく、高い天井の大洞穴にでた。ずっとずっと上のほうに、ちいさな亀裂が見える。この風も光も、あそこからのものにちがいなかった。
鍾乳石みたいなものだろうか、大小さまざまの、青い結晶の柱が上から突きだしていた。しずくがゆっくり、したたりつづけている。まるで、氷の洞窟だ。しかしふしぎと、あたたかい。
まっすぐ前を見ると、それは自然にできたものだろうか、それとも人間の彫りだしたものだろうか。
なるほど、たんなる岩にはちがいないのだけれど、それでもずいぶん変わったかたちの巨岩がそびえている。
リョウはそれがなんとなく、大きな――とんでもなく、大きな――花のつぼみをかたどっているような印象をうけた。
だとすると、――と、リョウは思った。あの亀裂みたいなのも位置を計算して設けられた、いってみれば天窓ということになるのだろうか。
絶妙に射しこんだ西日をうけて、つぼみは絶えず、さまざまな色にきらめきつづけている。
それは、うつくしかった。そして、気味悪かった。
リョウは、吸い寄せられるみたくそちらにむけて歩いていった。
足音が、たかく反響している。ということは、キョウカに聞きつけられるおそれがあるわけだが、そんなこと、今のリョウには気にならなかった。
夢見心地。この気持ちは、そんなふうに、言いあらわせるのかもしれなかった。
その夢が一気にはじけ飛んだのは、つぼみの、すぐ前。
こちらはどう見ても人工物で、リョウにはもちろん読めっこない――でも、どこかで見たことはある――文字がぎっしり刻みこまれた台座のような、なぞの四角い岩が設置されているのだけれど、その上。
そこに、おどろくべきものを見つけたからだった。
「――あ!」
それは、あの、あかがね色の本だったのだ。
開いたまま、置いてある本にリョウは駆け寄った。そして目を落とした。
――そして、背後にキョウカがあらわれた。
――くしゅん!
と、噂をされてから少し時間が経ってはいるけれど、ウケタマワリマウスがくしゃみをした。
そのくしゃみがなかったら、カツモンたちは、あと何時間でも無言のままシズナを囲んでいたかもしれなかった。
――リョウ君、遅いですわね。
前かけで鼻らへんをぬぐいながら、ウケタマワリマウスが言った。
――明け方には、一度もどって来ると言っていたが……。
と、兄蜂。
――もう、日が暮れるぜ? 部隊なら、懲罰ものさ。
弟蜂も、それまでジッとかたまっていた時間の埋め合わせをするように、ブンブンうなりながら部屋中飛びまわっている。
――やはり、ついて行くべきだったか。なあ、兄弟。
――だが、兄弟。行ったところで、何ができる? ろくにマナもない、今のオレたちに。
すると、
――まあ、励ますくらいはできたんじゃない?
と、マトリックマがそんなことを言いだした。お腹に、リョウの似顔絵を描きながら。
すかさずダイエンジョウ、
――お? なんだ? 人間くせえ事言いやがって。
ひとり合点したようにうなずいて、
――だが、嫌いじゃねえな! そういう考えかた。
――まあトカゲさん! 気が合いますのね。わたくしも今、ちょうどそんなふうに思ってたところなんですのよ。白状しますとね、わたくしあなたの事、「天敵」だと、そう思い込んでいたんですけれどもね!
――そりゃ、トカゲの種類によらあな!
――……しかし、妙なものですな。
オソレイリマウスが、しみじみと言った。
――わたくしどもも……変わりましたな。随分と。
ふいに、言葉がとぎれた。
誰も、答えるものはいなかった。
みんなそれぞれの心の内で、その言葉をじっくり噛み締めていた。いつまでも、噛み締めていたかった。けれども、その時だった。
「ん……」
と、シズナが声をもらしたのだ。
皆いっせいに、飛びあがった。
――うう……と、シズナはなおも、うめきつづけた。
それまでにもたまに、みじかいくるしみの声があがることはあった。
そのたび、みんなしてシズナの顔をのぞきこんだ。でも、期待したようなことはおこらなかった。
カツモンたちは、何度もがっかりさせられた。
そして何度でも、ふしぎに思った。
なぜじぶんたちは今、ここにいるのだろう?
なぜシズナの様子を気にかけつづけているのだろう?
なぜ?
いったいなぜ、たったひとりのこの少女――としか、カツモンたちには見えなかった――のいのちのひとあがきに、これほど心乱されるのだろう?
それは彼女が、この世でたったひとり、じぶんたちの雇いぬしの資格をもつひとだから?
ほんとうに?
ほんとうにそれだけなのだろうか?
「う……うう……」
シズナの息がいよいよ荒くなってきた。
ウケタマワリマウスは、たまらず、シズナの顔のすぐ横に、飛び降りた。そして、前かけを持ちあげ、額から落ちる汗をせっせとぬぐってあげるのだった。
それは、さっき鼻水をふいたものにちがいなかったが、そんなちょっとしたことをあげつらうものは、そこには誰もいなかった。
――おい、やばいんじゃないか?
苦しむシズナの真上で、兄蜂は右往左往することしかできない。うるさい羽音が、せめて気つけにでもなれば……。
――落ちつけよ、兄弟。「敵を知りおのれを知れば百戦危うからず」だ!
そういう弟蜂自身気が動転しているのか、引いた文句はこんな状況に全然ふさわしくない。
「戦時には高所に陣を構えるべし」……そんな部隊時代のこれも状況的にまったく関係ない教訓を生かし、天井付近でぐるぐる飛び回っている有様だ。
――危ないよ! 危ないよ!
ハリを立てたリスクヘッジホッグを、
――コン!
と、キツネクタイが踏んづける。
そんな大パニックのさなか、ウケタマワリマウスが大声を上げた。
――まあ! 皆さん!
――おう、どうした!
とダイエンジョウが、声とともに思わず火を噴いて、マトリックマの絵筆がチリチリに焼け焦げる。
――うわあ!
ウケタマワリマウスは、かまわず、報告をつづけた。
――これ、汗じゃありませんわ!
――え?
ソリューニャンがぴょん、とベッドに飛び乗って、くるしみつづけるシズナに顔を寄せた。
そして、しずかにこう言った。
――これ……涙だ。
騒ぎは、たちまちしずまった。
「……う……」
シズナの譫言が、いっそう際立って聞こえた。
「……キョウカ……お父様……」
――え? お嬢様?
ソリューニャンは耳を寄せた。
――おねこさん! お嬢様は、いま何と?
ソリューニャンはゆっくりと顔を上げた。
――キョウカ様と、……旦那様のことを。
みんな、顔を見合わせそうに……なった。
しかしいま、うかがうべきはたがいの表情なんかじゃなかった。
なんとシズナのまぶたが、ゆっくりと、開いていくではないか。




