第10四半期「起源の力、マナ」
――あ……あああ、あ……あの……。
と、ウケタマワリマウスが、気絶すれすれに、リョウを指差して言った。
――リョ……リョウ君ですわね?
「――ご無沙汰」
リョウは疲れのあらわな、いまいち精彩を欠いた「起立」をして、
「――しております!」
お辞儀した。
もう、わかっていたのだった。ここにつどっているのが、夜ごとお祭りで、親睦を深めた面々だということが。みんな、あの時は人間のふりをしていたけれど……。
「――その節は、大変、お世話になりました」
ほんとうに、立派な挨拶をするようになった。ウケタマワリマウスなど、感涙に咽んでしまったくらいだ。
肝心の疑問については、ソリューニャンが問うてくれた。
――僕らのことが、見えるんだね?
「うん。……カメのおじいさんも、見えたから」
――……言葉も、わかるのかい?
人語を書き言葉であらわせるコンサルタートルは別としても、本来、カツモンの言葉は、シズナ以外の人間には理解できないはずだった。
「わかるっていうか……」
リョウはとまどうしかなかった。
「オレは、ふつうに聴いて、ふつうに話してるけど……」
ソリューニャンは、黙って考えていた。
レジェンド・リクルート……?
あの日をさかいに、何かが変わった……?
――いや、それはいい。
「え……?」
――ううん、何でもないんだ。ところで……リョウ、君はさっき、「いっしょに考えてくれないかな」って、そう言ったね?
「うん」
リョウは注意深く、うなずいた。
――お嬢様を、助けたいと……君は、そう思っているのかい?
「うん」
今度ははっきりと、うなずいた。
――それは、なぜ?
リョウはよーく考えてみたうえで、やっぱりタナカが教えてくれた、そしてシズナに教えた言葉を、カツモンたちにも、伝えたくなった。
動機として、それがいちばんしっくりくる気がした。
――自分に……?
――恥じたく……?
カツモンたちには、その意味はまったくわからない。
ソリューニャンは、問いの角度を変えることにした。
――君は、知っているのかい? お嬢様という人間が、これまでなにを考えて、どんなふうに生きてきたのか。
「ううん」
また、コンサルタートルのことを思い出しながら、リョウは迷いなく答えた。
「知らない」
――なんにも?
「知らない。……ほとんど」
みんな、顔を見合わせた。
――ぜんぜん?
「……うん」
――……人間って、不思議だな。ぜんぜん知りもしない他人のことを、助けてあげたくなるものなのかい?
「……オレは、たくさん助けてもらった」
――え?
「みんなに」
そう言ってリョウは、カツモンたちを見わたした。
カツモンたちはまたまた、顔を見合わせた。
――君は……大事な、大事な、宝物みたいな本を、みんなのために、投げだしたんだったね。
「……みんなのため、とかじゃないんだ」
――じゃあ、何のため?
「わからない」
リョウはすなおに頭を振った。
「……なんにも、考えてなかったのかも」
するとその時、リョウのお腹のあたりで、なにかが――。
――ん……?
ソリューニャンは、目を凝らした。ちょうどその猫眼のように、なにかきらりっとしたように見えたのだ。
――その、ボタン……。
リョウは見おろした。するとまた、――きらり。
ソリューニャンの、左右色のちがう瞳が、大きくひろがった。
今度は、はっきりと見えたのだった。マナの、青い光が。
――それは……。
カツモンたちはいっせいに、近寄ってきた。リョウはびっくりして、
「これが、どうかしたの……?」
――リョウ。
ソリューニャンは言った。
――これが、マナだよ。
そして、語りはじめた。
「マナ」。
もしかしたら、現代を生きるリョウにはなじみのない言葉かもしれない。が、よくよく世の中を見わたしてみると……。するとさまざまなところに、「マナ」の痕跡を見いだすことができる。
たとえば、Money。
たとえば、Manner。
たとえば、Management。
そしてたとえば、Mankind。
……ぜんぶ、おなじひとつの言葉を根っこに持っている。
それが、「Mana」だ。
――信じられるかい、リョウ。
ソリューニャンは、まっすぐに、リョウを見ていた。
――かつては、人間も、「精励」――カツモンの、祖先みたいなものさ――も、おんなじ世界に暮らしていたんだよ。僕も、ここにいる誰も知らない、はるかむかしの話らしいけれどね。
はっ、とリョウは、あることに思い当たった。「精励」。たしか父さんも、そんなことを言っていたような……?
それもいきいきと、まるでじぶんが、見てきたかのように。
でも、確証はない。リョウの、思いちがいかもしれない。
いや、きっとそうだ。だって、なぜマサシが、カツモンたちですら言い伝えのなかでしか知らないような大むかしのことを、とっておきのみやげ話みたく語ることができるというのか?
