第13四半期「ゴーダとエリカ」
とにかく、からだを動かさなければ。スコップを、土に食いこませる。ぐっと持ち手に、力をこめる。すくった土を、真横の箱に、流しこむ。そしてふたたび、スコップを持ちあげる――。
それだけだ。
それだけの仕事が、ぜんぜん捗らない。
後ろの三人が、気になってしかたないのだった。
花鏡院の、人あたりよさげな声が聞こえる。
「――ウツロ教授にもお越しいただければ、なおよかったのですが」
「……先生がいちばん嫌いなのは」
いっぽう、エリカはおずおずとした物言いだ。
「睡眠をじゃまされることですから」
花鏡院は、
「存じております」
と言って、笑った。
「ですから一度も、視察にいらしたことがない」
気まずい笑いを、エリカは浮かべるしかなかった。
――ウツロ教授から呼びだしがかかったのは、二日前の午前中。
「例の件は、不問に付そう」
開口一番、ウツロはそう言った。例の件、それはもちろんなくした――ぶんどられた――ブローチのことだ。
あれ以来エリカに激怒、失望したウツロはもう、エリカを寄せつけようとはしなかった。
そんなウツロのもとに、出資者である花鏡院醇麗から連絡があった。まさにそのエリカを、紹介してほしいというのだ。
さすが、と思わざるをえなかった。
そこに目をつけるとは。
エリカの傾聴の才能は、それだけは、ウツロも評価していた。だからあれほど貴重なウツロニウムの結晶を、エリカに託したのだ。
「傾聴」。
それはウツロのもともとの研究――既成の「就活」概念の、根本的再検討――においても、重要概念だった。
でも世間一般ではどうだろう? 世のビジネス・パーソンたちに勧められている――聴きかたの技術、とかなんとかいって――傾聴とウツロの重んじている「傾聴」、両者は、呼び名こそおなじでも中身はまったく別ものである。エリカのすぐれているのは、もちろん後者だった。
花鏡院醇麗。
その知能指数は測定不能。
ウツロにとって「頭のよい人間」、それは取りもなおさず「自分とおんなじ価値観をもつ人間」を意味する。
傾聴という神秘の営為に、彼自身とまったくおなじ――と、本人は思い込んでいる――可能性を見いだした花鏡院のするどさを、ウツロは高く評価した。
そしてそれ以上に、その花鏡院をビジネス・パートナーに選んだみずからの慧眼に狂喜した。
ブローチなどもうどうでもよかった。
この先、研究が進めばあれくらいのもの、いくらでも生みだせるようになるだろう。
「今回の件で、もし君が一定の成果を上げられるようなら」
と、ウツロは言った。
「君自身の将来の可能性は、うつくしく……大いに光り輝くだろう。この、ウツロニウムのように」
電話がかかってきたとき、正直、エリカはあまり前向きな気持ちにはなれなかった。
もちろん、安堵はあった。
大学生という肩書き。
そして、大学院生という目標。
それはエリカにとって数すくない拠りどころだったし、大げさでなく、たったひとつのアイデンティティだった。
それもなくしてしまったと感じていた矢先のことだから、ふたたび研究室に出入りすることを許されるだけで、なぐさめとも、救いとも感じた。
リョウは就活生になろうとしている。かたわらのあの人にはエージェントという立派な仕事がある。
――わたしは?
そんな自問に苦しんでいたちょうどそのときのことだったから。
でもいっぽうで、エージェントさんに寄り添うリョウを見てしまったときの、あのわたしのこころの動き――。
あれは、院に行こうと学者になろうと、どんな生きかたを見つけたところで――。
変わらないんじゃないだろうか?
わたしは、わたしというこの醜い人間から、けっして逃げきれないんじゃないだろうか?
だとしたら――。
「――どうされました?」
われに返ったエリカを、さも気づかわしげに、花鏡院がのぞきこんでいた。
「ご気分でも?」
「――あ、すみません、あの……」
エリカは、あわてて頭を振った。
「だいじょうぶです」
「……む、無理、すんなよな」
ここぞとばかりに、ゴーダはリュックからだしたペットボトルを差しだした。
「これ、飲めよ」
「あ、ううん――」
「アズマニシキ・ブランドの、『ボッチ茶』だからさ。も、もちろん、未開封だぜ。つまり――いや、何でもないけどさ、その、懐かしいよな、エリカ。オレたち、ガキのころ茶畑でさ――」
「ううん、だいじょうぶ。――ありがとう」
と、こんな困り笑い一発に心臓をぶち抜かれたゴーダをよそに、花鏡院はこう提案した。
「すこし、施設内を見ていただいてから……涼しいところで話をしましょうか。例の件について」
「え? ……あ、でも……」
オファーの件なら、すでに聴かされていた。
「かもめ亭」での傾聴業務。
花鏡院は、ゴーダの手前、そんなふうに説明してあった。
ほんとうは、業務内容は傾聴にちがいないが、場所は「かもめ亭」などではない。そんな民宿、なくなるのだから。
「わたしは、あんまり……」
「なにが、気がかりで?」
花鏡院は、やさしく、やさしく問いかけた。
「……あの」
もじもじしながら、エリカは言った。
「『日曜亭』は――」
ずらーっとならんだ白い背中の、ひとつがあきらかにぴくりと跳ねた。でも、誰も気がつかない。
「どうなるんですか?」
花鏡院は、懇切丁寧に、
「どうなる、というと……?」
「ゴーダ君の、プラン……」
――わたし、全然、好きになれないんです。
言ってしまおうかと思った。言ってしまったほうがいいと思った。
でも、言えない。
怖くて言えない。
なにが怖い?
