第7四半期「シズナの異変(前編)」
統計学にくわしければ、どう解釈しただろう?
観戦していたらしい就活生たちは、たとえば――。
石を投げてきたのが三、四十人。指差して笑ってきたのが五、六十人。かと思えば、握手、サインを求めてきたのも、七、八十人。素通りしたものだって、もちろん百人単位でいたはずだ。
いったいリョウは、どんな就活をしたことになっているのだろう? ――とにかく、こちらと人びととの認識が、どうしようもなく、食いちがっているのはたしかだった。
それは、就活生同士の認識にだっていえるはずなのに、なぜか、当の本人たちは、そのことにまるで気がつかないらしい。
ただ、ほとんどの就活生たちは、当初の予想通り、絶対内定者・朱雀が圧倒的勝利を収めたものと思い込んでいるようだった。
つまり――シズナの、きっと緑色の本から得た知識にもとづいた説明によると――皆のなかの「常識」が、レジェンド・リクルートのつくった記憶の空白を、勝手に埋めてしまったのだ。
――わからない。
リョウは歩きながら、だんだん自分が信じられなくなってきた。皆が見たものとオレが見たもの、いったいどちらが「ほんとう」なのだろう?
レジェンド・リクルート、なんておかしなガイネンを持ちだして、世間一般から見れば、空想物語にとりつかれているのはあきらかに、オレのほうだ。
どこか危なっかしい歩みで、前を行くシズナに、その疑問をぶつけてみることにした。
「エージェントさん」
ところがシズナは、すぐには返事をしない。
……様子がおかしい。疲れている? 機嫌が悪い? それだけでは、なさそうだった。
じつはさっきから、物が二重に見えていた。声も意味のない、ただの音に聞こえる。エージェントサン? ドウシタンデスカ? ダイジョウブデスカ?
「……大丈夫よ」
その声にはいつもの、ぴしゃりとした勢いがなかった。
「他人の心配、してる場合?」
どうも、抑制が、利いていないのだろうか。シズナは街路樹に手をついてからだを支えながら、つい、こんなつぶやきをもらしてしまった。
「……『エージェントさん』ね」
「え?」
その自嘲の含みは、リョウには汲みとれなかった。ただ、このひとがちょっと、まずい状態にあることだけはわかった。そこで、一丁前にこんな提案をしてみた。
「大丈夫ですか? ゆがみの町まで、タクシーで――」
「そんなお金、持ってないでしょ」
「でも――」
交通量の多い車道すれすれで、プップーと邪魔っけにあしらわれながら、リョウはまなざしをさまよわした。
すると、――さいわいなことに、とその時は思えた、血相変えた女のひとが、駆け寄って来たのだ。
傍目にも、あきらかに具合の悪そうなシズナを心配して、助けに来てくれたのだろう――そんなふうに、リョウは思った。
ところが、女のひとはリョウの目の前で、見ていられないほどぶざまなお辞儀の格好をとると、
「お願い、致します!」
人目も気にせず、絶叫したのだ。
「お願い致します、奇蹟の就活生様!」
リョウは、――とにかく、立ってはいた。
「わたくし、あなたの就活を拝見しておりました!」
どうしよう、エージェントさん? ――けれども、額に脂汗をうかべ、苦しそうに目をつむったシズナは、もうしゃがみこんでしまっている。
そんな様子、目の前の女のひとの眼中には、少しもはいらないようだった。
「お願い致します! お願い致します!」
そればっかり、何べんも何べんもくり返している。そしてとうとう、
「わたくし、拝見しました、あなたが――」
決定的なひと言を口にした。
「あなたが、死者をよみがえらせるところを!」
アッ、とリョウは叫んだ。
レジェンド・リクルート。
レジェンド・リクルート。
レジェンド・リクルート。
「どうかお願い致します!」
女のひとは、とうとう泣きだしてしまった。
「どうか、わたくしの息子を……!」
けれどもリョウは、もうなんにも聴きたくない。
「あの、オレ――」
「わたくしの息子を、返してください! 就活生で、……就活生だったんです、息子は。自慢の息子でした。それが、書き置きものこさず、突然いなくなって……それで、選考に行けば、息子が、いるのではないかと! 行った先で、あなたさまを拝見いたしました、わたくし……」
「やめてください!」
もう必死だった。
「わたくし、運命ではないかと! 『奇蹟』ではないかと!」
「やめてください!!」
とうとう、お腹の底から出たのは、怒鳴り声にちかかった。
そのときリョウは、どんな顔をしていたのだろう? ――けっきょく、見て見ぬふりの人ごみの果てに、あわれな嗚咽が、遠ざかっていったのだった。
「……オレ……」
リョウはつぶやいていた。
「オレ、こんなはずじゃ……!」
レジェンド・リクルート。
なんでもできる就活生、世界を変えるぞ他者実現、社会に、世界に、宇宙に貢献、過去や未来に飛び込み営業、光の速さで、イノベーション。
若くて恥ずかしい物語のなかの、ごく私的な、つくりものの英雄。
レジェンド・リクルート……。
「わたしのせいよ」
どうにか立ち上がりながら、シズナは、つぶやいた。
「わたしのせいなの……」
ぷすぷす、謎の音がした。街路樹を見た。シズナの手が当たっていたところから、青い煙が立ちのぼっている。焦げたようなにおいがする。シズナのからだが、淡く発光している。
いったい、どういうことなのか――シズナにだけは、わかっていた。
もう、マナがなかった。だから何でもに宿るごく微量のマナを、どんなやりかたでも、この身体がいま貪欲に、吸収しようとしているのだ。
それは、つまり、悪あがきにちがいなかった。
――マナがなくなれば、どうなる?
それは、シズナにも――ほんとうの意味では――わからなかった。
いっぽう、リョウにわかるのは、とにかく――。
……リョウは、腰をかがめた。そして、シズナをおぶった。もう、あらがう気力もないシズナの身体は、ひどく軽かった。
「しっかりしてください、エージェントさん」
「どこに、行くつもり?」
リョウは、やるせなく思いながら、ごく常識的なことを言った。
「病院に、引き返します」
「むだよ」
「……どうして?」
「病気じゃないの。……わたし……」
かつてなく、心ぼそい。
「わたし、もう――」
「エージェントさん!」
リョウは励ますとか、たしなめるとかでなく、熱くなり、こんなことを言ってしまった。
「カメのおじいさんのこと、思いだしてください……!」
そのひと言は、シズナを、だまらせてしまった。
「――すみません」
わたしのせい。
少しして、背中から聞こえたのはそんなつぶやきだった。うわごとではないらしかった。
わたしのせい……。
リョウはだまって、歩きはじめた。