話が壮大すぎて、ごっちゃごちゃになっているのかもしれない。いや、きっと、そうだ――そう思ったから、黙っていた。
ソリューニャンは、語りつづけていた。
――そのころにも、業務は存在した。でもね、リョウ。それは、いまでいう業務とは、まったくちがったらしいのさ。そう、「働く」ということの意味がね。
そのころは、誰も報酬のためになんて働かなかった。なにかのため、なんて考えは、そもそもありはしなかったのさ。
ただそこに存在すること、そのことが、すでに働くということだった。
精励は、万物に宿り――月も、太陽も、風も、水も、大地も、木々も、おのおのが、なんの見返りも求めることなしに、「存在」というただひとつの最重要タスクを、どこまでも無心にこなしつづけていた。それだけで、世界は回っていた。
……回りつづける、はずだった。
――ねえねえ。そんなの、知ってた? ボクの無知って、危機的なのかなあ。
リスクヘッジホッグが、隣のマトリックマに囁きかけている。
――いいや? 初耳だけど?
――いろいろ……勉強なさったのでしょう。
オソレイリマウスは感慨深げに言った。
――勉強?
――それが彼にとって、「考える」ということの第一歩だったのです。
そして心のなかで、そっとつけ加えた。
――おそらくはその精励の時代についても知っていたであろうあのご老人の、「死」ということについて。
「回りつづけるはずだった、って……」
リョウは床に腰を下ろし、聴き入っていた。
「……そうか。オレたちの住んでいる世界は、もう、そういう世界じゃないもんね」
――そうさ、リョウ。世界は、変わった。なぜかはわからない。……でも気がついたら、こういう世界になっていたのさ。
……稼いだり、支給されたりする必要もなく、万物が好きなだけ、一なる源泉から徴収可能だった、「マナ」。
そんな、ただひとつの定義しかもたなかったはずの「マナ」は、いつしか、ばらばらになってしまった。
……たとえば、「幸甚」という決まり文句があるね?
ご返信いただけましたら、幸甚に存じます、だなんて……。
でもさ、リョウ。おかしいとは、思わないかい?
だれが、商談相手からのビジネスライクな返信一通で、「甚だ幸い」なんて気持ちになれるだろう?
ほんとうの幸いというものが、いまこの世界では見うしなわれてしまっているということの、いい例だ。
むかしはだれでも、「幸甚」ということの、ほんとうの意味を知っていた。
というより、知る必要なんてなかったんだ。
あえて知ろうとしなくったって、そんなことはきちんと、ひとりでにわかっていた。
それが「Mana」に満ち溢れている、という状態さ。
でもいまこの世界で、「幸い」の定義はじつにさまざまだね?
Moneyを増やすのが幸いな者もいる。
なんにも考えず、Mannerに従いつづけるのが幸いな者もいる。
バリバリと、第一線でManagementするのが幸いな者もいる……。
たったひとつの「Mana」だったものが、こんなにも多様化してしまったんだ。
それは、価値観のちがいも生まれる。争いも生まれる。世界はすさんでいく。
Manaはますます、うしなわれていく……。
これが精励でも、そして原初の人びとでもない、あるとき以降の、Mankindという生きものの、いってみれば宿命みたいなものなのさ。
話を聴いているあいだずっと、リョウは、ソリューニャンの言った、
――なぜかはわからない。
という言葉が気にかかっていた。
世界が、変わった。変わったということだけは、なぜだかわかる。すくなくとも、わかる手立てがないわけではない。それなのに、なぜ変わったのか、それはわからない。
――まるで、そこだけ記憶が抜け落ちてしまったみたいな……。
「あっ!」
思わず声が出た。
レジェンド・リクルート。
世界を変える者。
そして、忘れられていく者。
レジェンド・リクルート……。
――どうしたんだい?
ソリューニャンは首を傾げた。
レジェンド・リクルート。かつてはちょっぴり誇らしく、そして恥ずかしかった、今となってはものすごく恐ろしいその言葉は、リョウには、どうしても言えなかった。
「……ううん。ごめん。何でもない」
ソリューニャンは、今度は逆っかわに首を傾げた。
でも、今は話をつづける時だった。
――そしてね、リョウ。
ソリューニャンは、くるしそうなシズナを見た。
――お嬢様が今、こんな状態に陥っているのは……その「マナ」が、不足しているからなのさ。
リョウも、シズナを見た。
そうだ、思い出した。霧の夜、キョウカから逃げながら、シズナはたしかに言っていた。
――マナさえあれば。
あの時も、シズナは、これにちかい状態だった。でもそこから、持ちなおすことができたのだ。
それは、どうしてだったろう?
――たしか、エリカのところに行きたい、と言いだして……。
あいまいな過去の闇に、まあるい光がくっきり浮かびあがった。それは、
――ブローチ!
そうだ、あの時シズナさんは、エリカのブローチを、もぎ取ったのだった。
すると、青い光が、溢れだして……。
あの、青い光。
あれこそ、「マナ」だったわけだ。そしてリョウのボタンにもいま、まさにその、おんなじ輝きが――。
「じゃあこれを」
あの時のブローチみたく、リョウはボタンをもぎ取ろうとした。
「シズナさんに……」
――いや、ダメだ。
「どうして? だって、この光は……」
――それじゃ、足りない。
ソリューニャンは苦々しげに言った。
――全然、足りないんだ。
「じゃあ、どうすれば……」
するとソリューニャンは、ねこよけのペットボトルがよぎって多少ためらいを感じながら、水を向けるように、こう言った。
――そのボタンは、いったい、どうしたんだい……?
「あ――」
……そうか。シッポだ!




