第16四半期「マサシの謎、サカミの仮説」
夜空目がけて炎と煙がのぼっていく。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいに、いまは炎の爆ぜる音だけがしている。
花鏡院は対処に奔走するわけでもなく、各所になにか指示するわけでもなく、それを黙って見つめている。
赤いゆらめきは、エリカの瞳にもうつっている。ゴーダは、倉庫で爆睡中。海がしんしんと蠢いている。
「炎と水」
花鏡院は語りはじめた。
「これらをいつくしむのは、我々人類の、原初の感覚であると言われますが。――時に、エリカさん」
「……あ、はい……」
「この世に存在するありとある力のうち、最も強い力――それが一体何だか、おわかりになりますか?」
エリカは靄のかかったような頭を、それでも必死に働かせた。
失望されたくない。落胆させたくない。――かたわらの人間を、むやみとそう焦らせるところがこのひとにはあった。
いちばん強い力。
なんだろう?
地震? 雷? 原子力? ウツロニウム? それとも――。
「――レジェンド・リクルート」
思わず、そんなことをつぶやいてしまった。
レジェンド・リクルート。
とってもなつかしい。
就活生なんかじゃなかったころのリョウが創った、伝説の就活生。
「……なんです?」
といちおう反応は示しながら、花鏡院は、とくに聞きとがめたわけでもないようだった。
「――それはね」
と、しずかな声で、こう言った。
「――忘却」
「忘却……?」
「忘れること、忘れられていくこと。……時間が過ぎていくということ。忘却のちから、それだけには、何者も、抗うことができません」
エリカは、赤く照った眼鏡の奥の瞳、の奥の真意を、のぞこうとした。なぜ、そんなことを言いだしたのだろう? いまいちわからない。
「明日になれば、誰もが忘れている。先ほどの騒動のことなどね。そして皆、都合のいい解釈を見いだして、満足する。――おろかなものです」
エリカは、なにか、反論したかった。でも、意見は口からでてこない。「おろか者」のひとりと見なされるのが、怖かったのかもしれない。
「まあ、見ていてください、エリカさん」
花鏡院は言った。
「すべてわたしの、計算通りに運ぶでしょう」
感じた反発を、今度はわりにそのまま表明することができた。
「……そんなことない、と思います」
そのとき、花鏡院が一瞬だけ見せた表情は、エリカにとってひどく印象的なものだった。急におもちゃを取り上げられた子どものような、あどけないおどろきがさっとよぎったのだ。
でもそれはすぐ、寛大な笑みにおおわれた。
「――本日は、お疲れ様でした。エリカさん」
やがて朝がきた。
やわらかい光の下、燃えくずだけが黒く残っていた。
少しずつ、あたりはにぎわってきた。
就活生たちが、むらがりはじめる。
ひそひそと、噂しあっている。
「この火事は? 昨夜?」
「……絶対内定者・朱雀らしいですよ……」
「怖いですねえ……」
「テロですか? この間の選考でも、テロ行為がありましたね」
「アンチ・カツバトの思想に取りつかれているらしいですよ」
「ZAKURO社にも喧嘩を売って、花鏡院コーポレーションにも喧嘩を売って――」
「傲慢な男だ。神にでも、なったつもりか?」
サカミはこのごろなじみとなった微妙な違和感を抱きながら、就活生たちの間を通りすぎていった。
――テロ行為。
たしかに朱雀は、先日の第一次選考、グループ・ディスカッションにおいて、一度もカツバトを起動することがなかった。
既成の制度にとらわれない、斬新な就活を展開してみせた。
結果、選考は破壊された。
それはたしかだ。
しかし、「テロ行為」とは……。朱雀のしたことにくらべて、その言いかたはちょっと大げさすぎるように感じられた。まるで人でも殺めたような言いかたではないか。
――いや、驚くべきは、事実、そう思い込んでいる就活生が一定数存在するらしいことだった。
彼らはなにを見たというのだろう? 選考終了後の怒号、罵声、乱闘……といった大混乱のなかで、彼らの認識もまた混乱に陥っていたというのだろうか?
サカミは歩きながら、彼らの噂話に注意深く耳を傾けてみた。
するとかすかな違和感は、明確な疑念に変わっていった。
――あきらかに、齟齬をきたしている。
絶対内定者・朱雀。
その就活について、彼らはひとりひとり、まったく異なった認識を有しているらしいのである。
ある者は彼が人を殺めたというし、またある者は、彼は他志望者のカツバトを破壊したのだと主張している。
カツバトなしに他志望者たちをつぎつぎ論破していったのだという者もいるし、いや、同席していた連中を自殺に追い込んだのだと信じきっている者もいる……。
それぞれが、あきらかに、べつべつの見解を主張している。
だというのに、彼ら自身は、そのことをまったく自覚できていないらしい。
そしてたがいに理解しあったつもりになっているらしいのだ。
妙だ。あきらかに、おかしい。
――キリサキ専務の動向と、なにか関わりが……?