このひとの不興を買うことが?
ウツロ先生の怒りが?
わたしの欠陥があらわになることが?
「あの……」
言えない。怖くて言えない。
「そうです。……あなたが考えていらっしゃる通り」
と言いながら、花鏡院はエリカの真意を微妙に読みそこねていた。
「何よりも、経済的発展を第一の目標として掲げている。そういう意味では、『日曜亭』さんはきわめて不利な状況にある。その点だけは、包み隠さず、お伝えしておかねばなりませんね」
「っていうことは――」
「でも、大丈夫です。あなたのお気持ちは理解していますよ。あなたにとって……そう、とても大切なご友人の……そこは、ご実家なのですから」
ざっくざっくと身を粉にしている作業員たち。その列のなかひとりだけ、全身耳にしているものがいた。
「そのオカミさんというかたに、わたくしどものほうから、誠心誠意、計画の趣旨については御説明して――よくよく御理解いただいたうえで、御協力いただくことになるかと」
「ご協力――」
それは、立ち退きっていうこと?
「でも、……あの……」
どうして言えないの、わたしは? ――怖い、怖い、怖い。
「その点も、心配ご無用です。代わりの建物はご用意いたします……おそらくそちらのほうが、よほど裕福な暮らしができるのではないかと」
「えっと……」
――ちがう、そんなことじゃない!
どうして言えないの?
わたしはあそこが大好きなんだって。
あそこがわたしの、ほんとうに大好きな場所なんだって。
「正直、わたくしどもは」
エリカの目つきに、意に添わぬものを読みとりながら、それでもやさしさをくずさず、花鏡院は言った。
「その点、あなたの御協力に期待しているのですよ」
「え? わたし……?」
「そうです。エリカさん。……なにしろその、オカミさん、という方と――」
一瞬、その目に鋭さがひらめいた。
「ずいぶん、懇意にしていらっしゃると、伺いましたので」
「え……」
――それって……。
わたしが、オカミさんを説得するっていうこと?
わたしが、日曜亭を?
わたしが、オカミさんの、リョウの、そしてわたしの、居場所を壊す?
「それは――」
エリカは、言った。
「できません」
毅然と、告げたつもりだった。しかし花鏡院には、別の見えかたがしていた。
仮にいま、リョウが振り向いたとしても、おんなじように感じたろう。でもリョウは、そう言ってくれたエリカの気持ちを、大切にしたかった。いまはつたえられない言葉のかわりに、ざくっとスコップを引き抜いた。
――いえ、エリカさん。あなたは、実行する。
花鏡院には、確信があった。
――あなたはかならず、翻意する。
おどおどと、こちらの顔色を窺うばかりのこの女。
――かならず、服従させてみせる。
なに、それくらいのこと。ゲーム同然だ――。
「わかりました、エリカさん」
花鏡院は、残念そうに言った。
「詳細については、またいずれ、時間を設けて相談しましょう」
「あの――花鏡院さん」
ぐっと勇気をだして、エリカは言った。
「わたし、やっぱり――」
けれども、最後まで言い切ることはできなかった。
外で、叫び声がしたのだ。しきりと、
――ドロボウだ! ドロボウだ! ドロボウだ!
そんなふうに繰り返している。
花鏡院は興醒めしたように言った。
「すみません、エリカさん。よりによって」
「あ、はい……」
エリカは、気勢をそがれてしまった。
「だいじょうぶ、ですか……?」
「様子を見て来ましょう」
そう決めるともう、切り換えは早かった。
――醇麗さん、オレ、こういうの慣れてますよ! つまり、アズマニシキでも食い逃げってのが横行っていうか縦行っていうか縦横無尽だったんで、とちらっちらエリカを見ながらでっかい声でアピールしつづけるゴーダのかたわら、花鏡院は無線機に、なにか囁きかけた。
そしてそのまま、出て行ってしまった。