ポケットに、資料をしまってある。あの部屋から持ち帰ったものだ。
それは、ふるい新聞記事。
新聞といっても購読数のきわめて少ない、「就活新聞」。
そのころ就活はまだ、就活生だけのものだった。
とくに、ZAKURO社の選考、その趨勢をいちいち追っている者などほとんどいなかった。
もちろん、なんとなく気にかけている者自体はそれなりにいたのかもしれない。ZAKURO社は、今も昔も就活の殿堂だから。
しかし当時の就活は血なまぐさい死闘だった。命がけの激戦だった。それは競技として娯楽化するにはあまりに凄惨だったし、直視することのできる者はかぎられていた。だから多くの者にとって、それはたんに黙過の対象だった。
記事が報じているのはZAKURO社の最終選考前夜に――今も変わらぬ行事だが――催される、「決戦前懇親会」の模様だ。
翌日敵同士として戦う二名の就活生がその夜だけは杯を交わし、たがいに健闘を誓いあう。
それぞれの招いた客人や、多くの社員らも参加して、華やかな立食パーティーがもたれるのだ。
写真には、その年最終選考進出を決めた、ふたりの栄えある就活生が並んで映っている。キャプションも、添えられている。
一人は、キリサキ専務。
そしてもう一人が、マサシ。リョウの、父親なのだ。
ZAKURO社の内定者は、例年、一人。
それが慣例――そう、なるほど、「慣例」にすぎない。だがその慣例に、今まで例外など存在したのだろうか?
ふつうに考えればこの年の内定者は、キリサキ専務だった、ということになる。
が、リョウの話だと、マサシというこの男もZAKURO社での勤務歴を持っていたことになる。
リョウが、嘘をついている? あるいは事実を誤認している?
その可能性も、もちろんある――どうもサカミには、そうは思えないのだが――しかしそうでなければ、この年だけ、二人の内定者が存在したことになる。
そして、「マサシ」なる人物の記録は、この記事を除いて、就活生時代・社員時代いずれについても、いっさい残されていないのだ。
仮にそれが、キリサキ専務のしわざだったとして――そのくらいのことは今回、サカミを「懲戒解雇」に付すことのできた点から考えても、けっしてありえない話ではないわけだが、しかし、だとするとなぜこの記事だけが消されず保存されていたのか?
そして、こちらがこの記事を持ち去ったことに気がつかないキリサキではなかったろうに、なぜそれをあえて不問に付したのか?
余裕か? 侮りか? それとも……?
――不可解な点が、多すぎる。
そう、不可解なのだ。ちょっとした不可解さがつみかさなっているのだ。
たとえば、解雇を言い渡すのに、なぜわざわざ彼自身資料室に出向く必要があったろう?
こちらが出ていくのを待てばいいのでは? あの時でなければいけない理由があったのか?
言葉や表情の端々にあらわれた、あの妙な感じもそうだ。
――キリサキ専務。
冷酷無情な、理知的人物であるかに見えて、いっぽうでなにかある情念に、絶えず衝き動かされているような……。
……そんなことを考えながら、サカミは、チケット売り場にやってきた。
すると、係の男がこんなことを言うのだ。
「――あんた、就活生?」
うさんくさそうなまなざしに、サカミは舐めつくされた。
「いえ。――違いますが」
「何の用?」
「ボッチ島まで、船室はどれでも構わないので、一般客一名」
「許可証は?」
「許可証?」
男はパイプをくわえたまま、いろんな意味で煙たそうに言った。
「だから、花鏡院コーポレーションの」
「花鏡院コーポレーション……?」
なるほど――そういえば、倉庫にしてもトラックにしても、花鏡院コーポレーションのロゴがそこらじゅうにあった。
「……ふうむ……」
なるほど、とサカミは思った。そして、
「……失敬。就活生、一名で」
男はぞんざいな口調で、
「なんだよ。それなら早く言えよ」
失敬、といたって冷静に言うサカミを疑わしそうにまじまじ見つめ、
「ずいぶん、老けてんな」
ふうむ……と、よく整えてあるはずのあごひげを撫でながら、サカミは思った。
――身だしなみには、気を遣っているつもりなんだが……。
まあ、しかたがない。
「宜しく、お願い――」
百の言葉をついやすつもりはなかった。
「――致します!」
そのお辞儀を見て、男はふん、とひと唸り。
不機嫌そうに一服しようとして、やけにうっすいフレーバーだな、と先っぽに目をやると、そこにあるはずの火皿は、真下の釣り銭皿にごろり。
横倒しになって、くゆり、くゆりと煙をたれながしつづけている。こぼれた葉っぱが、ひゅるり、風にさらわれた。
真っ二つの、喫煙具。
切れ味するどい、さっきのお辞儀。
意味するところは、ひとつしかない。やけに短縮化されてしまった愛用品をくわえたまんま、男は黙って背後の棚をがさごそ漁り、どん、とカウンターの上に妙なものを置いた。
まるでなにか権威ある大会の優勝賞品みたいな、A4サイズの、金の盾。座右の銘にでもふさわしそうな仰々しい書体で、「特・特・特等チケット」と彫られている。
――少々、やりすぎたか……?
ずしんと重たいそれを小脇に抱えて、サカミはちょっと後悔した。この愛煙家にも、悪いことをした。まあ、しかたないが。
「――出航は、いつです?」
男はようやく気を取りなおして、言った。
「……直近の便は、昨日、行っちまった」
「次は?」
「来週」
サカミは言った。
「……なるほど」
――まあ、いいだろう。
その間に、できることをやるだけだ。
財布から、弁償金としてじゅうぶんと思われる額をアルミのトレーに残し、サカミは足早にそこを立ち去ったのだった。




